機関紙27-2号 (2007年9月8日発行)



もくじ
「新たな局面」についての思い 2
 坂本弁護士「激動する政局と憲法九条」を語る(要旨)
日本国憲法九条と教育
 安西豪行(専門学校教員 東京在住)
いま、私は言いたい
 国民投票まで3年 伊藤誠二(中新井在住)
 明日への展望に期待 春原利夫(山口在住)
 きけ わだつみの声 行木恒雄(山口在住)
 私学助成と憲法と  竹腰将弘(山口在住)
短 信
 9・17のコンサートのご案内
 We Love 9条 うたごえ喫茶 in 所沢
  



「新たな局面」についての思い 2

坂本弁護士「激動する政局と憲法九条」を語る(要旨)

Q:参議院選挙があって、九条を守る運動も新しい局面を迎えていると思いますが、どう感じておられるでしようか

 自民党と公明党、特に自民党が歴史的大敗をしました。私も後退するとは思っていましたが、これほど劇的に惨敗するとは思ってもいませんでした。その原因がなんなのかと緻密な分析が必要と思います。

 年金問題とか閣僚の相次ぐ失言、「政治とカネ」の問題、スキャンダルそうしたものへの安倍首相の対応のまずさが国民から批判された、多くの人が指摘している通りだと思います。ただ、根底には小泉首相以来の新自由主義、規制緩和、弱肉強食の社会、格差社会をここまで拡大して、国民を惨たんたる状態にし、なおかつ、強行しようとしていることへの批判が大きいと思います。それから教育基本法の改悪、国民投票法を強行採決し、国会を審議機関ではなく投票マシンのようにして暴走させたことがあります。血の同盟のために戦後レジームを解体し、対象として憲法九条を抹殺する、しかもそれを選挙の第一公約に掲げ、2010年までに強行するということ、それに対する国民の批判が根底にあると思うのです。

 ですから、草の根の運動進めてきた実体験を通しての意見、科学的データが欲しいところです。通り一遍の、都合のいいところだけ見ないで教訓を見つけていく大切さをしみじみ思っています。

テロ特措法が試金石

 それにしても、今の時点ではっきり言えることは、安倍首相の考えていた改憲スケジュール、改憲のやり方が、少なくとも簡単にはできない、きわめて困難になったと私は思います。改憲を第一公約にして政治を進めていくことは、安倍首相がなお固執しても、自民党の中のかなりの部分、そして大敗した与党としての公明党など、中枢を含めてこれではやれないという恐怖が生まれていると思います。

 一方、民主党の中にはご存じのように靖国派的な人もいるし、民主党自身が九条改憲の「憲法提言」をしている政党ですから、憲法九条を断じて守ると言うことはありません。

 この激変の中で私たちは有利な条件を主導的にとらえて、改憲は許さない情勢を国会の中でも作っていくというのが基本だと思うのです。試金石というか、最初に最もでかい規模でぶつかつているのがテロ特措法の延長問題、これを延長させるのか、それとも延長させないで、自衛官達をアフガニスタンの地から現実に引き返させるのかという問題だと思います。

 衆議院で自公が通しても、民主党の多い参議院で仮にノーと言えば社民党、共産党は反対、国民新党も賛成しないんじゃないでしようかね。そうすればかなりの差で否決できます。これを否決させておいて、衆議院に持ち帰って3分の2の賛成で成立させることは憲法制度上はあり得ますが、それは政治的には暴に対して暴を重ねることで、自民党としてはさらに国民を敵に回すことになります。今度の選挙で示された国民の意思を土足で踏みつけるというものですから、簡単にできるとは思いません。

 もちろん審議の時間的余裕がなくなるということもありますが、そういう議会の駆け引き戦術論で、そこまで民意に背けるのかきわめて困難と思います。ただそれを国会の中だけの動きに任せておいてはいけません。

 もしそれが実現すれば、戦後初めて国民の選挙による結果と国民的な運動によって、アメリカがなんとしてもやらせたいこと、そして現にやられていることをやめさせて、平和の方向に事態を持っていく成果を上げることができます。

 私たちは自民党を大敗させたということだけではなくて、私たちが政治の主人公になりうる、この国の路線を左右することが出来るんだという、歴史的経験を積むことになります。こんな面白い情勢というのは、正直のところ予想していませんでした。今そういう事態を前にして、私はわくわくしています。

