機関紙17号 (2006年9月27日発行)new !



もくじ
改憲を公約に安倍内閣が誕生
しんとこ九条の会が発足
中国を訪ねて思うこと
靖国参拝とA級戦犯合祀問題2 「戦争責任」を深く考えよう
こんな活動しています
九条と平和を未来にきちんと手渡したい
編集後記

改憲を公約に安倍内閣が誕生

 9月26日の臨時国会で、安倍氏が首相指名選挙で、第90代、57人目の首相に選出された。安倍氏は、政権公約の冒頭に「新たな時代を切り開く日本に相応しい憲法の制定」を掲げ、改憲を政権の最重要課題に位置づけた。その上で、教育基本法の改正と継続審議になっている改憲手続き法案の成立とを急ぐとの意思を表明した。

 安倍氏が最も尊敬する政治家は自分の祖父でもある岸信介氏である。時の総理であった石橋氏が病に倒れると、そのあとを次ぎ、総理大臣になるや、アメリカの忠実なパートナーを目指して、安保改定をもくろみ、強引きわまりない議会運営で、安保騒動を引き起こした岸元首相が安倍自民党新総裁の尊敬する政治家である。

 作家の辺見庸氏は安倍氏について月刊誌「現代」10月号で「小泉氏以上に確信的な憲法否定論者であり、異様なほど好戦的な考えの持ち主。安倍氏はあの一見柔和な表情の裏に底暗い世界観を秘めた“隠然”の国家主義者」と、小泉氏より危険と評論している。安倍氏の登場で、「九条」を守る運動もいよいよ正念場を迎えた。

 近隣諸国との関係改善には懸念を抱かれ、アメリカの意向には従順だが国民の声に耳を傾けない政治姿勢は内外に矛盾を深めていくことは必至といえる。国民の一人一人がこの時流とどう向かい合ったらよいのかを問われることになった。改憲を第1の公約とした安倍新首相に対する会員の声を特集した。

いよいよ「正念場」と会員の声

戦争を知らない総理に

寺島幹夫 (小手指在住)

 安倍晋三殿

 この原稿が活字になる頃、恐らくあなたは、わが国の最高権力者の地位にあるだろうという大方の予想に従って、この文章をあなたに贈ります。

 総裁選で掲げたあなたの政策は「美しい日本」という、川端康成もどきの曖昧なものでしたが、その裏に極めて危険な政策が隠されていることを見逃す訳にはいきません。言わずと知れた憲法と教育基本法の改定(改正でなく)です。わが国の憲法が戦勝国から与えられたものだという側面だけを取り上げ、自主制定の美名のもとアメリカと手を組んで、再び戦争が可能な道筋を拓こうとしていることは、すべての言動からみて明白であります。

 あなたは戦争を知らずに育った人間です。戦争の本当の惨たらしさ、愚かさを知らないこともまた明白です。それだけにあなたが企んでいる欺嚇の戦略は危険極まりないのです。支持率の異常な高さも。

 あなたは「美しい日本」ではなく、「人類の美しい地球」のための政治家でなければならないのです。

憲法のどこに「残滓」があると言うのですか

谷口明嘉 (久米在住)

 「わん」フレーズのポチにかわって、「美しい国・日本」の安倍普三が登場してきました。彼は、現日本国憲法を『敗戦国の詫び証文』『占領時代の残滓』としてとらえ『世代は変わった、戦後レジームからの脱却は、自主憲法の設定』と、公約の冒頭に「新たな時代を切り開く日本にふさわしい憲法の設定」をかかけています。

 日本国憲法はどのような理念で作られたのでしょうか、その根本は個人の尊重と絶対平和主義そして立憲主義の三点にあると思います。

 安倍普三さんの世代は、戦争の生々しさとそのむごさを、からだに直に感じるべきです。幼い子供さんを含めた一族皆さんで、10日でよいですから、一切、飲まず食わず眠らずを実行してから「憲法」についての発言をなさってはどうでしようか。

 日本国憲法九条は、戦争がなければ確かに息をしていた2320万人の死に人の「血と涙の叫び」によって成り立っております。2320万は、数字ではありません、その一つ一つには「表情豊かな生きた顔」がありました。それを慈しむ家族が居り友人知人が沢山いました。たまたま死から逃れたわれわれ日本人は、二度と同じ過ちは犯さないと「アジアのみなさんへの誓い」として、世界に成文公表したものであります。

