機関紙129号 (2017年2月28日発行)



もくじ

沖縄デマ広げたテレビ局
「ニュース女子」が示した「真実」の軽さ

 竹腰将弘(ジャーナリスト 山口在住)
  反対派の住民をテロ扱い
  渡辺氏に8億の資金提供
  問われる放送の公共性

津田青楓と漱石
 中川とき彦(書家・若松町在住〉

会が17年「新春のつどい」開く

●憲法カフェ第7回「沖縄の現代史」をまなぶ

鈴木彰の「ご主人の顔色次第のしもべたち」

太郎の部屋のほっとたいむ 50
 鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)
  「原理日本」−右翼思想家を主人公に−

【連載・沖縄通信】山城さんの異常な長期勾留
 原田みき子(沖縄県本部町在住)

文化運動のプロデュースに生きた
 山崎晶春さん(「会」世話人)を偲ぶ

 梅田正己(書籍編集者)
  
コ一ヒーブレイク
 原 緑
  《テンポ》
「筋金入り」で、原則主義者
−山崎晶春さんと私、いくつか−

 丸山重威(元共同通信社)

BOOK REVIEW
  つながり、変える 私たちの 立憲政治(中野晃一 著)

お知らせ
  会員の訃報
  映画とトーク

事務局から
  ▼野党共闘をすすめる市民連合の動き
  ▼映画二歩でも二歩でも」、3月26日
  ▼5月26日、醍醐聡東大教授、「マスコミ・ジャーナリズムの現状と課題(仮)」講演会
  ▼年会費、カンパを集めています
 




沖縄デマ広げたテレビ局
「ニュース女子」が示した「真実」の軽さ

竹腰将弘(ジャーナリスト 山口在住)

 「ニュース女子」といっても、多くのみなさんはご覧になったこともないかもしれません。

 化粧品・サプリメント製造販売大手のDHC(ディーエイチシー、吉田嘉明会長)の子会社であるCSテレビ局「DHCシアター」が制作している番組です。視聴する人が限られるCSや動画サイトで放送されていますが、問題なのはDHCが地方のテレビ局から時間枠を買い取り、「持ち込み番組」として一部の地上波テレビ局でも放送されていることです。

 いま大問題になっているのは、東京MXテレビが1月2日に放送した「ニュース女子」#91(番組通し番号)。「軍事ジャーナリスト」を名乗る人物が行った沖縄リポートで、反対派の住民を「過激派」「テロリスト」と敵視し、「金で雇われている」と事実無根のデマを流し、反対運動側に「韓国人、中国人がいる」と人種差別的な扇動まで行ったのです。

反対派の住民をテロ扱い

 沖縄県東村高江では、騒音被害や事故の危険性、自然破壊に抗議し、米軍オスプレイパッド建設に反対する運動が長く続いてきました。安倍政権は昨年来、他府県の機動隊員を投入。これと時を同じく「反対運動は過激で暴力的だ」「プロ市民が日当2万円で雇われている」などの風説がネット上などで意図的に流されるようになりました。

 この風説を事実確認もなしに伝え、一方的に反対派を攻撃する番組が公共の電波で放送され、沖縄への差別と偏見を広げたのですから事態は深刻です。

 東京MXテレビには市民の抗議が殺到し、多くのメディアも批判しました。番組に名指しで中傷された市民団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉さんは、BP0(放送倫理・番組向上機構)に人権侵害の申し立てをしています。

 こうした中、東京MXテレビは1月16日、「沖縄基地問題をめぐる議論の一環として放送した」「今後とも、様々な立場の方のご意見を公平・公正にとりあげていく」と居直りともいえる見解を放送しました。

 もう一つ、市民の批判が集中したのは東京新聞です。「ニュース女子」の司会を務めているのが「東京新聞・中日新聞論説副主幹」の肩書で出演している長谷川幸洋氏だからです。

 同紙は2月2日付1面に深田実論説主幹名で「『ニュース女子』問題深く反省」という記事を掲載。番組について「事実に基づかない論評が含まれており到底同意できるものでもありません」としたうえ、長谷川氏の出演について「重く受け止め、対処します」と表明しました。