 正直に言いますと、憲法改悪反対を選挙の大事な争点にして奮闘した日本共産党、それから争点にしたという点では自分の党の最も中心にしてたたかった社民党、この二つの党の得票が伸びず、それぞれに議席を失ったということは大変残念です。残念でそれはそれなりにたたかった意味をなくするものではありませんが、2大政党のキャンペーンがあり、激流があろうとも、これを乗り越えるために両党がどのようにしていくのかが問われていると思います。両党だけでなく憲法改悪を阻止し、憲法を生かす日本を実現しようと思って活動してきた主権者である我々が、そういう事態にたいしてどのように活動したらいいのか腰を据えてあわてないで考えていきたいものです。

 情勢を前向きに切りひらく立場で、そして科学的に行わなければならないのです。

 考えてから行動するのではなくて、行動する中で答えが刻々に見いだされる時代なのではないでしょうか。一番良くないのは、あれこれと論評して何もしないことです。

国民が新自由主義の本質を見抜いた選挙、「守れ」の合流が始まった新しい時点

Q:政界再編もあるかもしれない、そういう中で腰を据えた行動と言う時、地域から運動をおこしていくために何が大事と思いますか

 

 それが分かっていればいいのですが、自由法曹団の一員として、この間、たくさんある活動の中の最大の課題に憲法改悪阻止をかかげて運動にしてきた、活動してきました。そして全国各地いろんな学習会に参加してきたものとして思うことは、多くの国民が憲法改悪反対、そして日本に平和を実現し憲法を活かそうと、倦まず弛まず、たたかってきたのではないでしょうか。

 そしてこれからは選挙前とは違った目に見える展望を持って取り組む、これが自由法曹団はもちろん労働組合運動、民主団体の運動など様々な運動の重要な「環」だと思います。

 平和を守れという運動の環、生活を守れという環、棄民の国をなくして人間らしく生きたいという要求と結びつき、現場から合流し始めたという、新しい時点を迎えたと思います。

 今度の選挙で自民党を離れて民主党へ票が移った大きな原因は年金の問題であり、格差社会の問題だと言われてますね。年金だけではなく、格差社会が大きな問題で、要求になっています。

 小泉以来の新自由主義、規制緩和、「構造改革」は少し我慢すれば、痛みがあっ.ても山を越えれば幸せが待っている、と彼らは言ってきました。それが違うと言うことを、国民は生活の中から自分でつかみだし、これを何とかしようと要求を出してきているのではないでしょうか。それと平和の問題とが結合し始めたという思いをしています。

 別の言い方をすれば、安倍首相のいう「戦後レジーム」を解体してめざす「美しい国」とはどういう国か、国民は考え始め、底辺から動き出した。そのはしりだと、私は見ているのです。

 そこをどんどん強めていったらいいのです。そうすると課題は明確になります。

 だから消費税増税反対あり、医療制度改悪反対あり、それから年金の改正もあるだろうし、教育だって、今のような教育基本法で暴走してくるような、ああいう教育に対して本当に子どもの幸せとは何かと、多分これだけ多くの人が考えたことはなかったのではないでしょうか。要求と結合してたたかうとよく言うでしょう。でも結合するといってもなかなか簡単にはできないですね。

 しかし今、文字通り結合する時代が始まっています。しかも、それが単に願望にとどまらず、逆流をはねのけ、そちらの方に自分たちが動き出せば実現をするのではないかと、先が見えて元気が出る状況にきていると思うのです。

 護憲を掲げて一生懸命がんばっている共産党、社民党で活動している人を私はたくさん知っています。なかなか支持が広がらないとがっかりしていたときがありました。

 しかし、この先に、流れを切りひらく本格的条件が広がっているのだということです。そこを見たとき、失望したり、すわって評論したりする気持ちになれません。

この瞬間に生きる責任

 ただ、この時期、国民の側がこのチャンスを生かせずに議会の駆け引きに終わらせたり、そして、結局何をやってもだめだという失望感を味わせるようなことは絶対にさせてはなりません。それはこの時代に生きて、この瞬間に生きている私たちの責任なのではないでしようか。

 改憲手続き法によって、両院に設置さる憲法審査会で、憲法の改正原案や大綱の骨子の審議にどんどん入っていくというのが安倍構想でした。今の時点で民主党は憲法審査会を設けること自体に反対しています。審査会は、定数などいろんな規定を作らなければ開けませんから、もし参議院で、民主党、社民党、共産党が協力すれば作れません。国民投票までの間に下ごしらえをして既成事実を作っていくという彼らの狙いはスタート時点でつまずきました。

 国民投票法の付帯決議は18項目あります。この中で公務員や教員達の行動規制について、自由を侵害しないようにして、いろいろ工夫して作るという趣旨がありますが、民主党も共産党も社民党も反対しました。反対したのですから、縛る方向で強化しようとうことはできなくなります。

