機関紙23号 (2007年5月3日発行)



もくじ
九条の会の活動を黙殺し「国民投票法案」の危険性を無視する大マスコミ
「平和のねがい in 所沢2」に580人
暉峻淑子さんの講演(要旨)
「改憲手続き法案」を衆院で強行採決
「改憲手続法案(国民投票法案)」衆議院可決後の新聞報道について
いま、私は言いたい
 闇をつくる四つの不条理
 警鐘はおこがましいがオジャンの前に半鐘を
 平和の花 紫金草のこと



九条の会の活動を黙殺し「国民投票法案」の危険性を無視する大マスコミ

島田三喜雄(ジャーナリスト・元東京新聞記者)

 大江健三郎氏ら九氏が連名で、04年6月10日に発表した「九条の会」アピールは、(日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています)と説き起こし、(その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を事実上破ってきています)と、改憲派の本質を的確に指摘した。
 安倍首相はあたかもこの指摘に真っ向から挑戦するかのように、改憲手続きのための国民投票法案を憲法記念日の5月3日までに成立させるようにと、立法府である国会に「号令」をかけた。

「改正」への批判がない

 同時に、憲法第九条を変える以前にもその解釈を変えて集団的自衛権が行使できるようにしたいとして、そのための研究を指示した。歴代自民党内閣の中でも、突出したタカ派といえる。

 自民党の政権基盤が崩れつつあり、「支持政党なし」層が顕著に増えつつある状況の中で、焦りに近い言動が目立つ安倍首相だが、決して軽視することはできない。

 そんな状況の中で、全国紙の言論状況はどうか。「朝日」4月14日社説(国民投票法案廃案にして出直せ)は、次のように述べる。

 (憲法改正の仕組みを決める今回の法案づくりは、できるだけ幅広い政党のコンセンサスを作って進めるべきだ、と私たちは主張してきた。…2000年に国会に憲法調査会が設置されて以来、自民、公明、民主3党の議論は、政局を絡めないように注意しつつ、公正中立なルールづくりをする路線を大切にしてきた。だが、7年の協調がこれで崩れてしまった。…時間は十分にあるのだ。参院は法案を廃案にしたうえで、参院選のあとの静かな環境のなかで、与野党の合意を得られるよう仕切り直すべきである)。ここには憲法「改正」の狙いについての批判はない。幅広い合意を大事にせよと言い、「公正中立なルールづくり」を強調するばかりだ。「九条の会」の警告、「戦争をする国」へ変えようとしているという改憲派への重大な警戒喚起は無視されている。

 「毎日」4月13日杜説(国民投票法手続き法でこの有り様では)は、どうか。(最低投票率を定めるべきだとの意見もある。低投票率になった場合、有権者全体では決して多数とはいえない人たちの賛成で改憲されることを懸念したものだ。私たちはまず投票率アップに力を注ぐべきだと考えるが、最低投票率を設けない点についても、もっときちんと理解を求める必要があろう)<]p>

 最低投票率について、(もっときちんと理解を求める)というのは、どんな意味なのか不明。「改憲」そのものの狙いについても全く触れていない。

関心低い憲法改正

 改憲派の「読売」は、(現行憲法制定以来の立法府の不作為が、解消される。…憲法をめぐる戦後史で画期的なことである)と評価。「日経」も(与党の採決は当然である。…憲法を制定・改正するのは主権者国民の固有の権利である)とする。「産経」は(遅きに失したとはいえ、改正を事実上阻んできた立法の不作為を是正するものであり、憲法論議が新たな段階を迎えることを歓迎したい)と喜んだ。

 だが現実は、改憲派が喜んでいられる状況にはないようだ。4月6日読売新聞朝刊は、同紙による憲法調査の結果を大々的に報道したものの、改憲派が減少したことに憂慮を示している。

 それは(憲法改正派が46%で多数を占めたものの、10年ぶりに50%を下回った)、集団的自衛権の行使については(憲法を改正して集団的自衛権を使えるようにする20・8%憲法の解釈を変更して、使えるようにする20・6%、これまで通り、使えなくてよい50・0%)さらに、憲法9条については、(第一項について、改正する必要がある14・0%、ない80・3%、答えない5・7%)。第二項については、必要がある38・1%、ない54・1%、答えない5・7%)