渡辺氏に8億の資金提供

 「ニュース女子」#91の沖縄レポートはデマで固められ、沖縄で平和を願い、基地に反対する人たちへの憎悪に満ちたものです。問題は、なぜこんな番組が、公共の電波を使う地上波テレビ放送に流れ出したかです。

 「ニュース女子」を提供しているDHCの吉田会長は2014年にみんなの党の渡辺喜美代表(当時)に8億円もの資金提供をしていたことが大問題になりました。同社のホームページに吉田氏が掲載している「会長メッセージ」には「日本には驚くほどの在日が住んでいます」「似非(えせ)日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう」という差別発言が堂々と記載されています。

 こういう主張をもつ吉田氏が子会社「DHCシアター」の番組に極右論客を登場させ、誤った事実や極端な政治的主張を流し続けています。

 多くの地方テレビ局がスポンサー不足に悩む中、DHCは地上波テレビ局への「ニュース女子」持ち込みを拡大しています。東京MXの場合は、売り上げの2割をDHCに依存する状況にまでなっています。

問われる放送の公共性

 金の力でメディアを買い、真実をねじ曲げる放送がまかり通る危険性が、現実的なものになっているのです。

 事実かどうかは二の次となる「ポスト・トゥルース(真実)」という現象に、いま世界が頭を悩ませています。公共放送がすすんでデマを流すのでは、真実の基準が失われます。公平・公正を貫く放送の公共的使命が、いまこそ厳しく問われています。




もくじへ


津田青楓と漱石

中川とき彦(書家・若松町在住〉

 私は月に一度、無心会という書道研究会に東京まで出かける。作品を持参し他と見比べあうのです。その会の先輩である目良丹崖先生から『春秋九十五年』という津田青楓の著書を拝借し、帰って読み出したら夢中になり感激感動。その旨を早速丹崖先生に礼状をしたためた次第。

 津田育楓(1880〜1978)漱石より13歳若い。明治44年32歳の時、漱石門人小宮豊隆の紹介で漱石を訪ねている。津田の交遊の多さに驚く中に、河上肇(『貧乏物語』の著者)と深い交際がある。河上は昭和8年検挙され獄中生活。同年7月津田も又神楽坂署に留置され20日程にて釈放されている。

 さて津田青楓は画家・書家・歌人・随筆家と多才の持ち主であった。私の手元に昭和30年創藝社発行の『漱石とその世界』をみると「漱石の拙」と題して漱石の書と画についてその想い出を語っている。

 「ところで漱石が書の上で悟入したのは博物館で良寛の行書の屏風を見られて以来のことだ(私も一緒に見に行った)。その後にできたのが『酒渇愛江清』という五字だった。其時漱石山房の唐紙にピンで張って、『どうだ』と云はれたから『これは上出来です』と云った、漱石も得意の様だった。」

 「漱石はいい字やいい画をみると興奮してすぐにマネをしてみる癖があった。書は晩年良寛に感心してをられた。どんな名人のものでも自分でやれば、やれる自信があったのだろう。」

 青楓は98歳まで生きた。中央線山梨市駅近くの畑の中に青楓美術館がある。私は2007年にここを訪ずれ青楓の書画に魅入った。

 上掲の拙作は昭和52年3月、三越本店にて「九十九翁・津田青楓墨彩画展」の折の図録中にある「椿一枝画賛」の写真をみて筆を走らせてみたものです。椿を描けど椿にならず梅花にした。文字もダンダン自分の字になってしまった次第。この時代の文人・画家・書家には足下にも及ばない。