 日本国憲法のどこに「残滓」があるのでしょうか、「詫び証文」の軽さが、日本国憲法のどこにあるのでしょうか。

 死者の重みを、軽佻浮薄な言葉でもてあそぶものではありません。どのように言葉を使いわけようと、2000万人のアジアの人々を殺し、320万人の同胞が死んでいった事実は消えないでしょう。子々孫々続く限り永劫に語り続けられるでしょう。

 日本国憲法九条は、春夏秋冬にめぐまれ、氷が張り雪が降り、温帯から亜熱帯まで折々の花が咲く、「美しい土地」のうえで、戦後、戦争で一人の人も殺さず、戦争で一人も死なず、苦しくともけなげに生きてきたわれわれの胎内で息をしています。これこそ、九条の最高の存在価値としての「力」ではないでしょうか。行動するわれわれの心の中で、今、生きています。

 日本国政府が、「九条の一項・二項を完全に守ります。」と世界に発信し、行動で示し、世界の人々に大きな拍手で迎えられたとき、2320万の霊魂は鎮まり「日本国憲法」は此の世に誕生します。このような政府を創ろうではありませんか。

 戦争で生きることが出来なかった赤ん坊、幼い子供、そして、若者から老人まで女も男も、太陽と星の光になって九条の会を見守っています。九条の旗を高く掲げ「絶対平和」の世界をめざし、先頭を進もうではありませんか。

 そうしてこそ「美しい国・日本」は育っていくと確信します。

延長する国民いじめの小泉内閣の政策

小坂英子 (こぶし町在住)

 自民党総裁選の報道を見ていて、何でひとつの党の総裁を選ぶことをこんなに報道しなければならないのかと疑問です。それに、安倍氏は「美しい国」とか言っているが何が美しいのかはっきりしない。曖昧さが特徴といわれるが曖昧のままに済ませて許されてしまうのが歯がゆいのです。そこをマスコミはこれらを追求してない。国民の立場に立ってもっと問題を明らかにすべきと思います。

 これで首相に選ばれるのだから腹立たしいのです。腹立たしいというのは小泉内閣のとってきた国民いじめの政策が延長されること。かってに作った財政危機を国民の懐から奪って打開を図るのだから許せないし、極右に近い牙を隠していて、改憲を重視しているというのだからもっと国民は怒らなけれぱと思っています。

「私に何ができるか」老骨に鞭打ち、自問自答の日々

大関俊雄 (北秋津在住)

 「5年以内に改憲」、こんな政権公約を掲げた人が何故、総理になるのかわかりません。

 かつて、東京で美濃部さんが、埼玉で畑さんが知事になり、問題はあったにせよ、革新の大きな流れが地方から巻き起こったと思う時期がありました。

 今、どうでしょう?石原都政も上田県政も、歴史の歯車を逆戻りさせる急先鋒になっています。そして小泉、安倍と国の方向そのものが大きく右傾化しています。革新の流れが半世紀を待たず、これほどまでに逆戻りするとは考えられませんでした。

 何よりも、70歳直前にして、年金は?医療は?などなど、「自分の老後が心配でならない」とは、想定外の人生です。ましてや、憲法九条や民主主義そのものが危うくなっています。

 こんな状況の中、「リタイヤした身だから」などと安閑としていられません。老骨に鞭打ち、何をしなければならないか?何が出来るか?を考え、安倍政権の野望に皆さんと力を合わせて抗していきたいと思います。

また始まった提灯記事

西 健三 (山口在住)

 安倍新総裁は、靖国への参拝について明確にはしていないが、この極右は、小泉首相同様に参拝するに違いない。米下院外交委公聴会で、トム・ランスト議員は、「靖国への参拝は、ドイツでヒムラーやゲーリングの墓に花輪を置くのに等しい」と、厳しく指弾した。傾聴に値する指摘ではある。が、大手紙の外電面にその記事はない。小泉劇場を演出したのは、メディアである。無批判な提灯記事とテレビの小泉ワイドショーで総選挙で圧勝したお土産が、弱者の切り捨てと増税であった。その愚行がまたゾロゾロと始まった。安倍氏の危険性を隠し、政治の若返りのごとくの政治記事は、噴飯ものである。

