機関紙24号 (2007年5月30日発行)



もくじ
心あるメディアがペンをふるう絶好の機会
新たな試みで大きな前進を
憲法記念日の新聞論調を検証する
 朝日 憲法九条の堅持を名言
 毎日 国連中心主義を強調するが
 読売 偏狭なナショナリズムを煽る社説
 東京 3日連続社説で改憲への警鐘
 日経 自社の調査も無視した改憲推進論儀
 赤旗 危機を肌で感じる紙面構成
いま、私は言いたい
 国民学校が透けて見える
 「後進国日本」の再認識
九条は守ります
 「九条守って世界に平和」を確かなものに
  蟹工船からの便り
情報ファイル
 1周年記念総会と映画界
 金子みすゞと平和の願いを!
 「ナショナリズムと民主主義」



心あるメディアがペンをふるう絶好の機会

北村 肇 (「週刊金曜日」編集長、元毎日新聞社会部、元新聞労連委員長)

 『週刊金曜日』は定期購読に支えられているが書店でも数千冊は売れている。この売れ行きから、世の中の動きが見えてくることがある。連休明けの5月11日号はあまりかんばしくなかった。なぜか?

 メーンの特集は国民投票法をめぐる激論だった。弁護士(自由法曹団前団長)の坂本修さんと、「国民投票/住民投票」情報室・事務局長の今井一さんの対談は、司会をした私も興奮するほど、中身があった。しかも国民投票法が参議院の委員会で強行採択された日の発売である。本来なら売れていい号だった。

 売れ行き不振の大きな原因は、「あきらめ」にある気がする。教育基本法は改悪され、イラク特措法は延長、国民投票法は成立、なのに安倍政権の支持率は上がり気味……。どんなにがんばっても、何も思うようにならず、社会はおかしなほうに進むばかりだ……。

 毎日のように読者から届いていた「がんばって」のメールも、急速に少なくなった。ある『週刊金曜日』の読者からこんなことを聞かされた。

 「期待が大きいんですよ、『週刊金曜日』には。だから、読んで元気をもらおうかなと思う。でも、結局、一種の幻想だったんだなって、落ち込んでしまった。どんなに『週刊金曜日』やわれわれ読者ががんばったところで、世の中、何一つ変わらないのだから」

 これはつらい。有り体に言って、『週刊金曜日』や『世界』が論陣をはるくらいで、社会に変革をもたらすことはできない。でも、心あるメディアがペンをふるわなくては、社会はもっと歪んでしまう。だから、可能な限りの知恵を絞っているのだ。過剰な期待も、その裏返しの落胆も、ズシンと響く。

加速する解釈改憲、実質改憲の動き

 別に開き直るわけではないが、私はむしろ絶好のチャンスがきたと考えている。何だかんだ言っても、「憲法」を見つめようという機運が高まった、これは戦後の一時期をのぞけば、初めてだろう。安倍首相のような改憲派が市民・国民の多数派を占めるとは到底、思えない。であるなら、一連の稻々たる右傾化を逆手にとり、「日本国憲法」、そこに謳われた「平和主義」「主権在民」「基本的人権」の代え難いすばらしさを多くの人々に伝えることにより、舵を切ることが可能なはずである。

 先述の対談で、坂本さんが話してくれた部分を、少し長いが引用したい。「解釈改憲とたたかうのは、ますます大事な課題だと思っています。国民投票を廃案にしても、あるいは国民投票が通ったけれど発議できない状況をつくっても、もっと突き詰めていうと、国民投票で勝利しても、この間に解釈改憲でなされた既成事実が一朝にして消えるとは思いません。また、『国民投票法案ができたので発議までの3年間は解釈改憲を自制します』ということにはならないでしょう。むしろその間に解釈改憲、実質改憲の動きは加速する。改憲に対する反対運動は、『いつの日か国民投票でがんばって勝つぞ』というだけではすまない問題です。やれる団体、やれる人たちは全力を挙げて反対運動を起こしていく必要がある。それと国民投票を、結びつけて闘うだけの重層的、複眼的な闘いができなかったら勝てないと思っています」

