機関紙28号 (2007年10月10日発行)new!
政治が激動している。昨年9月に就任した安倍普三氏は11カ月余で突然、政権を投げ出してしまった。7月の参院選で、民意は明確に安倍路線を否定した。歴史的大敗をしたにもかかわらず政権の座にしがみつき、性懲りもなく「美しい国」「戦後レジームからの脱却」と空虚に叫び続け、臨時国会で所信表明した二日後に突然、辞任表明する前代未聞の無責任さを露呈した。
辞任会見での支離滅裂な論理構成にテレビで見た国民はただあ然とした。国民の審判を受けても辞めなかったものが、米国との公約(テロ特措法)を果たせなくなると辞める首相は、半世紀にわたる自民党政権の米国いいなり路線の末路であり、憲法改正もまた軌を一にするものだ。
9月25日の国会で新しい首相に福田康夫氏が選出された。福田氏は市場原理主義や経済利益優先主義による「弱肉強食は当たり前」とする、小泉改革路線を支えた官房長官だったことを忘れてはならない。さらに、国民のしっぺ返しを受けた自民党の改憲の基本である「新憲法草案」をつくった安全保障の小委員会の責任者だった。九条二項を削除し「自衛軍」を書き込み、「自衛軍」の海外での活動を書き込んだのが、福田氏その人だ。
「テロ特措法」も、官房長官時代に成立させた。テロ対策の後方支援と説明してきたものが、実際は米補給艦への給油で、イラク攻撃にむかう米空母に横流しされている。平和のためという名目の燃料が、イラクの市民を殺傷するための燃料に使われているのだ。
自公政権の大敗で、改憲が急速に進む環境にはないが、解釈改憲で日米の協調が前にも増して進む可能性は残る。「民意」は、私たちに「九条を守る時間」を与えてくれた。
安倍内閣崩壊、福田首相誕生をどうみるか識者に聞いた。
もくじへ桂 敬一(元東大教授)
9月9日、NHK総合テレビの夜7時のニュースのトップは、APECの開かれたシドニーにおける、ブッシュ・ハワード米豪両首脳との会談を終えた後の安倍首相の記者会見だった。首相はえらく入れ込み、ひとりで興奮している感じだった。
テロ特措法の延長を米豪両首脳に約束した。「国際公約だ」。これを「職を賭してでも実現する」。「職責にしがみつくことはしない」。「自衛隊に給油を続けさせなければならない」というのが、テレビニュースから聞こえる首相の言い回しだった。
実に奇異に感じた。米豪両首脳に対する約束が「国際公約」なのか。「職を賭す」というのも抵抗感がある。職を賭して参院選に臨んだはずの首相は、その大敗によっても職を辞さなかった。その首相が、国民に責任を負う課題の成否に関してはなにもいわず、テロ特措法についてのみ、それができなかったら首相を辞めるとする意味で「職を賭ける」というのは、あまりにも国民をバカにしており、独りよがりではないか。
「職責にしがみつくことはしない」というのもへんだ。しがみつくのは「職位」「ポスト」「権力の座」などだ。「職責」は、あくまでも果たすべきもの、全うすべきものであり、安易にそれを手放すことは、「職責を顧みない」「職責を軽んじる」「職責をなげうつ」と批判的に表現されるべきもので、潔い行動どころの話ではない。
「給油を続けさせなければならない」も酷い。実際の作業は.自衛隊員がするのだから「させる」と使役形を使ったのだろうが、公的には首相は最高指揮官なのだ。対外的には、あるいは国民に向かつては、「続ける」「続けなければならない」と、主格はあくまでも自分であるとする語法を用いるのが筋だ。しかし、安倍首相は、給油作業はひとにさせるものと実感しており、その感覚が正直に露呈したということだろう。自衛隊員も情けない最高指揮官をもったものだ。
新聞はこういう言い回しを、そっくりそのまま紙面に再現することがない。テレビはこの種の真実をときにそのまま教えてくれる。9月12日、テレビで涙目の首相が辞意を告げるのをみながら、やっぱりなあと、シドニーの会見のことを思い出した。
もくじへ島田三喜雄(日本ジャーナリスト会議運営委員)
参院選で歴史的大敗を喫した安倍自民・公明政権は、7月29日投開票の後、ほぼ2か月を空費して世論の沈静化を謀りながら、福田政権を発足させた。その正体は9月末現在、まだ輪郭をぼやけさせたままだが、参院第一党となった小沢民主党に焦点を合わせ、蛸のように絡みつくクリンチ作戦で人気回復を狙っていくようだ。