(鳥ハ木に巣ヲ 人ハ家に住ミ 蛙地中に住ミテ春ヲ知ル)。



もくじへ


会が17年「新春のつどい」開く

 2月11日の休日、会の「新春のつどい2017年」がコーププラザ所沢で開かれた。司会進行は世話人の山本達夫さんが務め、午後1時30分に始まった。冒頭、草鹿光世代表委員は、「今日は昔の紀元節。多くの国民が天皇のために命を落とした。その反省から、思想、学問の自由、知る権利、報道の自由をしっかり守らなければならない。いまメディアは日米首脳会談にのめり込んでいるが、政治や沖縄のために、私たちは何ができるか、講演をいただく岩崎さんと思いを共有しながら考えたい。11年前の3月26日は会の創立の日。機関紙も130号となる、新たな気持ちで」と語った。

 第1部は、「最近のテレビをめぐる話から」と題して、放送レポート編集長(民放労連・副委員長)岩崎貞明さんが、MXテレビ「ニュース女子」放送問題を中心に1時間にわたって最新の話をした。「最近のテレビの話を気楽に聞いて下さい」と話し始めた岩崎さんは、元テレ朝の社会部記者で『会報』に幾度か寄稿頂いている。

 「MXテレビの『ニュース女子』がBPO(放送倫理・番組向上機構)の検証委審議入りする。高江のオスプレイヘリパット建設に反対する運動を取り上げた番組は化粧品製造・販売の『DHC』の関連会社『DHCシアター』が制作した持ち込み番組として、MXテレビなどローカル局で放送した。高江のゲート、40`も手前で取材し、建設に反対する人たちを『テロリスト』、『金で雇われている』など、事実でないことを報じた。山城博治さんの逮捕、長期拘留や琉球新報、沖縄タイムスの記者の一時的身柄勾留などは触れてはいない。

 この番組の司会を務めたのは、東京新聞(発行元は中日新聞社)論説副主幹の長谷川幸洋氏。東京新聞特報面で、『沖縄ヘイトまん延、反対派に日当のMXテレビの報道に現地は猛反発』の記事を掲載するが、その新聞の副主幹が司会をしたことに、東京新聞に抗議が殺到している。論説主幹の深田実氏は『読者の方々に心配をかけました。本紙の沖縄問題に対する姿勢に変わりはありません』との見解を出したが、長谷川氏は『違いを理由に処分するのは、言論の自由への侵害』と開き直っている。

 持ち込み番組はローカル局にとって、美味しい存在で、MXテレビは売り上げの14.3%がDHCシアターからの持ち込み番組。さらに中日新聞社はMXテレビの第2位の株主でもある。持ち込み番組といえども、内容についての責任は放送局にあり(日本民間放送連盟)、東京新聞(中日新聞)の姿勢が問われている」と指摘した。

 また、地方放送局のキー局の子会社化、視聴者との距離をちぢめ健闘する岡山のローカル局の紹介をした。

 この後、佐藤事務局長から、衆院埼玉8区市民連合について、2月8日、2回目の集会があった。会の内部論議では、安倍政権を退陣に追い込み、立憲主義を守るために、積極的に参画すべきとの意見の一方、慎重にすべきとの意見もあり、現在、世話人会で検討中との報告があった。

 第2部の懇親会では、テーブルのご馳走が会場を盛り上げた。男の料理人(鴨川、白戸、養父、渡辺)を代表して、鴨川さんが献立を紹介。刺身の盛り合わせ、ブリ大根、アサリご飯等など。ご馳走とアルコールで口元が滑らかになり、これからの新聞の行方は? 地方局で政権批判をきちんとしているところは? ローカル局の新しい動きが岡山なのはなぜか? などなど参加者の発言は後を絶たず、宴たけなわのうちに時間となり、持丸邦子代表委員の「締めのあいさつ」で無事終了となった。参加者は30人。(葛西)




もくじへ


●憲法カフェ第7回「沖縄の現代史」をまなぶ

 1月21日、南雲和夫さん(法政大学講師)に「沖縄の現代史一戦争と基地に翻弄されたその歩み」と題してお話をうかがいました。当日は、いくつかのイベントが重なり、参加者は11名でした。

 沖縄戦の教科書での書かれ方を追求した沖縄での県民大会の生の声を、DVDで視聴することから始まりました。沖縄戦を追求する県民大会での県民の声はニュースで一瞬は見ることがありますが、ずっと聴いていると、県民の心からの言葉が伝わってきます。

