機関紙22号 (2007年3月27日発行)



もくじ
「国民投票法案」とメディアの責任
憲法がカネで変えられる
安倍首相「従軍慰安婦」で火だるま
「平和のねがい in 所沢 2
『小さな人間』は潜在的に反体制』三冊の本を出して
いま、私は言いたい
 ロボットにならない
 地域・住民で教育格差の拡大阻止を
 平和憲法があったから基地反対闘争ができた
 戦争はいらない
舞い・語り・唄う 沖縄のこころ



「国民投票法案」とメディアの責任

桂 敬一 (ジャーナリズム論 前・立正大学教授)

 安倍首相は、5月3日の憲法記念日までにも改憲手続法を成立させると明言し、国会が緊迫した情勢になっています。「国民投票法案とメディアの責任」を桂敬一(ジャーナリズム論 前・立正大学教授)さんに執筆頂き、マスコミ九条の会・日本ジャーナリスト会議などが主催した「国民投票法案の『カラクリ』カネで変えられていいの?」の集会報告を掲載しました。


 「国民投票法案を今年の5月3日、憲法記念日前に国会であげてしまう。民主党が協力しないのなら、与党だけの単独採決でもやる」。自民党大物たちの臆面もないセリフだ。魂胆はみえみえだ。正統な「新憲法」の誕生を記念し、祝う日の到来のまえに、憲法「改正」手続法である同法制定をやっちまえというのは、実質的に憲法記念日に引導を渡し、もう「新憲法」はお終い--今後これは旧憲法、と烙印を押し、そのことを国民に強く印象づけるためのデモンストレーションを行う、というのが狙いだ。

 しかしこれは、現行憲法に違反するとんでもない暴挙だ。与党の国民投票法案なるものは、現行の国会法「改正」案をも一体のものとして伴うもので、こちらの部分は、本体の新法=国民投票法案が成立3年後に施行とされているのに対して、次期国会から即施行、これに基づく審議が開始できる、とされているもので、中身としては実質的に現行憲法九六条「憲法改正の手続」変更をもたらす審議・決定ができる、とするものだからだ。したがって、国会両院の総議員の3分の2に満たない与党体制のまま、単独採決で国民投票法案を成立させることは、即現行九六条の規定違反であり、九九条が国会議員に課している「憲法尊重の義務」にも違反する、といわなければならない。

改憲に熱心な読売の調査でもわずか6%強

 年頭に安倍首相が、参院選の争点は憲法改正だ、といった狙いの凶悪な意図が歴然とするではないか。しかし、追い詰められているのは私たちではなく、彼らのほうなのだということも、はっきりする。1月に実施した共同通信杜の内閣支持率調査は、あわせて国会審議の重要テーマの順位も調べたが、結果は「憲法改正」はわずか3%で最下位に近い。改憲に熱心な読売の調査結果(1月)でも6%強で、ビリから2番目(「その他・答えない」を除く。ビリは「靖国神社問題」)。国民の関心を大きく集めているのは、もっと生活に密着した、年金・医療・雇用対策などの問題なのだ。それにまともに応えられない政府が、目くらましのために故意で大騒ぎしているのが実情だ。

 新聞やテレビは、こういった状況を、本当に明らかにしているだろうか。国民投票法案の危険についても、十分な報道・論評を行っているだろうか。マスコミに携わる、「九条の会」は、こちらの問題との取り組みを強めることも、いま追られている。このように自分たちの固有の問題に引き付けてみると、私たちはいま、マスコミの未曾有の危機、自己崩壊しかねない危うさに、否応もなく気付かされる。

マスコミの自己崩壊しかねないメディアヘの不信

 関西テレビの「あるある大辞典2」事件が明らかになった段階では、他の大方のメディア企業は、まだ他人事として「酷い話だ」と思っていたはずだ。だが、TBSの「頭が良くなる音」が不確かな話であるとか、フジテレビ「トリビアの泉」の犬の飼い主が他人の身代わりであったとか、テレビ東京の情報番組でも他人の毛細血管を使った映像握造があったとか、いろいろな話が飛び出すと、メディア不信はテレビ全体に広がった。