投票法の廃止も射程に

 国民投票法の廃止だって、今射程に載せていいのじゃないでしようか。

 労働法制の一連の改悪で必ず出すと言っていたホワイトカラーエグゼンプション、解雇の金銭解決とか財界とアメリカがいっかんして要求し、自民党、安倍内閣がやりたがっていたことを私たちは手をゆるめずにたたかえば阻止できるはずです。

 参議院の議席がこれだけ大きく動いたことはかつてない闘争条件ができたということです。繰り返しますが、議会の駆け引きと議席だけを考えず、私たち自身がたたかうことが重要です。

 私たちが運動することで必ず国会を動かすことが出来ます。これまでになかった条件があります。楽しく闘っていきましょう。

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日本国憲法九条と教育

安西豪行(専門学校教員 東京在住)

 筆者は長年にわたり教育の場で専門領域である教育心理学を通して保育者の養成教育を行っている。ここで教育ということを改めて考えた場合それは人間社会で人間らしく生きていく人間を育てることではないかと思っている。人間以外の動物の場合、いわゆる弱肉強食というように力の強いものが力の弱いものを支配し、その生命をも自由にすることが普通に行われている。それに対して人間は弱いものを保護し、誰もが人間社会で生きていく方法を考え実行できる知恵をもった動物であり、この点が他の動物と大きく異なる。

 その知恵の一つとして例えば社会福祉の考え方がある。これは社会的な弱者を社会全体が保護しようとの人間の知恵である。あるいは所得税での累進課税制も経済的弱者には税負担を軽くし経済的強者にはそれ相応の税負担をすることで、社会全体で弱者を支える知恵と考えられる。そしてそれらの根底には人間が人間を大切にすることの大切さが存在するものと考えられる。教育というのは、まず何よりも人間が人間を大切にすることの大切さを伝えて行くことだと思う。人間を大切にするということは、一人ひとりの人間のもつさまざまな側面においてそれを大切にするということである。

 さて、上記のことを前提として日本国憲法を見直した場合、随所にその考え方が示されている。基本的人権・思想信条の自由・両性の平等といった形により人間杜会で人間が人間らしく生きていくために考え出された知恵が垣間見られる。例えば思想信条の自由について考えてみよう。各個人の思想信条あるいは価値観といたものは、その個人が生後のさまざまな生活実践の中で形成されたものであり、「その個人の歴史」が凝縮されたものであるとも言える。それがどのようなものであれその自由を認めることは個人そのものを認めることに通じ、人間が人間らしく生きていくことの保証に通じる。

知恵を託した憲法九条

 このようなことを基本としている日本国憲法の中で第九条に示された戦争の放棄は、人間が人間らしく生きていくことに対する実に素晴らしい人類の知恵と言えるのではないだろうか。人間を大切にすることを考えた場合、何よりも人の生命を大切にすることが基本中の基本となるであろう。人間社会においては人の生命は何物にも変えることのできない最も重要なものであり、それを犠牲にして成り立つものは人類にとって価値の低いものでしかない。人間社会で生きていく人間はたとえ一人であっても他人の生命を奪ったなら、そこでは殺人罪という重罪で裁かれることになっている。その点、戦争は国と国が大量の殺人を公然と行うという人間にとって最も価値の低い愚かな行為だと考えられる。

 残念なことに人類はせっかく弱者を守る知恵をもっていながらこの愚かな行為を繰り返してきた。日本においては先の第二次世界大戦で多数の尊い命が奪われた。そのとき人と人が命のやり取りをする戦争の愚かさを日本人は身にしみて感じたのではないか。

 そして尊い命の犠牲の基に二度と再び紛争解決の手段として武力による方法を用いないとの人類にとって画期的な知恵を憲法第九条に託したのではなかったのか。憲法第九条は人間社会で最も人間を大切にする条項と言っても過言ではないと思う。

自己中心と人間性の軽視

 教育の場で日本国憲法をそして憲法第九条を語るとき、そこには人の生命の尊さが背後にあることを意識しつつ教育実践をすべきだと筆者は考える。人間を大切にすることその基本である人の生命を尊重することの大切さを教育の場において実践することは、どのような改憲論者であっても否定はできないであろう。

 人間を大切にすることを軽視したものの具体例としては、親による子どもの虐待、教師による体罰やセクハラ、子ども同士のいじめといったものがある。これらのことの解決に対しては思想信条を超えて教育者はもとより誰もが協力を惜しまないものであるはずである。もっともそれらの事実があってもひたすら隠し通そうとするようなものは論外である。真剣に教育に取り組もうとする教育者ならば、誰もが解決を望むと思う。

