機関紙144号 (2018年7月3日発行)
梅田 正己(書籍編集者)
2018年6月12日、米朝首脳会談が行われた。
翌13日の各紙はもちろん大きく紙面を割いてその「成果」を報じた。しかしその報道は、一定の評価をしながらも、そろって具体性に欠けるとして留保をつけていた。
例えば、朝日3面の横の大見出しは「非核化 あいまい合意」、読売3〜2面の同じく横見出し、「非核化 課題多く 北の姿勢 見極め」、日経3〜2面の横見出し、「非核化 時間稼ぎ懸念 米朝敵対解消を演出」、社説もそろってそのことを指摘していた。
まず、朝日から。
「合意は画期的と言うには程遠い薄弱な内容だった」「署名された共同声明をみる限りでは、米国が会談を急ぐ必要があったのか大いに疑問が残る」。さらには「その軽々しさには驚かされるとともに深い不安を覚える」「重要なのは明文化された行動計画である」。その「明確な期限を切った工程表」が示されてないから「会談の成果と呼ぶに値」しないというのである。
毎日の社説も同様の留保をつける。「固い約束のようだが、懸念は大いに残る」「そもそも北朝鮮がCIVD(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)に同意したかどうかもはっきりしない」
読売社説も、「評価と批判が相半ばする結果だと言えよう」としながらも、ホンネは批判の方に傾いているようだ。「懸念されるのは、トランプ氏が記者会見で米韓軍事演習の中止や在韓米軍の将来の削減に言及したことだ。和平に前のめりなあまり、譲歩が過ぎるのではないか」
日経の社説も同様の論調だ。「真に新たな歴史を刻んだとみなすのはまだ早い」と言った上で、同じく米側の前のめりを批判する。「米側はすでに(北朝鮮の)体制保証で譲歩を余儀なくされた。今秋の米中間選挙を控え、目先の成果を焦るトランプ政権の前のめりな姿勢を、北朝鮮が巧みに利用したといえなくもない」
以上のように、全国紙各紙は今回の米朝首脳会談について、できるだけその成果を割り引いて評価したいと見ているようだ。テレビにおいても、登場するコメンテーターの殆んどは同様の見方をしているように私には思われた。
では、両首脳が署名した共同声明を改めて見てみよう。「非核化」に関する部分を見ると、こう書かれている。
一一「トランプ大統領はDPRK(朝鮮民主主義人民共和国)に対して安全の保証(security guarantees)を提供することを約束し、金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化(complete denuclearization)に向けた堅固で揺るぎない(firm and unwavering)決意を再確認した」
一一「3 2018年4月27日の板門店宣言を再確認し、DPRKは朝鮮半島の完全な非核化(complete denuclearization)に向けて取り組むことを約束する」
各紙の社説も、テレビのコメンテーターたちも口をそろえて、CIVD(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)が具体的に述べられていないから非核化を信じるわけにはいかないという。つまり共同声明で2度にわたって明言されている「完全な非核化(complete denuclearization)」では不十分というわけだ。
しかし、すべての識者が指摘するように、CIVDは厖大かつ複雑な手間と時間がかかる。現有する核爆弾やミサイルを廃棄するほか、関連の研究施設や製造工場などインフラの解体、さらには開発に従事した科学者や技術者の処遇など、山積する問題をすべて処理しなければならないからだ。
それには、10年、20年の歳月を要するというのがおおかたの認識だ。したがって、朝日社説がいうような「明確な期限を切った工程表」を示せという要求そのものが、現時点ではどだいあり得るはずがないのである。
両首脳は世界中が注視する中で、「完全な非核化」という言葉がくり返し記された共同声明に署名し、その実行を誓約した。その誓約にもとづいて、これからその「工程表」が両国の専門家集団によって作成され、実行されてゆくのである。
今回の首脳会談にたどりつくまでには70年近い歴史過程がある。その基底に横たわる最大の事実(事態)は米国と北朝鮮がいまなお潜在的な戦争状態にあるということだ。そのことを端的に示しているのが、毎年実施される米軍と韓国軍の合同軍事演習だ。仮想敵国はもちろん北朝鮮である。
