機関紙2号(2005年5月21日発行)


もくじ
真の「護憲」運動の視点(桂 敬一)
「憲法記念日」メディアはどう伝えたか
各地で多様な護憲運動
マスコミは真実を伝えているのか
憲法とわたし 2
一冊の本

「5.28集会」の講師、桂教授が本誌に寄稿

真の「護憲」運動の視点

桂 敬一(立正大学教授)

 5月9日、モスクワで開かれた対独戦勝60周年記念式典に小泉首相も出かけた。式典には旧連合国首脳に交じり、厳しい歴史認識のもと、謝罪と和解への道を歩みつづけてきた敗戦国、ドイツの首脳も参加した。旧敵国同士が戦争という愚行を顧み、戦争を廃絶させるための将来の方策について、ともに語り合える場がそこには成立していた。

日本はどうか。村山内閣は第二次世界大戦の日本の戦争責任、とくにアジアに対する責任を認め、謝罪の言葉を述べた。小渕内閣は、国立戦没者祈念施設の建設計画構想を明らかにした。日本政府もようやく謝罪と和解に向かう道を歩きだすのかと思われた。だが、靖国参拝にこだわる小泉首相はその道を逆転させ、中国、韓国の「反日」気運をいたずらに強めるばかりだ。いったい小泉首相はどの面下げてモスクワにいけたものなのだろうか。中国はじめ、アジア各国首脳と式典で出会って、恥ずかしくないのだろうか。

 ところで、5月9日の読売新聞・社説「参列する小泉首相の微妙な立場」は、首相のモスクワ行きを批判した。だが、驚いたことにその視点は、”旧ソ連に対する日本とドイツの立場はまるで違う。ドイツはソ連に侵攻したが、日本は、不可侵条約を一方的に破ったソ連の侵攻を満州で受けた側だ。さらにソ連は、日本兵士多数を捉え、シベリアに抑留、強制労働に使役した。だから講和条約もまだ締結できない。そんなところに日本の首相がなぜいく必要があるのか”とする体のものなのだ。しかし、満州は日本が中国東北地方に侵略し、植民地にしたところではないか。このように、第二次世界大戦に関わった日本の責任全体について考察を加える視点が、完全に欠落している。

歴史の反動を渇望する 改憲派メディアの言動

「護憲」とはなんだろうか。「九条」の視点に立てば、戦争につながる改憲を目指しながら、同時に平気でモスクワの式典にもいける小泉首相の支離滅裂が、はっきりする。また、これを諫める改憲派メディアの言説が、歴史認識についてはさらに輪をかけた無責任なものであり、いかに歴史の反動を渇望するものであるかも、歴然とする。

 私たちの新憲法=現行憲法は、いまようやくモスクワで実ろうとしている反戦平和を目指す国際的合意の内容を、いち早く60年前に先取りし、明確な指針とするものである。この指針を護る「護憲」とは、憲法を丸ごと静かに抱きかかえ、じっと動かず、声も立てずにいるようなことではない。指針に従って積極的に行動し、小泉首相の支離滅裂を止めさせ、読売新聞の無責任な政治宣伝をはね返していくことこそ、真の「護憲」なのだ。

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「憲法記念日」メディアはどう伝えたか

新聞は…在京各紙の社説を読む

島田三喜雄 (元東京新聞社会部次長)

 戦後60年、今年の憲法記念日の各紙社説を読むと、「改憲派」に引きずられた形の「護憲派」の論調の衰弱が表面化した。「朝日」は〈「改憲」イコール「改革」という図式の中では「護憲」は「守旧」となりやすく、どうも分が悪い〉〈憲法改正の賛否を問えば「賛成」が過半数を超える。焦点が絞られないまま、漠とした世直し気分が改憲論を押し上げている〉という。こうした前提の上に、〈憲法を改めることで暮らしよい世の中になり、日本が国際的にも尊敬されるなら拒む理由はない〉という改憲容認にたどりつく。