 そして、これらの問題が発生する根源には、自己中心的で他人の人間性を軽視する意識が存在していると考えられる。人間を大切にし、人の生命を尊重することが内面に定着していない者がこれら問題行動を起こすと言えよう。

 人間を大切にし、人の生命を尊重することを教育の場においてもっと真剣に取り組むべきではないかと思う。ただし、このことは一方的に教師が伝えるような方法で行ってはならないし、ましてや成績評価の対象にするなど絶対に禁物である。子どもたちと一緒に考え、内面から納得することで育てるべきものである。これらを通じ、他人の生命を奪うことがいかに大きな罪であるのかを実感として形成することが教育のあるべき姿だと思う。

  

 この面から戦争がいかに愚かな行為であるのか、そしてそのことの反省から生まれた憲法第九条が人類の歴史上どれだけ尊いものであるのかを理解できるような教育が望まれるところである。そして、第九条を変え日本を再び戦争を肯定する国にしようとの考えが絶対に主しくないことが理解できるような人間を育てていくことが教育者の使命であると考える。

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いま、私は言いたい

国民投票まで3年

伊藤誠二(中新井在住)

 資本主義社会が長く続いています。その歴史は停滞・活況・繁栄・恐慌という循環を繰り返しています。過去の戦争は経済の建て直しのため、国民を巻き込んだ戦争でした。戦争を仕掛ける人間は「戦争はビジネス」として、「二度と戦争はいやだ」と思ったことがない(品川正治氏の言葉)。

 この財界の価値観と国民の価値観の違いをまずはじめに認識する必要があります。89年11月21日に労働組合の連合が結成され、その翌年には平和憲法下で軍事予算が社会保障予算を上回りました。この予算は戦争の道具を作り続けています。まさに過剰生産で「消費」を必要としています。この動機が小競り合いから紛争・戦争と発展させるのです。戦後の朝鮮戦争の軍需景気で元気を復活した日本経済は「朝鮮戦争の休戦」で「平和恐慌」に陥り首切り反対の闘いで日鋼室蘭の製鉄所の争議は有名です。

 人間の必要な物資生産でも「過剰生産恐慌」として会社は倒産・労働者は首を切られ失業するなど、資本主義社会は何をやっても労働者国民を幸せには出来ない仕組みがあるとおもっています。

 軍事産業で働く労働者は資本家とともに「平和恐慌」に恐れ、国民生活にとって大切な社会保障の拡充など眼中にないかのように、「軍事費を削って福祉に回せ」とは言いません。ここに平和を脅かす根っこがあり、私たち労働者の仲間たちが戦争に荷担する仕事をしています。

 武器を買わない政府。憲法九条の戦力は保持しないの条文を厳格に守る政党・政府を確立させるまで気が抜けません。あと3年後の国民投票で「戦争か平和か」の判断を求められます。


明日への展望に期待

春原利夫(山口在住)

 去る8月27日、「安倍改造内閣」が発足しました。しかし、有権者から「ノー」を示された内容、理由が反省されないままの、各派を集めた多数派づくり内閣の指摘を免れないものです。

 先の参院選の直後、朝日新聞の世論調査では、「民主党が議席を増やした一番の理由は?」(自民党に問題がある)が81%で、(民主党の政策に期待する)は9%しかなかったのです。

 つまりあまりにひどい自・公政権への反発が民主党を躍進させたものでした。

 有権者は今、新しい政治方向、これからの日本の歩みを見定める政治プロセスの探求をはじめる地点に立ったのです。

 靖国派のねらう「改憲と戦争」の方向や、貧困と増税を推し進める自・公政権へ「ノー」を示した有権者は、必ず「護憲と平和」、「ストップ貧困」など国民が主人公の政治方向をめざして進むでしょう。

 それは私たち「九条の会」で運動をすすめる者にとって、大きな展望をひらく方向を示すものです。

 改造内閣のもとで、9月の臨時国会が開かれ、テロ特措法の延期間題など論議がはじまります。「九条を守り、平和、民主主義の向上をめざす」運動のいっそうの前進と発展のために、私も微力ながら努力を続けたいと思います。


きけ わだつみの声

行木恒雄(山口在住)

 あの終戦から62年、戦後初の戦争映画と言われる「きけ、わだつみの声」(東映・1950年?関川秀雄監督)を57年ぶりに見た。日本戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」を基に、悲惨なビルマ戦線に駆り出されて散った学徒兵の姿がリアルに描かれている。