 戦前、埼玉県西部は軍都であった。赤土の原野が多いことから、所沢、豊岡、狭山、曰高と陸軍飛行場が相次いで作られた。安倍総裁は、五年間かけて改憲を行うと公約しているが、改憲で二項は改悪される。

 自衛隊が軍隊になれば、真っ先に自衛隊入間基地の滑走路を延長させ、首都に航空自衛隊の運用基地を作ることになるだろう。私の頭の上をF15戦闘機が飛ぶのは願い下げだ。

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しんとこ九条の会が発足

 所沢市で7番目の「九条の会」が結成された。緑町、松葉町、花園など在住の34氏の呼びかけで「しんとこ9条の会」が、9月23曰、新所沢公民館で48人の参加で結成総会を開いた。冒頭、浜林正夫・一橋大学名誉教授が発足までの経過報告と提案を行った。ついで、小手指在住の森山次夫(1921年生まれ)さんが、22歳の時に大曰本航空のサイパン支所に通信士として就職したが、米軍のサイパン上陸で追われて北に逃避行。家族にも話してないサイパンの地獄の惨状を参加者に静かに語り、60年の時を経ても邦人達の悲惨な最期、幼い子どもを抱えた女性のことを思うと声を上げて泣いたこともあったという。戦争は絶対に起こすべきではないと語った。

 大久保賢一弁護士は、自民党「新憲法草案」を読むと題して、国民投票法案の問題点や9条2項の削除がなぜ問題なのかを分かりやすく講演し、「改憲の本性ははっきり見えている。自分達が権力を行使するために都合よくするためだ、そういう国にしてはならない」と呼びかけた。呼びかけ人の一人である浜林さんは、「学習会や歌声など、楽しい企画をどんどん考えたい。そんな会にしたい」と語っている。

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中国を訪ねて思うこと

 何回目かの訪中から帰った。いつ行っても、国内を観光してまわろうという気になれず、必要な仕事が終わるとすぐ帰ってきてしまう。翌日の夜、NHK総合テレビの「そのとき歴史が動いた」を観た。吉田茂首相がサンフランシスコ講和条約に調印するまでの話であった。その中で進行役の松平アナが、中国侵略を「進出」といっているのに驚いた。NHKはいつから「新しい歴史教科書をつくる会」や文部省教科書検定委員会の意見に従うようになったのだろうか。国定教科書や公共放送が「進出」を使っていると、いつの間にか侵略という言葉は死語になりそうだ。実におそろしいことである。戦時中、すべての報道が政府の発表だけを国民に伝えることしかなくなったのも、じつはこんなことからだったのかもしれない。

 私は柳条湖事件(1931年)以後の生まれだが、それから15年に及ぶ中国侵略に素知らぬ顔はできない。唐の都長安(現西安)、陶器の里景徳鎮、銘酒の地元紹興など、行ってみたいところはたくさんある。しかし一曰本人としての戦争責任にケリをつける、すなわち平和憲法の改悪を阻止しないと、顔を上げて観光地巡りはできない。

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鈴木 彰の「要するにコップの中の出来レース」

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「戦争責任」を深く考えよう  靖国参拝とA級戦犯合祀問題2

池田龍夫 (ジャーナリスト 元毎日新聞)

 靖国合祀の経緯をたどると、靖国神杜は厚生省(現・厚労省)が同神社へ毎年提出する「戦没者名表」に基づいて祭神を決めてきた。A級戦犯14人合祀も同じ手続きで行われており、政府には名簿を渡した政治責任があると考える。さらに突っ込んで検証すると、A級戦犯を密かに合祀した松平水芳・元宮司(故人)の確信犯的策略に行き着くのである。松平氏は東京裁判否定論者で「A級戦犯も戦争犠牲者」と主張し続けていた。多くの資料や研究者によって、「1978年7月宮司に就任した松平氏は、前任宮司の筑波藤麿氏が霊璽簿記載を控えていたA級戦犯合祀を同年秋強行した」ことが裏づけられている。この抜き打ち釣行為に立腹した昭和天皇が「靖国参拝」を断念した経緯を、「富田メモ」が立証したといえよう。これに対し、靖国・守旧派から“ニセ物説”まで飛び出して反論に必死だが、いずれにも説得力がなく、「富田メモ」の史料価値を認める識者が圧倒的に多い。

