機関紙126号 (2016年11月2日発行)



もくじ

人々は「笛吹き男」安倍についていくがそれはナチスと同じ道
 鑓田英三(駿河台大学名誉教授)
  ▼見逃すことはできない
  ▼民主主義の原則否定
  ▼新潟県知事選を励みに

則天去私
 中川とき彦(書家・若松町在住〉

「核廃絶を考える」
 原発開発とロカルノ不戦条約

 林 茂雄(元東京新聞ワシントン総局長)
  偏見が幸い
  トランクで運べる原爆も

参議院選挙結果と私たちの課題
 渡辺治氏講演内容要旨C

  いよいよ第2ラウンド
  「会」を作り直す

鈴木彰の「カニむかし、騙された日もあったけれど…」

太郎の部屋のほっとたいむ 47
 鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)
  「たいこどんどん」若手中心で再演

【連載・沖縄通信】沖縄は負けない
 原田みき子(沖縄県本部町在住)

日本の民主主義と人権を守って88年
 日本国民救援会の歴史と運動A

 畑中 繁(世話人、牛沼在住)
  下山・三鷹・松川事件
  「信書」弾圧で勝訴

コ一ヒーブレイク
 原 緑
  《実りの秋》
入間基地強化進む

紹 介
  ●吾妻地区文化祭 憲法カフェ   ●映画「高江 森は泣いている」上映会(63分)   ●安保法制違憲訴訟所沢報告集会   ●第17回よりよい教科書を子どもたちに
事務局から
  ▼「九条の会」交流討論集会の記録(DVD)を見ます
  ▼11月20日、「入間基地拡張ストップ1」大集会
  ▼▼お詫び




人々は「笛吹き男」安倍についていくがそれはナチスと同じ道

鑓田英三(駿河台大学名誉教授)

 さる9月26日の国会の所信表明演説の中で、安倍首相は、「夜を徹して任務に当たっている」自衛官や海上保安官を礼賛して拍手を促し、自民党議員が全員起立してそれに応えた。

見逃すことはできない

 この場面を見て「お国のために戦った兵隊さんのおかげです」という戦時中の「兵隊さんよありがとう」の歌が浮かんできたのは、私だけではないだろう。そして、今度は拍手と起立が私たちに求められると考えたとき、この出来事を「気持ち悪い」だけで見逃すことはできないのである。

 第一に、この演説は民主主義の根幹を否定するからである。演説を聞いて、何も頑張っているのは、自衛官だけではない、介護や非正規などで働く人はどうなのだと思った方も多いだろう。そう、民主主義の大原則である「平等の原理・同等の権利」は、どの職業に携わる人も平等かつ同等に扱われることを基礎としているのである。近代以前の中世封建制社会では、日本の士農工商や西欧の職業身分制度のように職業によって身分が形成され、享受できる権利も異なっていた。そして最下層の人(日本のえた・非人、西欧の賎民)は、法の保護の外に置かれたのである。しかし、市民革命を経て、職業に貴賎はなく、どんな職業についている人も法の前にみな平等で、同等の権利を有する「市民」として扱われるべきだという民主主義が確立したのである。

民主主義の原則否定

 しかし、人はみな平等で同等の権利をもっているという民主主義の大原則を否定しようとする社会の雰囲気が広がりを見せていることにも注目しておかねばならない。ヘイトスピーチや「障がい者は社会的に不要な存在だから死ぬべきだ」と相模原の施設で19人を殺害した事件だけではない。NHKで放映された「貧困女子高校生」へのネット炎上に見られるように、格差を「自己責任」で片付けてしまう風潮が蔓延している。「笛吹き男」安倍とそのような社会の雰囲気は軌を一にして進んでいるのだ。

