機関紙110号 (2015年5月27日発行)
鎗田 英三(駿河台大学教授)
2014年2月に、「マスコミ・文化九条の会の新春の集い」で「ヒトラーがまたやってくる?!」と安倍のことを話した。だが、1年後の今「安倍はヒトラーを超えてしまっている」と誤りを認めざるを得ない。
自然災害や政変などの危機に乗じて、人びとが茫然自失から覚める前に不可能と思われた過激な政策を強行する手法をナオミ・クラインはショック・ドクトリンと名付けた。
1933年政権掌握後僅か2か月で独裁体制を作り上げたヒトラーも、3・11後の復興特区法案や「危機をでっちあげて」安保法制をあれよあれよと強行していく安倍もそうだ。
ヒトラーは「平和」を唱えつづけながら、戦争準備を「粛々と」進めていった。徴兵制を復活させた1935年の「ナチス・ドイツは心の底からの世界的確信から平和を欲する」との平和演説に、ヒトラーを警戒していたアメリカ大統領ローズベルトさえイチコロで、感激の書簡を送ったほどである。大戦開始の僅か一年前にようやくヒトラーは「戦争」を口にするようになった。周辺国の銃砲はすべてドイツに向けられていると対外的危機を強調し、平和とは不戦でなく、自分がやられないためにドイツが強大国となり、やりそうな相手をつぶしておくという「積極的平和主義」を、安倍はヒトラーから学び、「平和」を連呼しているのである。
世界恐慌のさなかに「彗星的躍進」を遂げたナチスは、当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法に対しても「憲法に基づく」という言葉を多用していただけではない。独裁を認めた全権委任法をも、「憲法改正的立法」であるとしてわざわざ憲法改正手続き(3分の2以上の出席で3分の2以上の賛成)にのっとって審議したのである。
ところが、安倍は、「憲法解釈の責任は自分にある」と国会にもかけずに、閣議で解釈改憲をした。「政治で共有される今までの常識、規範が通用しない。民主主義を何とも思わず、権限さえ獲得できればよい」(國分功一郎)という態度を鮮明にし、憲法は国民主権の立場から権力を戒め縛るものであるという近代国家の基礎を根底から覆そうとしている。
ヒトラーは、政権掌握後、恐慌克服のため雇用創出計画による600万人に及ぶ失業の解消と中小企業や農業への保護政策に取り組んだ。脆弱な権力基盤を強化するために、いかに国民をナチ体制に統合し、組み込んでいくかに腐心していたのである。
しかし、安倍はどうであろうか。一方において「国家の解体」を促進している。鷲田清一氏は、「削がれる国家、公益を期待できない時代」と位置づけ、〈外から〉はグローバル経済で主権の制限や規制の廃棄を迫られ、(内から)は格差拡大やセーフティネットの破綻から「国家による『統合』に明らかな限界が露呈している」と指摘している。逆に経済的に国民を統合不可能な分、政治的に統合しようとして、軍事的に強い国家としてナショナリズムを鼓舞し、思想・言論の統制に血眼になるのであろう。
マックスウェーバーは、支配・被支配の関係が成立するには、支配される側(権力基盤)が支配を正当と認めている必要があるという。庶民出のヒトラーは、ナチ党の25か条綱領でも明らかなように、大企業に目配りはしながらも、自らの支配を支えてくれる権力基盤は中間層を中心とした「普通のドイツ人」にあることを忘れることはなかった。独裁者になってもたえず国民の意向を気にかけ、3回の国民投票の際、ビラや集会、飛行機を駆使した遊説などで支持獲得に躍起となっていたのである。
ところが、支配エリート出の安倍は国民の意向を全く気にかけない。彼の支配・被支配関係に国民は入ってこないのである。
彼の権力基盤は企業家層にしかなく、アベノミクスは、「世界で企業家が最も活動しやすい国」を作ることであり、大企業のセールスマンとして外遊に精出する姿は、ヒトラーよりむしろブッシュに近い。大企業が史上最大の内部留保をし、株式市場が高ければ、安倍は何も恐れることはないのであろう。
別にヒトラーを擁護するつもりはないが、彼が逡巡した一線を安部は平気で越えている。こんな安倍が居座り続けられるのはなぜだろう。そこには、「独裁、ファジスム=悪、民主主義=善」とマインドコントロールされ、日本はまだ民主主義でファシズムになっていないからという安心感が潜んではいないだろうか。