テレビでよく見るその合同軍事演習の光景は、海岸での上陸作戦の演習である。想定されている海岸はどこの国の海岸か? 北朝鮮の日本海側の海岸であることはいうまでもない。
さて、こうした潜在的戦争状態にそなえて、北朝鮮は100万人の軍を維持してきた。人口2500万の国で、将兵として働き盛りの青壮年100万人を非生産的な軍隊の中に閉じ込めておくのがいかに過重な負担、損失であるか、考えてみるまでもない(ちなみに日本の自衛隊は人口1億2500万人に対して25万人)。
その上に長年にわたり国連の経済制裁を受けて、北朝鮮の経済的窮迫はいまやのっぴきならないところまで追いつめられている。人々の恐るべき飢餓線上の状況は、漏れ伝えられる報道でかいま見るとおりだ。
北朝鮮がこうした軍事的・経済的苦境から脱するためには、戦争状態の継続に終止符を打ち、国の全力をあげて経済復興にとりくむほかに道はない。
それには、米国・韓国と交渉して、現在の停戦協定を破棄し、新たに平和条約を結ぶしかない。そのため北朝鮮は一貫して米国に講和のための直接対話を呼びかけてきた。しかし米国はそれに応じず、北朝鮮との対話を拒否し続けてきた。なぜか。米国がその覇権主義的世界戦略を維持するためである。
第二次大戦以降、超大国・米国は、「世界の警察官」として振る舞ってきた。そのシェリフの地位を保持するためには、世界の要所、要所に軍事基地を確保し、そこに自国の軍を配置しておかなくてはならない。
そしてそのためには、常に軍事的緊張状態を保っておくことが必要だ。言いかえれば、常に仮想敵を設定しておく必要がある。かつて冷戦時代には、ソ連が仮想敵だった。しかし1991年にソ連は消滅した。中国とは1970年代から国交を開き、今では緊密な経済協力関係にある。なにしろ中国は米国政府の発行する国債の最大の保有国なのだ。米国のドルの価値は中国の手ににぎられているとも言える。
では、冷戦後の北東アジアにおいて、軍事的緊張の震源として設定できるのはどこか? いまだに潜在的戦争状態にある北朝鮮をおいて他にはない。この「北朝鮮の脅威」があるからこそ、米国は韓国に3万、日本に5万の米軍を配置しておくことができるのである。それも日韓両国に「感謝」されながら。
そういう国家戦略があって、米国は北朝鮮から停戦協定の廃棄とその平和条約への転換を求められながら、一貫してそれを拒否し続けてきた。
北朝鮮側としても、そのことはわかっている。したがって、たんに要求するだけで直接対話が実現できるとは思っていない。米国を対話のテーブルに引き寄せるには、物理的な力を誇示してせきたてるしかない。
そう考えて、北朝鮮は国民生活の窮迫を犠牲にしながら、また世界中から非難を浴び、制裁を受けながらも、核兵器とミサイルの開発に没頭してきたのである。核とミサイルの対象国は、だから、初めから米国以外に眼中になかった。
その核と大陸間弾道ミサイルを、北朝鮮は今ようやく手にすることができた(と米国に思わせる段階に至った)。
その結果、ついに米国大統領が一一特異なキャラクターの持ち主に代わったということもあって一一直接対話の場に登場してくれた。幸運にも、北朝鮮政治指導者の念願がついにかなったのである。(6月14日記)
基地を横断する東西連絡道路建設、アンテナの建て替え、ヘリコプターの頻繁な飛来による騒音など、所沢米軍基地への関心が高まるなか、5月26日、並木公民館で、市の基地対策室が出席して「出前講座」が行われました。主催は「所沢基地問題を考える会」。用意した資料がなくなる、会場いっぱいの130名が参加しました。
開会の挨拶で呼びかけ人の清水さんは、基地返還の歴史を振り返ったあと、東西道路建設を機に変わりつつある基地の現状、全面返還をどう実現していくか、みなさんといっしょに考えていきたいとのべました。そして対策室の大館さんから、明治44年に開設された所沢飛行場の変遷、戦後の米軍による基地接収、市民運動が高まるなかでの一部返還が実現したこと、東西道路の工事内容などについて、パワーポイントを使って詳しく説明されました。
その後、質疑に入りましたが、はじめに「考える会」がまとめた質問・要望5点についての回答がありました。
@ 市の負担が4億から17億円になったのはなぜ?(回答:4億は、当初、最低限必要なものとして国が見積った額。道路建設費は含まれていない。平成27年度以降、詳細設計し、見積額が17億になった。道路建設費、防火水槽の撤去費、新設倉庫の建設費、監理委託料、基地運営用道路境界柵など。この間の資材単価・労務単価の高騰)、
A 基地維持のための費用負担は?(回答:市は負担していない)、