 さらに新聞界にも飛び火する。産経大阪、千葉日報、河北新報、岩手日報、西日本新聞が、政府機関・最高裁などの公開フォーラムに共催者となり、広告欲しさとしか思えないことをしでかしたからだ。フォーラム参加者を増やすために、サクラをカネで雇ったのだ。これには電通も一役買っていた。さらに他社のデータベースからの記事盗用が、朝日の写真記者、山梨日日の論説委員長、新潟日報の論説委員によって行われていたことなども、発覚した。メデイア不信は一気にマスコミ界全体に広がった。

 また、これらの不祥事とは種類の異なる問題だが、NHKの従軍慰安婦を扱った番組改変事件では、東京高裁が原告勝訴の判決を出し、政治家の介入に屈したNHKに損害賠債の命令を下した。また、05年5月、読売の防衛記者が中国潜水艦の火災事故に関する記事を書いたのは、自衛隊一等空佐の情報漏洩によるものであり、それは自衛隊法違反だとして、当該空佐が防衛省警務隊の調査を受ける事件が起こった。メディアの独立と表現の自由に対する政治と国家権力の脅威も、見過ごせない問題となりつつある。

メディアと国民に迫る改憲の企み

 メディアは、読者・視聴者の信頼に応え、国民の知る権利にまっとうに奉仕することによってのみ、みずからの独立と表現の自由を守れる立場にある。両者の相互の信頼、お互いが相手を自分にとって必要とする関係の緊密化、その保障があれば、両者のあいだに、国家権力や政治の狡知に長けた操作の手が入り込んでくる隙も生じることはない。

 国民投票法案を突破口とする改憲の企みが、メディアと国民のうえに大きく覆い被さってくるとき、メディアと国民の信頼関係強化の重要性を、いっそう切実に感じざるを得ない。

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憲法がカネで変えられる

「改憲手続き法案」でメディア関係者が集会

 3月10日、「国民投票法案」のからくり〜カネで変えられていいの?と題して、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)、日本ジャーナリスト会議(JCJ)、マスコミ関連九条の会連絡会、自由法曹団の4団体共催の集会が都内の会場で開かれました。
 安倍内閣が今国会会期中の成立を狙う緊迫した情勢のもとで、200席足らずの会場に240人が駆けつけ、集会は冒頭から熱気に包まれました。

 最初に登壇した自由法曹団前団長の弁護士坂本修氏は、「改憲手続き法案」をめぐる緊迫した国会情勢や、この法案が不公正で、改憲を推進する側が「勝利」するための「カラクリ」立法であること、有料CM放送問題では「カネで世論が操作される」危険性を報告しました。

 パネラーの一人、渡辺治一橋大学教授は、自・公与党と民主党が衆議院で97%、参議院で96%の圧倒的多数を占めながら、国民投票で否決されるような事態を招くならば、議会での絶対多数と国民の意思の乖離を招くことになり失敗は絶対に許されない。従って、何が何でもこの法案を通すために市民運動の規制など、いくつもの工夫を凝らしていると指摘しました。

 桂敬一・前立正大学教授は、01年参院選時の調査で社民党を1とした場合の他党のCM量が、公明党21・6倍、自由党(当時)14・8倍、民主党12・8倍、自民党12・4倍、共産党3・9倍という数字を挙げ、国民投票には通常の選挙よりもっと厳しい公正さが求められる。広告料の大盤振る舞いを受けているメディアには公正な役割は期待できないと指摘しました。

 会場からも「財界の資金で、テレビが改憲派のCMで埋め尽くされる」と危惧する発言がありました。
 『放送レポート』の岩崎貞明編集長は、他のパネラーが一定の広告規制を求めたのに対し、単に「有料広告禁止」を求めることは、放送内容を法律で規制することになると問題提起。意見広告の明文化された自主ルールのない日本の放送界に、いまこそ公正な自主ルールを求める運動の必要性を訴えました。

 最後にパネラーを代表して渡辺治教授が、「問題山積の論点を放置したまま、与党と民主党は法案の成立を急いでいる」と批判し、この法案を廃案に追い込むことを提起しました。

 マスコミ九条の会の三枝和仁さんは「改憲派という巨大スポンサーの意向をそんたくし、報道内容の「自主規制」がおこらないといえる保証はありません。今国会で、こんな法案を通したらメディアもひどい目にあいます」と語っています。

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鈴木彰の「目的はみんな同じでみな悪い」

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安倍首相「従軍慰安婦」で火だるま

報道を放棄したNHKの異常1

河野慎二 (ジヤーナりスト 元日本テレビ)