たしかに私たちは民主主義を希求するが、現実の政治の世界では、民主主義を錦の御旗として内政不干渉の原則も何のその、各地で爆撃が続けられている。
2011年リビアヘの爆撃を思い起こしてほしい。「アラブの狂犬」「独裁者がついに死亡」「民主革命(アラブの春)がリビアに拡大」と肯定的に捉えていたのはマスコミだけではない。そこでは、教育、医療、電気代も無料のリビアの実態やNATOの爆撃に国民の3分の1に当たる170万人が抗議のデモを行ったことなど全く無視されていた。独裁政権だが、42年間も維持できた根拠があったのである。現在のリビアにおけるISによる混乱は、そんなマインドコントロールの付けが回ってきたとしか思えない。
中川とき彦(書家・若松町在住)
沖縄に初めていったのは、私が39歳の時、1986年の夏でした。那覇空港が、沖縄のどこにあるかも知りませんでした。それから今日まで沖縄の書友との交流が続いており、当初は年3・4回、近年は年1回、訪沖してます。
私は法政大学経済学部で良知 力(らちちから)先生のゼミナールで学んだことが一番懐かしい想い出です。当時は中核・革マル・民青・ナントカと法大の校庭は、争いで休校が続いてました。
私はどうも、多勢の中に入るということが苦手でした。だからデモとか集会に参加することはありませんでした。ゼミの仲間は、三里塚にいき、つかまった友人もいました。
卒業後、野呂栄太郎や住井すゑさん等の著書に目がいくようになったと同時に、沖縄に関する書物に、心奪われていきました。
伊波普猷・金城朝永・比嘉春潮・島尻勝太郎・福地曠昭・新川明・牧港篤三・三木健・太田昌秀・外聞守善・高良倉吉・大城立裕・又吉栄喜・・真尾悦子・芝憲子……多くの書籍を読み漁りました。
飛行機からみる珊瑚礁は、テレビでみる、あのエメラルドグリーンと寸分違わず、美しく、誰でも感激する素晴らしいものです。
それを、今、破壊しようとアベという人がやろうとしています。陳舜臣の『琉球の風』を読み直してます。沖縄の民意を踏みにじるヤマトンチューの私達は、どれ程、珊瑚のウチナンチューの心を知り得るのだろうか。
北村 肇(『週刊金曜日』発行人)
「戦争法案」の審議が始まりました。本来なら歴史的な国会になるはずなのに、地の底からわき上がるような盛り上がりがありません。そこでの論議をみていると、この国はもはや、1945年に再生を誓った日本ではないと断言せざるをえません。アジア諸国への侵略戦争を深く反省するとともに、平和国家として再出発する。廃櫨の中でなされたその約束は、独立国をめざして世界に発せられたはずです。しかし戦後70年、日本はいま自立した国家を投げ捨て、米国の「完全なる属国」への道をひた走っています。
安倍首相は先の訪米で、安保法制の変更をオバマ大統領に確約しました。その線に沿った日米ガイドラインの改定もなされました。その時点で、政権側はすべて終わったかのような姿勢を見せています。ふざけるなと言いたい。
ことは、「専守防衛」方針を根底から覆す、まさに国家としての大転換です。何しろ、自衛隊が米軍とともに地球の裏側でも戦闘行為をできるようになるのです。国会審議以前に、首相が勝手に米大統領と約束するなど言語道断です。その約束には効力もありません。
また日米ガイドラインは単なる行政協定です。国会の決定が優先するのは当然です。しかも、今回の改定は日米安保条約すら逸脱しています。同条約の5条、6条は以下のようになっています。〈第5条:各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する〉〈第6条:日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される〉
5条には「自国の憲法上の規定及び手続に従って」とありますから、地球上、どこでも自衛隊が戦闘行為をできるガイドラインは成立しません。また6条は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」と規定しており、極東を超える地域において米軍が日本のために軍事行動をとることはできません。つまり日本がその地域で集団的自衛権を行使することも事実上不可能なのです。これらのことを考えても、安保条約はそのままにしてのガイドライン改定はあまりに無理筋です。すべてが国会軽視、三権分立無視なのです。これほどの暴挙はありません。民主主義国家、立憲主義の否定といってもいいでしょう。当然、野党は断固、安倍政権を批判、追及すべきです。ところが、表面的にはともかく、永田町には気の抜けたビールのような雰囲気が漂っています。