B 夜間、ヘリコプター旋回による騒音がひどい。機種の確認や騒音測定する予定は?(回答:測定値の判断基準、法的基準がないため実施しても意味がない)、
C 道路開通による交通量、信号の設置などの対策は?(回答:約5600台と試算、信号は道路の出入口・中央部の3か所)、
D 基地周辺の歩道を広げてほしい(回答:市内の歩道整備を順次進めていて予算が限られており、すぐには難しい)。
さらに参加者からは「基地内の冷却水の音がうるさい」「ヘリコプターの飛来が倍増し、150メートルの高さ制限が破られている、騒音がひどい」「道路と歩道の仕様は?」「工事内容を市の広報で知らせてほしい」「私たちの代で全面返還を実現したい」「基地の強化・固定化がはかられ、全面返還が遠のくのでは」などの質問や意見が出されました。また、アンケートには「基地工事の全体像が見えない」「道路開通による経済効果は?国の負担分含めて70億円かけて所沢市民にどれだけの見返りがあるのか」などの感想が寄せられました。
2時間にわたって行われましたが、さまざまな懸念や不安が解消されたとは言えず、次回の講座を求める声が上がりました。(佐藤俊廣)
原田みき子(沖縄県本部町在住)
5月26日から3日間の日程で「辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会」の第5回総会が沖縄市で開かれる。今日25日は役員会が開かれ、実行委員長をライターの浦島悦子さんと二人体制でつとめる私は、家に戻った夜の10時にこの通信を書き始めている。
「故郷の土砂は一坪たりとも辺野古に送らない」というスローガンは、西日本を中心に8県20団体を繋げた。各県で自然保護運動を続けてきたグループが多く、共同代表は愛媛県の阿部悦子さん(環瀬戸内海会議)と奄美市の大津幸夫さん(自然と文化を守る奄美会議)のお二人である。
そもそもきっかけは阿部悦子さんが5年前に那覇のホテルで目にした琉球新報の記事だった。彼女は「辺野古土砂調達1300億円」「採取場所は瀬戸内海など9ヵ所から」の文字にびっくりし、「あの美しい辺野古の海を戦争のために埋め立てる、それも私が住む瀬戸内海から調達するとは! 私は30年近く『環瀬戸内海会議』で瀬戸内を埋め立てや海砂採取から守るために活動してきているのに、それが踏みにじられるばかりか、沖縄を害することになる……許せないと思いました」と述懐する。そして各県を訪ね、8県の団体の協賛を得ることに成功、「辺野古土砂搬出反対協」に結実した。
昨年、北九州市で開かれた第4回総会に出席した私は、長崎県の歌野礼さんの報告に感動した。それは、長崎県の担当課が「沖縄県から要請があれば協力する」というものだった。沖縄県は過重な基地負担を押し付けられ孤立していると考える私には望外の喜びだった。沖縄に帰ってすぐ辺野古の集会でこの話を紹介し、県議たちにも伝えた。ぜひ、沖縄県から各県に協力要請をしてほしい一心だった。
しかし、1年経っても沖縄県からの要請は出されていない。今日の役員会では、この問題の解決に向けて熱心に議論が交わされた。昨年の7月には、阿部悦子さんの他にピースデポ前代表の湯浅一郎さんと辺野古で闘う元土木技師の北上田毅さんが、県議たちと県の担当課に説明している。今回の全日程が終了する翌日の29日に翁長知事と面談する方針で、沖縄県と土砂搬出県の連携の可能性について話し合う。
各地でコツコツと沖縄のために活動してこられた方がたが一堂に集い、7月の本格的埋立て工事を目前にして翁長知事と連携を話し合う。「沖縄は孤立していない。全国に真剣に考え行動してくれている人びとがいる」。今夜はワクワクして眠れそうもない。
前号(143号)の「沖縄通信」に、誤って昨年7月の掲載文を載せてしまいました。原田さん、読者の皆さんに深くお詫びし、前号執筆文を今号に掲載します。
桂 壮三郎(映画プロデューサー)
文化庁の創設から50年目を機に、文化庁は文化政策の総合的な推進と文化庁の機能強化のため京都移転を本格化させている。2021年度までに全面移転が計画されています。機動的で文化政策集団としての新・文化庁を目指し、新たな文化芸術立国への社会的・経済的価値を育む文化政策への転換をはかる方針です。ただ、京都移転への拙速に反対する文化関係者も多数おり、文化庁は真摯に反対意見への慎重な対応が求められます。
さて、2018年度の文化庁予算は1077億円と前年度34億円増です。その中身は、新規に文化庁に移管される国立科学博物館運営費交付金の27億円が組み込まれており、実質の増額は7億円です。
