機関紙34号 (2008年4月30日発行)
竹腰将弘(ジャーナリスト 山口在住)
憲法9条をまもり、日本を「海外で戦争する国」にさせまいと願うすべての人にとって、明るい、大きな出来事がありました。
愛知県などの住民が自衛隊のイラク派兵差止めを求めた訴訟で、名古屋高等裁判所が4月17日、航空自衛隊がイラクで行っている空輸活動は「憲法9条に違反する」という明確な判断を下したのです。
判決の要旨をみると、無理な理屈をつけてイラク派兵を強行した政府の説明を、ことごとく退けていることに驚かされます。小泉純一郎元首相は国会で、「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域」という無茶苦茶な答弁をしました。判決はこれにたいして、泥沼の戦闘状態が続くイラクの現状は明らかに「戦闘地域」だと認定しました。空輸活動は「後方支援であり武力行使ではない」という政府の言い分についても、判決は、他国の武力行使と一体化した活動で「武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」と否定しました。そのうえで、「政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合でも」、航空自衛隊がイラクで行っている活動は、イラク特措法にも、憲法9条1項にも違反していると断定しました。どこからみても違憲のイラク派兵が、このまま許容されるものではないという司法の判断は明確なものです。
ところが政府は「問題はない」(福田首相)とイラク派兵にしがみつく姿勢をとり、航空幕僚長が「そんなの関係ねえ」と軽口をたたいてみせることまでしました。彼らがいかに動揺を隠そうとも、判決は、解釈改憲を重ね、ついに武装した自衛隊を戦地に送るにいたった海外派兵路線への痛撃です。憲法前文の「平和的生存権」を具体的権利として認めたことと合わせ、未来に生きる画期的な意義をもつ判決として、今後のたたかいの力にしたいものです。
「九条の会」呼びかけ人の一人、作家の大江健三郎さんの著書『沖縄ノート』の「集団自決」の記述で名誉を毀損されたと、元日本軍戦隊長らが起こしていた訴訟にも注目しました。この訴訟は、「自分は自決を命じていない」という元戦隊長の主張に、「新しい歴史教科書をつくる会」などの侵略戦争美化勢力がとびつき、沖縄の人たちの「自決」を「殉国美談」に仕立て上げようとねらったものでした。
しかし、大阪地方裁判所は3月28日の判決で、「集団自決」には「日本軍が深くかかわったものと認められる」として、原告の請求を棄却しました。
昨年の教科書検定では、この訴訟が提起されていることをほとんど唯一の根拠に、沖縄戦「集団自決」の「軍による強制」削除が強行されました。それが、沖縄と全国のたたかいで破たんしたのに続き、歴史の偽造を狙う勢力は、再び大きな打撃を受けました。
大江さんは判決後、「(戦争ができる国を拒む)戦後の新しい精神を信じて訴えつづけたい」とのべましたが、この決意を、私たちも共有したいと思います。
私たちを勇気づける動きは、社会のさまざまな分野で広がっています。若者を分断と貧困のなかに置き、戦争へと駆り立てる病んだ社会状況にたいして、若者自身が、憲法25条の生存権をかかげ、他の世代とも連帯してたたかいを広げていることも、希望ある大きな変化としてあげられます。
世論も変わっています。
名うての改憲派である読売新聞が4月8日付で報じた恒例の憲法世論調査では、1993年以来15年ぶりに、改憲「反対」が「賛成」を上回りました。理由も「世界に誇る平和憲法だから」が53%で1位、「基本的人権、民主主義が保障されているから」も増えました。「読売」調査で、改憲賛成派減少、反対派増加への転換点になったのは2004年、「九条の会」が結成された年だったことは、私たちにとって誇りうる事実です。
もちろん、これらの事象から、一路、日本社会がよい方向に向かっていると考えるなら、短絡的にすぎるでしょう。
安倍晋三前首相の無残な政権投げ出しで意気消沈状態だった改憲派も、新たな陣立てでうごめきはじめています。
自民、民主、公明、国民新各党の改憲派でつくる「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根康弘元首相)は3月初旬に総会を開き、改憲促進への態勢固めをしました。
今回新たに、民主党の鳩山由紀夫幹事長が「顧問」、前原誠司副代表が「副会長」に就任し、9条改憲に向けた自民・民主「大連立」への大きな踏み出しとなったことには、警戒を要します。国会の「ねじれ」状況のなかでストップしている衆参両院への憲法審査会の設置、自衛隊海外派兵をさらに拡大する派兵恒久法などで、急激な政治の動きが始まる可能性がいつでもあることをにらんでおかなければなりません。
この「同盟」の総会では、「九条の会」を名指しで敵視し、これに対抗する改憲派の「擬似」国民運動を強化することも確認されています。
草の根の「九条の会」は全国で7000を数えます。私たちの運動は、日本国民の良識を掘り起こし、改憲派を追い詰める状況をつくってきました。日本社会の良識の光をさらに広げ、9条を破壊し「戦争する国」を目指す暗い勢力の野望をうちくだく、本格的な対決の時がきていることを肝に銘じたいと思います。(2008・4・21記)
もくじへ藤巻忠雄(中新井在住)
わたしは、日中戦争が始まった1937年小学校に入学、そして第二次世界大戦の敗戦の年1945年には中学3年生で、学校には授業料を払っていながら、学徒勤労動員で工場に行かされ働いておりました。一週間のうち月曜日だけは学校に行きましたが、習うのは軍国主義精神と軍事教練だけでした。でも、不思議なことにその頃の憲法、いわゆる明治憲法は学校では教えられませんでした。