 私が13歳、中学2年の時、隣村の中学校で上映されたのを学校ぐるみで見に行った。熱心な教師から新憲法や平和・民主主義、原爆などを教えられたが、ありのままの“戦争”の残酷さを知ってショックを受けた。

 この映画は小学3年に終戦を迎えるまで軍国少年だった私が“反戦少年”になるきっかけでもあった。

 上官にいじめられる学徒兵が隊長の馬を食って銃殺され、放置された傷病兵が自爆するなどの場面とともに、戦争の馬鹿さ加減を嘆く言葉がかすかな記憶として残った。

 「こんなザマで捨てる命なら、何故、あの時、命をかけなかったんだ」。

 反戦運動に命をかけられなかった悔しさか。「わだつみ」の訴えは今でも新鮮で力強い。

 「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は何が判ればいい?…沈黙を守るべきなのか?」(旧版序文、仏・レジスタンス詩人ジヤン・タルジユー)。

 今、私は古希老人。憲法九条改悪など、不穏な動きが強まる中で、「孫を戦争に取られず、行かせない」の決意を新たにしている。


私学助成と憲法と

竹腰将弘(山口在住)

 今春、長男が県内の私立高校に入学し、私もPTA役員の「請願委員長」をおおせつかりました。全国的に取り組まれている私学助成拡充を求める署名運動を、父母のみなさんといっしょにすすめる役割です。

 埼玉県では高校生の3人に1人が私学で学んでいます。しかし、高校生一人あたりの補助金は5年連続全国最下位、国基準より3万円もマイナスという異常な状態です。保護者の負担は県立高校の年約12万円にたいし私立は約80万円という状況で、保護者への直接補助も削減が続いています。

 こんなにたいへんなのだから、署名を集めて、助成の拡充をすすめようと呼びかけるのですが、事はそれほど簡単ではないのです。

 署名運動のスタートにあたり、各クラスから選ばれた請願委員のみなさんと話し合いました。なかなかに本音の出た意見交換になりました。

 「国も県も財政が厳しいのに助成を増やせといえるのか」、「好きで私立に入れたのだから県立より高くてもしょうがないといわれる」、「こんな署名をやってなんの役に立つのか」という声もありました。

 「財政が厳しいのだからがまんせよ」論がここまで行き届いているなかで、私たちが行動を起こそうとするときに必要になってくるのは、憲法的な権利を、もう一度自分のものにすることだとつくづく感じます。

 私学助成拡充要求のなによりの根拠は、憲法26条「教育を受ける権利、教育の義務」です。学費と教育条件の公私間格差をなくすための十分な助成の必要性は、教育の機会均等を定めた憲法の条文から直接に導き出されるものです。

 さらに第13条「幸福追求権」の観点で税金の使い道をただすことも大事です。正当な権利を主張する署名運動が尊重されなければならないのも、第16条「請願権」によって立つ国民の権利の行使だからです。

 立場も考え方もさまざまな父母の集まりですが、「子どものためになるのなら」という親としての自然な気持ちは同じです。話し合いを通じて、「私たち国民が、要求すべきことはねばり強く要求し続け、一歩一歩でも世の中を前にすすめていくことが大切だ」という結論にいたったのは、うれしいことでした。

 「憲法をくらしに生かそう」という標語は、私たちにとってますます切実なものになっています。くらし、権利、そして平和---私たちは憲法で守られていることを、おおいに語り広げたいと思います。

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短 信

9・17のコンサートのご案内

9月17日(祝・月)に入間市の新しきを知る公園・野外ステージで「9・17平和の野外コンサート」が開かれます。コンサートは平和・九条をテーマにプロの人達に頼らず「参加者の手作りのコンサート」として開きます。

○日時 9月117日(祝・月)10時開会 終了は15時の予定
○新しきを知る公園 野外ステージ(入間市駅近く、徒歩5分)
○入場無料 コーラス、楽器演奏、パフォーマンス等参加者を中心としての出演、みんなで歌うコーナーもあります
○主催 奥むさし・文化9条の会(連絡先 042-973ー7303佐藤まで)

We Love 9条 うたごえ喫茶 in 所沢

 「マコミ・文化 九条の会 所沢」が協賛した第3回目のうたごえ喫茶は、8月5日「所沢・平和のための戦争展」イベントに連動して開かれました(写真)。会場となった所沢市役所一階の「喫茶・蛮果」は参加者47名で満席状態。午後2時半から5時まで、新井幸子さんのアコーディオン伴奏で歌いっぱなし。懐メロ、平和の歌、労働歌などで大いに盛り上がりました。

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