しかし早くも福田首相をはじめとして政治資金の不透明さをさらけ出し、目論見は大きなつまずきを見せようとしている。
安倍自公政権は「戦後レジームからの脱却」を掲げて憲法改定に突進。改憲手続き法である国民投票法をがむしゃらに強行成立させたものの、野党の反対もあって憲法審査会の論議はストップしたまま。ところが、この国民投票法を広く国民にPRするため、総務省が約6億円を投じて新聞全面広告などを使った広報計画を準備中という。(「しんぶん赤旗」9月23日)
自民党「新憲法草案」(05・10・28発表)の第9条起草に主導的に関わった福田首相が、9条改定に「ハト派」のような顔をよそおっていることに、だまされてはならない。
安倍内閣を総括した朝日新聞9月25日社説「安倍内閣に幕、右派政権の成果と挫折」は(国民投票法の成立強行で与野党協議の場は壊れ、改正の機運は逆に遠のいた。教育再生会議の論議は迷走し、防衛省のもとで集団的自衛権の行使を認めようという狙いにも展望は開けなかった)と書いた。しかし油断は禁物。
今年8月15日の読売新聞1面コラム「編集手帳」に、驚いた。(いかに罪深い行為に対しても、「万死に値する」とは言わない。)
1945年10月23日、読売新聞社従業員大会が開かれ、戦争責任者の退陣と社内民主化を決議(第一次読売争議)。25日の社説「新聞への断罪」は(真実を伝えず、反対の報道で国民を瞞まし、眼を眩ませた罪は万死に値する)とした。これを撤回するとは!
読売、産経に代表される改憲派マスメディアの役割を、軽視することは許されない。
もくじへ北村 肇(週刊金曜日編集長)
「福田康夫さんって、時折、口元を歪めて話すでしょ。性格が悪いんですよ。安倍晋三さんは滑舌がだめでしたね。『ござりまする』みたいな。ガキだったんです」。おいおい、そんなこと言っていいのかと思うほど、次々に悪口が出てくる。ある与党関係者(決して野党関係者ではない)と会食した際のことだ。
小泉純一郎前首相は、確かにある意味で、自民党を「ぶっ壊した」ようだ。その歪みが、参院選の惨敗と一連のドタバタ劇につながったのだろう。だが、安心してはならない。福田氏や安倍氏の悪口が飛び交うのは、まだまだ自民党が「健在」の証拠でもある。
一枚岩のようであってバラバラ。バラバラのようであって、いざとなると一致団結。このぬえ的な不気味さが自民党の「強さ」にほかならない。安倍政権の崩壊は、「空気の読めない」安倍氏がもたらしたものであることを、大半の自民党有力者は気づいている。何しろ、「世論が読めない」「党内が読めない」首相は、党内の批判を尻目にお友達内閣をつくり、一方で、生活に不安感一杯の市民に対しては、「戦後レジームの脱却」と、政治家ではなく、政治思想家ばりのスローガンを出してしまった。
この状態を軌道修正するには、どんなに性格が悪かろうと、「空気を必要以上に読む」タイプが一番。こう思った連中が、安倍氏と同じように「空気の読めない」麻生太郎氏ではなく、福田氏を担ぎ出したのだ。実際、内閣支持率は上昇しているのだから、戦略はいまのところ成功している。
言うまでもなく、福田氏はタカ派だ。そして民主党の小沢一郎代表は改憲論者だ。つまるところ、安倍政権は崩壊したが、憲法を巡る危機的状況は一向に変わらない。年末か来春には解散・総選挙となる。その際に、タカ派を一掃するしかないのだ。
もくじへ鈴木彰の「皆コケた、選んだおれの番も来る」
もくじへ浜林正夫(一橋大学名誉教授)
参議院選挙での自民党の歴史的敗北、安倍首相の無責任きわまる政権放り出し、福田内閣の成立と、私たちをめぐる政治状況は目まぐるしく動いています。この目まぐるしい変動のなかで九条を守る運動はどのように進めてゆけばよいのでしょうか。
参議院選挙で与党は103議席しかとることができず、憲法「改正」発議に必要な参議院議員総数の3分の2(160名)の賛成を確保することができなくなりました。これで、3年後に改憲発議という安倍前首相の公約は完全につぶれたといってよいでしょう。今度の自民党総裁選に立候補した福田・麻生両氏とも改憲のことは一言も言いませんでした。