 「朝日」「毎日」は、大勢順応で、日和が晴れるか雨かを、うかがっているようだ。それで言論の責任が果たせるのだろうか。ピクニックに出かけるときは、天気予報に注意することが大切になるが、言論の曰和見はいただけない。その根本的な原因は何か。

日和見の原因は

 私見によれば、戦後いったんは反省したものの、次第に健忘症に陥り、新聞の戦争責任が忘却の彼方へかすんでしまっていることだ。ウソと知りつつ大本営発表を垂れ流した大罪は、どこへ消えたのか。

 新聞経営者は商売のゼニ勘定に明け暮れ、小選挙区制をあおって「二大政党論」の幻を描いてみせた。その空論のメッキは、はげかけてきた。さて、これから、どこへさまようのか。

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「平和のねがい in 所沢2」に580人

緊急入院の小田実さんに代わり暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)さんが講演


 「平和のねがい in 所沢2」が、4月14日の午後、ミューズ大ホールで開かれました。当日は所沢市内や周辺各市、遠くは千葉県からも参加者を迎え、580人が講演や歌を聞きました。

 講演を予定していた「九条の会」呼びかけ人の一人で作家の小田実さんが、海外から帰国直後に体調を崩し入院されました。急きょ、実行委員会は暉峻淑子さん(埼玉大学名誉教授)に講演をお願いしました。暉峻さんは、憲法九条改正の動きを厳しく指弾したうえで、「なんのために九条を変ようとするのか」を財界や勤労者の実態を数字で紹介しながら、庶民の目線で九十分間話されました。

 主催者を代表して、実行委員会代表委員の一人、浜林正夫・一橋大学名誉教授は、小田実さんから届けられたメッセージを読み上げて、「奇跡的に暉峻淑子さんに代打を務めて頂くことになりました。暉峻さんの専攻は生活経済学ですが、政治、経済、福祉などさまざまな分野で発言されております。著書の『豊かさとは何か』はよく知られています。どうか事情をご理解のうえ、講演とコンサートをお楽しみ下さい」とあいさつをしました。

 暉峻さんは、「権力側の人は、どうすれば国民を騙せるのか、広告会社も使いお金をかけて、徹底的に調べています。力の強い者が、思うように日本を動かしたいと考えることから憲法改正の動きです。私たちが抵抗できるのは、お金ではなく、心と考え方です」と、語りかけました。


 昨年12月のPart1集会で好評だった、ナターシャ・グジーさんは、今回は妹のカーチャさんと一緒に舞台に立ち、民族衣装とバンドゥーラを奏でながら、キエフの鳥の歌(ウクライナ民謡)、赤いブーツ(同)、コスモス(日本の歌)など八曲を熱唱しました。大ホールに澄みわたる、「平和の歌姫」ナターシヤ・グジーさんの透明感のあるソプラノが、集会参加者を魅了しました。

 賛助出演の女性合唱団・クレッシェンド・コーラスは“金子みすゞの世界”を表現豊かに、そして優しく観客に伝えました。ナターシャと一緒に歌おうと、練習を重ねてきた、80人の混成合唱団が歌う「ねがい」、「ふるさと」に、会場から大きな拍手が鳴りやまず、「憲法を変えて戦争をする国にしてはならない」、「九条守れ」の声を所沢から発信した一日となりました。

小田実さんからのメッセ-ジ

 安倍首相の思惑通りことが運ばれ、彼のもくろむ「改憲」の土台となる「国民投票法案」が強行採決されました。今、この所沢での集会はもちろん、市民がさまざまに「改憲阻止」の動きをさらに強め、ひろげることは緊急に必要なことです。そのとき、病気になってしまってみなさんの集会に参加できなくなったことは、残念というよりまさに口惜しいことです。現在検査中ですが、病気はたぶん確実にガンでしょう。

 しかし私は、生命のあるかぎり、みなさん方とともに「改憲阻止」のたたかいをつづけるつもりでおりますことをお伝えしたいと思います。

 一昨日強行採決された「国民投票法案」はかたちを変えての、ナチス・ドイツが「ワイマール憲法」をつぶした「全権委任法」なるものではないでしょうか。私たち日本の市民は、今、そうさせてはならない、これが私のメッセージの結びのことばです。