 そして、このような同権の「市民」としての存在を否定する雰囲気が、ファシズムをつくり、支えていったことをドイツの歴史が教えている。ヒトラーは政権掌握すぐに「遺伝性疾患のある子孫を予防するための法律」をつくり、疾患のある人40万人(1939年まで)に断を実施した。「数え切れぬほどの劣等者や遣伝性障がい者が、何の妨げもなく増殖し続けており、彼らの病的なまた反社会的な子孫は、全体にとっての負担となるのである」という法律の制定主旨と相模原事件の被告の主張はいかに似ていることか。そしてこの法律は、障がい者の存在自身を否定する「安楽死」(T4作戦)に行き着いたのである。さらに、その範囲は、「生きる価値のない」とみなされた共産主義者など反社会分子、「民族の敵」ユダヤ人から犯罪者から、労働忌避者、泥酔者など犯罪者でなくても社会に適応しない「非社会的分子」にまで恣意的に拡大された。彼らは「予防拘束」されて収容所に送られ、抹殺されていったのである。「普通の人」の市民としての基本的権利や自由が大き<制限されたのは言うまでもない。

新潟県知事選を励みに

 第二に、安倍の自衛隊への賛辞演説は、人びとを「市民」から「国民」へと誘導し、戦争への道に進ませようとするものである。多くの人が、「笛吹き男」安倍についていこうとしている。だが、それはナチス・ドイツと同じ道である。人はまず「市民」である以前に、「国民」として生きることを強制され、人々も「主体としての人間であるよりもドイツ国民であることに自足し、自分の生を職業政治家に委ねてしまった」(池田浩士)。その結果、「自由主義法秩序の精髄である法の前の平等を廃止して、それを共同体の一員としての有益さの度合いに見合う権利ですり替えた」【ナチ新刑法】(ジュラテリー)のように、「国民」としての義務が「市民」の権利に優先され、すべては国が決めてくれると、人は考えることを放棄し、戦争に加担していった。今こそ、新潟県知事選挙のように、立ち止まって、自分たち自身の思考を再生させる時であろう。(松が丘在住)




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則天去私

(BC450年 石鼓文“せっこぶん”を基に)

中川とき彦(書家・若松町在住〉

 昭和41年3月、私は上野・松坂屋で「生誕100年記念・四大文豪展・紅葉・露伴・漱石・子規」展が開催され見に行ったことを、うっすらと記憶している。今その時買った記念誌を開いている。会場で見た漱石の則天去私の書だけが今も脳裏に残っている。

 今年は没後100年ということで、NHKテレビ「夏目漱石の妻」を見た。この物語は松岡譲が漱石の妻・鏡子さんから聞き取りをし、『漱石の思い出』の著書を基にしているが、私は未読で探している最中、同様に漱石の長女華子さんの『猫の娘』も探している。

 作家・半藤一利の奥さんは末利子さんといって、松岡と華子の間の娘であり、漱石の孫娘を妻にしていることになる。著書に『漱石先生ぞな、もし』と続編があるが、とても面白く、笑いころげる場面の漱石を探索している。

 「鏡子の名は実はキヨである。恐らくは姓名判断でもして、鏡子としたのかも知れない。また片カナ名前を漢字にするのは明治女性のはやりであった。義母の華子は、筆(フデ)であった。」と記している。漱石の次男夏目伸六の『父・夏目漱石』と長男純一の子息房之介の『漱石の孫夏目房之介』は手元にある。孫の房之介の著書の扉に、房之介3歳と姉と鏡子77歳の写真が載っているが、おばあちゃま鏡子は、とても福々しい丸顔のまんまるの目をした可愛い顔をしている。鏡子役の女優・尾野真千子は雰囲気のある演技をみせていた。

 漱石は、俳句・絵・書と夫々素晴らしいものを残している。又デザイナーの資質もあり、自分の著書の装幀も行っている。岩波文庫のカバーに使われている文字の模様は、石鼓文(せっこぶん)という古代の文字の拓本であるが、漱石はこの拓本に魅せられてたみたいである。

 漱石が死の直前『文章日記』に書きつけた則天去私=天に則(の)り私を去ると訓(よ)む。天は自然である。自然に従うて、私、すなわち小主観小技巧を去れという意で、文章はあくまで自然なれ、天真流露なれ、という意である…と。

 来年は漱石生誕150年。漱石山房記念館が早稲田の漱石公園に開館予定とのことである。



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「核廃絶を考える」
原発開発とロカルノ不戦条約

林 茂雄(元東京新聞ワシントン総局長)