2018年度予算の特徴は、政府の方針を受けて、観光や文化財の活用による「稼ぐ文化」が打ち出されていることです。文化芸術創造活動の効果的な支援として日本映画振興予算(メデイア芸術振興のアニメーション映画製作支援は含まず)は、9億6400万円と前年比1800万円の増加となっています。映画文化が我が国の存在感を高め日本文化の促進、また、映画が海外への日本文化発信の有効な媒体であるとの認識です。
しかし、「日本映画の創造・交流・発信」を掲げた助成項目である優れた劇映画、記録映画の日本映画製作活動支援に6億1300万円が計上されましたが、この日本映画支援対象作品として劇映画へ21作品、国際共同制作支援へ4作品を予定しています。又、記録映画は10作品の支援が予定されています。しかし、ここ数年前から本格的に始められた国際共同制作への製作助成が、この製作支援事業に含まれていますので、国内の製作助成がその分実質的に減額されることになります。日本映画の魅力的な多様性の拡大に逆行する事であり、大幅な製作支援予算の獲得が不可欠です。この製作助成問題への文化庁への要望運動を強化すべきと思います。
更に、我が国の中小製作会社や独立系の作り手の最大の悩みは、創作機会が失われる製作費のファイナンスの困難性にあります。文化庁の製作支援事業の財政基盤の改善と組み変えが重要です。
それでは「日本映画の創造・交流・発信」の具体的中身を考察致します。我が国の映画界を担う新たな人材育成の若手映画作家育成事業として、VIPO映像産業振興機構が文化庁の委託を受けた、次代映画監督の発掘と育成を目指す支援事業に1億2300万を計上し、大学・専門学校等と映画関係団体との連携の行われる学生インターンシップ人材育成支援制度へ4100万円の予算です。そして、アニメーション映画製作への支援事業へ1億2100万円と若手を起用しオン・ザ・ジョプ・トレーニングを組み込んだ実際のアニメーション制作現場へ人材育成として2億1000万円が予算化されている。このように2018年度の文化庁予算を考察すると、映画予算は昨年とほとんど変わらない予算規模ですが、国防(軍事)費の大幅な予算の伸びに比して余りにも低い予算だと言えます。2018年度の予算規模では、映画人や芸術団体からの要求にほど遠い予算額です。
最後に、日本の中小製作会社やインディーズの作り手の最大の悩みは、製作費のファイナンスの困難性にあります。これからの多様な日本映画文化の創造と普及に危惧さえ感じます。又、文化芸術基本法の趣旨へ反するものと考えます。映画製作者として文化予算の増額を切に要望したいと思います。
鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)
平田オリザ作・演出の新作が面白い。青年団の「日本文学盛衰記」である。高橋源一郎の同名小説が原作だが、独特の舞台を作り上げた実力は大したものである。
感心させられたのは4場構成のすべてが、文人の通夜か葬儀で構成されていること。一場「北村透谷の通夜」(1894年4月)、二場「正岡子規の通夜」(1902年9月)、三場「二葉亭四迷の葬儀」(1909年6月)、四場「夏目漱石の葬儀」(1916年12月)。明治・大正の時代、これらがうまくつながっていく仕組み。酒食が供される広い座敷で、次々と有名人が登場し、ことばを交わしていく。多いときには、20人以上の俳優がそれぞれの立ち位置で見せる場もあった。演出力の冴えである。
錚々たる顔ぶれに圧倒される。森鴎外(山内健司)、夏目漱石(兵藤公実=ちょび髭で工夫)をはじめ、樋口一葉、石川啄木、北原白秋、宮沢賢治など多士済々、中江兆民、幸徳秋水、大杉栄など意外な人物も交わる。場面をうまくつなぐのが、田山花袋(島田曜三)と島崎藤村(大竹直)の役割。二人の好演で退屈することがない。坪内逍遙で登場した志賀廣太郎が貫禄のある所を見せていた。
文学への思いや人生観など、要所要所に実話で知られるエピソードも加わり笑いが起こる。子規の故郷では、加計学園の話題が出るなど極めて今日的な関心事も挿入されている。日本文学もやがて機械が小説を書く時代がくることが示される。演劇で語った日本の文学史でもあった。
=吉祥寺・吉祥寺シアター、6月8日所見=
大手町 太郎
「男目線の紙面は時代遅れ」「10年先の新聞業界の働き方を考える」−−新聞社などで働く女性たちを中心に、いまさまざまな行動がはじまっている。