2007年4月13日 大阪の病院にて小田実

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鈴木彰の「還暦に猛毒を盛るエグい奴」

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暉峻淑子さんの講演(要旨)


国家にだまされないで


 小田さんの代打として講演します。せめて二塁打くらいは打ちたいものです。

権力を持っていて憲法を変えたいと思っている人は、広告会社に高いお金を払って、どうすれば憲法を変えられるか研究しつくしています。小泉さんのメルマガなんか年間何億円も税金を使っています。どうすれば国民をだますことができるのかを徹底的に調べています。向こうは金もあれば権力もある。こちらは、個人個人がしっかりした考えを持たないと戦いに勝てるわけがないと思います。

 戦争が終わったときに、私を教えた先生は「だまされていた」と語りました。300万のアジアの人びとを殺したり、慰安婦の問題や七三一部隊のことなど、ぜんぜん知りませんでしたと話しました。国家にだまされていたのです。

 いまだってだまされていることには同じです。郵政民営化のときに、反対するものは守旧派だと言ってつぶして、民営化しても郵便局はなくさないといいながら、北海道や東北の山村部では、収益力がなくなったことを理由に、どんどん減らされています。郵便局の人は公務員じゃないんです。給与は郵便局の中の独立採算で払われます。しかし、事実を知らない人たちは、あれで税金の無駄遣いがなくなるように思わされました。民営化されても国債を買わなくてはいけないという義務だけは郵便局には無かったのですが、スリやなにかと物騒な都市部の銀行よりも身近な郵便局を利用して国債を買う人は少なくありません。郵便の集配といったような日常行っていることを国民は忘れてしまっています。ライオンのように髪を振り乱した人が「民営化」と叫べば、すうっと通ってしまう恐ろしさがあります。

 投票法案が衆議院を通ってしまったことも同じです。浮かれて票をあれほど入れてしまったから、政府はなんでもできることになってしまいました。真っ先にやったのが、教育基本法の改悪です。今度は国民投票法案の強行採決です。公務員や学校の先生の運動は禁止しているのに、テレビや新聞での広告は野放しになっています。お金のある政党は有利になるのです。ここでも広告会社が出てきます。テレビや新聞の宣伝を見て「ああいいか」となりますが、ここが危ないのです。

 「九条を変えたい」というのは、力の強いものが思うように日本全体を動かしたいと考えるからです。九条は、力づくではやりませんと誓っています。話し合いで決めていきましよう、というのが九条の精神です。「九条を変えてはいけない」の声が大きくなってきてからは、経団連は政治献金をして、お金の力で自分たちに都合の良いようにしようとしましたが、これはさすがに自粛されました。

 企業はお金儲けのためなら、なんでもする性格を持っています。正社員をフリーター、パートにどんどん入れ替えるのもそのためです。際限なく資本を増やそうとするのが企業です。賃金の安い人には、いま子どもに持たせる給食費の4千円も苦しいのです。本来、義務教育は無料なのです。午前も午後も勉強があれば、途中で食事をするのが当然です。給食費を全額国が負担しても子どもたちへの将来の投資として考えれば無駄ではありません。アメリカの基地移転の費用から比べれば安いものです。しかし、そういう声はまったく出てきません。人の懐の中をのぞいて、足を引っ張るような話しばかりが出てきます。これは憲法の精神に反します。

若者の四割に職がない

 若者の4割は職に就けていません、一曰きりの仕事の人も大勢います。働き方がどんどん悪くなるのも、企業のお金儲けをしやすくするために、法律を変えてきた結果です。26業種しか派遣社員は雇えないものが、港湾、建設、病院の労働以外は派遣でよろしいと法律を変えてしまいました。

 若い人を抱えているご家庭は分かると思いますが、労働が不安定になるということは、計画が立たないということです。いつ首になるか分からないとなると、誰が結婚して子どもを産めるのでしょうか。私の教え子でも、結婚しているのは、公務員とか、学校の先生だったり比較的安定した人たちです。

 たとえ、正規でもむちゃくちゃに働かされています。週60時間以上も働かされ、残業代も貰っていないのが現状です。お金を遣い、子どもを塾に通わせ、有名大学を出ても企業はただ使うだけです。オリックスの宮内さんは、「大事にするのは、鉛筆の芯になる人だけ、周りの木は使い捨て」との戦略を取っていて、これが企業の当たり前のようになっています。