 1984年4月某日。米ニューメキシコ州アルバカーキの国立原子力博物館で広島に投下された原爆弾頭(リトルボーイ)と長崎弾頭(ファットマン)の原寸大模型を目にした時の戦標(せんりつ)は忘れられない。B29爆撃機に一発しか積載出来ないことは知っていたが、意外に小さな感じがした。同じ部屋に展示されているTNT火薬1トン爆弾と余り変わらない大きさ。この爆弾が広島と長崎両市を一瞬のうちに破壊し、合計40万人余の生命を奪ったとは。

 米国が最初の原爆開発に成功したのはナチス・ドイツのヒットラー総統のユダヤ人迫害と密接な関係がある。1938年のノーベル物理学賞を授与されたイタリアの原子物理学者エンリコ・フェルミ博士はストックホルムの授賞式から本国に戻らずに、そのまま家族と共に米国に亡命した。夫妻ともにユダヤ人でナチスの同盟国イタリアでもユダヤ人迫害が始まることを懸念した。同博士は1942年に米国で最初の原子炉建設に成功して核分裂の制御に成功した。

偏見が幸い

 1939年にドイツから米国に亡命したユダヤ人物理学者・A・アインシュタインはF・ルーズベルト大統領に書簡を送り、「ドイツで核分裂エネルギーを利用した爆弾の開発が始まり、米国でも同種爆弾を開発しないと危険に直面する懸念がある」と警告した。同大統領は書簡受領から10日後に原爆の秘密開発研究チーム、後の『マンハッタン計画』を発足させた。

 ウラン原子の核分裂理論を発見したのは1938年のO・ハーン、F・シュトラーマンの二人のドイツ人。ドイツ国防軍は直ちに核分裂エネルギーを利用する爆弾の兵器化を進言したが、ヒトラーの反応は鈍く、研究費の予算化を拒否した。総統は英国本土を爆撃するV型ロケットの開発を優先させた。ヒットラーはユダヤ人科学者主導の原子力研究にある種の偏見を持っていたと推測されている。この偏見が連合国に幸いした。

 『マンハッタン計画』の総括責任者は亡命ユダヤ人のオッペンハイマー博士。第二次大戦終了後もフェルミ博士と共に引き続き原爆研究に当たるが、核分裂の底知れぬエネルギー発生に恐怖を感じて、原爆を起爆剤とする水素爆弾の研究チームにはフェルミ博士共々加わらなかった。

 多くの科学者が原水爆研究に反対して一九五六年のパグウォッシュ宣言に署名した。アインシュタイン博士も参加した。日本の湯川秀樹、朝永振一郎両ノーベル賞受賞者も署名した。

 原水爆弾頭は第一次世界大戦後の「毒ガス禁止条約」を想起させる。戦場でドイツ軍が開発したホスゲン・ガス(窒息性毒ガス)は吸引したフランス軍兵士全員を殺戮(さつりく)した。「これは戦闘ではない。大量殺人だ」と誰もが嘆いた。戦後のベルサイユ講和会議で毒ガス兵器禁止が提案されて、1925年にロカルノ不戦条約と共にジュネーブ議定書の形で化学兵器と生物兵器の使用禁止条約が締結された。開発、保有を留保したままの不完全条約(1975年に批准完了)だが、「毒ガス禁止」は曲がりなりに現在も機能している。

トランクで運べる原爆も

 オバマ米大統領は「核兵器ゼロ」を提唱してノーベル平和賞を受賞したが、米国自らの核兵器廃棄を命令することは出来ない。

 核兵器廃絶には相互確証破壊体制、(核での相討ち)の核兵器の段階的削減を根気よく、小まめに繰り返すより方法がないことは周知のことだからだ。

 それにつけても憂慮されるのは、未だに核兵器が拡散している現実だ。北朝鮮に続いて次はどこの国なのか?