これまでの枠を超えた共同を作るため努力を

「大事なのは、いままでの枠をこえた共同をつくるために、それぞれが努力するということだと痛感しています。2年くらい前、『憲法は自衛隊合憲と認めるべき』と強力に主張しておられる学者さんを討論会の講師に呼んだことがあります。

 その人は、『いまの改憲案はイラク派遣を含め、自衛隊の使い方がまずい』ので法案に断固反対すると言う。すごく勉強になりましたよ。

 よく『小異を捨てて大同につく、』と言うけれど、自衛隊が合憲か否かは小異ではない。大異です。でも改憲がこういう形で、ここまで迫ってきている時には、『大異を留保して大同につく』ということを私はいままでの次元を超えて大事にしたいと思っています」  「この国民投票問題をひとつのジャンプ台にして、改憲反対の運動が大きく発展していくことを希望しますし、そのためにできるだけの努力をしたい。本当に国民投票がきたときに、主権者の力で止めてみせると、その点で一致して行動することはできると確信します」

落ち込んでいる暇はない

 対談の司会をしながら、私は改めて自分に言い聞かせていた。「落ち込むことなどない、いや、落ち込んでいる暇などない、今こそ立ち上がらなければ」と。

 日本国憲法の前文は、こう結ばれている。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」 言うまでもなく、憲法は国家権力を縛るものである。だが、「この崇高な目的を達成する」ための努力はすべての国民に課せられている。「平和主義」「主権在民」「基本的人権」を守るのは、私たちにとって欠かせない義務なのだ。

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新たな試みで大きな前進を

「改憲手続き法」の成立と「会」の運動


勝木英夫 (「マスコミ・文化 九条の会 所沢」会長)

 去る5月14日、自・公両党は改憲手続き法(国民投票法)を成立させました。それは、最低投票率など、国民の多数が抱いている重大な疑問を全く無視するかたちで強行されました。このような政治手法は、その強引さにおいて小泉内閣のそれをはるかに超えるものであり、民主主義のイロハを踏みにじるものでした。

 自民党はすでに彼らの憲法草案を用意し、それへの「改正」日程(11年夏の発議、秋の国民投票)を決め、その実施に向けての準備を加速させていますが、それと併行して「解釈改憲」の手法の野放図な拡大についても、強い執着を示していることを見逃すことはできません。5月18日、に発足した「集団的自衛権懇談会」がそれで、そのメンバーからも明らかなように、現行憲法の下でも自衛隊が海外で米軍とともに戦うことを可能にする道筋をつけようと懸命になっています。

 「九条の会」の担っている役割は、ますます大きくなっていると言わなければなりません。私たち「マスコミ・文化九条の会所沢」は、05年3月26日の発足以来、講演会、映画会や学習会を開催する一方、連凧揚げや自慢のノドを競う交流会などを通じ、ひろく一般の市民とも交流を深めるよう、努めてきました。毎月の9日を統一行動日とし、新所沢駅頭でのビラの配布も続けてきました。手渡すビラは、毎月のこの会報と同様、すべて自分たちで作ったものです。現在、全国で6千を超える「九条の会」が活動しています。私たちの会のビラや会報ほど内容の充実したものは、他に例を見ないのではないか、とひそかに自負しているところです。

 これらの活動は今後も継続することになりますが、発足以来丸2年を過ぎ、次のようなことにも手をつけていきたいと考えています。

1、会員の拡大と世話人会の充実
2、基地問題への取り組み(所沢、入間など)
3、研究会(出来のいいテレビ番組や地方紙の社説・記事を材料として)
4、他の地域・分野で優れた成果をあげている九条の会との交流の強化(当面は会報やビラの交換から)

 上記のうち、3・4については、世話人会でも未討議であることを付記しておきます。

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鈴木彰の「押し付けの権利は権利押しつぶす」

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憲法記念日の新聞論調を検証する


朝日 憲法九条の堅持を明言


 1面で「地球貢献国家をめざそう」「九条生かし、平和安保基本法を」をうたい、「提言日本の新戦略 憲法60年」として、8ページにわたる社説を21掲載した。

 総論にあたる社説1は、「世界のための『世話役』になる一一地球貢献国家」を掲げ、世界の人口問題、エネルギー、食料、水などを含めた地球環境の問題から「9・11」以降の世界平和の問題に言及する。これからの時代は「日本の特性を生かすチャンス」であると説き、「そんな道を歩むうえで、日本国憲法は貴重な資産である」として今後の方向性を打ち出している。