このままでは、「会期(6月24日まで)を8月10日まで延長して成立させる」という、政権側の思惑通りにことが進む危険性があります。こうした状況をみると、一つの結論に行き着かざるをえません。この国は70年間、米国の実質的支配下にあり、そのことを与党のみならず多くの野党議員も受け入れてきたのだと。だから、安倍政権によって「完全なる属国」化が完成しても、徹底対峙ができないのだと。それでも55年体制時には、自民党と社会党があうんの呼吸により米国の要求をはねつけることもありました。なれ合いという負の面はあったにしても、日本の独立性を守るという一点での共同歩調があったのは歴史的事実です。
しかし、小泉政権以降、この国は「51番目の州」へと急速に向かい、民主党政権で一旦流れは変わったかに見えましたが、安倍政権登場でついに「完全なる属国」になったわけです。
それにしても、国家主義者とされる安倍首相が、米国のために自衛隊の傭兵化を積極的に推し進めるとは、何という矛盾でしょう。「日本を取り戻す」と大見得を切るのなら、米国のくびきから脱しなくては意味がないはずです。愛国者が他国に「わが国」を差し出す−−喜劇でしかありません。しかもこの喜劇は、確実に市民に悲劇をもたらします。数々の侵略戦争を歴史に刻んできた暴君国家の手先として、日本は血を流さざるをえないのですから。
二度と侵略戦争に手を染めないと誓った日本が、米国の属国として「平和のため」というお題目のもとに武器をとる。すべての目的は米国の利益−−。「戦争法案」の内実はそこにあります。「日本を守る」というのはおためごかしにすぎません。
私たちの命も、働いた結果の果実も、米国に差し出す安倍首相。彼こそが「反日」そのものといえるのではないでしょうか。保守も革新もありません。日本の独立を守るために、すべての政治家は覚醒し、有権者代表としての矜持を取り戻し、隷従政権に立ち向かうべきです。そして私たち主権者もまた、「平和な日本」を取り戻すために、できる限りのことをしなくてはなりません。
鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)
コメディアンとして活躍する松元ヒロの「笑劇☆ソロライブV」を見ることができた(5月10日、神奈川芸術劇場大スタジオ)。
この日の舞台は4部構成、およそ2時間、たった一人、舞台で語りつづける。笑いあり、涙あり、歌あり、マイムあり、終わってみると大満足の大喝采だった。
まずは政治ネタ。歴代首相の物まねは得意中の得意、安倍首相の場合は「正に」と「断固」と「全力で」と「切れ目なく」「しっかり」を入れるとそれらしくなる、そして最後に「やって参りたいと思っております」と続けば良い、と笑いを誘う。「アベ内閣」でなく「アベコベ内閣」だと批判も痛烈だった。
次にフォークシンガーの笠木透ととりくんだピースコンサートの様子を語る。ここでは、ダウン症の子どもたちとのふれ合いが感動的だ。だれもが生きる楽しさをもっていることを強く訴える。
さらに佐高信の「昭和史」の話題になる。ここでは、鶴彬の川柳「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の紹介や小林多喜二の死にふれ、淡谷のり子の歌手としての生き方も伝える。戦争の悲惨さ犠牲の大きさを聞かせる。
最後はチャップリンの映画「街の灯」を、マルセ太郎の「スクリーンのない映画館」のように、語りと動きで表現する。センスのいいマイムが見もの、映画の二人の主人公、放浪紳士と盲目の花売り娘の姿が目に浮かぶ。マルセ太郎の芸が継がれていることが嬉しい。
原田みき子(沖縄県本部町在住)