 3月8日、NHK「二一ユースウオッチ9」が旧日本軍による従軍慰安婦問題をめぐる安倍首相の発言や関連する動きを報道した。

 「強制性を裏付ける証拠はなかった」とする安倍首相の発言が発端となって、日米間の想定外のホットイシューとなったこの問題は、5日の参議院予算委員会の首相答弁でさらに重大間題化していた。

 一連の安倍首相答弁の問題点やアメリカでの受け止め方、アジア諸国への影響、今後の解決の方向などについて、どう報道するのかと「ニュースウォッチ9」にチャンネルを合わせたが、期待は裏切られた。

 △米下院で日本政府に謝罪を求める対日決議採択をめぐる動き△加藤駐米大使が決議採択回避に動く△塩崎官房長官会見「NYタイムズなど、誤った解釈に基づく報道には反論掲載要求など適切に対応する」△自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が首相に提言、という内容でニュースは構成されていた。

 要するに、事実の羅列である。それも、米議会の動きや中国、韓国の反応、とりわけ「慰安婦」とされた犠牲者たちの声など、安倍首相に不都合な事実は報道しない。関係者のインタビューや記者リポートなどもない。なぜ、いま米議会で慰安婦間題が火を噴いているのか、ニュースの基本要件である背景説明がない。「ニュースウオッチ9」を見ているだけでは、この問題で日本がどういう状況に立たされているのか、解決の方向はどこにあるのかが全く見えてこない。

 このニュースは、テレビ朝日の「報道ステーション」やTBSの「筑紫哲也NEWS23』でも取り上げた。「報道ステーション」では、米下院での対日決議案審議をめぐる動きにスポットを当て、安倍首相の発言に抗議して元慰安婦たちがワシントンでデモ行進したり、「わたしたちも発言しないわけにいかない」などと議会で証言する姿を中心に報道した。加藤千洋コメンテーターは「この問題は中国、韓国にとどまらず、オーストラリアやオランダ、台湾、東南アジアに波及する」と指摘し、古舘キャスターも「外交問題であり、慎重な対応が必要だ」と、安倍首相に慎重な対応を求めた。

 「筑紫哲也NEWS23」は、安倍首相が慰安婦問題への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話を継承すると国会で表明しているが、海外からの反発は収まらないとして、韓国の反応やニューヨーク・タイムズ紙の報道などを紹介。かつて、安倍首相が中川昭一自民党政調会長らと「若手議員の会」を作って、河野談話の見直しに積極的に動いてきたことなどを伝えた。そして、衛星中継でワシントン支局とスタジオを結ぴ、米議会のホットな情報を茶の間に届けた。

 日野記者は「慰安婦問題をめぐる米メディアの動きは、安倍首相をタカ派政治家として取り上げる報道が目立っている。安倍首相の姿勢について、日本はホンネとタテマエを使い分けているという批判が強まっている」「去年11月の米中間選挙で民主党が議会の多数を握った。決議案が通る可能性がある」などとリポート。筑紫キャスターは「米下院外交委員長は、ホロコーストを体験した唯一の人物である。軽く見てはいけない。日本政府は誤解されることのないよう、メッセージを発信する必要がある」とコメントした。

異様な構成のNHKニュース

 NHKと民放2局の報道を見ると、違いがよく分かる。「報道ステーション」も「NEWS23」も完壁な報道とは言えないが、この問題を多角的に見ようとしている努力がうかがえる。慰安婦問題の本質や解決の方向などについて、視聴者が判断できる材料をそれなりに提供している。

 それに比べると、NHK「ニユースウオッチ9」の扱いには驚かされた。事実の羅列だが、政府サイドに都合のよい事実を並ぺただけだ。報道責任を放棄したとしか言いようがない、異様なニュースの構成だった。
(『マスコミ九条の会」HPより転載)

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「平和のねがい in 所沢 2」

作家・九条の会呼びかけ人・小田実さんが所沢で初の講演


「現在の九条の問題」 「『小さな人間』の位置から」

日 時 4月14日(土曜日)
     開場 12時30分 開演 13時
場 所 ミューズ大ホール(西武池袋線 航空公園駅下車10分)
入場料 無料
主 催 平和のねがい in 所沢実行委員会


ナターシャさんが再出漬

 「平和のねがいin所沢2(主催・平和のねがい in 所沢実行委員会)」が、4月14日(土曜日)に講演とコンサートのつどいをミューズ大ホールで開きます。その準備が着々と進められています。当日の会場を満員にするために、チラシ・ニュースの作成配布やカラーポスターを作り公民館、掲示板に張り出すなど、賛同者で構成する実行委員会が全力を注入しています。