 憲法九条の関係についてみると、(憲法9条と平和・安全保障)の項を立て、次のように論じている。
 「戦争への深い反省から日本は軍事に極めて抑制的な道を進んできた。根底は国際主義を重んじる前文と、平和主義を打ち出した第九条だ」として、憲法「改正」問題をめぐって大きな争点になっている自衛隊については、「今の自衛隊法とは別に自衛隊を位置付ける基本法を作ること」を提言し、第九条については、「戦後の平和と繁栄の基盤である」とし、「改正すると、戦後日本の基本軸があいまいにするだけでなく」、将来に向けて「第9条は“国際公益の世話役”」としての日本への信頼の基盤になる」と明確に第九条を堅持することを主張している。

 しかし、「平和安全保障基本法」制定と同法の下での自衛隊の海外活動を提唱する姿勢は、民主党の集団的自衛権行使論に限りなく接近するもので、95年5月3日の社説「国際協力と憲法『非軍事』こそ共生の道」を大きく後退させるものではないか」(桂敬一氏)との指摘もある。総合的によく練られた社説だが、なぜ「憲法九条を持つ国の国際貢献」と展開しなかったのかの思いが残った。(M)

毎日 国連中心主義を強調するが

 毎日の社説(1面に掲載)は、安倍首相の「戦後レジーム(体制)からの脱却」は、あまりにも観念過剰で書生論じみているとして、もっと落ち着いた言葉で憲法問題を語りたいと指摘したうえで、「日本と国際社会を取り巻く環境の激変や限界を超える憲法の拡大解釈などを理由に憲法に制度疲労がないか点検する時宜になっている」という。さらに、憲法の原理である国際協調主義をどのように「進化」させるかを、憲法問題を考える出発点に考え、日本は日米同盟を重視しつつも、国連中心主義の原点を貫けと主張している。

 毎日はこれまで「論憲」を掲げ憲法の総点検を行ってきたという。憲法に不都合があれば改憲も否定しないが、結論を急ぐ必要はないと社説は言うが、国会ではすでに国民投票法案が強引に成立され、憲法改正に向けての施策が着々と進められている。そのなかで、安倍首相が、なぜ憲法改正を急ぐのかの「本質」には少しも触れられていない。05年の社説内容とほぼ同じで、改憲なのか護憲なのかはっきりしない毎日らしい社説であった。善意で言えば「論憲」を深めようとなるが、恐れる方向に進んだ時に「世論」を背景にした責任転換にも使える方便である。それは、裏返すと、社会の木鐸としての自信のなさの証明でもありえるのではないか。

 1面には、電話による世論調査も掲載。憲法を改めた方がいいかどうか尋ねた結果、「改めた方がよい」が51%。「改めない方がよい」が19%。「分からない」が22%という。

 マスコミ各社の世論調査で憲法改正の必要との声が激減しているのに、毎日の調査では、改憲への支持が過去最高という、不思議な結果になつた。

 大嶽秀夫・同志杜女子大教授は「私は憲法改正を必要と考えるが、改憲は時期尚早。国民は改憲内容について明確な態度決定ができていないし、その必要も感じてはいないようだ」と語っている。(K)

読売 偏狭なナショナリズム煽る社説

 1面のトップは高校野球の特待生問題、準トップは巨人の5000勝、その下に「首相、改憲に強い意欲」の記事を載せている。そして、8・9面を使って、4月28日に行った「日本の決断一憲法のあり方を考える」(読売新聞憲法間題研究会などの主催)のフォーラムを再録している。

 中山太郎氏が基調講演を行い、北岡東大教授の司会で、船田(自民)、枝野(民主)、赤松(公明)の衆院議員らが、国会発議や「改正」論点、集団的自衛権の行使などについて語っている。