5月17日那覇市で「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開催され、35000の人が会場を埋めつくした。あちこちでバスに乗れずあきらめた人も多いと聞く。辺野古の現場から安次富浩さんが登壇し「菅官房長官はニ言目には『法治国家』と言うが、辺野古の現場から言わせてもらえば『放置国家』だ」と演説し拍手を浴びた。最後に登壇した翁長知事は「自国民に自由と人権、民主主義という価値観を保障できない国が、世界の国々とその価値観を共有できるのか」と指摘し、最後に「沖縄の人をないがしろにするな」とウチナーグチ(沖縄語)で結んだ。会場は割れんばかりの拍手で総立ちになった。知事が十二分に県民の思いを代弁してくれたことの喜びと感謝、そして明日への希望にひとりひとり涙をぬぐった。
私は沖縄へ転居して16年になるが、知事にこれほど信頼を寄せる県民の姿を見たことがない。沖縄はやっと夜明けを迎えたと感無量だった。
しかし、辺野古ではあいかわらず政府による住民弾圧が続いている。日を追うごとにひどくなっている気もする。
私は早朝6時からの抗議行動に参加するため時々テントに泊まる。「マンション」と呼ぶテントは農作業用のビニールとパイプで作られた粗末な物だが、南の島では寒さをしのぐには十分だ。が、台風にはひとたまりもない。先日の台風6号の襲撃にあわてて撤去し、現在再度設置中だが国交省管轄の北部国道事務所が「テント等設置禁止」の警告を発している。毎日20名くらいの職員たちが並んで立ち、監視している。
3ヶ月前にも24時間体制で15分おきに10名以上でパトロールを繰り返し撤去を命じた。官邸直轄で命令が下っていると聞いたが、彼らは1分も狂うことなく任務を遂行した。紳士然とした職員が集団で威圧してくる様子は滑稽ですらあった。「私たちの真情も察してください」とこぼす職員もいた。今や安倍首相は独裁者になってしまったようだ。官邸直轄は海上保安官や機動隊員にも言えるようで、殺人行為に等しい暴力が海でも陸でも横行している。さらに工事を請け負う大成建設に雇われた警備員までが機動隊員と一緒なって、座り込んだ市民を拘束し始めた。安倍首相の焦りがあらわれていると感ずる。この原稿を書いている最中に、ハワイでオスプレイが墜ちたニュースが入ってきた。将来的には辺野古の新基地には百機が予定されているらしいが、沖縄県民の怒りは沸点に達するだろう。
ある人のお墓を案内していただくために、北野にお住まいのKさんを訪ねました。
築150年は超えたと思われる養蚕農家の“サロン”はいまだに土間のままで、周囲には繭で作ったシルクフラワー、わら細工の羊、真っ赤な鷹の爪を縄に編み込んだ魔除け、どんぐりのトトロ等々、どれ一つとっても目を瞠る作品がところ狭しと飾られています。
見上げるほど高い梁の下の垂れ壁には書や絵などの額が、これもずらりとかかっています。その中の一つ、油絵をじっと見ていたら「それ、玄洋さんの桜島」ということでした。
高橋玄洋さんは、この桜島を見ながら戦争末期の絶望的な日々を特攻隊の基地で過ごされたという、特別な思いのある山だそうです。梅崎春生の『桜島』に描かれた敗戦直前の死の覚悟と生への執着、たぶん玄洋さんも同じような思いで生きていたのでしょう。
では、お墓に、と言われて表に出ると、なんと納屋の中からこちらを見ている馬がいたのです。鉄骨で骨組みをして、肉体の部分は全て稲わらを編んだり組んだりして精巧に作られた等身大の馬。しっかりと立つ姿の“馬らしさ”はさることながら、眼差しはものを言うかのようで、つい、たてがみをなでて話しかけてしまいました。「ちゃんと寸法を取って作ったのよ、乗ってみる?」残念ながら、この日はスカートをはいていたのです。
これも鎌倉道の一つだったという細い坂道を上りながら、お墓まで5分もかからない距離の間に、この辺りに山の神山エイカン寺というお寺があってとか、板碑がたくさん出たとか、はてはリヤカーで棺を運んだ葬列の話を身振り手振りで。同じK姓の一族の共同墓地というそこには、入り口に回ると遠いからと石囲いの隙間から入って行きました。北側に遮るものはなく、遥かに上州の山々。墓地からの眺めはとても贅沢でした。
原 緑
安全保障法制(戦争立法)が国会に提出された。あくまで、安倍晋三首相の最終目的は「九条」の改憲にある。平和憲法はいよいよ崖っぷち。憲法記念日の5月3日、在京各紙は「憲法」を読者に何をどう伝えたのか、検証した。(山本、葛西)
