機関紙20号 (2007年1月10日発行)



もくじ
教育法改悪案を自・公が強行採決
「九条を守る」不退転の決意新たに
自由のもたらす恵沢確保のため、改憲は許さない
小森事務局長の講演要旨
新春に思うこと
  2007年老生の願い
  迎春--墓穴
  悲しき抵抗
  悪法の仇は選挙で
「核持ち込み」の恐れ…非核三原則堅持の再確認を 2


新年に希ゆ

中田千郷(日本美術家連盟会員・女流画家協会会員・東所沢在住)

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教育法改悪案を自・公が強行採決

やらせ、いじめ自殺、未履修、積み残したまま

不祥事相次ぐ自・公政権

 安倍首相は07年の年頭の挨拶で、昨年の教育基本法の成立を受けて「07年を美しい国元年」としたいと発言しました。教育現場での具体的実践を急ぐ一方、支持率急落と閣僚辞任など、相次ぐ不祥事で、大きなダメージを受けて、年を越しました。

 「教育基本法」は、11月15日の衆院教育基本法特別委員会で、自公が強行採決し、参院では12月15日、両党の賛成多数で可決されました。教育基本法は安倍内閣が最重要課題と位置づけて国会に提出されましたが、改定することには多くの問題が指摘されてきました。

 国民の多くは慎重審議を望み、教育に携わる多くの人が改定の誤りを指摘するものでした。いじめ、自殺にみられる教育のあり方を問う深い解明が求められていたし、君が代・日の丸の強制の通達は、司法が違憲と認め、都側が敗訴となる東京地裁の歴史的判決にも耳を貸さず、強行採決を重ねてきた蛮行は許されません。

 また、教育基本法にかんする国民の意見を聞くとして開かれたタウンミーティングでは安倍首相も絡んでのやらせが発覚し、国会で首相が謝罪しましたが、多くの問題点を置き去りにし、乱暴きわまりないものと指摘せざるを得ません。

最終目標は「改憲」に

 評論家の立花隆氏は、昨年末の東京新聞特報面で、「憲法改定に必要な三分の二の議席を衆参両院で得るには、憲法を正しいとする教育基本法を変えなくてはならない。『将を射んと欲すれば、まず馬から』の発想であり、憲法改正の地ならしだ。教育基本法の改正もまた、自民党の悲願だった」と、明快に語っています。教育基本法の改悪は自・公内閣の最終目標とする憲法を抜本的に改正する地ならしです。

 さらに、教育基本法を可決したその国会で、防衛庁を防衛省に昇格させました。これは米軍への海外支援をするという戦争をする国への危険な一歩を踏み出すものでした。07年になって明らかになってきたことは日米政府間では朝鮮半島有事と日本への影響を想定し港湾・空域の使用や後方支援活動などの詳細部分を詰めた「共同作戦計画」づくりが昨年12月から始められていたことです。また、防衛省には在日米軍再編やミサイル防衛の日米協力を加速するため「日米防衛協力課」の新設等矢継ぎ早の事態が進行しています。

 こうして見ると、着実に「戦争をする国」に邁進しているかのようですが、教育基本法を守ろうという運動は、大きな盛り上がりを見せました。これからは、教育現場に改正教育基本法を「持ち込むな」、「持ち込ませない」闘いが始まるでしょう。「九条の会」も、全国で六千を超しました。運動の柱はだんだん太くなってきました。いつの世も、為政者の願望通りにならないのは、歴史が教えてくれます。真価が問われるのは、これからです。

鴨川(世話人)

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「九条を守る」不退転の決意新たに

勝木英夫(「マスコミ・文化九条の会所沢」会長 )

 明けまして、おめでとうございます。一昨年は多忙な一年でした。12月十15日には改悪教育基本法と、防衛庁を「省」に昇格させる法律が成立しました。その審議の非民主性と改変の欺瞞性は、ともに類をみないものでした。

 今年はさらに煩多な年になりそうです。安倍首相は憲法について、任期中の改憲を明言する一方、閣僚や自民党幹部の核武装発言を平然と黙認しています。また民主党の有力議員枝野幸男氏は、憲法の改悪を容易にするための第九六条の「改正」を、今年の憲法記念日までに行いたいと公言しています。

 あらためて言うまでもなく、憲法第九条は戦争に明け暮れた明治期以来の歴史を振り返り、その反省の上に立って、われわれが世界のとりわけアジアの人びとに対して宣言した、誓いの言葉であったはずです。