一つのきっかけは、福田淳一前財務事務次官のセクハラ問題だ。「福田問題」をきっかけに、5月、新聞、テレビ、出版やフリーランスで働く女性たちが「メディアで働く女性ネットワーク」を結成した。テレビ朝日の記者による告発に勇気付けられるとともに「いまこそセクハラを含むありとあらゆる人権侵害をなくす時だと決意」したとしている。ネットワークには短期間のうちに30社を超える人たちとフリーランスが加わり、メディアで働きやすい環境をつくることをめざしている。それは「女性だけでなく誰もが生きやすい社会を作ることにつながる」との考えからだ。
新聞社の新規採用はすでに女性が4割を超え、共同通信は2年連続で6割超えとなっている。しかし、職場環境は旧態依然。あるブロック紙(県紙より発行部数が多く、いくつかの県をカバーしている新聞社)では「子どもがいても転勤を猶予する制度がなく、転勤を理由に社を去る女性社員が多い」と労組関係の会議で告発。同社内での調査で「働くのは30代まで」が30%を占め、多くが「子育てと仕事の両立に不安を抱えている」実態が浮き彫りとなった。
女性たちの労働環境は制度上の改善ですむことではないようだ。現場の女性から上がる声は、「変わる社会、しかし変わらぬ会社」「男性ばかりでつくる新聞は、もはや時代遅れ」と厳しいが、正鵠だ。例えば「保活」(子どもを預ける保育所さがし)や「夫婦別姓」など関心の高い問題に深く切り込んでゆく記事をどうつくりあげるか、当事者の一部でもある女性記者の視点と問題意識は欠かせない。「10年先の新聞社、読者の期待に応える紙面」づくりに女性たちの智恵と力を生かす時だと思う。
全国紙の一部では政治、経済、社会などの部長に女性が就き、「女性管理職の登用を30年までに25%以上、25年までに13%以上」と目標を宣言した社もある。この社の現状は9%ほど。前出のブロック紙社員は、「紙面に『女性として大切だ』と思うような感覚が反映されていかない」と現状を憂いている(労組主催の女性会議発言)。新聞編集の要ともいえるデスク職では、圧倒的多数が男性で、このような「弊害」を指摘する声もあがっている。
冒頭に紹介した「女性ネットワーク」は、企業や労組の壁を超えた自主的な運動として発展しつつある。企業とともに労組も大きく脱皮する機会だ。
5月に新聞労連が開いた集会である参加者は「(セクハラや労働環境改善にむけ)自分から発信することが大事。とにかく何かと機会をとらえて、要求を滑り込ませる。言い続ける、仲間を増やす。仲間を増やすきっかけの一つ労働組合がある」と発言した。新聞労連は、7月定期大会で労組役員の3割を女性が担おう、と問題提起する。
小川 美穂子(熊谷市『さきたま新聞』)
6月12日、私は日本プレスセンターの記者会見場にいました。ところは2年ぶりの日比谷。普段熊谷周辺で街の話題を追いかけている自分は、ペンで食べているわけでなし、背負って立つ看板があるわけでもなし。『むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞』発足の集いなんて晴れやかなものは自分には無縁、とこの日は不参加の方に傾いていました。
が、当初呼びかけ人である落合恵子・鎌田慧・佐高信などの諸氏に会えるかもというミーハー精神は捨てがたく。また、前日、知人から「こんな催しがあるから行ってみたら」と電話がかかってきました。
その人は熊谷市の『薬剤師会報』を長く編集してきました。紙面には「本の紹介」等のコラム、欄外には折々の名句など。薬局では健康相談から時事談議まで、薬を買うというよりお喋りを楽しみに通っています。彼が言うに、お互いに『むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞』を他薦し合おう・・・。
私は「さきたま新聞」は埼玉・市民ジャーナリズム講座の呼びかけ人であり、そんなことから最晩年のむのさんと少しだけれど関わった経緯を話しました。むのさんの精神を見習って、書くことで社会とつながっているというささやかな自負。一本の電話に肩を押されました。
もう一つ、あの日プレスセンターに出かけたのは、6月15日を意識したからです。樺美智子さんは、「遅れてきた青年」である私にとっても衝撃的なエポック。少し早いけれど、国会議事堂近くで黙祷しようと思い立ちました。
父は佐高さんの書いたものが好きでした。私は鎌田さんの自動車工場ルポを読んだ時の衝撃が忘れられません。父の遺品の「樺美智子追悼特集」の『アサヒグラフ』を思い浮かべながら、壇上の方々の挨拶を聞いていました。ふかふかの絨毯の部屋は私には場違いでしたが、そこに確かにたいまつの灯りが見えました。石を投げ続けること!
