機関紙154号 (2019年7月10日発行)



もくじ

改元・天皇交代とメディア
  岩崎 貞明 (「放送レポート」編集長)

「総会」に60名参加
  安倍9条改憲許さない この1年のたたかいが重要
  NHK過労死 内部で「隠蔽」に抗おうとする動きも

障害者権利条約の理解へ
  「移動の自由」を妨げるのは施設・設備環境や制度です
  森  智広 (詩人)
リレーエッセイ
  戦争体験、合唱団との出会い   久保 征子(所沢新町在住)

私も会員です
  松田解子の声が聞こえてくる
    中村 恵子(北秋津在住)

川 柳

【沖縄は訴える】47
  分断される町
  原田 みき子(沖縄県本部町在住)

「文化の窓」演劇
  鈴木 太郎(演劇ライター)

短 信

事務局から





改元・天皇交代とメディア

岩崎 貞明 (「放送レポート」編集長)

 「『令和改元』の報道、あれはいったい何ですか。大日本帝国時代にでも戻ったつもりなのか」

 毎日新聞のインタビューに答えた歴史研究者の原武史氏が、怒りとともに記者に向かって放った言葉だ。天皇が国民に語りかけた「お言葉」を契機に退位特例法が制定された。一連の経緯が天皇の政治参加を厳しく規制した現憲法の規定から逸脱していたのではないかという問題意識がメディアになさすぎることを、原氏は鋭く批判していた。

 4月1日の新元号発表から天皇退位そして皇太子の天皇即位にいたる一連のセレモニーを、日本の新聞・テレビは一大メディアイベントとして詳細に伝えた。それは原氏の指摘するとおり、きわめて問題の多い内容だったのではないだろうか。

 今回、もっとも長時間の特番編成をとったのはNHKだった。NHKは「退位の日」前日の4月29日からほぼ全面的な特番体制となり、平成時代の「紅白歌合戦」の名場面を振り返る歌番組『総決算!平成紅白歌合戦』などを放送。「退位の日」当日の4月30日は、朝の連続テレビ小説『なつぞら』の直後から、お笑いコンビの爆笑問題などが司会を務め、お笑いタレントらとともに平成を振り返るバラエティ番組『ゆく時代 くる時代 〜平成最後の日スペシャル〜』を、第三部「ついに時代越し=I」までほぼ丸一日放送していた。これは、報道番組の拡大スペシャルで対応した民放各局とは対照的だった。

 このありさまだから、天皇と政治をめぐる問題など指摘されるはずもない。前出の原武史氏が、これらの「改元特番」に出演した姿はついぞ見られなかった。

 安倍首相は4月1日、菅官房長官が新元号を発表した直後に自ら記者会見を行って、新元号の意味などについて語っていたが、昭和から平成に代わった際には、当時の小渕恵三官房長官が新元号の発表に合わせて竹下登首相の談話を代読しただけで、竹下首相自身は記者会見を行わなかった。日ごろはろくに記者会見に応じない安倍首相が、ここぞとばかりに得意げに新元号について語るのは、まさに恣意的な政治利用に他ならない。それを無批判に垂れ流すメディアも共犯関係にあるのではないか。

 NHKは、安倍首相に最も近い記者と言われる岩田明子解説委員がスタジオ出演して、安倍首相の会見の前に、会見の内容を先取りするような同趣旨の解説をとうとうと語っていた。

 政権による天皇の政治利用は憲法違反の疑いもあるが、メディアはそれを手助けしたと批判されても仕方ない。




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「総会」に60名参加

安倍9条改憲許さない この1年のたたかいが重要

 「マスコミ・文化 九条の会 所沢」の「総会&講演・インタビュー」が6月23日、新所沢公民館で60名が参加して開催された。

 冒頭、中原道夫代表委員は沖縄「慰霊の日」、日米地位協定改定にふれて開会あいさつ。佐藤俊廣事務局長が「これからの活動について」取り組み、情勢、活動の3つの柱にそって提案した。

 1144筆集まった「3000万人」署名、沖縄と連帯する文化のつどい、孫崎享講演会(9条連絡会主催)などの取り組みが報告された。

 9条をめぐる情勢では、安倍首相が「憲法」を参院選の争点にするかまえであり、全小選挙区に「憲法改正推進本部」を設置し「草の根」から改憲を狙っていると警鐘を鳴らした。これに対して野党は、「市民連合」の9条改憲反対、沖縄の新基地建設反対など13項目の「共通政策」で合意し、参院選1人区での統一候補が実現したとのべ、参院選の重要性を強調した。