「9条改正こそ本丸」とする安倍首相が、「改憲へ迂回戦略」をとるに至る経緯を1,2面にかけて詳述している。その背景には「二つの出来事」があるという。@「96条改正論」が「裏口入学」「立憲主義に反する」と批判され撤回せざるを得なかったこと。A。「集団的自衛権を使えるよう憲法解釈を変えた」ことで「9条改正は直ちにやる必要がなくなった」こと。記事は、「緊急事態」「環境権」「財政規律」など合意を得やすい項目から改憲発議することが既定路線のように記述されている。
この見方は社説でもとりあげられているのだが、2面に載せている議員と有権者に実施したアンケート結果では、「最も改正すべき」項目の1位2位は両者とも「9条」と「96条」である。「緊急事態」「環境権」は下位であり、「財政規律」は項目にさえ出てこず、必ずしも「合意を図りやすい」項目とはなっていない。「上からの改憲をはね返す」と題する社説は、安倍首相の持論である「押しっけ憲法論」批判に字数を割いている。GHQ案は一から十まで米国製」ではなく、「西欧の人権思想」「様々な民間草案」「憲法研究会の案」などが下地にあり、「帝国議会の議論によって平和を世界に広める積極的な意味合いが加えられていった」とする。
現憲法を「押しつけ」とみるか否かは、「敗戦後の民主化政策を“輝かしい顔”で歓迎した国民の側に立つか、“仏頂面”で受け入れた旧指導部の側に立つか」だと両断する。
好企画と感じたのは文化面で、国の最高法規である憲法の立憲主義が形づくられてきた歴史を13世紀のマグナ・カルタまでさかのぼって概観する記事、同じ面で俳優の東ちづるさんがいう“憲法は生きるための基本書”が立憲主義の重みとともに実感できる。
社会面の桜美林大学の加藤朗さんと明治大学の浦田一郎さんの記事は、立場はちがうが安保関連法案が自衛隊の役割と任務を一変させる事態を憂う点では同じだ。
1面から2面につづく連載企画「日本国憲法制定過程をたどる」はタイムリーだ。「敗戦後間もない1945年10月27日…憲法問題調査委員会が始動した」とはじまる記事は、現行憲法がどのようにして誕生したのかを追っていく。委員長が法学者の国務大臣松本烝治であることから通称「松本委員会」と称され、「冒頭から軍のあり方を巡って激しい議論の応酬」となる。「これが、今日まで続く“9条論争”の出発点」なのだが、安倍首相が繰り返す“GHQに選ばれた25人の素人委員がたった8日間でつくった押しつけ憲法”という内容抜きの浅薄な認識を事実でくつがえす連載に期待したい。
面白いのは、中面見開きの「戦後70年これまでこれから」と題する特集企画が「連載企画」と同じ視点で組まれていることだ。「『押しつけ』薄い論拠」との見出しどおり、憲法の制定過程を先の連載企画との重複もかまわず詳述し、片面では安倍政権の解釈改憲に揺れる自衛隊員の現場とその家族の戸惑いを浮き彫りにしている。当時、松本委員会の「憲法改正要綱」をスクープした毎日新聞だからか力が入った好企画だ。
「国民が主導権を握ろう」と題する社説は、今年亡くなられた「9条の会」呼びかけ人奥平康弘さんの「憲法とは、未完のプロジェクトである」との言葉を紹介し、憲法のなかの普遍的な「理念に新しい生命を与えて、社会に根づかせていく」ことの大切さを述べる。そして安倍政権の改憲姿勢を、「既にある憲法を生かすことさえできない政治が、別の憲法を作って生かそうとしても、できるはずはない」と断じる。
社会面では」、防衛大学校で必修科目の「憲法」をどう教えているのかレポートしている。同じ紙面の囲み記事で、防大で教鞭をとったことのある憲法学者の小林節さんが「入隊時と服務の内容が変わるなら、宣誓をやり直させるべき」と述べているがまったく同感である。
1面は、「これからも憲法を守りたい」との思いをつなぎ、広げていく好企画である。長崎での原爆体験をもつ歌手美輪明宏さんの「私たちは憲法に守られてきた。世界一の平和憲法を崩す必要はない」とのメッセージは明快である。また、「普通に暮らしていた人たちが、理不尽な暴力と死に直面する。それが戦争の正体」という言葉が重く響く。
中面見開きで、「9条の会」呼びかけ人の作家澤地久枝さんと、護憲を訴えるため埼玉で“憲法ママカフェ”を開いている弁護士の竪十萌子さんの対談が掲載されている。歳の差51歳、初対面とのことだが、憲法の立憲主義の重要性、安倍政権への危機感、低投票にみる政治離れへの警鐘など、今ある危機感を共有した対談となっている。