それでは自民党は改憲をあきらめたのでしょうか。公明党はともかく、自民党は、少なくとも党としては、改憲をあきらめるわけにはいきません。それは、財界の強い要望があり、それ以上に、アメリカの圧力をふりきることができないからです。アメリカは本年2月、第2次アーミテージ報告「日米同盟…2020年に向けてアジアを正すために」を発表し、日本に対して日米同盟のいっそうの強化を要求してきています。その中心は集団的自衛権を認め、海外で日米共同の軍事作戦を展開することができるようにすることです。
この圧力に対して改憲派は2つの方向で、これを公式に、あるいは事実上、受け入れることを模索していると考えられます。そのひとつは、いろいろな手段で明文改憲を追求するという方向です。そのために、まずもっとも狙われるのは学校教育でしょう。すでに教育基本法「改正」が成立し、これを受けて、教員免許の更新制の導入をはじめ、教育の国家統制をつよめるための教育3法が成立しました。教科書検定も強化されるでしょうし、いわゆる靖国史観の浸透もはかられるでしょう。学校教育以外の場でもこれと似たような動きが強まるでしょうが、やはり「北朝鮮の脅威」論や、中国の国防力強化に対抗する軍事力強化論が振りまかれると思われます。これらに対して、「軍事力ではなく外交で」という主張を広げてゆくことが大切です。
さらに私たちの運動に対する妨害が強まることにも警戒しなければなりません。憲法学習に公民館を貸さないところが出てきていますし、最近の例では千葉県の野田市が「平和のための戦争展」の後援を断ったという問題が起こりました。その理由が「国民投票法で公務員の地位利用が禁止されているから」というのですから、開いた口がふさがりません。いったい、いつ国民投票をやるつもりなのでしょうか。まだ埼玉ではこういう事例はないようですが、警戒を強め、断固反撃する必要があります。(次号に続く)
もくじへ増岡敏和(詩人・青葉台在住)
ショックなかたちで、私の人生を最初に決定づけた言葉がある、15歳の夏頃(1943年)であった。
私は軍国少年で、海軍飛行予科練に黙って受験し合格した後、父と中学校の尊敬していた歴史教諭に事後報告した。二人とも軍国主義を快く思っていなかったからであるが、案の定反対された。父は「知らん人のために死ぬことはない、犬死になる」と言った。「知らん」とは天皇のことである。
歴史教諭(三谷先生)からは「少年は学問するのが仕事だ」と言われ、「日本はあと一年で負ける。世界の民主主義の方が強い」と諭された。
私はそれでも入隊したが、戦後三谷先生から社会科学を学び、日本共産党に19歳で入党し、私の戦後を始めたのだった。
もくじへ井上ひさしさんのプロフィール
1934年、山形県主まれ。上智大学外国語学部フランス語科卒業。大学在学中から喜劇の台本を書き始め、卒業後は放送作家として活動。NHKのテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」の脚本も手がける。小説、戯曲の分野でも活動、1972年「手鎖心中」で第67回直木賞、「道元の冒険」で第17回岸田国士戯曲賞を受賞。平和や憲法に関する見識も高く、「九条の会」の呼びかけ人の一人として活躍中。
所沢市内、九つの「九条の会」が、力を合わせて、井上ひさしさんの所沢講演を成功させようと、その準備が着々と進められています。今回は「九条の会」の呼びかけ人の一人でもあり、作家、日本ペンクラブ前会長。小説「吉里吉里人」、映画「父と暮せば」、「ひよっこりひょうたん島」で知られる井上ひさしさんが、憲法九条を守るために、全国各地を東奔西走されるなか、時間を割いて、要請に応えて頂き、一時間半にわたる井上ひさしさんの所沢での初の講演が実現するはこびとなりました。
井上さんの著書、「井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法」が、構想から9年もの歳月を経て、先頃、出版されました。この本は井上さんが、日本国憲法の前文と第九条を優しい言葉に書き直し、いわさきちひろの絵とともに絵本にして平和憲法の精神を表現した「井上ひさし版憲法入門」ともいえる作品です。
出版に先立つインタビューで、「よく戦争が終わったと知った時、“空がパーっと晴れて明るくなった”というような表現をしますが、僕は8月15日(終戦記念日)じゃなくて、憲法ができた時にそれを感じました。