 幅広い立」場から憲法を論じるというものではなく、改憲論者だけを集めた一方的なものだ。

 さて社説のタイトルは「歴史に刻まれる節目の年だ」。改憲手続き法(国民投票法)案が衆議院を通過するなかで、その成立は、「新憲法への具体的な動きを促進するだろう」と期待をのべ、「早急に憲法審査会を発足させ」、改正の「骨子や要綱の論議」を「ぜひとも進めるべきだ」としている。

 そして安倍首相が歴代首相と異なり「憲法改正を政治の最重要課題と位置づけている」ことを賞賛し、改正のためには「民主党との共同歩調が必要」であり、「小澤代表は元来、積極的な憲法改正論者のはずだ」とけしかけている。

 また、「憲法改正の核心は、やはり九条にある」とし、その理由として「北朝鮮の核兵器開発や中国の軍事大国化における日本の安全保障環境の悪化や、イラク情勢など国際社会の不安定化」をあげている。

 また「日本を守るために活動している米軍が攻撃されているのに」「近くにいる自衛隊が助けることができないのでは、同盟など成り立たない」と主張し、憲法改正を待つことなく集団的自衛権のこれまでの政府解釈を変更すべきだとしている。

 「日本を守るために米軍がいる」と言い切る異常さ、過去の戦争への反省と国民がなぜ九条改正に反対しているのかの考察はなく、近隣諸国と共存・協調した平和の探求などの視点はない。偏狭なナショナリズムの臭いが漂う社説である。(S)

東京 三日連続社説で改憲への警鐘

 今年も東京新聞は3日連続で「憲法60年に考える」と題した社説を掲載した。初日の「イラク戦争が語るもの」で、この戦争は間違いだらけと断罪したうえで、「世論調査の九条改定『不要』が『必要』を大きく上回ったのは、自衛隊の存在は認め、かつ九条の有意性も認める、国民の優れたバランス感覚が九条を生きながらえさせている」と九条が再び見直される時代と語る。

 2日目の「統治の道具ではなく」では、安倍首相らの改憲論には、憲法を統治の道具にする発想があり、九条論議だけに目を奪われると、公権力を縛る本来の理念を見失うと指摘している。近代憲法は、政府・公権力ができることを制限し、好き勝手にさせないために生まれた。それを細部にわたって調整するのが法であり、立憲主義、法の支配とはそうした政治、統治のあり方だと説き、透けて見える安倍首相の国家像に警鐘を鳴らした。

 最終日には「直視セヨミズカラヲ為ルナカレ」と題して、学徒出陣した吉田満氏(当時少尉)の手記「戦艦大和の最期」からの言葉を引用している。戦前の歴史を忘れたかのような憲法改定の動きや従軍慰安婦間題の再燃や戦後補償提訴で最高裁が個人に対する戦後賠償は放棄したものと判断したことに、中国や韓国では戦後は終わっていないと、安倍首相が目指している日本の方向に、強い警戒心と猜疑心を抱いていると社説は指摘している。沖縄戦での集団自決も教科書から消えようとしているとき、「直視セヨミズカラヲ為ルナカレ」は、あらゆる時代、あらゆる局面にもあてはまる金言として、歴史への責任を「直視」する姿勢を求めている。「憲法にこめられた立憲主義や戦争放棄は、不完全な人間への自覚からの権力やわれわれ人間自身への拘束規定である」と結んでいる。

 4頁にわたる憲法特集も組み、高まりつつある改憲機運をめぐり、半藤一利さん(作家)と田口ランデイさん(作家)による読み応えのある対談を掲載して、「理想の日本像を捨てるな」と謳う。立花隆さんの「九条変えれば平和国家に幕」も胸に響く論文である。(K)

日経 自社の調査も無視した改憲推進論調

 1面には、日経新聞が行った世論調査の結果と、「国民投票で21世紀の息吹を」と題する論説副委員長名の記事、2面には、「還暦の憲法を時代の変化に合う中身に」の社説と、世論調査結果の解説を載せている。また記事中2ページを使って憲法特集を組んでいる。

 1ページ目は「2011年秋一日本初の国民投票」と題して、憲法審査会の設置から改憲文案の作成、発議、投票、周知、公布までをイラストを使って紙上シミュレーション。 2ページ目は、中曽根元首相へインタビューし、「現憲法の功罪」、改憲の「論点」などを掲載している。