「不戦兵士の声は今」と題する社説は、1947年に島根県浜田市で発刊された地方紙「石見タイムズ」の主筆兼編集長小島清文氏とその思想を紹介している。戦艦「大和」の暗号士官としてレイテ島沖海戦に従軍した小島氏は、生き残ったあと配属されたルソン島での極限状況の戦闘を経験し米軍に投降する。「山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出して」いた小島氏は新聞界を退いた後、「不戦兵士の会」を結成し各地で「ひたすら“不戦”を説き」つづける。82歳でなくなった小島氏の戒名は「誓願院不戦清文居士」。“戦争は知らないうちに近づいてきて、気づいた時は目の前にいる”と、晩年小島氏がラジオ番組で語った「忠告が今こそ、響いて聞こえます」と社説は終わる。
改憲派の雄「読売新聞」の1面には憲法の記事はなかった。3面に施行68周年を特集した。「いよいよ憲法改正の中身を国会で議論していく状況になった」と、自民党の船田元・党憲法改正推進本部長が、5月1日に開かれた「新しい憲法を制定する推進大会」で、「2年以内に1回目の憲法改正を実現したい」と発言したことを紹介している。当面、憲法改正項目の絞り込みが焦点となり、自民党は1回目の憲法改正では、@災害に対応する緊急事態条項A環境権など新しい人権規定B財政規律を確保する条項などが対象になる。注目の第九条の改正は2回目以降に実現を目指すとする。改正発議に必要な衆参両院での三分の二以上の確保だが、現在、自民、公明両党は衆院で三分の二を維持しているが、参院では届いていない。
大型の社説は例年のごとく、改憲の応援団。「日本の社会や国際情勢の劇的な変化に伴う、憲法と現実の乖離を解消する必要がある。与野党は、憲法改正論議に本腰を入れろ」と、煽る。「各党が積極的に歩み寄り、幅広い合意を得ることが肝要」と、これでは翼賛政治の勧めだ。
圧巻なのは、「総理!そんなに戦争がしたいですか?」「九条守ろう」の全面意見広告が掲載されたことだ。
1面で憲法特集を組み、白州次郎氏、南原繁氏、芦田均氏の3氏を登場させた。英国留学組で国際経験豊かな自由主義者だった白州氏は、非常識な占領軍による「憲法制定」に危機感を募らせたという。「今の日本にふさわしい憲法を自分たちの手で最初から作り直すつもりでやったらどうか」と繰り返し語ったという。「日本政府が憲法改正に最後まで自主自律的に自らの責任をもって決行できなかったことを極めて遺憾に感じ、国民の不幸、国民の恥辱とさえ感じている」と、白州氏の憲法に対する認識を紹介。南原氏が特に問題にしたのは、自衛権の所在が曖昧な9条だったと言う、「父は『戦力なき国家は国家でない』『平和は血と汗で守るもの』それが政治学の常識」と語ったと次男の晃氏が振り返る。芦田氏の孫で「芦田均日記]を編纂した下川辺元春氏は「祖父は日本が主権を回復した後、数年で憲法改正ができると思っていた。まさか改正までこれほど時間がかかるとは思っていなかっただろう」と、行間から安倍晋三の高笑いが聞こえてくる特集記事だ。
社説(主張)は読売新聞と同じトーンで、「憲法改正の理由に9条が国の守りを損なってきた」と述べた上で、憲法が擁護すべき大切な価値は、日本の独立や国柄、領域、国民の生命財産。同時に米国をはじめ民主主義諸国と共有する自由の価値観、基本的人権、法の支配だと、憲法で米国を守れと、ここまで言うか。読売より「タカ派」の論調だ。
改憲派の集会を二社面で紹介したほかには、「憲法」の記事は掲載されていない。
日経がテレビ東京と共同で実施した世論調査によれば、憲法について「現行のままでよい」が44%、「改正すべきだ」が42%となり、調査開始の04年以降、初めて現状維持が改憲賛成を上回った。04年の調査では、「改正すべき」が55%。「現状のまま」が27%だった。これが逆転したのは、平和主義の変質に危惧を抱く人が多くなった証左だ。
社説では、現憲法が「押しつけだからすべて破棄するというのは現実味がない。成り立ちにかかわらず、現憲法はそれなりに定着してきたという護憲派の主張にも一理ある」と理解を示し、「現憲法がどんな支障を生んでおり、どう直せばどう良くなるのか説明をする必要がある」と説く。緊急事態条項を優先させる主張は読売、産経と同じ。「この国をよくしたい。いまの国会議員にその気概があるのか」と問う。そこは同調したい。