 私はこの15年間、海外で教師をやってきました。欧米の同僚に九条の話しをすると、彼らはたいてい二度びっくりします。まず、外に例のない内容について。ついで、日本政府がそれを削除しようとしていることについてです。「おれたちの国は海外派兵ていつも深刻な選択に悩まされている。それなのに、なぜ削ってしまうのか」というわけです。第九条は「世界遺産」という形容が、まさにぴったりです。私たちの会は、間もなく三年目を迎えます。

 この間、講演会、映画会、学習会など開き、月一回機関紙を発行、毎月9日には新所沢駅頭でビラ配布、署名集めの統一行動に取り組んできました。これらの活動を通じ、会員数を260人以上に増やすことができました。昨年12月5日には、市内の他の六つの「九条の会」とともに、大きな集会「平和のねがいin所沢」をミューズで成功させました。

 この運動は日本全国でも着実に前進し、各地域・分野別の「九条の会」の総数は六千に迫っています。
 しかし、有権者の過半数の支持を獲得するという目標に比べれば、成果はまだ初歩的なレベルにとどまっています。運動のさらに大きな前進のためには、より多くの働き手(とくに女性・若い人の)がまず必要です。私たちも会員数を早急に千人のレベルに到達させるために、皆さんのさらなるご尽力を、こころからお願いする次第です。

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鈴木彰の「阿倍流の『見ザル聞かザル盗み去ル』」

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自由のもたらす恵沢確保のため、改憲は許さない

小森陽一事務局長が所沢で初の講演

「平和のねがい in 所沢」に540人

 平和のねがい in 所沢実行委員会主催の「憲法九条を守る手作り市民集会」が、先月5日、ミューズ大ホールで開かれました。平日の昼過ぎにもかかわらず、市内を中心に参加した540人が、「九条の会」事務局長の小森陽一さんの講演を聴き入り、民族衣装を着てバンドゥーラを奏でながら歌うナターシャ・グジーさんの会場に澄み渡るソプラノに魅了されました。

 主催者を代表して、実行委員会代表委員の一人である浜林正夫・一橋大学名誉教授は、「市内に八つある九条の会が、これまでも情報交換を行ってきたが、九条の枠を超えて、大きな市民集会を行おうと、9月から準備してきました。呼びかけ人108人、賛同者170人を超え、所沢では初めての試みです。安倍内閣が憲法改正を5年以内で行うと公約しました。安倍さんは『てがら』にしたいと考えているのでしよう。自民党案には、沢山の問題があります。焦点はあくまで『九条』です。九条を変えるのが、自民党案の目的です。私たちは九条を変えさせないことで、自民党案を葬りたい。なんとしても九条の改悪を止めたい。そのために所沢市内での運動の一層の広がりを進めていきたい」とあいさっをしました。

 教育基本法、憲法九条を中心に講演した小森氏は、「教育基本法は憲法と同じ前文を持つ大事な法律であり、条文の解釈は憲法や教育基本法の前文に示された法律全体の基本的考え方に基づいて解釈されなくてはならない。『この理想』とは、憲法のことを指している。だから、自民党は、憲法改正の道筋をつけるために、先に教育基本法を改正するのだ。私たち国民一人ひとりが主権者であることを自覚し、自由のもたらす恵沢を確保するために、改憲を許さない大きな運動をつくっていこう」と呼びかけました。

 チェルノブイリの原発事故で被曝し、チェルノブイリの子どもたちの支援を続ける、ナターシャ・グジーさんが、ウクライナ民謡や日本の曲「コスモス」、「見上げてごらん夜の星を」など歌う合間に、事故で再び帰ることはない、消えてしまった故郷のことを語ったとき、会場に静かな衝撃が走りました。ナターシャさんと一緒に歌おうと、この日のために練習を重ねてきた80人が舞台にあがり、広島の中学生が作詞した曲「ねがい」の合唱にも拍手が鳴りやまず、会場との一体感あふれる集会となりました。実行委員会では、4月14日(土)の午後に同じ会場で、「九条を守る市民集会」を開く予定です。

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小森事務局長の講演要旨

 働いている人は来られない時間帯ですね。すこしもったいない(会場が)感じがします。国会で教育基本法が審議されているが、与党は首相の外遊前に挙げてしまいたい意向のようだ。しかし、国民の圧倒的多数の世論は、教育基本法は通すべきではないという意見に傾いてる。この教育基本法の改悪は明らかに憲法の改正と結び付いている。何がどう変わるのか、教育の現場は変わるのか、所沢市民にそのことを伝えていくことが、国会を追いつめていく大きな原動力になる。