 核保有国で核爆弾の小型化が研究されている。

 トランクで運べる原爆も不可能ではないようだ。もしそれが過激なテロ組織に保有された時の恐怖は如何ばかりか。それを防ぐには「毒ガス禁止条約」と同様に、核保有国が核保有権を留保した上で、「(最初に)使用禁止条約」を締結するのが現実的な措置ではないかと思う。

 ヒロシマ、ナガサキ以降70年余。これまで一発の原爆も使用されなかった事実は何かを暗示している。世界唯一の被爆国・日本が積極的に提唱してはどうか。(名古屋外国語大学名誉教授)




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参議院選挙結果と私たちの課題
渡辺治氏講演内容要旨C

いよいよ第2ラウンド

 そしてもう一つの戦略は、民進党をぶっ壊す。民進党と共産党と社民党と生活の党の共闘をぶっ壊す。そして9条改憲を出してきたら国民は大きく反発をするので、9条改憲以外の、しかも戦争する国づくりに大事な緊急権、あるいはさまざまな形でのお試し改憲、こういうものを出しながら実際に国民の合意を諮っていく。

 彼らも国民の多数を結集しなければ勝てないと思っています。そういう意味でいうと、これからの私たち憲法を守る運動と、憲法を変えようとする運動は、市民の多数がどんな日本を望むのか、どんな平和を望むのか、ここをめぐっての勝負になります。それに対決するのは私たちの「九条の会」だと思います。

 2004年にスタートし、この秋創設12年になる「九条の会」は第2ラウンドの再スタートが必要です。「九条の会」が頑張ってきた12年の間、改憲賛成と改憲反対が逆転したことがあります。1回目は「九条の会」が7000を超えた2008年、国民の世論が変わり改憲賛成派と改憲反対派が逆転しました。それから8年後の今年2016年4月、戦争法反対の共闘が憲法改悪に反対という国民の世論をかきたてて逆転しました。逆転をしている限り、どんなに議会で3分の2をとろうが自公政権は改憲を提起できません。こういう力をつくれるのは「九条の会」であり、戦争法反対の共闘の運動です。

 しかし「九条の会」はこのまま前進できません。私が講演で行くところではどこでも高齢化しています。私は講演のたびに、もっと40代、30代の多くの市民が結集しなければいけないという話をします。今講演をやると、最大参加の年齢層は60代から70代に移行しつつあります。今回の参院選で11の選挙区で勝ったどこでも主力の選挙部隊は50以上の中高年ですね。これはまさに、この人たちが今馬力をもって運動している。

「会」を作り直す

 だから第2ラウンドの「九条の会」は、依然として中高年、憲法を70年守ってきたその人たちが中心になりながら、若い人たちと、何といっても現役の人たち、この人たちを入れてもう1回「九条の会」をつくり直すことです。そして改めて、憲法改悪を阻むだけじゃなくて“憲法が生きる日本をつくるために頑張ろう”を合い言葉に頑張りたいと思います。

 ぜひともこの「マスコミ・文化九条の会所沢」でも、これからの10年、20年を踏まえて、憲法が生きる日本をつくるためのスタートに立っていただきたい。その最初のスタートは、おそらく衆議院選挙になるんじゃないかと思います。ここで大きな統一をつくって、そして「九条の会」の力を発揮していくことが、安倍政権を倒していくための一番大きな今回の教訓ではないかと思います。ともに頑張りましょう。(終了)




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鈴木彰の「カニむかし、騙された日もあったけれど…」




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太郎の部屋のほっとたいむ 47

「たいこどんどん」若手中心で再演

鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

 前進座の「たいこどんどん」が次世代を担う若手中心で再演された。井上ひさしの作品。江戸・幕末の時代を背景に、たいこもちの桃八と大店の若旦那・清之助が巻き起こす珍道中記。方言の駆使に加えて、歌も踊りもあり、芝居の面白さが満喫できる。1987年の初演は中村梅之助と嵐圭史のコンビであった。音楽はいずみたく、演出は高瀬精一郎。今回は高瀬一樹が演出補で参加している。

 桃八(中嶋宏太郎)が、清之助(早瀬栄之丞)と日本橋で落ち合うところから始まる。すぐさま、品川宿の袖ケ浦(北渾知奈美)に会いにいく。ところが、薩摩の侍に追われる始末。海に逃れたのはいいのだが嵐にあってしまう。折良く、陸中釜石行きの船に救われる。2人は釜石で過ごすが無一文。桃八は釜石鉱山に売られていく。盛岡での再会は4年後。さらに、出羽天童から新潟へと旅は続く。終幕、やっとの思いで江戸にたどりついた2人。9年目の江戸は東京に変わっていた。