 そして、「この1年のたたかいが決定的に重要」とし、新しいチラシの作製、オスプレイの飛来・土砂搬入に反対し「基地の全面返還」「日米地位協定」改定を求める運動、「会報」リニューアルを機に会員・読者を増やすこと、「若者を意識した運動」について提起し議論を呼びかけた。

 会場から「若者」にどうはたらきかけるか重要な課題だ、SNSの活用や「対話」することが必要などの意見が出された。

 その後、会計報告が行われ、畑中繁さんが会計監査結果を報告、いずれも拍手で確認された。

NHK過労死 内部で「隠蔽」に抗おうとする動きも 

 後半は、『未和 NHK記者はなぜ過労死したのか』(岩波書店)の著者尾崎孝史さんの講演・インタビュー。尾崎さんは、佐戸未和記者のかつての同僚から「何か形にできることはないかともがいてきた」との感想メールなどが寄せられていることを紹介。NHK内部で抗おうとする動きが始まっていることを明らかにした。

 講演会では佐戸未和記者(当時31歳)が亡くなる直前、2013年7月23日までの1か月間の勤務実態が改めて紹介された。

 都議選・参院選取材に忙殺され、30日間で休んだのは1日。このうち午後9時以降から翌日の午前1時あるいは3時まで残業した日数は25日あった。また、生存が確認できる7月24日午前3時から、遺体で発見される25日夜までの「空白の2日間」について、この3月には国会の議論でNHK理事は「確認できておりません」と隠蔽のままであることも報告された。

 佐戸記者の連絡が途絶えた初日の24日には、アポイントを取られていた都庁の幹部は佐戸記者に約束をすっぽかされたことで午後2時から3時にかけてNHK都庁記者クラブに問い合わせをした可能性が強い。これについて尾崎さんの取材に都庁クラブ詰めの同僚記者4人は証言を事実上拒否したままだ。

 この日の講演会には佐戸記者の父・守さんと母・恵美子さんも出席した。

 守さんは「来月には娘の七回忌を迎える。朝晩、未和を思い情けない気持ち、怒りの気持ちを押し殺しながら妻と二人で暮らしている。『空白の2日間』では(娘が生きていた可能性のある時間に)一緒に机を並べて仕事をしていた同僚が、誰もアクションを起こしてくれなかった。この本の取材に同僚たちがもっと話してくれていれば過労死の背景にもっと迫れたと思う」と話した。

 また参加した NHKの元記者は同僚たちが沈黙していることについて「われわれは取材ではさんざん取材対象に『これはおかしいじゃないか』と迫る。それが逆になったら、答えようとしないのは報道機関として記者としておかしい」と、後輩たちが勇気を出して事実を明らかにするよう訴えた。

 最後に、桂壮三郎代表委員が閉会あいさつを行い、終了した。




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障害者権利条約の理解へ

「移動の自由」を妨げるのは、施設・設備環境や制度です

森  智広 (詩人・下安松在住)

 私は脳出血を起こして9年半になります。後遺症の右半身マヒは、ボツリヌス療法をとり入れたリハビリテーション治療により、徐々に改善する方向にあります。変化は見えづらいのですが、あきらめずに続けます。

 私は外出の時,近くへのときは徒歩ですが、少し遠くなると車いすを利用します。介助者は,ほとんどの場合、妻の幸子さんです。

 さて、車いすによる移動ですが、「移動の権利」について放送大学で学んでいます。憲法22条は「旅行の自由」「移動の自由」を保障しています。しかし、私たち障害者とくに車いす利用者にとって、「移動する」ことを実現するには、いくつかの障壁を乗り越えねばなりません。

 段差や階段が目前に立ちふさがることがあります。小さな段差でも、介助が得られなければ、立ち往生することもあります。車いす利用者は、エレベーターがなければ地下鉄も利用できず、建物の階上にも上がれません。車いす利用可能なエスカレーターもありますが、係員を呼ばなければ利用できない仕組みのところが多いです。

 車いす利用者は、行き先への道路状態や、建物の中の通路の幅は充分か、車いすは自力で操作できるか、介助者が必要かなどをクリアーしなければなりません。身体に障害があるからではなく、施設・設備環境や制度などが障壁となり、「移動の自由」を妨げているのです。