前文を持つ法律の重要性

 教育基本法は1947年3月31日に制定された法律だ。前年に日本国憲法が公布され、新しく主権者になった国民が半年間議論をして、憲法の成形過程の中で制定され、憲法26条で保障された、個人の権利としての教育が始まった憲法に準ずる大事な法律である。それには二つの理由がある。一つは前文を持った法律であること。条文の解釈は前文に示された法律全体の基本釣考え方に基づいて解釈されなければならない。第二の理由は、前文に書いてある「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と述べていること。「この理想」とは、憲法のことを指している。大日本帝国憲法では、主権はただ一人天皇しか持ってなかった。「愛国心」と「命は天皇に捧げなさい」というの二本柱で、侵略戦争を繰り返し、竹槍でB29が落とせるわけないのに、国民は自分の意志で何も考えない社会にされてしまったのが教育勅語。新しい憲法ができたときには、理想にすぎないが、教育の力を通して、理想を現実とさせる。そのための法律が教育基本法である。

 では、どこが変えられようとしているのか。教育基本法前文に「我らは先に日本国憲法を確定し」とあるが、そこがバツサリ削られ、「決意を示した」も「願うものである」と弱々しいものになっている。「憲法を確定する」「決意を示す」という言葉は、憲法前文にも出てくる大事な言葉であり、これを切ることは、憲法との関係を断ち切ることになる。それが第一番目の狙いだ。そのあとも全て削除されている。基本法には、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」とあるが、「まつ」には、あえて漢字を使わなかった「まつ」には、国家の押しつけ教育ではなく、一人ひとりの新たな主権者となった個人の自発的な意思に基づく教え育てる活動なんだとの意味が含まれている。これを削るということは、明らかに国家の上からの押しつけ教育にするということだ。「平和を希求する」という言葉は憲法9条にも現れている。自民党はこの「平和」という言葉を「正義」と変えている。目的ははっきりしている。どんなときでも「この戦争は正義の戦争だ」と始めるものだ。太平洋戦争も欧米の列強から、アジアの民族を解放し、大東亜共栄圏を作る「正義の戦争」だと、侵略をした。イラクでも米英は「正義の戦争」だと戦争を始めた。あきらかに米国の無謀な戦争に日本が協力・荷担させられ、あわよければ肩代わりをさせられる。そういう憲法改悪と連動した、日本を戦争する国にしていきたい、若者たちをその戦争の担い手にしていく、そういう道具に教育を使う、とはっきりとしている。

主権者は天皇一人だった

 なぜ、教育に攻撃がかけられているか。60年、国家のための人殺しは許されないと考えてきた、多くの人に「人殺しは正しい」、「命を投げ出せ」と教え込まなければならない。いまの憲法では、米国と一緒に軍事行動はできないので、9条を変えて米軍と一緒に戦う自衛隊を目的にしている。憲法を読んで下さい。前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書かれている。確定という言葉は現在の憲法の証しである。それまでは、主権者は天皇一人だった。かつて天皇が持っていた絶対的権限を国民一人ひとりが持つようになった。さらに、本当の意味で個人が主権者であるためには、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」とある。

非戦闘員の犠牲が近代戦争

 これは、憲法9条を前文の中で言い換えた内容で、9条で言っている国権の発動たる戦争の放棄は、これがあって初めて一人ひとりの個人が主権者になるということだ。逆に言えば政府が戦争できる国においては、一人ひとりの国民が主権者だとは言えないという考え方が人類普遍の原理だと言っている。ここに日本国憲法が9条を持つ大事な思想がはっきりと現れている。

 世界唯一の被爆国であるということが戦争を総括して言える言葉だ。日本が重慶を無差別空爆をしてから、第二次世界大戦の全ての基本戦略は、大都市に対する空爆になった。その下に暮らす個人に、どんな選択肢があるというのか。逃げ切るか、殺されるか、二つに一つだ。カブール、バクダッドでも人は逃げることも出来ない。戦闘員でない人が最も犠牲になる、それがいま起きている戦争だ。逃げ切るか、殺されるかしかない選択肢を与えられた人間が、国に対する統治権を持っているとは言えないでしょうと言うのが、唯一の被爆国のこれから起きる戦争に対する問題提起なのだ。だから、この決意を自民党は嫌って削除をした。いつの時代も国内外に敵を作り、政府が国民をごまかして矛盾を解決しようとする。国民はそれを許してはならない。戦争をさせない条件はなにかと言うと、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保する。一人ひとりが、憲法に保障された自由と権利を確かに保つ。しかし、使い続けなければ保てない。これが日本国憲法に貫かれている思想だが、自民党案はこれとは反している。作ってはいけない憲法を作っている。それは彼らが一番知っていることだ。その真実を周りの人に語って下さい。