 その後、琉球王国にさかのぼっての歴史から、三線など文化まで幅広いお話を聴き、参加者同士でのディスカッションも入りました。

 私が沖縄の人々の怒りの源泉だと思ったのが、沖縄の米軍基地が、沖縄のほとんどの人々を先祖の土地から追い出し、収容所に強制的に収容している間に造られた、という事実です。第二次大戦中の米国での日系人の強制収容について勉強したことがあり、その無念さ・悔しさは、いかばかりだっただろう、と思い、沖縄の人をr土人」呼ばわりした機動隊員を擁護した、大阪の松井知事にも知ってほしいと思いました。(持丸)




もくじへ


鈴木彰の「ご主人の顔色次第のしもべたち」




もくじへ


太郎の部屋のほっとたいむ 50

「原理日本」−右翼思想家を主人公に−

鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

 青年劇場スタジオ結での小劇場企画bQ1として「原理日本」を上演。この作品は久板栄二郎が1970年に劇団俳優座に書き下ろしたもの。それ以来47年ぶりの復活である。演出の大谷賢治郎は「きっと1970年の日本を検証するために戦争前後の日本を振り返ったのであろう」と記している。戦争が拡大されていく時代に、日本の知識人たちの状況を、右翼思想運動家の立場から描かれたものである。現代の時代状況への警鐘とも受け取れる。

 主人公は猿田彦市(モデルは蓑田胸喜)である。慶魔義塾大学文学部予科教授で、原理日本社を主宰し、月刊機関誌『原理日本』を発行している。猿田たちが糾弾した学者・知識人には東大の美濃部達吉、大内兵衛、京都大学の瀧川幸辰、西田幾多郎など。美濃部は天皇機関説事件であり、瀧川は京大事件である。

 舞台は軍歌ではじまる。質素な旅館のたたずまいの一室。猿田(島本真治)は和服姿、新聞記者の広瀬亘(矢野貴大)は背広姿。京大のことを「この大学は河上がいたから、アカは生き残っている」と話す。そこへ学生3人がくる。「原理日本」の内容を問い詰めにきたのだ。こうして、時代背景を巧みに配しながら、猿田の思想がどこまで通じるのかが検証されていく、戦争は猿田の甥にも赤紙がくる状況である。終戦を迎えて最後にたどりついた猿田の感慨は「戦争に翻弄された知識人がいた」ということであった。

 20数名の登場人物を9名の俳優でこなしたのはさすが。杉本光弘、浦吉ゆかが好演。若手では沼田朋樹に注目した。

=新宿・青年劇場スタジオ結、2月18日所見=




もくじへ


【連載・沖縄通信】山城さんの異常な長期勾留

原田みき子(沖縄県本部町在住)

 山城博治さんの勾留が2月13日で120日を超えた。この間、家族はまったく面会できず、その心痛は想像するに余りある。奥さんは少女のように可憐で、とても優しい方である。並んで高江のドキュメント映画を見たとき、彼女のつぶらな瞳から涙が滂佗した。スクリーンには屈強な機動隊員たちに排除され、けがをする市民や警官に拘束される市民の姿に続いて地面を叩いて悔しがる山城さんの姿が映っていた。3席ほど離れた女性が号泣しはじめ、娘さんと反対運動に参加している方と分かった。映画が終わって博治さんの奥さんは彼女の元へ駆けつけ、その両手を取られた。

 からまるフェンスを切ったとか、テントヘの侵入者に注意したとか、工事車両を入れないためにゲートにブロックを積んだとか、罪ともいえない罪で、この長期勾留である。特にブロック積みは警官が黙認したとも言える運動であった。何百人の市民が関わった。バケツリレーで、トラックのブロックをゲートに積み上げ、桜の花を飾ったりした。機動隊員がブロックを撤去すると、また一から始め、あっという間に山を築いた。市民の座り込む運動をブロックに代わってもらうわけで、女性たちはありがたくてブロックに頬ずりした。しばらく続いたこの運動を何百人もの警官や機動隊員は毎日見ていたのである。注意もしなかった。黙って見ていたということは、黙認と言ってよいのではないか。

 この運動でトラックを運転した男性やほかのメンバーの長期勾留も続いている。国のやり方は独裁国家と言われても仕方ないだろう。差し詰め安倍首相はヒトラーか?