 この「富田メモ」を契機に「A級戦犯分祀論」が勢いづく一方で、靖国非宗教法人化の動きが出るなど、混乱の波紋は広がるばかりだ。「A級戦犯を分祀すれば、天皇参拝を復活できる」との意見も単純すぎる。明治2(1869)年創建の靖国神社が「国家のため、天皇のために亡くなった戦没者を顕彰する施設」で、全戦争犠牲者を追悼する施設でないことは明らか。明治以降の歴史認識を明確にしないまま、拙速の“代替案”で片付くはずがなく、じっくり論議する必要がある。東条英機内閣の外相、東郷茂徳氏を祖父に持つ東郷和彦・元外務省欧亜局長が、最近発行の雑誌や新聞に「靖国参拝モラトリアム(一時停止)」を提言し、戦争責任についての踏み込んだ議論を呼びかけている。解決の糸口が見つからない現状打破のため、参考になると思われる「東郷提言」の主要個所を抽出、紹介しておきたい。

 「歴史問題に関する限り、中国と日本ではどちらかと言えば日本が加害者。日本が中国社会に深い傷を残したことは紛れもない事実だ。まず日本が謙虚になって、一歩引く姿勢を示さなければ事態は動かない。だから日本は『靖国参拝モラトリアムを宣言せよ』と提言したい。未来のリーダーはモラトリアムを解除できると判断する時期が来るまで、この宣言を継続し、その間に国家として成すべきことをすることだ。

突き当たる天皇の責任

 第1に、靖国神杜を国のために命を捧げた人を純粋に慰霊する場にすること。戦前の歴史観に立脚した『遊就館』併設を止めたい。

 第2は、戦争責任問題を国民的に議論すること。政府は1995年の『村山談話』以来、アジア諸国などに与えた損害と苦痛に対し『痛切なる反省とお詫び』を表明してきたが、だれにその責任があるのかには踏み込んでいない。日本自身で改めて戦争責任を問い直すべきで、国民的議論の末、最終的には政府見解が必要だろう。それはA級戦犯合祀の適否の判断にも直結する。

 第3は、太平洋戦争の記憶を後世に伝えるため、国立の歴史博物館をつくること。中国などで実際に起きたことを客観的に示すほか、原爆投下などで日本民族が抹殺される危機に瀕したことを示すことも必要だ。戦争の記憶を総合的に示すことによって、日本自身、戦争の問題を乗り越える縁(よすが)になろう」。

 靖国間題を考察すればするほど、歴史認識についての真剣な検証・反省を怠ってきたツケが重くのしかかってくる。戦争責任をシビアに追究していくと、昭和天皇の戦争責任の壁に突き当たるのである。

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こんな活動しています

創意工夫された「三ヶ島九条の会」の宣伝

 9条の会三ヶ島の皆さんが8月15曰、駅頭宣伝行動を行うと聞いて出かけました。狭山ヶ丘駅東口には16時ちょっと前から、「憲法9条の会三ヶ島」と書かれたのぼりが2本たてられ、7〜8人の年配の方々が用意したチラシを配り始めました。

 雨の場合も考えてのビニールに包まれたピンク色のチラシには小さな折り鶴が貼り付けられています。一緒に配られたティッシュにはきれいな草花の絵に「憲法9条を守り平和な日本を」の文字が刷り込まれています。

 ハンドマイクによる宣伝が始まりました。「今日は第2次大戦の敗北を受け入れた曰です。たくさんの生命が失われました。この教訓から二度と戦争は引き起こさないと誓いました」。話す内容は用意されプリントされてます。9の曰宣伝も同じように準備するのだそうで、原稿の束は数センチになると話してくれました。

 電車から降りてくる人、乗る人に向かって、「9条を守る署名をお願いします」「今日は終戦記念曰です。ビラをどうぞ受け取ってください」と呼びかけています。中には顔見知りの人もいるのでしょう、「こんにちは、しばらくです」との挨拶。「人を殺していいはずありません。戦争をしていいはずありません。小泉首相は今日靖国に行きました。戦争をしないというのなら、神社に向かって言うのではなく、国民とアジアの人たちに向かって戦争はしないといってください。憲法改悪などしないとはっきり言ってください」マイクからは心込めたメッセージが道行く人に届けられていました。
(鴨川)