 今回の講演は「九条の会」の呼びかけ人でもあり、団塊の世代が若い頃に夢中で読んだ、あの懐かしいベストセラー「何でも見てやろう」で知られる作家・小田実さんが、大阪から駆けつけ、一時間半にわたってお話しをされます。小田実さんは、憲法九条を守るために東奔西走するかたわら、75歳になる今日も、旺盛な著作活動は衰えを知りません。憲法九条が掲げる理念を貶めたりする手合いに対して、九条は「今も旬」だと、受身になって言う向きもあるが、そうではなく「今が旬」なのだと、直近の著書や講演会で繰り返し持論を述べています。小田実さん自身「今が旬」、まっ盛りなのです。

 民主主義が日本人自身のものになった「戦後」の始めから生きてこられた小田実さんの講演は、所沢での「九条を守り、再び戦争をしない国」を目指す、私たちに大きな励ましになると確信しています。憲法九条を守る運動の先頭に立つ小田さんから、ベトナム戦争、9・11テロ、阪神・淡路大震災などを通して憲法九条の重要性をとことんお話し頂ける予定です。小田さんの講演にご期待下さい。

 平和の歌姫、ナターシヤ・グジーさんが、今回は妹のカーチャ・グジーさんと一緒に舞台に立ちます。前回の「ナターシャさんと一緒に歌おう」が参加者に大変好評でした。「もう一度、ナターシャの歌を聴きたい」、「平日で行けなかったが、今度は土曜日、ぜひもう一度」の声に応えてナターシャさんの再演となりました。ナターシヤさんは、「キエフの鳥の歌」「赤いブーツ」などのほか、合唱団と一緒に「ねがい」「ふるさと」を歌います。

 この「平和のねがい in 所沢2」の費用80万円は市民からのご寄付と当日の会場カンパで賄い、入場料は無料にします。早くも実行委員会に暖かい寄付金が屈けられていますが、磐石な財政基盤にはまだまだ遠いものがあります。どうか、集会を成功させる寄付金に、積極的なご協力をお願いします。郵便振替は0170-6-409038「9条を守る所沢集会実行委員会」です。

ナターシャ・グジーさんのプロフィール

 1980年ウクライナ生まれ。1984年、家族と共にチェルノブイリ原発近くのプリチャピに移り住むが、2年後(6歳)の事故で被曝し、キエフに避難。8歳の頃より通常教育のかたわら音楽学校で民族楽器バンドゥーラの専門課程を学ぶ。子ども基金の招待で、96年、98年の音楽団の来日公演に一員として参加し、日本各地で救援コンサートを行い反響を呼んだ。2000年から日本に在住し、音楽を通じてチェルノブイリの子どもたちの救援を続けている。最近のCDアルバム「消えた故郷・生命の輝きを歌う2」「セルツェ」などを発表し好評。

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『小さな人間』は潜在的に反体制 三冊の本を出して

 小田 実

「昨年、2006年、秋から年末にかけて、私は三冊の大部な本を出した。まず岩波書店から「玉砕/Gyokusai」、ついで大月書店から、「9.11と9条 小田実平和論集」、三冊目は新潮杜からの「終わらない旅」。

 「玉砕/Gyokusai」は私のその題名の小説とそれを私がなぜ書いたかを述べたエッセイ、この小説はアッツ島での「玉砕」戦の参加者でもあるアメリカの日本文学研究者ドナルド・キーンによって英訳されたが、その英訳につけたキーンの彼自身の思いを込めた序文、私と彼との「玉砕」にかかわっての対談、キーンの英訳に基づいてイギリスの劇作家デイナ・ペプラーが書き、BBCワールド・サービスが世界中に放送したラジオ・ドラマと彼女のこのドラマをなぜ、またいかに書いたかのエッセイー一を収めた日・米・英三国の著書共著の本、「9・11と9条 小田実平和論集」はその題名の通り、私がこれまでに長年に渡って書いて来た平和論の集大成、「終わらない旅」は日本人男性とアメリカ人女性の「愛」とベトナム戦争を基軸にすえて私が4年がかりで書いた小説一以上が三冊の中味だが、いずれもかなり大部な本で、三冊並べてみると、まるで大きな団子の串刺しである。団子の串刺しをつくるつもりはなくてたまたま出版が重なってしまっただけのことだが、この偶然が興味深いのは、三冊に通底するものがあるような気がするからだ。