 労働者4千万人のうち、3人に1人は非正規労働者です。フリーターが417万人、派遣労働者が250万人。あらゆる業種で不安定雇用者が増えてきました。

 東京以外では800円の低い時間給で働かされています。シルバーセンターはもっと低く600円台です。こんな低賃金で働かせるのは日本だけです。EUでは、均等待遇が普通です。一部の人だけがものすごいお金を取る、村上ファンドなどその典型ですが、そういう国になっています。

 今朝の新聞でも、払うものを払わない社長や事故を起こした電力会社の社長が頭を下げ謝っている写真が載っています。逆イナバゥアーと呼ぶそうです。エリートがなぜ、逆イナバゥアーをするのか。それは、企業の儲け以外は考えない、ただ、ごまかしても営業利益を上げれぱいいと考える人たちです。請負を派遣とウソをついた松下電器は2億数千万円の補助金をタダで貰っていました。そういうのを優れた人と呼ぶのでしょうか。「強い者が勝てばいい」これは、「九条改正」と同じ理論です。

生活破壊した小泉・安倍

 小泉さんは、消費税を上げる代わりに社会保障制度の自己負担をどんどん増やしました。税金を多くしたことと同じです。負担を四兆円増やしました。老人控除も年金控除も無くなりました。6月に地方税の請求書がきますが、もっと上がってビックリしますよ。

 安倍さんは、教育、教育といいながら、予算を減らしています。フィンランドのように20人学級にすればいいのです。フィンランドの子どもは世界一です。一斉テストもありません。一人の能力を認める教育をしています。競争、競争と言っているわけではありません。それでも世界一です。

 教育にお金をかけないで、アメリカからはF15戦闘機や哨戒機をどんどん買い込むという日本です。冷静に事実を見て下さい。子どもたちが、狭い枠の中をしやにむに走らされています。人類は助けあったからここまで来ました。法人税率を下げ、金持ち、株の投資家を優遇する措置、税金を払わない企業、利息を払わない銀行が政治献金をしようとすることも、強い者が思うように進めたいとする表れです。

九条があるから人権

 九条があるから、人権という言葉が言えるのです。戦争になってしまったら、人権を口にする奴は牢屋に入れてしまえとなります。

 日本は海外にどんどん進出しています。軍隊を持って睨みをきかせないと、発展途上国などでは、旧政権が倒れると投資がフイになることが起きます。海外に工場を移して稼いでも、現地の投資に回り、日本への還流がありませんから、国民は豊かにはなりません。

 憲法九条を無くして、力に任せると、どんなことになるか考えて下さい。なぜ、一人に一票ずつの投票権が与えられているのでしょうか、私たちは生活をする人間です。その生活の中に子どもの教育のことも、病気のことも、年金はどうなるのか、老人ホームに入れるのかという問題を持っています。

 私たちが抵抗できるのはお金ではなく、「心」です。「考え」です。そこが大事です。

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「改憲手続き法案」を衆院で強行採決

 自民、公明両党は4月13曰の衆院本会議で、九条改憲を念頭にした改憲手続き法案と、米軍再編促進法案を強行可決しました。改悪教育基本法の具体化をはかる教育関連三法案審議の特別委員会設置も議決しました。いずれも、安倍政権による「米国と一緒に海外で戦争をする国」づくりの地ならしにつながるものです。これは自・公・民の三党の枠組みですすめられてきた改憲手続き法案が、「九条を変えてはならない」と、日々高まる世論をふまえ党利党略から民主党が同調しなかった結果です。自公の与党は、常軌を逸する連日の審議で5月初旬に法案成立を狙っていますが、民主党の協力が無くてもかまわないというのは、あまりに乱暴です。

 中央、地方の公聴会でも「国民不在の国民投票法案」と厳しい批判を浴びていました。投票法案を推進する勢力は「改憲するかしないかに関係なく手続き法は必要なもの。中立的法案だ」と説明してきました。実際には手続きの印象を与えながら、改憲を容易にする内容であり、その最たるものが、最低投票率の定めを欠いていることです。多くの識者が指摘しているように、2割そこそこの賛成で改憲が成立してしまうことになります。国会両院の総議員の3分の2に満たない与党体制のまま、単独採決で国民投票法案を成立させることは、即現行九六条の規定違反であり、九九条が国会議員に課している「憲法尊重の義務」にも違反をします。これほど大きな問題があることを承知の上で「いまのうちにやってしまおう」との姿勢です。民主主義を根本から踏みにじる暴挙と言わざる得ません。