一人ひとりが主権者

 大事なことは、私たち一人ひとりが、自由のもたらす恵沢を確保しなくてはならないということ。一人ひとりが主権者であることを自覚して、所沢での九条を守る運動を進めていただきたい。

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新春に思うこと

2007年老生の願い

藤巻忠雄(中新井在住)

 教育基本法の改悪をはじめ、最近、政治家、言論巧みな人達のなかに第二次世界大戦の悲劇を忘れたかのような国家主義的な言動、行動が目立ち、真に憂慮すべき情勢です。教育行政への圧力、放送・新聞への干渉、やらせ公聴会など、国民を愚弄することばかりです。それでも、この国の人々は怒るのを止めてしまったかのようです!

 小泉前首相の靖国神社公式参拝によって、とくに中国、韓国などとの関係が悪化し、首相自ら国益を大きく損じているのに、被害を受けた国の人には到底解せない理屈を振りまいていたのです。この社には、国民をけしかけ戦争を始めた者まで入っているのです。これでは彼らのために無念の死を遂げた将兵も決して安らかにはなれないでしょう。

 先の世界大戦による内・外国における夥しい犠牲の上に制定された日本国憲法をなし崩しにし、戦争放棄の第九条を無くそうとする極めて危険な自民党案が明らかにされております。戦争の悲惨さを知る世代の老生にとっては心配でなりません。若い人達の生きるこれからの日本、そして世界が、私の青少年時代のような貧しい、絶望的な世に逆戻りすることがないよう、ただ願っております。権力の犠牲になるのは、いつの時代でも、どこの国でも弱い人びとなのです。

迎春--墓穴

塚崎公美(上山口在住)

 年末には、教育基本法改正案、防衛庁の省への格上げ法案等が、するすると通ってしまいました。多勢に無勢、如何ともし難い感じてした。

 ところで、安倍さんが最も重視しているのは教育改革だとのことですが、安倍さんの教育改革っていうのはどういうものでしょう?

 このことでは彼自身、例の「美しい国」の中の第7章「教育の再生」で書いています。「自虐的な偏向教育の是正」、「国定カリキュラムの策定」、「全国共通学力テスト」等々、20年前にサッチャーがイギリスで実施した、優勝劣敗の市場原理に基づく教育改革がその見本だというのです。

 優れた経験ならばそれを参考にするのは大切です。ところがこの英国モデル、テレビ、雑誌なども報道しているように、20年後の今日の英国では行き詰まり、修正の動きが広がっているのです。"競争教育"の他国の失敗の経験を何でまたこの日本で…ワカンナイ。

 イラクが仇でブッシュは死に体。お膝元の中南米では反米政権が続々出現。世界の気流はいまや迎春。庁の省への昇格は、流れに乗っているの?乗らないものは自ら墓穴を掘るぱかりです。

悲しき抵抗

岡部 昭(山口在住)

 17歳で敗戦を迎えた私の戦後は美術家になりたいという夢に向かって、戦争に脅えることもなくひたすら走り続けることができた幸せな時代であった。首相はそれを支えてくれた今の憲法を変えて「美しい日本」を作りたいというが、戦争一色の僕の少年時代の一体何処に「美しい日本」があったのだろうか。

 でも、私は過去の「美しい日本」に或る誇りと大きな尊敬を持っている。それは1500年も昔、法隆寺の内陣にある彫金鍛金作品で高さ5メートルを超える代表的な国宝である潅頂板を作った人達に対してであるし、その後、現在まで金工や漆器、陶器、染物、織物、七宝、木工等様々な分野でも優れた工藝美術作品を絶えることなく夫々の時代に答えるように作り続けた人達と、支えてくれた人達に対してもだ。

 これは異民族の支配を受けなかった日本に幸運があったのかもしれないが、世界に誇れるものだと思っている。私の気持ちは権力争いと、殺し合いを続けてきた支配者や侍達にはない。