 それは、まとめ上げて言って政治にしろ、あるいは文化にしろ、つくり出すのがそれだけのカをもつ『大きな人間』たちであるとするなら、この三冊の本はすぺてそうした力を本来的にもたない『小さな人間』の位置に立って感じ、考え、書こうとした。『小さな人間』は潜在的に『反体制』の位置に立っている。その潜在を顕在にするのが、私の『文学』だと考えている。
(Web版「新・西雷東騒」1月より)

小田実(おだまこと)さんのプロフィール

 1932年生まれ。東京大学大学院在学中に米国ハーバード大学留学、世界各地を旅して綴ったエッセイ「何でも見てやろう」がベストセラーに、65年、ベトナム戦争に反対し「『ベトナムに平和を!』市民連合(ぺ平連)」を組織し、その中心として活躍。作家として、市民連動の推進者として、精力的な活動を続けている。2004年6月井上ひさしさんなど9氏の一人として「九条の会」を結成し、憲法九条を守る連動の先頭に立つ。著書に「世直しの倫理と論理』、「HIROSHIMAj「玉砕/Gyokusai」「市民の文(ロゴス)」「西雷東騒」など多数。

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いま、私は言いたい

ロボットにならない

岡本健徴 (久米在住)

 「1年に2回だけ、40秒、心を閉ざし、ロボットになってしまえば裁判に労力も使わず、校長先生や教育委員会の覚えもいいのに」と何度も自問した。しかし、「音楽や教育が心を国に束ねるために使われることは、私の音楽や教育への思いに反する」と拒否を貫き続けた--2月28日朝日新聞に掲載された君が代伴奏拒否訴訟の上告審で敗訴した女性音楽教諭の言葉である。日常の与えられた現実の中で、「長い物には巻かれよ」という安易な生き方を選びがちな自分の心に反省を迫る。

 前日27日の最高裁判決は、「学校の秩序」を重視し、「伴奏を命じた校長の職務命令は思想・良心の自由を保障した憲法十九条に違反しない」というものであった。「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧になることは明白」と、5裁判官中でただ一人藤田宙靖裁判官が述べた反対意見は高く評価される。

 「1人の人間が『できない』ということを強制してまでさせようとするこの社会とはどんな社会なのか」、そして「こんな時代だからこそ、子どもたちの笑顔があふれる学校を希求していきたい」--音楽教諭の危機意識と高い志を共有したい。選挙が近い。賢明な一票を投じたいものである。

地域・住民で教育格差の拡大阻止を

田口元也 (牛沼在住)

 卒業・入学シーズンを迎えております。この時期になると決まって新聞の記事になるのが「日の丸・君が代」の問題です。

 先日も会社近くの都立高校の門前で先生らしき数人と警官が激しく押し問答をしていました。「私たちは、卒業していく生徒に『卒業おめでとう』のビラをまいているのに、この人たち(警官)が妨害してくるんです。」と通行人に訴えているのです。配布しているビラをもらって見ると「日の丸・君が代あなたにも私にも、立たない、歌わない自由があります。」なるほど、これが押し問答の発端だったのです。

 昨年の9月、東京地裁は「日の丸・君が代」強制は、憲法の「思想・良心の自由」に違反する。したがって、起立して歌う義務も、ピアノを伴奏する義務もない。そして、それを理由にするいかなる処分もしてはならない、という判決が出されたばかりでした。

 いま、安倍内閣は、「教育の再生」を目玉に、昨年12月、国民の「慎重な審議」を願う多くの声を無視して、教育基本法の政府「改正」案を強行に採決し成立させました。そして、安倍首相の主宰する「教育再生会議」の第一次報告で、ゆとり教育の見直しによる授業時間数の10%増、不適格教員の排除から教員免許更新制の導入、いじめた側の子どもへの出席停止措置などをあげ、国家による教育の介入が色濃くなってきました。

 そして、この教育改革がたんに教育・学校現場だけではなく、家庭のあり方まで介入する、地域間・家庭間の教育格差の拡大をもたらすものであることに危惧を抱かざるをえません。

 私たち地域・住民もこの教育改革に最大の注意をはらうことが必要ではないでしょうか。
 それにしても、町のあちこちで地域・住民と警官のトラブル光景は見たくないものです。