 障害者権利条約では、「障害者が、自ら選択する方法で、自ら選択する時に、かつ、妥当な費用で個人的に移動すること」(第20条a項)が容易でなければならない、とされています。

 まわりの多くの人々から、障害者権利条約への理解を頂けるよう、9条を守り生かす運動といっしょに、こつこつねばり強く取り組んでいきます。




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リレーエッセイ

戦争体験、合唱団との出会い

久保 征子(所沢新町在住)

 私は5歳から7歳まで中国にいた。父は奉天(現在の瀋陽)にある農場に勤め、城壁の中にある社宅に家族4人で暮らしていた。終戦直前、2度の空襲警報が出され、最初は遠くの夜空が赤く染まっていたことを覚えている。2度目は昼時で、防空壕から出ると、茶箪笥にあった弁当箱が隣の部屋の鏡台に乗っていてびっくりした。「いまのうちに」と母にせかされ、安全な農村の畑へと逃げた。街の中をかけぬけるとき、道のあちこちに傷ついた死体が転がっていた。見るのもつらかったことを思い出す。そして、奉天から北京に移り、その後、引き揚げ船で帰国した。病人は乗船できなかったので、母は風邪で青い顔の私に頬紅をし、生卵で元気づけてくれた。

 小学2年の3学期に中国から引き揚げ、生まれ故郷の宮崎に転校した。農家の次男だった父は農業で生計を立てるしかなく、貧しい生活がつづいた。方言で話せずいじめにあったこと、くじ引きで配給の長靴を得たこと、黒塗りされた教科書、脱脂粉乳ミルクを飲んだことを思い出す。

 そんな子ども時代を送った私だったが、地元の「どんく(蛙)合唱団」に参加したことをきっかけに、転居の先ざきで合唱団を探し、反戦、平和、労働歌を歌いつづけた。そして「悪魔の飽食」を歌う合唱団に出会った。私が中国にいたころ、ハルビン郊外で「七三一部隊」が人体実験や細菌兵器の開発をしていたことを知った。いまは犠牲者を追悼し、平和の祈りを込めて歌いつづけている。海外6カ国で上演し、全国の仲間が集う全国縦断コンサートは29回になった。




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私も会員です

松田解子の声が聞こえてくる

中村 恵子(北秋津在住)

 今年は、最後のプロレタリア作家といわれる松田解子の没後15年にあたります。代表作『おりん口伝』、中国や朝鮮から強制連行され、秋田の花岡鉱山で戦時増産のために過酷な労働を強いられ蜂起した事件を描いた小説『地底の人々』、女性詩人では初めて発禁処分をうけた詩集など、小説、ルポ、詩の作品を数多く残しています。

 「あの戦争中、どれほどの抵抗をこのわたしがしたかと思うとね、恥ずかしくてね、…」。松田さんの戦後の作品とすさまじいまでの行動の根底にあるのは、このことでした。

 いま、世界を見ても、日本を見ても、この所沢でも、子どもたちに平和な未来を約束できるか? と危惧することばかりです。松田さんや、あの時代の多くの大人たちが残したであろう悔いを、平和憲法のもとで生きた私たちこそ、その悔いを持たないで生きたい。気が付いたら大きな波の中で身動きもできなくなっていたということがないように、松田解子の振り絞った声が聞こえてくる。




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川 柳

真夏にはやはり平家の物語
(武蔵坊)




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【沖縄は訴える】47

分断される町

原田 みき子(沖縄県本部町在住)

塩川港の隣にある琉球セメント安和桟橋へ土砂を搬送するダンプカーと抗議する人たち〔新基地建設反対名護共同センター提供〕

 緑深きやんばるの庭は一面月桃やイジュの花が咲きこぼれ、それはまるで6月23日の慰霊祭の準備をしているかのようだ。糸満市の式典には首相の出席が恒例となっているが、今年はそれを拒む県民の新聞投稿が多い。私も同じ感情を抱く。「県民の心に寄り添って…」と言いながら、違法の限りを尽くして進める辺野古の工事。デタラメな国政の繰り出しに「脱法行政」という言葉が浮かんだ。こんな首相に沖縄の土を踏んでほしくない。