 2月13日、辺野古に土砂を送らない全国協のメンバーが沖縄防衛局に要請行動を起こした。すでに奄美市では大阪の業者が採取した土砂が40度の角度で山積みされ、雨の日には海に流れ出して問題を起こしている。

 「自然と文化を守る奄美会議」会長大津幸夫さんの問題指摘に、沖縄防衛局側は「まだ採取する場所は決まっていない」と返答した。また「外来種侵入防除対策」を示してくれという要請に「入札に関わることだから言えない」と返答した。呆れるばかりである。すでに沖縄防衛局は7カ所の採取場所を示しているのに、この答弁である。西日本の山が消え、海が汚されていく。

 オススプレイが名護市安部集落付近の海に墜落した件では、乗員から行方不明者がひとりでているのに、米軍は認めていない。トランプ大統領と組んで安倍首相は、国民を騙して軍事国家への道をひた走り続けているかのようだ。




もくじへ


文化運動のプロデュースに生きた
山崎晶春さん(「会」世話人)を偲ぶ

梅田正己(書籍編集者)

 1970年代から80年代にかけて、小学館の社風からはみ出した大型企画『日本民俗文化大系』全15巻が出版された。

 歴史学の網野義彦、考古学の森浩一、民俗学の谷川健一、宮田登など各分野の代表的な研究者たちによる学際的な協同研究の所産だった。

 その担当編集者が、山崎晶春さんだった。それぞれ一家をなした学者による企画会議を何年にもわたってプロデュースし続けたその手腕は尋常ではない。まさに編集者プロデューサー論を証明した仕事ぶりだった。

 70年代、JCJ(日本ジャーナリスト会議)の活動はずっと停滞気味だった。80年代に入り「戦後政治の総決算」を呼号する中曽根政権が出現する中、JCJの存在意味が改めて間われる。それに対する一つの答えが市民を巻き込んでのJCJらしい集会の企画だった。そのためのプロデューサー集団がJCJ内に作られる。その中で岩切信事務局長や斎藤茂男さんらと共に中心的に活動したのが山崎さんだった。この集会はその後、六月集会、十二月集会として続けられる。

 同じ時期、山崎さんはJCJ出版支部の結成に取り組む。問題意識を共有する人々に呼びかけ、支部は最大180名にまで拡大する。それをプロデュースしたのも山崎さんだった。

 新世紀に入り、山崎さんはマスコミ九条の会の結成に中心的に参加、さらに居住地域で「マスコミ・文化九条の会所沢」を結成したのだった。

 この1月1日、山崎さんは82歳の生涯を閉じた。その足跡をたどると、まさに文化運動のプロデューサーだった。これほど「運動」に生きた人を、私は他に知らない。




もくじへ


コ一ヒーブレイク

《テンポ》

 以前からテレビを見ない生活が続いています。それでも新聞のテレビ欄は繰り終わった順番で最後に目を通します。

 《相棒》という事件物が1日に2枠もあったり、インタビュー物が長者番組となって続いていたりするのに驚きながら、新しいドラマ《カルテット》が目を引きました。

 もう2、3年も前になるでしょうか、神業を隠し持つような風来坊的指揮者によって奇跡を起こす落ちこぼれ楽団の映画があり、またメッチャわけのわからない女子高生のブラスバンドの、さらに最近では思わせぶりな「オケ老人」という映画もできました。古くは失業中のトロンボーン奏者の娘が活躍する「オーケストラの少女」を始め、イギリスの炭鉱労働者たちが作った楽団の「ブラス」など、貧しくつつましい、しかも身近な生活者たちが音楽を通して希望を見つけるという感動の映画はいくつもありました。