それまで、知らない人の命令で知らない人を殺す。あるいは、知らない人の命令で知らない人から殺される。人間の力では絶対に覆せない運命に縛られていて、自分たちも20歳で徴兵されて死ぬんだと思っていました。それが、新しい憲法ができて“もう自由に生きていい。君たちの将来は、国家のものでも、天皇陛下のものでもなく君たちのものだよ”と言われたときの開放感、安心感はすごかったです。
でも、今の子どもにとっては、それが当たり前。最初からそうですから、みなさんを一度そこに戻さないと駄目だろうなと思いました」と、抱負を語っています。
井上ひさしさんの所沢講演は、「九条を守ろう、戦争への道は許さない」と運動を重ねる私たちに大きな励ましになるものと確信しています。
市内九つの「九条の会」が、力を合わせて講演会を推進する「井上ひさしさんの講演を成功させる会」では、集会の趣旨に賛同される市内在住の方には「賛同署名とカンパ」のお願い、チラシ、ニュースの配布など事務局と一緒に取り組んで頂ける人には、実行委員への参加を広く呼びかけています。
賛同カンパの振り込み先は、郵便振替0100=1=336219「井上ひさし講演会を成功させる会」です。
問い合わせは、携帯090-5796-4799(鴨川)まで。
もくじへ佐藤治郎(花園在住)
小泉純一郎氏は、「自民党をブッつぶす」と言って首相になった。安倍晋三氏は、「憲法改正」、「戦後レジームからの脱却」をとなえて、参院選挙にボロ負けしたが、首相は辞めないという。
私には、いまひとつ解らないところがある。そこでこの両内閣がわれわれ日本人に何をもたらしたのかを振り返ってみよう。
巨大スーパーに人は集まるが、個人商店街はシヤッター通りになってしまった。これは所沢だけの現象ではない。また、労働者は低賃金で人間らしい生活ができない。ネット・カフェー難民である。学校では共通テストを行うとき、平均点を上げようと、校長や先生がインチキめいたことをやる。政治家だって負けてはいない。「なんとかの水を飲んだので事務所の経費が多くなった」と弁解した大臣がいた。恥ずかしくなったのか、自ら命を絶った。これと似た政府高官は一人、二人ではない。
思うに、シャッター街の商店主は何か悪いことでもしたのだろうか。ワーキング・プアといわれる労働者は怠けていたのだろうか。そうではあるまい。政府の政策的貧困以外の何ものでもない。「身」も「心」もズタズタに引き裂かれようとしている現在、国民生活救済統一戦線をつくって、自らを守らなければならない時である。日本の歴史は曲がり角を迎えている。
和田末治(向陽町在住)
62年前の8月15日、我が国は「国体護持」と引き換えに無条件降伏を受諾した。皇国史観で洗脳された多くの国民は一点の疑いも挟まず、当然のこととしてこれを受け入れた。占領軍にすればスムーズに占領するために利用できるものは何でもよしである。一般国民からすれば神様からのお達しである。受け入れない訳にはいかない。
ところで「国体」とは何だったんだろう。日本に関して言えば天皇家の存続である。マッカーサーのお墨付きを手に入れた天皇は不思議なアクセントの日本語で「誓ッテ国体ノ精華ヲ発揚セヨ」とのたまわれた。そして時の為政者たちは「国体は維持された。陛下は、堪ヘ難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ブ」とまで仰せられている。我々臣民はこれを拳々服膺(けんけんふくよう)しなければならないとラジオを通じて繰り返し繰り返し流した。
2年後の1947年5月、新憲法が施行された。二つの特筆すべきことが定められた。一つは戦争放棄であり、もう一つは天皇の象徴化である。天皇のためには死をもって戦う勇猛な日本軍は恐怖的な存在だったに違いない。なんであれ戦争放棄は殆どの国民の願いであり心から歓迎した。しかし、それもつかの間で朝鮮戦争の勃発により警察予備隊が創設され、自衛隊となり、やがて陸海空軍として堂々とばつこさせようとしている。
もう一つの天皇の象徴化は昭和天皇が発した「終戦の詔勅」を正当化するためのアメリカの贈り物(苦肉の策)であると、私は考えている。この死語と化した筈の『国体』は時々顔をだすようになった。森喜朗ではないが「天皇を中心とする神の国」として厳然として存在しているのである。今、孫娘を巡り国体維持が論議されている。どう展開するのだろうか。ここで「終戦の詔勅」のさわりの部分を紹介することにする。