 21年間暮らす本部町は人口1万5千人の小さな町。美しい本部半島に位置し人気の美ら海水族館を筆頭に景観の素晴らしいところが多い。しかし、塩川港から辺野古へ土砂が運ばれるようになって、町の雰囲気は異様なものになってきた。3月には「ふるさとの土は平和のために使いたい」「辺野古新基地建設反対!本部町は港を使わせないで」と書かれた横断幕やのぼりが何者かに傷つけられ捨てられるという事件があった。すぐ私たちは警察に届けたが一向に解決のめどは立っていない。逆に6月14日には制服警官が出てきて「スタンディングを止めろ!」と恫喝した。もとぶ町島ぐるみ会議では3年前から毎週金曜日の夕方、町内の一番にぎやかな十字路でのぼりやプラカードを持って「辺野古の新基地建設反対!」を訴えている。いままで何事もなく続けていて、わずか30分のスタンディングながら定着している。この警官は私たちに「名前を言え。どこに住んでいる?」と脅し、たまりかねて「これは憲法に保障された平和運動ですよ。止めろという理由は何ですか」と訊いたら「町民から通報があったから」と答えた。

 土砂を運ぶ業者は町内に在住し、そこに雇われている人もいる。静かで平和な町だったのに、塩川港からの搬出が始まって以来すっかり変貌した。仲間だと思っていた町会議員が容認するグループに取り込まれ、選挙では「辺野古推進」をアピールし始めた。安倍政権のせいで町内が分断されてゆく。




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「文化の窓」演劇

鈴木 太郎(演劇ライター)

 ことし、東京芸術座と劇団東演が創立60周年を迎えた。ともに1959年の結成である。

 なかでも東京芸術座の結成は、文学座、俳優座、劇団民藝とは異なる第四の新劇団の出発として話題となった。新協劇団と劇団中芸が合同、中心になったのは薄田研二と村山知義。しかし多難な船出であったことは野々村潔著『新劇運動回想』を読むとわかるし、興味深いものがある。劇団名は「モスクワ芸術座」から「世界に冠たる劇団にあやかろうと夢は大きく、理想は高くという心意気であった」(前著)。59年には「終末の刻」(村山知義=作・演出)、「京浜の虹」(神谷量平=作、村山知義演出)、「国定忠治」(村山知義=作・演出)の3本を上演。「京浜の虹」は地域劇団の京浜協同劇団で上演した作品。その京浜協同劇団もことし60周年を迎えている。

 東演は、俳優の相沢治夫と演出家の八田元夫、下村正夫を中心に前身である「東京演劇ゼミナール」を結成。第1回の上演作品はチェーホフの「できそこない」だった。1962年に「劇団東演」に変更し、その後、八田と下村が交互に演出、多くの作品を上演した。

 結成から60年、紆余曲折あったものの、困難を乗り越え、時代や観客の要請に応え、数々の名舞台を生み出してきたことに今更ながら祝意を表したいと思う。

 ことし、上演された東京芸術座の「紙ノ旗」、東演の「マクベス」に、劇団色が反映されていた。「紙ノ旗」は内藤裕子(演劇集団円)の作・演出。地方議会における「育児による欠席」を認めるか、認めないのか、という今日的な題材をとりあげた。「マクベス」はシェイクスピアの原作、ロシア語版の翻訳を、演出のベリャコーヴィッチが翻案・演出。スピード感と活力を活かし祝祭性を強く押し出した舞台になっていた。




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短 信

●平和のための戦争展
  会 期:8月1日〜4日
  会 場:市役所1階市民ギャラリー
     *私たちの会は「日米地位協定」をテーマに展示を準備していきます

●映画上映 「アオギリにたくして」
  日 時:8月7日(水) @11:30 A14:00 B18:30
  会 場:新所沢公民館ホール
  入場料:800円(小中高校生 無料)
    *【申込みは佐藤 2942-3159 まで】




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事務局から

◆「総会」で報告、承認された「これからの活動について」「会計報告」を別刷りにし添付しましたのでご覧ください。
◆7月21日投開票される参院選は、憲法9条を守るうえで大事な選挙になります。改憲勢力を3分の2以下に追い込み、9条改憲を断念させましょう。
◆米軍所沢基地への土砂搬入開始から3か月。有害物質が懸念される土砂が広大にうずたかく積まれています。毎月第1、第3火曜11〜12時、ゲート前の抗議行動にご参加を。




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