 いま、またなぜ?と思うのです。どうやら《カルテット》は、それぞれ音楽には似つかわしくない目的を持った4人がお互いを信じないまま組んだ、3人までが素人という弦楽四重奏団の話のようです。

 音楽には重要な要素としてテンポがあります。素人のアンサンブルはとにかく曲の全体像が見えるまでは大変ですが、やがて楽譜に記されたテンポに導かれて息があうようになります。そしてその結果、美しいものとの出会いがあるのですから、演奏は喜びのほかの何ものでもありません。

 音楽の営みが生きる力を確認することにつながる一そこに視聴者は共感するのでしょうか。たかがテレビ欄されど、で、大げさのようですが人間の歴史に音楽が必要だったという意味を改めて考えるヒントになりました。

 それ故に軍靴のテンポの意味するものに慄然とし、それ故に、苦しさが先行して読めないでいる『強制収容所のバイオリニスト』という本があります。アウシュビッツの収容所で、仲間を労働へ送り出す軽快なマーチを演奏したバイオリニストの回想録です。

原 緑




もくじへ


「筋金入り」で、原則主義者
−山崎晶春さんと私、いくつか−

丸山重威(元共同通信社)

▼国民春闘白書

 あれはいつのことだろう。山崎さんから電話があって、「春闘共闘の白書を読みやすいバンフにしたい。原稿を書いてくれないか…」。知り合って間もない頃のことだ。春闘を労組の賃上げ闘争だけなく、国民の要求も入れ「国民春闘」にしたい、と「国民春闘会議」が誕生した。多分70年代後半。私は新聞労連の新聞研究部長だった。

 あまり時間はなかった。総評・調査部がつくった図表入りの固い文書を渡され、わかりやすい文章に、という要求。結構苦労して、正月早々原稿を仕上げ、山崎家を訪ねて原稿を渡した。それから、何回かのやりとり。厳しい山崎デスクの手で、「春闘バンフ」が日の目を見た。たぶん、最初の「国民春闘バンフ」だった。

▼小学館の平和バンフと国家秘密法案

 80年代初め、私は共同社会部で仲間と、「いま平和ですか」という企画を連載した。朝日も「平和の風景」をやっていた。身近な所に忍び寄ってきている「草の根右傾化」のきな臭い動きを書いた。そして、これを軸にいくつかの企画をまとめ「君が代は微風に乗って」(小田橋弘之編,晩餐社、1983年)を出版。この体験を小学館平和委員会のバンフに書いた。山崎さんは小学館の運動の中心だった。

 80年代半ば、山崎さんはJCJの事務局次長として、献身的な働きをした。提案された国家秘密法案に、文化人を集めて「国家秘密法案に反対する会」を組織、反対のうねりを作った。そのとき、私は社会部デスク。新聞協会が見解を出すのを契機に、特集と連載を企画して出稿、多くの地方紙に掲載された。国家秘密法は廃案になった。

▼九州で日本のルーツを探る

 小学館編集者として『日本民俗文化大系』を出版した山崎さんは、執筆者と現場を訪ねることも少なくなかった。88年から90年まで福岡編集部長として赴任していた私を、何度か訪ねてくれた。私の車で、前原遺跡や太宰府に行ったし、磐井の墓も訪ねた。一緒に歩きながら、古代のロマンの話を聞くのは楽しかった。

 色川大吉さんと一緒だったときには、中洲で飲みながら話した。ちょうど、昭和が終わる秋。皇居の出入りを張り込むマスコミに、「皇居に誰が何時に入った、なんていうのは歴史でも何でもない。バカなことをしている」と色川さんが話したのを覚えている。

▼還暦は出発点

 2001年、共同を定年退職した年の秋、「マルちゃんをダシにパーティをやろう」と言い出したのは山崎さんだ。「友だちにホテルのシェフがいる。越乃寒梅を取り寄せるから、みんなを集めよう。これから頑張ってもらわんといかんからネ…」。

 還暦と退職祝いの激励会。古くからの仲間たちも、新しい知り合いや友人も、みんなが集まってくれて、楽しかった。JCJなどの友人のほか、高校の友人などにも来てもらい、韓国の友人と朝鮮総連の友人には、握手してもらった。仕掛け人は山崎さんだった。