 世情は大きく変わっていたが、庶民が生きていくことの大変さは変わっていなかったのだ。中嶋宏太郎が庶民感覚をもつ桃八を熱演、早瀬栄之丞も若旦那の雰囲気をよくこなしていた。脇で七役に挑んだ柳生啓介、大役の横澤寛美なども大活躍。

 もっとも若い松浦海之助、嵐市太郎の軽快さにも注目した。12月は東北巡演がある。(三越劇場、10月17日所見)




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【連載・沖縄通信】沖縄は負けない

原田みき子(沖縄県本部町在住)

 いま、高江はかつてない怒りと興奮に包まれている。大阪府警の機動隊員による10月19日の「土人」発言は芥川賞作家の目取真俊氏たちに向かって発せられた。目取真氏たちはビデオカメラで一部始終をとらえた。これまで私たちは対峙する機動隊員に諄々と沖縄の歴史と安倍政権の狙いを説いてきた。「沖縄で暴動が起きているから」と派遣されてきた若者たちには幼顔も混じる。何カ月も私たちの話を聞くうちに困惑を浮かべる隊員も出てきた。その矢先の「土人」発言である。「やはり本土の人間には沖縄差別があるのか」。何度も捨て石にされた記憶がよみがえり、果てのない絶望感に打ちのめされた。

 しかし県民は立ち上がるのも早かった。翌日には「土人で結構。野蛮人」と機動隊員に返す女性や「大地に根ざし固有の文化を持っていることに誇りを持とう」「日本人といわれるより土人と呼ばれたい」など、暗雲を吹き飛ばすアピールが次つぎに出された。面白いことにNHKも取材に来た。みんなから「しっかり放送してね」と念を押されていたが、さすがに「土人」発言は見過ごしにできない問題なのだろう。

 私は沖縄へ転居して間もなく、植民地のような情況に驚いて独立の旗を作った。大きな大会には夫と二人でこの旗を掲げて参加した。しかし、独立論はなかなか広がらず、物置にしまい込んでいた。だが事ここに至って、私はこの旗を再び掲げることにした。ハイビスカスを背景に旗は玄関にすっくと立っている。いま、沖縄の若手研究者を中心に独立を模索するグループも現われ、潜在的には5割近く?いるのではと言われる。日米政府の重圧が続けば、この数字はさらに伸びるだろう。

 10月21日、辺野古の島袋文子さんが名護署に出頭した。「日本のこころを大切にする党」の和田政宗参議院議員が率いるグループの若者が暴行罪で彼女を訴えたからである。5月9日の辺野古集会を妨害しに来た若者が、87歳で足が不自由な文子さんに暴行を受けたという「でっち上げ事件」である。彼女はこの若者にふれた覚えもない。取調室にたったひとりで臨んだ文子さんは「拘留中の山城博治さんを釈放しないかぎり、何もはなしません」と否認した。彼女は取調室を闘いの場に変え、運動のリーダーの釈放を要求したのである。弁護士は狭山事件で画期的な新証拠を出した長野県の横田雄一弁護士。彼は12年間、辺野古に通い続け、文子さんとは旧知の仲である。




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日本の民主主義と人権を守って88年
日本国民救援会の歴史と運動A

畑中 繁(世話人、牛沼在住)

 15年におよぶ日本帝国主義の侵略戦争が敗北のうちに終止符が打たれても、日本の支配者は、これまでの政治体制を変えようとせず「天皇制廃止を主張するものは、すべて共産主義者とみなし治安維持法によって逮捕する」と公言し、裁判所も特高警察がデッチあげた横浜事件の細川嘉六らに有罪判決を言い渡すなどの弾圧が続きました。

 10月、解放運動犠牲者救援会が、11月に自由法曹団が再建され、国民救援会の、「自由のために倒れた犠牲者の血を無駄にするな」との訴えに解放運動犠牲者追悼大会を19団体共催で開催しました。大会の後、プロレタリア作家・細井和喜蔵が「女工哀史」の印税で1935年に東京青山霊園に「無名戦士墓」が建立されていることを知り、これを「解放運動無名戦士の墓」として譲り受け、毎年3月18日に追悼会を開き、68回になります。