 「毎日」は、戦後60年の間にたまった矛盾や不都合の整理、現憲法と現実の大きな乖離、不整合は放置できない問題だ、として、〈憲法改正を考えるにあたり、最低限踏まえておくべき考え方3点を確認しておきたい〉という。改憲を前提としての提案だ。

      

 改憲の旗を振り続けてきた「読売」は、〈読売新聞の世論調査では、憲法改正に賛成の国民が6割を超えている〉〈94年試案以降、読売新聞が、時代の変化を見据えて、憲法問題を提起してきたことは正しかった、と自負している〉〈もはや、新憲法への、歴史の流れを逆流させることは出来ない〉と大見得を切る。しかし、昨年のような大型社説ではなく、通常の2本立て社説で、論点もこれまでの繰り返しばかり。これは不安感の告白ではないか。

 「産経」主張は大型で〈「不磨の大典」に風穴を まず9条と改正条件の緩和〉と、勇ましい。しかし内容は、自民、民主両党の国家観、憲法観の隔たりに苛立ちを隠せない。そこで、〈国民の平和と安全を守るための九条などの見直しと憲法改正条件の緩和という緊急かつ必要なものに絞って、段階的な改憲を視野に入れるときではないか〉とする。憲法の全面的な見直しが当然だが、「3分の2」勢力がまとまれるかどうかが心配。改正条件を緩和してしまえば、いくらでも変えられるというのがホンネだ。

 「日経」は、〈憲法改正をめぐる政治プロセスが着実に前進している〉〈衆院憲法調査会の多数意見はわたしたちの提案と方向性は大筋一致する〉というから、その内容は明らかだ。

 在京6紙の中では「東京」だけが、健在。1、2、3日の連続社説で、〈憲法を定着させること、活かすことです。「憲法の理念に現実を一歩ずつでも近づけるのが政治だ」と作家の小田実さんが言っていますが、全く同感です〉(2日)と、論旨明快だ。

放送は…テレビは継続して報道しているか

河野慎二 (元日本テレビ社会部長)

 58回目の憲法記念日。日本を再び戦争する国にしてはならないとする市民の行動が全国で繰り広げられた。メディア、特にテレビはこうした市民の熱い願いや行動をどう伝えたのか。国民の公共財である電波をあずかるテレビ局の報道は、市民の願いに答えるものであったか。

  5月3日の日比谷公会堂。5000人を超える市民が憲法九条を守ろうと、公会堂につめかけ、会場に入りきれなかった2000人が場外のモニターを通じて集会に参加した。集会後の大手町までのデモを含めて、各地の「九条の会」の盛り上がりを裏付けていた。

 しかし、当日のテレビ報道はこうした盛り上がりに、完全に背を向けていた。NHK午後7時の「ニュース7」は日比谷の集会を30秒程、改憲派の集会を30秒程、申し訳程度に伝えた。ニュース価値は低いとの評価を示す事実上のメその他ニュースモ扱いだった。民放ニュースも五十歩百歩。中には全く報道しない局もあった。
こうしたテレビメディアの姿勢は、市民の期待を完全に裏切るものだ。憲法記念日の報道については、「放送の公共性」は弊履のごとく棄て去られたのである。

 もちろん、憲法改正問題の報道に努力を見せた局もゼロではない。TBSの「筑紫哲也NEWS23」は、4月末から5月上旬にかけて、3回の特集を組んだ。4月26日には憲法9条を、27日には憲法24条を特集した。憲法9条については、「(再び戦場に送って)若い人に無謀なことをさせるな」と訴える三木睦子さん(9条の会)を紹介。男女同権を定めた24条の特集では、筑紫キャスターが同条生みの親であるベアテ・シロタ・ゴードンさんにインタビューした。ベアテさんは、24条が当時の日本政府から天皇制と並んで最も激しい反対に遭った「秘話」を明らかにし、憲法の今日的な意義を強調した。紙面の都合でこれ以上紹介が出来ないが、NHKや日本テレビ、フジテレビでも単発番組では憲法を特集していた。