平和憲法があったから基地反対闘争ができた

馬籠正雄 (狭山ヶ丘在住)

 自衛隊百里航空基地は、昭和33年首都圏防衛のため計画されました。しかし、百里の農民達は以来基地反対闘争を展開し、滑走路も完成し基地は事実上出来てもなお「一坪運動」や「自衛隊は憲法違反」の裁判聞争を行ってきました。

 「一坪運動」で、基地のど真ん中に楔のように打ち込んだ「平和の砦」を築いたのです。そして、一昨年沖縄米軍の戦闘機の訓練基地に指定されたのでした。

 私は、昭和39年から40年間、百里基地反対闘争を撮影してきました。「基地が事実上出来てもなおどのように反対闘争をしているのか」を記録するためです。反対同盟の農家に泊まり込みながらの撮影でした。

 農民達は地下水を汲み上げて「陸田」を作ったり、養蚕や酪農をしたりと多種多彩な営農を展開し、しっかりと地についた生活をしていたのでした。

 毎年恒例になった「初午祭」では、昨年バスをチャーターして狭山ヶ丘の仲間を誘って参加しました。誘導路が「くの字」に曲がっている基地に参加者達はびっくりしました。平和を愛する仲間達が一坪地主になって、基地のど真ん中に「一坪運動の地・平和の砦」を作ったのです。初めて参加した仲間達は「こんな基地世界にないね」と、感激しました。「反対闘争が出来たのは憲法があるからです」と、淡々と語る農民の姿に更に驚きました。「私たちも狭山ヶ丘で九条を守る運動をせねぱ」と、決意を参加者全員が新たにしました。

 私は、戦後50年から「核廃絶」を訴え、全国各地8900キロを走ってきました。昨年から「憲法九条を守ろう」をゼッケンに加えました。

 昨年大雨で道路が寸断され途中で断念。今年はその分出雲から長崎まで600キロを予定しています。

 「核廃絶」と「九条を守ろう」のゼッケンを胸に付け、チラシを配布しながら走る予定です。今まで1500名を超える仲間が伴走してくれました。多くの仲間を誘って走ったり、歩いたりして長崎を目指します。皆様一日でもご一緒しませんか。共に頑張りましょう。

戦争はいらない

相馬一成 (中新井在住)

 私の妻は昭和19年2月12日に生まれました。妻の父は3ヶ月後に、2度目の召集を受けて中国に渡り、翌年2月18日山西省神池県八角堡で戦死しました。妻が父親とともに生活したのはたったのは3ヶ月間。生長するに従い父親の戦死した地を見てみたいという気持ちが募りました。しかし、その頃は中国との国交は途絶えていました。ようやく日本と中国の関係が正常化した後の1991年に、元日本兵の旅行団が組まれました。八角堡まで行かれるかもしれないとこれに参加しました。しかしこの地は外国人の立ち入りは禁止でした。

 仕方なく帰ったものの気持ちは募るばかり。中国で知り合った伝を頼ってようやく八角堡に行き着いたのは4年後でした。八角堡について最初に感じたのは「何でこんなところで殺し合いをしたんだ…」周りは見渡す限りの黄土地帯の農村。何にも無い。村の人に聞き戦闘のあった場所に花と線香を添え形だけでもと弔いました。そして父親の遺体を茶毘に付した場所を捜しましたが50年もたっています。村の人たちの記億も曖昧になっていました。このときの妻の顔を忘れることができません。我妻は頭の上に馬鹿がつくいつもニコニコの間の抜けたようなお人好し。しかしこの時の顔は今でも忘れられない怖い顔。思い出せない村の人たちに向かって怒鳴りつけるようにして思い出すように頼んでいました。もちろん日本語です。その剣幕に村人たちも言葉の壁を簡単に越え協力してくれました。それらしき場所で手を合わせる姿を忘れることができません。

 戦争さえなかったら…。

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5・15沖縄返還(復帰)記念

舞い・語り・唄う 沖縄のこころ

 1972年、沖縄は27年ぶりに返還(復帰)しました。沖縄の芸能をとおして、この意義深い日の喜びをわかちあいたいと思います。

「出演」藤木隼人 植竹しげ子と仲間たち
515日(火)午後6時半ミューズ小ホール
主催 「沖縄のこころ」所沢公演実行委員会
予約・問い合わせ 藤原秀法 04-2924-0082
         岡田尋子 04-2924-0835

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