下山・三鷹・松川事件

 戦後の激動する情勢のもとで、読売新聞・東洋時計上尾工場などの争議によって救援会と労働組合の結びつきが強まり、名称を「労農運動救援会」と改め食料闘争や労働組合に対する相次ぐ弾圧に対処するための改組でした。

 占領軍は、日本の民主化の先駆的役割を担っていた官公庁労働者からストライキ権と政治活動の自由を奪い、弾圧が強化されました。

 また国鉄労働者の大量首切りが発表されたなか、下山・三鷹・松川の各事件が発生。下山事件でマスコミは、「首切りに反対している国鉄労働者が殺したのに違いない」と喧伝。三鷹事件では、吉田内閣が早々と「思想的背景を持つ悪質な犯罪」と声明を出し、マスコミも「国労の左翼分子の仕業」とのデマ宣伝。松川事件に至っては「三鷹事件と思想的流れを同じくするものの犯行」と発表し、大規模な反共宣伝を行ったのです。国民救援会は文字通り孤立し四面楚歌の事件の被告・家族たちを励まし続けました。

 救援会第6回大会で、各地の弾圧反対闘争が一定の成果を収めていることを評価しながらも、弾圧救援の性格がまだ抜けていないと総括し、綱領の第一に、「国民の生活に希望を与えるために、たがいに団結し助け合って活動する」と明記し、「日本国民救援会」と改称しました。この「助け合い運動」の活動を明確にするために「大衆的な力によって救援することを中心任務とし諸団体と提携して、平和・民主主義・基本的人権を守る」と明記して、冤罪事件の救援活動についても「冤罪事件や人権じゅうりん・災害・生活相談なども教訓を生かして必要な援助を行う」とした運動方針が、その後の救援会の基礎となります。

「信書」弾圧で勝訴

 60年安保闘争後、権力は弾圧の矛先を言論.表現活動に集中してきました。有楽町の駅頭で「アメリカの核実験反対」などと書かれたビラを配布した三人が道路交通法違反で逮捕・起訴された有楽町ビラまき事件は東京地裁・高裁で無罪判決。高裁は「いつでも移動できる状態において通行人に印刷物を交付する行為は該当する違反とは言い難い」と所轄警察署の許可は必要としないとした判決はいまも大きな役割を果たしています。

 埼玉県では1983年の県議選で、県警が「信書」を法定外文書と決めつけ、共産党埼玉県委員会などを家宅捜査し、5人の逮捕者を出しました。救援会埼玉県本部は中央本部や加盟団体の協力を得て「信書の秘密」を侵す警察の不当な捜査として、検察官に対する不起訴要求運動を進め、全員の不起訴を勝ち取りました。この闘いを通して埼玉県本部は民主勢力からの信頼を高めました。(次号に続く)




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コ一ヒーブレイク

《実りの秋》

 今月から小川村産の新米を食べています。ぷりぷりしていてつやつやで、おいしい!といっても、稲作をしているわけではありません。実はほんの数日、稲刈りと脱穀の時だけお手伝いをして、お米をゲットしています。

 今年は稲が穂を垂れたころに次々と台風がやってきて、本当によく雨が降りました。せっかく実ったのに刈り取るチャンスが得られません。待って、待って、どうやら2日ほど晴天という天気予報。1日目は稲を乾かし2日目に一気に刈ると、田んぼのオーナーから電話がありました。

 助っ人は私たち夫婦のほかに、80歳を超えているご近所の女性、70歳代半ばのオーナーの義弟。高齢者だけです。とにかくこの5人で、休む間も惜しんで日が暮れる寸前まで頑張って刈り終えました。刈った稲はハサにかけて自然乾燥をします。