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九条と平和を未来にきちんと手渡したい

矢作いづみ (日本共産党所沢市議会議員)

 子どもの頃、戦争は遠い昔の出来事だと思っていました。娘が16歳となった今、「私が生まれるたった16年前に戦争が終わったのだ」と感じるようになってきました。

 まっすぐな軍国少女だった今は亡き母は、間違った教育により戦争へとつき進められたことに『だまされた』と強い衝撃を受けたといつも話してくれました。戦争は二度と起こしてはならないとの思いから、ベトナム戦争や戦争を題材にした児童文学を買ってくれたり、折に触れ戦争中のことを話してくれました。また、定年後は国家賠償を求めて国連本部に要請に行く、病をおしてベトナムに出かけるなど、行動派でもありました。「今行かなくちや。今見ておかなければ。今やらなくちゃ。」が口ぐせで、孫からは“スーパーおばあちやん”と言われていました。

 その母から引き継いだ平和への思いが、子どもたちを育てる仕事を通して社会を良くする事で実現したいと、保育の道を選ぶことにつながったように思います。共働きがめずらしかった時代から、子育て支援としての現在の保育まで、夜間保育の仕事も経験しましたが、保育もずい分変化してきました。

ポストの数ほど保育所を

 所沢に引越してきて、朝の7時から夜の7時までの充実した保育にびっくりしました。「ポストの数ほど保育所を」と運動されてきた先輩のおかげです。その後、パートの先生任せだった朝夕の時間も常勤の先生が保育する、一時保育や夜8時までの保育時間の延長と、公立保育園を中心にした保育の充実が進められました。安心して子育てできる所沢に、と討論を重ね充実してくださった先生方の決意に感動しました。さらに専門家として、家庭にいる子どもたち対象の「遊ぼう会」、今年からは「育児教室」の開催と、地域への子育て支援も広がっています。

 こうした中、安倍新総裁も「官から民へ」の小泉構造改革路線を受け継ぎ、自治体でも様々な民間委託が進められ、JR西日本の脱線事故・耐震偽装事件・ふじみ野市のプール事故など、民間委託による問題点が浮き彫りになってきています。所沢市でも保育園の民間委託が計画されています。しかし、横浜や大阪で民間委託された保育園の保護者が起こした裁判で、民間委託は違法ではないとしながらも、「早急な民営化を正当化する根拠は不十分」と、違法判決が示されました。9月議会では、保育園・図書館の民営化推進の質問もされています。財政がきびしいからといって、経費節減を理由に住民の安全や生命、サービスを犠牲にするのでは、本末転倒です。所沢市の充実した保育を、民間株式会杜に売り渡すわけにはいきません。

未来に手渡す「九条」

 私は、戦争体験はありませんが、体験された方、被爆された方と知り合い、お話を伺いました。その方々を平和を語り継ぐ会や学校の先生などに紹介して、体験された方のお話を伝えていくこと、それが今の私に出来ることだと思っています。憲法九条を守り、平和だけは、未来にきちんと手渡していきたいと思っています。

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編集後記

○紙面体裁、印刷をリニューアルしました。読みやすく、内容豊富な会報目ざして努力を重ねていますが、この歳で、新しいソフトを覚えるのは少々しんどかった。会員・読者の皆さん、会報やホームページに原稿をどしどし送って下さい。歌人の岩田正さんは「九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか」と詠みました。不戦平和の誓いをへらへらと笑いながら、もてあそぶ二世、三世議員に負けられない。この喧嘩、最後までつきあいましょう。

○藤原絢子原作「平和の絵はがき」が好評です。集会などで「飛ぶように」とはいきませんが、予想を越える販売です。「こんな活動を私のところでも」との声も寄せられています。藤原さんには、多謝あるのみです。

○「バンクーバーに行ったら九条の会があった」と、外国での運動を紹介する原稿が、中新井在住の中原道夫さんから頂きました。次号に掲載します。「九条を守る運動」の国内外に広がっている証左です。市内に星の数ほど「会」を作りたいものです。

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