 朝曰新聞は4月14日、「廃案にして出直せ」との社説を掲載し、中国新聞は「国民投票法案が可決されれば、憲法審査会の設置など次の段階に進む。論議が十分尽くされないまま、改憲へ向けた既成事実が重ねられることは避けたい」と警鐘を鳴らしています。多くのマスコミが改憲への「危うい一歩」と指摘しているように、今回の強権的手法は主権者である国民に対する自公与党のおごりです。許すことは出来ません。直近の世論調査でも改憲への関心は急速に低下しているのにもかかわらず、成立を急ぐのは、最終目的である「憲法九条改正」に突き進むこの政権の危険性が一層明白になってきました。

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「改憲手続法案(国民投票法案)」衆議院可決後の新聞報道について

間島 弘(マスコミ・文化 九条の会 所沢 世話人)

 会としても、9月の駅頭ビラでその動きを知らせるとともに、桂敬一さんを招いての講演会や「ニュース」で、その時々の動向を報じてきた。その時から一般ジャーナリズムがこの問題を取り上げてくれることを願ってきた。残念ながらそれが実現したのは、この法案が衆議院で可決された4月14曰以降のことだった。

 新聞社は、基本的データ、分析など、どのような事態にも対応できるように常に準備をしている。刑事罰などがからむ「事件」の場合は、一つの結論がでないことには、まとまった報道ができないことは理解できるが、誰がどのように論じようともなんの支障もない「憲法」について何に気を遺っているのか理解に苦しむところである。それがこの法案問題の報道に関して感じた最大の疑念である。

 各論になるが、種々報道されているが、「国会法」との関連の突っ込みに食い足らないものを感じる。この「改憲手続き法」は、いわば“二部構成”になっている曲者で、第六章に「国会法の一部改正」があり、これには改憲発議原案の審議、作成と提出が含まれている。この狙い、危険性について、より分かりやすく報道されたらと思う。

 各新聞でも取り上げている「最低投票率」の問題である。新聞各社が論じているように「国の大本を定める憲法」の「改正」にあたって、「最低投票率」の規定がなくていいのかどうか?

 問題指摘に終わらないで、国民的世論を起こし、現代曰本における「民主主義とは」の大論議を起こすほどの気構えがほしいと思う。問題提起をした安倍首相が、「戦後レジーム」を変えるといって「戦後民主主義」否定の上にたって、この法案を提起しているだけにその価値はあると思うのだが。

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いま、私は言いたい

闇をつくる四つの不条理

宮野正一(緑町在住)

第一の不条理
 一九四七年、戦前の国権主義的な社会システムヘの反省から、主権在民、戦争放棄、基本的人権を掲げる日本国憲法が生まれた。六十年後の今日、国権を強め武力行使できる国づくりへと憲法の改正をもくろむ不条理。

第二の不条理
 戦後目本の権力者は、一貫して米国型の「民主主義と自由」が唯一の正義と信じ、多数の米軍兵力と広大な米軍基地の存在を許してきた。さらに、米国の武力紛争に日本を巻き込もうとする不条理。

第三の不条理
 米国型市場経済による構造改革。「強いものはより強く、弱いものはより弱く」を平然と是認する社会。痛みと称して、失業と社会的荒廃を是認する社会をつくりだした不条理。

第四の不条理
 批判の眼を失い、構造改革や憲法改正を自然の流れのように同調する。米国を通してしか世界を見ず、権力にうけることを価値とするマスメディアの不条理。

不条理への制御を取り戻そう!
このような、不条理を制御できるのは、国民の研ぎ澄まされた眼であり、主体的に物事を考える知恵である。いま求められるのは、米国から評価される国づくりではなく、日本国憲法を具現化していく国づくりであると思う。

警鐘はおこがましいがオジャンの前に半鐘を

万城鉄兵(東久留米在住)