 このように、日経は改憲の立場を明確に打ち出した紙面づくりだ。

 1面のゴチ見出しは「『改憲に賛成』51%」だ。よく見ると、7年前の61%から賛成は下がっている。しかも「期限を設けずじっくり議論すべき」が13ポイント増の42%になっている。国民世論が改憲に慎重になっていることがわかる。こうした動向を直視して紙面づくりをしていない。読売と同じである。

 社説は「国民投票法が整い、憲法改正案を現実に発議できるようになる意義は計り知れない」と、同法が最低投票率を設けていないこと、公務員・教員の運動禁止などの問題点をなんら指摘せず、手放しで賛意を表明している。ジャーナリズムの責務を放棄していると言ってよい。

 また、改憲内容として、自衛権ないし自衛の組織保持の明記を迫り、環境権及ぴ環境保全義務、プライバシーの権利、知る権利などの明記をもっともらしく挙げているが、これは改憲推進のための方便でしかない。

 これらに加えて、「参議院が衆議院とほぼ同等の強い権限を持って」いることは現憲法の大きな欠陥であり、参議院の権限と規模を縮小することを改憲の柱にすべきと主張している。

 議会制民主主義を破壊し、権力強化を率先して進言するもので、戦前、新聞が犯した過ちを思い起こさせる。(S)

赤旗 危機を肌で感じる紙面構成

 憲法施行60周年の記念すべき5月3日の赤旗は、今日の憲法を取り巻く情勢と運動の方向を示す記事に多くの頁を割いた。

 1面には大見出しで「平和支え憲法60年」とあり、「九条を8割が評価世論調査」と国民の動向を伝えた。そのあとに「改憲へ異例の首相談話 憲法擁護義務を逸脱」として安倍首相の異常とも言うべき改憲論を取り上げた。「改憲策動を阻止のたたかいに全力」との市田書記局長の談話を掲載。「戦争放棄、凛として掲げて」という作家の早坂暁さんの発言も光っている。

 2面には主張「世界に誇る九条守ってこそ」と「日米安保戦略会議 『集団自衛権行使を競う』」の分かりやすい記事。連載で取り上げている「改憲手続き法」では「護憲封じ込めを狙う」とある。

 3面では、「世界で輝き増す憲法九条』の特集を組み、訪日中のボリビア大統領の「ボリビアの新憲法では『戦争放棄』を入れたい」という講演の内容と世界各地で九条への共感が広がっていることを紹介した。とりわけ注目したいのは「安倍首相の改憲論 米保守層からも懸念」と言う記事だ。九条改正に踏み切れば「新しいナショナリズムの台頭は、近隣諸国の警戒心を引き起こし、アジアから実質的に孤立するだろう」と述べている。

 4,5面では「海外で戦争の道か九条を生かす道か」と題する特集を組み、改憲策動をめぐる状況と国民世論の変化を分析している。また、長谷川正安名古屋大学名誉教授の「明治憲法60年と『新憲法』の60年」では、1889年の明治憲法発布以来の歴史を語り、「安倍首相の改憲論は集団的自衛権の行使中心としたより対米従属性の強い軍備強化を特徴としてる」と結んでいる。

 「戦争放棄の憲法、核兵器廃絶の外交を誇らしげに、凛と掲げて生きてゆく。そういう緊張感を持って生きる覚悟を決めることです。それこそが美しい国と言えるのではないでしようか」との早坂さんの言葉に胸打たれた。平和か戦争への道かの大きな曲がり角にきていることを肌で感じる紙面構成だ。(KM)

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いま、私は言いたい

国民学校が透けて見える

白戸由郎 (こぶし町在住)

 戦後体制の見直しを唱える安倍晋三首相は戦後体制の最大最悪の体制である、日米安保体制については見直すどころか、米軍再編を通じて米国への従属をいっそう強め、強固な体制にしようとしている。

 今国会で最重要課題とする教育関連法案でも首相はことあるごとに「規範・愛国心」を説いている。権力が規範や愛国心を説くほど危険なことはない。昨年末の教育基本法の改悪強行もセットになって私にはかつての国民学校が透けて見えてくる。