×   ×   ×

 私が知っている山崎さんは、「筋金入り」で、原則主義者だった。74年、ソルジェニーツィンがソ連から追放されたとき、草鹿外吉さんと一緒に議論したことを覚えている。山崎さんは、ずっと、「社会主義の未来」に希望を持っていた。




もくじへ


BOOK REVIEW

 「「私はママだ」「私は学者だ」「私は学生だ」などと名乗りながら、しかし私はあなたと連帯する、という「連帯の名乗り」をする人が次つぎと出てくることによって、そこに社会が生じます」

 「これから求められる政治家は…絶えず市民と向き合って応答して、聞く耳をもって、自分自身も変わっていき、考えることができる。一方的に「ついてこい」という人でもなければ、有権者に受けることをやればいいと考える人でもない」

 安保法制反対の運動のなかでSEALDsやママたちはなぜ声をあげたのか、その今日的意義、市民十野党の共闘が実現し、「市民革命」の第−幕を開けた昨年の参議院選挙結果をどう見るか、新自由主義と国家主義が統合された安倍政治のもとでリベラルと左派の結集は、それを具体化する戦略は…。

 こうした問いに、政治学者の中野晃一さんがわかりやすく答えます。中野さんは、「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人の一人で、国会前での「敷き布団と掛け布団」のスピーチで話題になりました。

 安倍政治をうちやぶるために、市民と民進党、共産党はどうすればよいのか、リスペクト(敬意)の気持ちで運動することの大事さ、個人の尊厳をまもる「連帯の名乗り」という低抗運動など、「安保法制の廃止」「立憲主義の回復」「安倍政権打倒」の「市民革命」の第2幕へのステップを模索します。

 インタビュアーは、会報の読者で、最近、私たちの会に入会した田中章史さんです。

 販価は1300円(大月書店)。お求めの方は、佐藤(2942ー3159)まで。




もくじへ


お知らせ

会員の訃報

久保哲郎さん(こぶし町在住、昨年12月)
今井俊夫さん(世話人、緑町在住、1月15日)
が逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

映画とトーク

映画「一歩でも二歩でも」上映
トーク 山口逸郎さん
被爆70年目の夏 核兵器入らない、いのちが大事!
戦争法への怒りがうずまく日本列島を
国民平和大行進が行く
日 時:3月26日 13:30開場 14:00開会
会 場:新所沢公民館 5〜6号室
    入場無料 誰でも参加できます。




もくじへ


事務局から

 春一番が吹き、陽ざしも柔らかくなったように感じられます。

▼野党共闘をすすめる市民連合の動き
 「安保法制廃止、立憲主義回復」を掲げて、衆議院の埼玉選挙区15区すべてで、野党共闘を実現する市民連合結成の動きが活発になっています。私たちの住む所沢と三芳町、旧大井町の8区でも、1月初めから相談会が催され、3月8日に、「野党共闘をすすめる8区市民の会(略称)」準備会が開催されます。この会に参加するか、世話人会で議論していますが、今後の運動にとって重要なことでもあり、会員のみなさんの意見をうかがいながら判断します。ご意見をお寄せください。

▼映画一歩でも二歩でも」、3月26日
 核兵器はいらない、いのちが大事!戦争法への怒りがうずまいた2015年、東京から広島への91日間を歩きとおした山口逸郎さんの感動の記録です。山口さんも来て、話されます。ご参加ください。(詳しくはチラシをご覧ください)

▼5月26日、醍醐聡東大教授、「マスコミ・ジャーナリズムの現状と課題(仮)」講演会
 醍醐さんは「NHKを監視激励する視聴者コミュティ共同代表」。吾妻九条の会と共催で、小手指公民館分館(予定)で行います。次号の会報にチラシを差し込みます。ご予定ください。

▼年会費、カンパを集めています
 会費とカンパが会の活動を支えています。未納の方はお早めにお願いします。




もくじへ




トップページへ