ジュビージュビー、グチュグチュチュ。
玄関の外でツバメの鳴く声がしました。頻繁に飛び交う姿を目にしてはいましたが、ついに巣作りの場所を決めたのかもしれません。
ツバメの来る家は縁起が良いなどと、誰が言い出したのでしょう。困ったな…巣を作ってほしくないのだけれど。
ツバメは人の出入りの多い場所に巣をつくる習性があるそうです。まさに、玄関ドアの上。そこは船底天井になっている部分で、雨を避け風通しは良いと好条件です。
外から回って見上げてみると、人が来ても怖がらないツバメのこと、壁に垂直にとまってじっとこちらを見ています。どうしたものかと腕組みをしていたのですが、立ち退きを迫る気迫に負けたのか、飛び去りました。良かった、これで鬼婆のように箒を持って追い回さずに済みました。
戻ろうとすると足もとに「何か」があるのです。ひゃ〜、蛇。ツバメのいた上の方へ10センチばかり首をもたげて、こちらもじっとして動きません。蛇は周りに落ちていた小さな土の塊や細い草などから、巣を作り始めることに気づいていたようです。
小川村の重粘土質の土は運ぶのに重たいでしょうに、ツバメは果敢にも仕事にかかったようです。2時間ほど経つと、壁には点々と泥の塊が塗りつけられていました。
数十年も前のことですが、両目に水泡が出来るという鳩アレルギーを経験しました。それ以来、私にとって鳥は望遠鏡で楽しむもの、そばに寄って来てほしくない対象です。気の毒でしたが、壁に付いた泥の塊を取り除き、寒冷紗を張って通せんぼ。船底部分への出入りを禁止しました。
翌々日、今度は洗面所の出入り口の上に巣を作り始めていました。無慈悲にもこれも取り除きました。それから毎朝、四方の壁をチェックしているのですが、今朝はドアを開けて履こうとしたサンダルのすぐ横に躰を3つにも折り曲げて蛇が…。もう、やだぁ! いくら風水では縁起が良いと言ってもねえ。
もしかして、彼もまた、狙うべきものとしてツバメの巣をチェックしているのかしら。
原 緑
「9条の会 所沢やまぐち」が、「わたしの戦争体験 いのちあり ひかりあり」を刊行しました。高橋玄洋さんら21名が執筆。頒布価格500円。郵送の場合は別途180円かかります。購入希望者は伊勢田(rokunigo@jcom.home.ne.jp)まで。もしくは「会」の世話人にお申し出下さい。
梅雨の晴れ間の日差しは、きらきら眩しく感じられます。
▼6月29日の「総会」に55名参加
前半、CV22オスプレイが配備される横田基地の現状と今後について、高橋さんに詳しくお話していただきました。後半の総会では、これからの活動をめぐって、所沢米軍基地問題、米朝会談と共同声明の意義、沖縄との連帯など、活発に意見が交わされました。また、新たに、代表委員に桂壮三郎さん、世話人に原田勤さん、平野俊子さんが就いたことが紹介されました。総会の様子は次号で詳しく報告します。確認された「これからの活動について」「会計報告」も、次号会報に差し込みます。
▼「安倍9条改憲NO!」署名1350万人分を国会に提出
5月末の第3次集約に向けて「全国一斉街宣・署名週間」が呼びかけられ、私たちの会は、28、29日、航空公園、新所沢駅頭で署名に取り組みました。両日合わせてのべ16名が参加、安倍首相への厳しい批判の声といっしょに105筆寄せられました。私たちの会の署名数は967筆になりました。6月7日、全国で集められた1350万人(第1次分)の署名が国会に提出されました。その後も署名は集まっており、通常国会終了後、集約数が発表される予定です。
▼9条連絡会で講演会
米朝首脳会談が実現し、朝鮮半島の平和体制の構築、非核化に向けて大きく動き出しました。所沢9条連絡会では「東アジアの平和をどう実現するか」をテーマに講演会を行う予定です。講師、日時確定次第お知らせします。