 国民学校などあったことすら知らない人が増えた。ある教科書編集者に「私は小学校に行ったことがない」と話したところ「昔は貧しかったかなあ」という。おしんの時代ならいざ知らず1940年代に学齢に達した私の年代では貧窮で学校に行けなかった話は寡聞にして知らない。当時小学校はなく国民学校になっていた。

 国民学校は1941年4月に発足し、1948年3月で幕を閉じている。この6年間まるまる国民学校に在籍した者はわが世代だけである。国民学校は天皇教ファッシズムを根底に「皇国民の練成」を目的にした初等.教育学改であった。練成とは広.辞苑によると「心身を鍛えできあがらせること」とある。要するに天皇のために死ぬことを叩き込む学校であった。

 政府が理屈に合わない施策を抵抗なくすすめるためには子どものうちから「規範・愛国心」を摺り込ませることが最短コースなのである。政調費を虚偽記載する閣僚を咎めだてしない政府が説く規範・愛国心の欺瞞を追及しなければならない。

「後進国日本」の再認識

中村 勝 (小手指在住)

 先の地方選挙の際に、多く聞かれた印象的な言葉は、「この日本はどうなってしまうのだろう」という不安の言葉でした。戦中・戦後を生き延び、まがりなりにも一応安定した時代を経験して来た人たちです。正直に言って、私はこの問いかけに、明快に答えることが出来ない心境です。自分もまったく同じ不安を持っていることに気付かされるだけです。

 世界を見渡すと、いわゆる先進資本主義国といわれるヨーロッパの国々も、基本的に同じ問題を抱えているように見えますが、日本と違って、国民の反発力の強さが政府の思いのままにはさせないことも予感させます。先進国とは何かが今問われているように思われます。「後進国」という言葉は、「発展途上国」という言葉に置き換えられていますが、このグループに属するといわれる中で、特に中南米諸国では、貧困と格差の克服が最優先の課題として取り組まれ、教育・医療・年金・社会保障等に最大の国家予算を投入しています。もちろんすべてバラ色というわけにはいかないでしょうが、少なくても弱肉強食の世を転換させる方向に踏み出す国々が増えつつあることは救いです。

 「後進国」という言葉はもう一度復活させる必要があるのではないでしょうか。すなわち、日本を典型的な例として「後ろに向かつて進む」国が出てきたからです。

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九条は守ります

「九条守って世界に平和」を確かなものに

脇 晴代 (所沢市議会議員)

 一昨年、「ベアテの贈物」という映画の上映会をおこないました。その映画は敗戦後の日本で憲法制定にかかわったベアテさんの人生と日本女性の権利獲得の運動が縦糸、横糸になっている映画でした。戦争によって外国人が差別され、一定の場所に集められ、ベアテさんのお父さんは、素晴らしい音楽の才能を発揮することもできず、厳しい生活を送らなければならなかったこと、ベアテさんが戦前の日本女性の悲惨な境遇を知っていて、新しい憲法の中に男女平等の理念をきちんと位置づけてくれたこと、そして労働省のなかで山川菊枝を始めとして多くの女性が女性の権利拡大のために努力してきたことや、市川房江の活動などが描かれていました。見終わって、日本国憲法の果たした役割と、多くの女性たちのねばりづよい活動と九条の大切さを実感しました。

 普通選挙の実現から、女性の権利が広がっていきました。所沢市市議会議員も女性が11名となっています。もう一人で議員総数の3分の1を占める勢いです。市議会には、女性の参政権はしっかりと根付きました。

 一方で、他国を侵略しない国であるという信頼を外国にあたえてきた、憲法九条をめぐる状況はどうでしょうか。現実は大変厳しいところに来ています。イラク派兵は延長され、入間基地にはミサイルを迎撃するための装置が配備されました。このようなときこそ、私達は「九条を守って世界に平和」を確かなものにするために、集団的自衛権とは他国と戦争することの宣言であり、認めてはならないことを、多くの人に伝え、共感の輪を広げなければ、と思います。

蟹工船からの便り

平井明美 (所沢市議会議員)

 東京芸術座の俳優として初めて舞台に立ったのが小林多喜二の「蟹工船」で、私は奴隷船で働く男役でせりふもなく、女であることがバレないよう肩を怒らせ暗い舞台に立っていました。