 今後のポイントは、メディアが憲法問題を継続して報道することである。わたしたち市民一人ひとりもテレビ報道をよく視聴し、必要に応じテレビ局に抗議や注文をつけて行くことが重要である。

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各地で多様な護憲運動

所沢で二つの「九条の会」が運動強化目指して話し合い

  5月12日、所沢地区労会館で「九条の会ところざわ」と「マスコミ文化 九条の会 所沢」のメンバーが、九条を守る運動の発展と相互協力を願って話し合いを行いました。

 「九条の会・ところざわ」が取り組んでいる6月25日の学習会と9の日宣伝、「マスコミ文化 九条の会 所沢」の5月28日の講演会「改憲勢力の現状とメデイアの責任」を成功させることや所沢や埼玉における九条の会発展めざすネットワークの構築や運動を広げるために情報の交流など引き続き話し合いを進めて行くことを決めました。

所沢駅西口で革新懇恒例のリレートーク

 「所沢革新懇」は結成以来恒例となっている「リレートーク」を憲法記念日の5月3日、所沢駅西口で今年も行いました。憲法九条の改悪を推し進める「改憲勢力」に対抗して「九条改悪反対」「憲法を守ろう」の国民的な声を反映して、今年の参加者は36人と過去最高の人数でした。また、憲法改悪反対の署名も若い人たち、それも中学生・高校生が連れ立って署名に応じている姿が印象的でした。寄せられたカンパは10,829円で、憲法署名は140筆でした。また、手渡した「九条の会ところざわ」の機関紙は、500部。

県内の「九条の会」が初の交流会

 憲法記念日の5月3日、「九条の会・さいたま」の主催で、「ここまできた改憲の動き?九条の会を広げる埼玉の集い」が、大宮で開催されました。県内各地で次々に誕生している九条の会。この日は150人が集まり、立ち見も出るほど関心の高さを示しました。各会の活動報告や埼玉大の三輪隆教授と日弁連憲法問題委員会委員の大久保賢一弁護士が講演、三輪教授は自民党、民主党の改憲の基本構想について「自民党は増大する民衆の社会不安に対応、民主党は構造改革の勝ち組にアピールしている」と述べ、「冷めた見方もあり、民主党は積極性を欠いているが、07年までに改憲の大連合ができるかがカギだ。大久保弁護士は、「国民投票法等に関する与党協議会実務者会議報告」について解説し、報告書にある「新聞紙又は雑誌の虚偽報道等の禁止」など報道規制の項目を挙げて、「国民に知らせず、議論させずに憲法を変えてしまおうという姿勢の表れ」と批判しました。

 県内各地からの報告では、所沢、越谷、秩父、久喜市などの九条の会や個人15人が発言。「署名や講演会など従来の活動パターンを乗り越える方策はないのか」、「職場では立派な意見を言っても、地域に戻ると旗幟鮮明にしない。世間体は気になっても、今住んでいる地域で運動を進めていこう」との率直な意見も多く出され、たいへん貴重な交流集会でした。

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マスコミは真実を伝えているのか

札幌でマスコミ問題学習会

噴き出したメディアヘの注文

栃久保程二 (日本ジャーナリスト会議・北海道支部)

 いったい、あの話しはどうなったのだろう。NHKが放映した従軍慰安婦問題の特集番組で、事前に自民党の二人の実力代議士が政治介入していたという問題だ。いざこざが続いていた最中に、NHKの最高幹部が総入れ替えになったものの、別にこの問題での責任をとったわけではなく、問題の決着がついたとの話も聞いていない。

 この問題、朝日新聞のスクープがきっかけだったが、このところ国民の間にマスコミヘの不信感が溜まっていたから、「マスコミは本当に真実を報道しているのか」との思いが一気に噴き出してきたといえる。道民の間にあまり知られていないはずの日本ジャーナリスト会議(JCJ)北海道支部にも、「いまのマスコミ状況について解説を」「真実の報道のために努力していることは?」といった注文や問い合わせが相次ぐことになった。