前略 帝国ノ受クベキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラズ 爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レドモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪エ 忍ビ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為二太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ国軆ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠二信倚シ常二爾臣民ト共ニアリ(略) 宜シク挙国一家子孫相伝へ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道義キヲ念ヒ総カヲ将来ノ建設二傾ケ 道議ヲ篤クシ志操ヲ鞏掌クシ誓テ国軆ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運二後レサラムコトヲ期スベシ 爾臣民其レ克ク朕ガ意ヲ軆セヨ
我々の世代は、遊びも知らず、ひたすら働き続けた。世界に冠たる経済大国を築き上げた。このことが『誓ツテ国軆ノ精華ヲ発揚セヨ』に答えたと言うのであろうか。天皇一家は安穏だろうが、我が国はアメリカの覇権主義に組み込まれて主体性のないまま右往左往さ迷っているだけである。
坪井俊二(緑町在住)
原水爆禁止世界大会に今年も参加した。広島で被曝認定距離の外側で原爆を経験した私は、この時期になると毎年必ず体が広島から長崎へと動いてしまうようになった。
長い間には必ずしも感動、感激だけではなかった。とくに20年余前になるが、この国民運動が分裂した時の痛手は個人体験も含め酷くきびしかった。今年も感想、感懐は様々なものがあるが、しかし思いがけぬ反面教師もあって嬉しいことに明るい将来展望を見いだしたことを報告したい。
広島大会は約2千人が、長崎大会は約7千人が参加した。かつて広島市民体育館を1万人余が埋め尽くした時に比べれば今年は一階の前の方だけという寂しさ。数日前に参院選投票日があったことを考えれば、疲れ切った高齢者の活動家が参加出来なかったのも無理からぬことか。しかし十代も含め若い人たちの比重がぐんと高まっていることは本当に頼もしかった。
長崎大会は疲労を回復したのか会場は超満員。当地出身の久間前防衛大臣にはタクシーの運転手さんを含めクソミソの批判が随所で聞かれた。「反核平和運動は風化した」のたぐいの懸念(私も多少は持っていた)は、日本国民の心の底には核兵器は決して許さない気持が脈打っていることによって払拭されたのだ、と私は信じる。長崎でも青年の参加が多かった。
日本の社会は、年金や貧困格差の問題だけでなく核兵器のない平和をめざす闘いにおいても、国民の正義感によって変化しつつあるのだ、と私は実感する。(原水爆禁止世界大会議長団)
もくじへ9月、川越市内で「絵と書と陶 そして尾道」と題して、高橋玄洋さん(会員・本紙題字の著者・大六天在住)の個展が開かれました。高橋さんは昭和4年松江市に生まれ、江田島・海兵時代に広島の原爆救援で被爆。敗戦で瀬戸内海の島に復員した。
その後、尾道に移り、小林和作画伯に強い影響を受けます。失意と貧困のどん底にあった高橋氏に小林画伯は物心両面の援助を贈ります。
ギャラリートークで高橋氏は、「小林画伯は親しくなると4号の絵をくれました。父親から『そんな高いものすぐに返しなさい』言われ、一緒に小林宅に伺ったが、『いずれ役に立っから』と諭され、早稲田に入学する際にも絵を頂き、『高橋よ東京でカネがなかったら、この絵を日動画廊の長谷川さんに持ち込め、買い取ってくれるはず』という腹蔵のない話し。貧乏学生の私は小林画伯の絵を売っては生活、遊びの糧にしました。
早稲田を卒業して、『卒業記念に今度は6号の絵をくれるかな』と舌鼓しながら、小林画伯宅に伺うと、部屋のすみの箱に私が売った絵が揃っていました。小林画伯は日動画廊の長谷川氏に、『早稲田の学生で高橋というものが、私の絵を必ず売りにくる。その絵は私が買い取るから、カネを渡してほしいとお見通しだったのです。卒業してからは何もくれませんでした。援助しなくてはならないAランクに私がいたようです」と、鉛筆ではなく、ドラム缶のような人物と出会ったことが、原爆症の恐怖から立ち直れた契機と、若き日のエピソードを語りました。