 劇作家で演出家の村山知義は演劇史の講義で「人間としての生きる道は大きく分ければ日本共産党員として人のために生きるか、お金儲けのために生きるか二つの道しかない」と言うのが持論でもあり、「遅くても30歳くらいまでに自分で決めることです」と付け加えました。

 私は高校を卒業後、横須賀市の山一讃券に勤めながら関東学院短期大学の英文科に通う勤労学生でしたが、芝居への夢が忘れられず詩人の故高田敏子氏を頼って上京し、東京芸術座演技研究所に入所したのです。高田宅へ居候しながら演劇と詩人としてのステップを踏み出しましたが、田舎からぽっと出てきた私は全くのノンポリでした。長い髪を染めてジーパンを履きタバコを片手に人を寄せ付けないニヒルな雰囲気を漂わせ、昼は劇団、夜はバイトで生活費を稼ぎながらも夢ばかりふくらむ私の青春時代でもありました。

 「小さい時からの嗜好は変わることはないが思想は幾つになっても変えることができる」これも村山先生の口癖で、新劇という反体制の芝居を目指したことが日本共産党と出会うキッカケでもあったのです。蟹工船を書いた小林多喜二は日本共産党員でした。過酷な労働に苦しむ蟹工船の実態をリアルに描き、資本家と日本帝国主義の本質を告発したことで、国家権力の弾圧を受け一夜のうちに虐殺されたのです。私は死を恐れない彼の生き方に強い衝撃を受けました。

 当時、あの侵略戦争に反対した芸術家や政治家など牢獄で命を落とした共産党員は3千人、また同様に宗教家や平和を願う多くの国民が戦争に反対をしたために殺されたと伺いました。

 戦後の「憲法」はこのような先輩達の命がけで勝ち取ったものであり、だからこそ残された私達は命がけで「憲法九条」を守っていくことが求められているのではないでしょうか。今度、6期目を当選させていただきましたが、地方政治に憲法を花開かせ、地方自治本来の役割が果たせるようがんばりたいと思います。

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情報ファイル

一周年記念総会と映画会

 「松井九条の会」が06年6月3日に発足して1周年を迎えます。第1部は総会。第2部としてドキュメンタリー映画「戦争をしない国日本」(90分)を上映します。

と き 07年6月9日(土)午後1時半〜4時半
ところ 松井公民館2F会議室
かいひ 無料
主 催 「松井九条の会」
連絡先 04-2992-8776 日下部まで

金子みすゞと平和の願いを!

 昨年、創立10周年記念に与謝野晶子の「君死に給うこと勿れ」を上演した「こてさし語りの会」が、その第2弾として、金子みすゞの生涯とその作品を描いた「鎮魂曲金子みすゞ物語」を上演します。

 圧倒的なファンに支えられる、彼女の紡いだ新鮮な言葉が、初めて大江光さんの音楽と共に響き渡ります。また、西條八十氏の生前の声での、みすゞに贈る鎮魂の言葉もお聞かせします。

 まだまだ解明されていなかった多数のみすゞ作品についての大胆な研究成果もご披露できるでしょう。愛と優しさに溢れた金子みすゞの魂と共に、みんなで平和への願いを新たにしませんか。(演出担当 寺島幹夫)

と き 6月30日(土) 開演 午後2時
ところ 小手指公民館分館
かいひ 入場無料

「ナショナリズムと民主主義」

 「9条の会所沢」を主宰する浜林正夫さん(一橋大学名誉教授)が、「ナショナリズムと民主主義」を大月書店から上梓しました。

 ナショナリズムと民主主義は両立するのか? 昨今の日本の現状に照らすと、そんな疑問が生じてきますが'、著者はイギリスの近代史の実例に即して、両者が「双生児」であったと主張しています。長年にわたってイギリス近代を研究してきた著者が、日英を比較しつつナショナリズムの生成過程を論じています。

 現代日本のナショナリズムが特異なものであると述べて、愛国心を侵略的ナショナリズムの方向ではなく「平和と民主主義へ結合する道」があることを語っています。
大月書店2200円

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