 教育基本法が変えられた後、審議もろくに尽くさないまま国民投票法案が衆議院を通過してしまいました。数の力にまかせて、あれよあれよの間にです。ここまでやられちまうともうダメかな、との無力感すら出てきます。でも、そう感じさせる、あきらめさせる、のが敵の狙いという「4・14平和のねがいin所沢」でのお話しを聞いて、あつそうなんだ、たとえこの法律が成立したとしても実際の投票で過半数をとっていく運動を強め、拡げなければ、との決意を新たにしています。

 今こそ剣が峰状態、土俵の中央にまで押返し寄切るまでにはそれなりの時間も労力もかかるでしょう。そしてその最中に手を抜けばこちらはすぐ土俵を割ってしまいます。やはり急がなければなりません。結構あせってしまいます。警鐘を鳴らすというのはおこがましいけど、のんびりゆたかに過ごしてる人に半鐘を鳴らしましょう。その生活、いまのままではオジャンになるよと。

 そうそう、ところで話はまったく変わりますが、一ヶ月ほど前にテレビ東京のWBSでこんなレポートがありました。メット(ニューヨークメトロポリタン歌劇場)の新支配人ピーター・グルブが新展開を試みた話です。「観客の平均年齢は六十五歳、五年前は六十歳でした。このままでは観客と共になくなってしまう」そこで、料金値下げ、子供招待、街頭でのオーロラビジョン(当然無料)等で、わかりやすいオペラを訴えたそうです。古くからの観客には反対が多かったようですが、これが大成功とのことでした。なるほど。

平和の花 紫金草のこと

松樹偕子(花園在住)

 今あちこちに雑草のように吹き乱れている紫金草(別名紫花大こん)のいわれ、ご存じですか? 日中戦争のころ薬学者で陸軍衛生材料廠の廠長だった山口誠太郎さんが、南京から花の種を持ち帰り「紫金草」と名付けて広めてきたそうです。誠太郎さん亡き後は、ご子息の裕さんが出身地である、茨城県石岡の人たちと「平和の花だいこんの会」を作り、百数十万袋もの種を配ったといいます。(絵本『むらさき花だいこん』大門高子著あとがきより』)

 私は1999年から二度にわたり「朗読合唱構成紫金草物語(南京虐殺をテーマに朗読と12の合唱組曲、大門高子作詞、大西進作曲)」の南京公演の準備のために、作詞、作曲家と共に公演先遣団として訪中し、2001年3月、東京・関西合同紫金草合唱団200名で、南京公演を成功させました。

 あれから6年、いまでも形を変えて、この公演は続いています。当初、日中友好協会や在日の好意的な中国人の協力を得たものの、今でも国レベルの謝罪をしていない日本に対しての現地での心情は必ずしも楽観は許されない状況でした。第1回目の先遣団と南京市の要人、文化関係者との会談は緊張の内に始まったのです。民間レベルであってもせめてもの謝罪と鎮静の気持ちを表したいという合唱団の公演の趣旨が理解され、2001年春の公演の許可を得たときの安堵感を今もしっかりと覚えています。

 3度にわたる訪中、短期間ではありましたが、その滞在中に見た「南京虐殺記念館」や交流会での60歳以上の方々の生の声、今も私の心に深く刻まれています。特にお世話になった中国人の自宅で、最後の曰のギョウザパーティでのこと、最初はその当時のことは(南京虐殺)思い出したくないと、座につかなかった高齢の主婦、杯を重ねるうちにポツリポツリと話し出しました。家族のために僅かな食糧を足に巻き付け走り去ろうとした時、日本軍に見つかり弾が足に直撃、辛うじて命をとりとめた話。慰安婦の生の声。2001年の当時でも水道工事の際に掘り起こした土の中から遺骨が出てきたという話。いろいろ聞きました。

 今教科書の記述も曖昧になろうとしています。歴史をねじ曲げることは戦争を肯定するものです。訪中直前にこぶし団地の集会で話したところ、最高齢のOさんが一連の折り鶴を託してくれました。私は南京虐殺記念館の入り口に「埼玉県所沢市…」の名と共に平和の架け橋として捧げてきました。

 紫に咲き乱れる平和の花、紫金草。風に揺られてさわやかです。花を愛でる平和がいつまでも続きますように。ハーピンホアースーチンツァオ(平和の花紫金草)

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