 ところが翌日からまた容赦ない雨。稲は乾くどころか濡れそぼっています。それでも大丈夫、大丈夫と言い聞かせて待ち、また2日ほどの貴重な晴れ予報。今度は脱穀です。

 田んぼに残る雨水に足をとられる状況でしたが、ハサにかけた稲のそばに脱穀機を移動させつつ、手際よく脱穀をしてゆきました。籾は自動的に袋に入りますが、一杯になると水気を貰わないように田んぼに積んだ藁束のベッドに「よいしょ」と人力で置きます。1袋の重さは約30〜34キロ。運搬車であちこちに置かれた袋を集めて軽トラに載せ、オ一ナーの自宅に運んで倉庫に収容します。

 「なんとか終わって良かったね」と、ねぎらう頃には日が暮れていました。

 それからまたずっと雨の白が続きました。

 秋祭りが終わったというのに、まだハサにかけられたままの稲を目にします。

 今年、日本全国で台風による農産物の被害は半端ではありませんでした。食料自給率も考えずにTPP批准を急ぐ政府。農業を他国に依存して良しとする愚かさ。車と原発が売れればということ? で、誰が幸せになるの?

原 緑




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入間基地強化進む

 埼玉県が自衛隊海外展開の拠点になり、その中心となる航空自衛隊入間基地が急速に強化されようとしています。

 防衛省はC2新型輸送機を平成32年度以降に入間基地に配備することを発表しました。

 C1輸送機より全長が15mも長く、高さも4mを超し、航続距離は6500キロ。無給油でインドまで飛行できます。平成31年には同型の電波情報収集機の配備も決まっています。平和委員会などは「入間基地の滑走路は2000mと短く、C2輸送機の運用は危険」と指摘し、同基地には配備しないよう防衛省に強く求めてきましたが、強引に配備を決めました。

 これに伴い、管制塔や格納庫、燃料施設の更新(滑走路の南端)など機能強化の工事が一斉に始まっています。問題なのは、防衛省から入間市に提出された図面です。燃料庫の面積などは書かれているものの、地下に作られる燃料貯蔵庫の容積などは書かれていません。安保法制の先取りは許せません。




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紹 介

●吾妻地区文化祭 憲法カフェ
 美味しいコーヒーを飲みながら、懇談しませんか。
と き:11月6日(日)12:30から
ところ:吾妻公民館会議室(1F)
連絡先:090−2635−8840 立川

●映画「高江 森は泣いている」上映会(63分)
と き:11月6日(日)、16日(水)いずれも14時から
ところ:所沢生涯学習センター 先着60名、無料
連絡先:04−2959−3463 後藤

●安保法制違憲訴訟所沢報告集会
と き:12月10日(土)18時開場
ところ:新所沢公民館ホール

●第17回よりよい教科書を子どもたちに 教科書学習会「特別の教科道徳」って何だ?第4弾 小学校の現場から 講師:宮澤弘道さん
と き:11月25日(金)18:00より
ところ:新所沢公民館2F 第5学習室
問合せ:042−394−6652 篠原



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事務局から

 熊本につづき、こんどは鳥取で大きな地震が起きました。日本全国、「絶対安全」なところはありません。原発の危険性が叫ばれる中、新潟県で「再稼働反対」の米山知事が誕生し、大きな希望を与えています。

▼「九条の会」交流討論集会の記録(DVD)を見ます
 9月25日に行われた集会の様子をご覧いただくため、11月8日、上記のように「憲法カフェ」を開催します。澤地久枝さんの挨拶、小森陽一事務局長の問題提起、池田香代子さんなど新しい世話人の方がたの挨拶がご覧になれます。上映時間は71分。

▼11月20日、「入間基地拡張ストップ!」大集会
 会報にはさんだチラシをご覧ください。安保法制の発動によって「駆けつけ警護」の任務を付与された自衛隊が、南スーダンに派遣される危険があります。また、埼玉県内の米軍基地、自衛隊基地の拡張・機能の強化が行われ、特に入間基地では自衛隊病院(野戦病院)が建設されようとしています。これをストップさせる5000人規模の集会に向け、所沢でも実行委員会が結成され、市内から参加者600人を目標にしています。私たちの会も全力で取リ組みます。ぜひ、お誘い合ってご参加ください。

▼お詫び
   前号のこの欄で「九条の会」世話人の紹介で、「浅倉むつ子」さんを「朝倉むつ子」さんと誤って記載しました。訂正してお詫びいたします。




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