 そこで、道革新懇とJCJ道支部との共催で立正大学教授の桂敬一さんに札幌まで足を運んでもらい、一般市民を対象にした「マスコミ問題学習会」を開いた。タイトルはずぱり「マスコミは真実を伝えているか」。

 桂さんは最初に「いまメディアはどのように引き裂かれているか」と分析、いま問題となっている”NHK番組改変問題”で「NHKvs朝日」という捉え方ではなく「対立は日米同盟・改憲問題をめぐる対立までつながる」と指摘した。

 話が盛り上がったところで、次は憲法問題。「強まる改憲派の声、揺らぐ護憲派の足元」として、改憲を主張する読売新聞が勢いを増し、明文改憲反対を打ち出していた朝日新聞の姿勢が怪しくなってきている、と危機にあるマスコミ状況を説明した。持ち時間をはるかに越える桂さんの熱弁に、集まった約百人の市民からは「いまのマスコミ状況がよく分かった。メディアのプロパガンダに惑わされず護憲を強く訴えていきたい」との感想。JCJ北海道も、改憲反対の活動をさらに強める決意でいる。

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憲法とわたし 2

憲法九条という「お守り」   

中原道夫 (詩人・上新井在住)

 最近、中国や韓国での反日運動が活発化している。アメリカ一辺倒、右傾化への道を歩く日本への懸念だろうが、ついこの間の中国の反日デモは凄まじいものだった。個人的なことを言わせてもらえば、歴史認識においても、靖国問題についても、一部の為政者と同じように見られるのが、同じ日本人として悲しくてならない。

 「馬鹿総理とは一緒にしないでくれ」違った意味で、こっちがデモをしたい気持ちだ。だから『憲法九条』が大切なのだ。

 「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」「武力の行使は、永久に放棄する」「国の交戦権は、これを認めない」

 これは、かつての侵略国日本の平和を誠実に希求するための『お守り』であり、『宝物』ではないか。日本はこの『お守り』を、もっともっと世界に振り翳さなければいけない。振り翳し方が足りないから、ブッシュ君に賞められ、アジア諸国から敬遠される。

 詩人のアーサー・ビナードは、日本に来て驚いたのは、『憲法九条』によって平和が守られていることだと言い、羨ましいとも言った。いま、この『憲法九条』をないがしろにしようとする動きがある。もう殺戮は嫌だ。エゴイストのぼくは死にたくない。だから人も殺したくない。簡単明瞭の理念。それが憲法九条という『お守り』なのではないか。

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一冊の本

吉田敏浩『ルポ 戦争協力拒否』

(岩波新書・定価740円+税)

 大宅賞受賞ジャーナリストが、有事法制の制定から海外派兵に至る日本社会の変容を追ったルポです。重武装した自衛隊のイラク派遣は事実上の海外派兵でした。日本の政・官・財界には、米国の「力の論理」による世界戦略に追従し、派兵を突破口として軍事大国化を目指す動きが強まっています。改憲して集団的自衛権の行使を可能にし、海外で日米共同軍事作戦ができることを狙っているのが、有事法制と九条の改正です。そして、いま日本では何が起きているのか。筆者が取材を通して捉えたものは「着々と進行する『派兵』と『動員』のシステムづくり、『銃後の社会』づくり、すなわち『戦争協力』に向けての圧力」と指摘し、日本が再び加害者にならないためには「戦争協力拒否」しかないという結論を明快に述べています。各地で頻繁に起きているビラ配布不当逮捕事件も、戦前の戦争を遂行するための言論弾圧と同根のものといえます。歴史は繰り返します。いま必要なのは、筆者が言うように、マスコミがふらつくなか、一人ひとりが自分なりの考えを確立することが求められています。そのためにも必読の一冊です。

(K)

   
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