 しかし現代の高能率と生産性が総ての産業、物つくりを支配して、まるで異民族のように、世界に誇れる伝統的な文化を危機に追い込んでいる。これに逆らう為に一人の彫金家として様々の技法の発見とともに、もっと美しいものを目指して、ひたすら創らねばならないと思う。

悪法の仇は選挙で

荻原光雄(荒幡在住)

 昨年は教育基本法の改悪、防衛省への昇格などが通り、ホワイトカラー・エグゼンプション(適用除外)が導入されようとするなど、私たちの生活はどうなるのでしょうか。

 日本の政治は、世界の情勢の流れに反することばかりやっているような気がしてなりません。国民の生活を大事にしていないと思います。生活保護も受けられず、死亡する国民もいます。

 こんな中で、安倍首相は5年以内に憲法を変えると言っています。憲法九条「日本国民は、正義と秩序を基調とすを国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は…国の交戦権は、これを認めない」こんなすばらしい世界に誇れる憲法を私たちは持っているのです。戦争に進む道を開いてはなりません。

 今年は選挙の年です。だれもに平等な権利、一票を生かす時です。民主主義は保障されているのです。私たちの力で、政治を変え、生活を変えることができるのです。真に革新の政党が大きくなることが大事だと思います。生活を少しでも良くするためにがんぱらなければと思うこのごろです。

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「核持ち込み」の恐れ…非核三原則堅持の再確認を 2

池田龍夫 (ジャーナリスト・元毎日新聞)

「核積載の米艦寄港」…ライシャワー証言の衝撃

 安倍晋三・福田康夫両氏の「核保有、ミサイル防衛」に関する4年前の発言を検証したが、その時の考えと現在の姿勢が大きく変化したとは思えず、首相になった安倍氏が「非核三原則変更は考えてない」といくら強調しても俄かに信じ難い。「非核三原則を堅持する」と言いながら、国是を踏みにじる"密約"が存在していたことが暴露されてきた歴史的経緯があるからだ。そこで、「非核三原則」をめぐる約40年の変遷をたどってみたい。

 「非核三原則」は、1967年12月11日の衆院予算委員会で核兵器の有無が問題化した際、佐藤栄作首相が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」と答弁したのが最初。沖縄の本土復帰を悲願とした佐藤政権にとって、「核抜き」を国民に約束せざるを得ない背景があったようだ。その後、1971年11月24日の衆院本会議(沖縄返還国会)で「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」が採択された。「一、政府は核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずの非核三原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切な手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませない措置をとるべきである。一、政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来に縮小整理の措置をとるべきである。右決議する」という画期的な国会決議だった。さらに1976年6月8日の「核不拡散条約(NPT)批准に合わせて衆参両院外務委員会が同年「非核三原則を国是として確立されていることに鑑み、いかなる場合も忠実に履行、遵守することに政府は努力すべき」と決議している。

 ところが、非核三原則の陰に密約があったことを裏付ける「ライシャワー発言」が1981年5月17日、明るみに出て大騒ぎになった。駐日米大使だったライシャワー氏が帰国後、毎目新聞のインタビューに応じたもので、「核積載の米艦船・航空機の日本領海・領空の通過・寄港は『核持ち込みに当たらない』との日米口頭了解が60年安保改定当時に存在、核積載米艦船は日本に寄港している」との爆弾証言だつた。

 これに対して日本政府は「米国からの事前協議要請がないから、『核持ち込み』はない」と強弁し続けていたが、1999年それを覆す米外交文書が見つかった。朝日新聞が同年5月15日夕刊に特報したもので、「事前協議」の虚構性が暴露されてしまった。この公文書は池田勇人内閣時代(1963年)のものであり、朝日の記事から主要点を引用し参考に供したい。

 「核兵器を積んだ米艦船などの日本への寄港・通過を、1963年4月に大平正芳外相(当時)が米側に認めていたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。核搭載の一時通過をめぐってはライシャワー元駐日大使が81年に『日米間に口頭了解があり、実際に核を積んだまま寄港している』などと発言して問題化したが、公文書で大平氏の『了解』が明らかになったのは初めて。文書は米国防長官が国務長官にあてた書簡で、大平氏の了解が、その後も米政府内の基本認識として生き続けてきたことをうかがわせる。日本政府は今も『核搭載船の寄港も事前協議の対象』と主張しているが、事前協議の虚構性が米政権幹部の最高レベルが交わした文書で裏付けられたことになる。

(「マスコミ九条の会」HPより転載)

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