こてさし語りの会が、所沢文化祭でレイチェル・カーソン(写真)生誕百年を記念して、語り芝居「われらをめぐる海」を、演出・寺島幹夫(会員)で上演します。
世界中が地球環境の危機的な悪化にうろたえている今日ですが、その危機を45年も前に、世界で初めて警告した生物学者がいました。「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソン女史です。
今年が彼女の生誕百年に当たるのです。こてさし語りの会では、このほど日本協会から許可を頂いて、彼女の作品「われらをめぐる海」という語り芝居に仕上げました。
科学者から詩人への道を歩いたカーソンの豊富な知識と美しい言葉が煌めく世界を描き出します。必見の舞台です。
日 時 11月11日(日)3時開演
場 所 小手指公民館分館・文化祭
入場料 無料
「今こそ憲法を考えよう」 伊藤真氏が所沢で講演
「9条の会・ところざわ」では、憲法の伝道師とも呼ばれ、いまやカリスマ的存在の伊藤塾々長・伊藤真氏を迎え、9月22日(土)夕刻、新所沢公民館を会場に講演会を開催した。
「9条は世界の宝」と題するこの集会には、およそ100人が参加、説得力のある講師の話に熱心に耳を傾けた。
伊藤さんは、準備された10ページにわたるレジメと教育基本法の新旧比較、現憲法と自民党の新憲法草案を逐条ごとに比較する克明な資料を基に、ユーモアを交えながら、90分を熱っぽく語り続けた。
参加者は、巧みな話術の展開に引き込まれ、あるときは固唾を呑み、あるときは爆笑しながら、話し手と会場が一体となった、集まりであった。
講演のポイントはなんと言っても講師である伊藤さんの法律家としての日本国憲法への確信とこれを今多くの国民と共有したいという情熱であった。「法律は国民が守るべきもの。憲法は権力が守るべきもの」「9条の積極的非暴力平和主義は人類共通の理想であり、やがては、世界の常識になるべきもの」「憲法は実践してこそ意味を持つ」「知と情を働かせ、みんなで憲法を語って欲しい」など、心に残る語録を残し、9条を守る取り組みへの勇気を与えられた。(門目)
もくじへ 民族楽器のプロのオーケストラである。ロシア革命の2年後、当時のソビエト赤軍の戦意高揚と慰労のための軍楽隊として設立しました。
バラライカの名ソリストであったN・P・オシポフの死後、彼の功績を讃えてオーケストラの名称の前に(オシポフ記念)が付きます。
ロシア国内だけでなく世界各地を演奏旅行し名声を博しています。
日 時 10月25日(木)
開 場 午後6:30
場 所 ミューズ中ホール
入場料 一般2800円、大学生、シニア2500円、小中高生1000円
主 催 日本ユーラシア協会所沢支部
問い合わせ 04-2939-7630坪井まで
近田洋一さん(埼玉新聞元編集委員室長・会員)が、沖縄・辺野古の闘いを記録した「きぬさやのカヌー」と題したDVDを出しました。朗読は谷英美さんです。価格はカンパ込みで1500円。希望者は048-269-3907近田まで。
「報道が教えてくれないもう一つのアメリカ」
講 師 堤 末果さん(ジャーナリスト)
日 時 10月20日(土)午後1時開場 (講演は1時45分から)
場 所 埼玉会館7B(JR浦和駅から歩10分)
入場料 無料(どなたでもお聞きになれます)
間い合わせ 日本機関紙協会埼玉県本部 048-825-7535
「9条によせる世界の声…9条世界会議の成功のために」と、題して、笹本潤弁護士(日本国際法律家協会事務局長)を講師に学習会を開きます。
日 時 10月27日(土)午後2時から
場 所 新所沢公民館(入場無料)
主 催 しんとこ9条の会
「九条改悪がもたらす超格差社会」森永卓郎さん(経済アナリスト、独協大学経済学部教授)
文化の部シャンソン歌手・水樹ユキさん(川口市在住)
日 時 11月14日(水)開場17;30
場 所 リリア音楽ホール(京浜東北線・川口駅西口から歩5分)
入場料 無料
問い合わせ 五十嵐 宏気付「かわぐち九条の会」 048-295-0111まで