この頃はすべての物が逼迫し、学生服は着ただけの1着、靴も1足だけ、下着、靴下も穴があけば母が繕ってくれたものでした。田舎でも食料は不足し、弁当は麦の多い御飯と漬物だけ。全く悲惨な時代でした。それでも病に倒れず、毎日のように襲来するB29の弾にもあたらず生き長らえたのは、ただ神の恵みとしか考えられません。
敗戦直後も当然、物不足の状態は相変わらずでしたが、学校では軍事訓練もなく、毎日平穏に勉強が出来るようになったのが何よりの喜びでした。でも、当時は紙が不足し、また印刷も間に合わなかったため教科書と言っても製本されたものではなく、藁紙に印刷されたものが折りたたんだままで数ページ分ずつ渡されたのです。このような状況の中で、学校で新憲法が配られましたが、その第9条はわたしたちの至極当然の想いでした。
最近ますます、政治家や改憲論者がこの憲法はアメリカから押し付けられたもので改憲しなければならないとわめいているのは当時の苦難を全く知らないで、歴史の真実を反故にしようとする企みです。この憲法は、1000万ものアジア人を殺傷し、300万の国民の生命を奪った未曾有の戦争の犠牲の上に出来あがったものです。1947年5月3日の憲法施行に巡り会った世代のわたしは、この崇高な憲法をしっかり守り、若い世代に伝承する責任があると考えております。
もくじへ「会」の3周年のつどいが、4月19日午後、ミューズ第2展示室で開かれた。記念講演で、所沢まで駆けつけてくださった、講師の半田滋さん(東京新聞編集委員・防衛省担当)は、「人類普遍の原理である戦争をしない、人を殺してはいけないという理念を世界に広げるべきなのに、この理念が普通の国になるのに邪魔だということでかなぐり捨てようと瀬戸際まできている」と指摘して、憲法9条を守るために、報道人として積極的に行動したいと語った。(講演要旨は次項に掲載)
17日に、名古屋高裁が航空自衛隊のイラク派遣は、「イラク特措法に違反し、かつ憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と、高裁レベルではじめて、自衛隊の活動が違反していることを認定した歴史的な判決が下された。また、改憲の先頭を切る読売新聞杜の面接方式による「憲法」世論調査で「憲法改正」反対が賛成を15年ぶりに逆転した。4年連続で改憲反対が増加し、「九条守れ」は6割(同社の世論調査で)に達したという。
中曽根元首相を会長に民主党の幹部が副会長、顧問に就任する新憲法制定議員同盟の改憲派も「草の根の闘い」を宣言するなど、せめぎあいが一層進む状況の中で、会員ら68人が集まり、これまでの総括とこれからの「会」の運営・運動について意見を交換した。
勝木代表は、「今日は大勢お集まり頂きありがとうございます。新たな闘いを益々発展させることを目指したい」と、乾杯の音頭を取った。
世話人で企画担当の原さんは、「九条を守るために、会員を増やし会の結束を図りましょう。そのためにこんな企画してみました」と提案をし、運営への参加をよびかけた。提案の内容は、(1)九条を守り平和を願うつどい、(2)九条を守るために日本国憲法を学ぶ講座、(3)九条を守る仲間を増やし結びつきを強めるためのスポーツ系レクレーションや文化系のレクレーション、など。催しはこの会の会員だけでなく、市内のほかの会や近隣、他県の仲間たちとも交流するハイキングやスキーといった企画にも取り組むというもの。また、昨年の総会で「文化祭のような催し」という提案が会員から出されましたが、10月には市民ギャラリーを使って展示会を催したいと、会場の確保をしたので、早々に秋への取り組みを一緒に始めましょうと訴えた。それぞれの会員の持っている力を集めて運営する新しい取り組みに、ぜひ手を上げてご参加ください。
今回はテーブルごとに席を作り、参加者は時間まで交流を深めた。
初めまして、東京新聞の半田です。よろしくお願いいたします。
一昨日、高裁レベルではじめて、自衛隊の活動に違憲という判決が示されまして、それ含めて今の自衛隊、防衛省のことについてお話していきたいと思っています。
イラク特措法という法律に基づいて派遣される航空自衛隊の隊員212人とC130というプロペラ4発の輸送機3機が派遣されていて、イラクとクエートを往復して空輸活動を続けている。その活動は違法違憲だという訴えがあって、そこで判決が言いわたされた。
17日の判決の内容は簡単に言えば、名古屋高裁では飛行はやめなさいという差し止めの請求はそんなこと規定する法律はありませんと棄却しましたけれど、判決文を言う傍論の中で、自衛隊の今回の活動は違憲に当たるとの判断が示されたということです。
空輸活動の運んでいる先のイラクの首都のバクダッドが、戦争が今も続いている戦闘地域である。その戦闘地域に武装した米兵など多国籍軍の兵士を運んでいくという行為は戦闘行為と一体化した行為で、武力の行使に当たる。その武力の行使は日本国憲法九条一項で禁じた武力禁止に触れるから違憲だという。
裁判そのものは国が勝ち原告は負けたことになるが、傍論ではあるけれど違憲だと言うことは初めてです。非常に画期的な判決、そこを大事にして原告側は上告はしないと決めました。そのとき、国側は裁判そのものは勝っているので、上告する資格がないということになり、自衛隊の活動は違憲という判決が、高裁レベルでは将来ともに定着するということになりました。
まず、インド洋での自衛隊の洋上補給活動が本当に政府の言うテロとの戦いと言うことなのかということからお話します。
インド洋の補給活動をやるそのキッカケになっているのが、アメリカによるアフガニスタン攻撃でした。2001年9月11日、アメリカの世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機がつっこんで3000人もの死者がでました。アメリカは独自の判断でイスラム原理主義のアルカイダがやったと、そのテロリスト集団が犯人だと決めつけました。テレビで映し出された世界貿易センターが崩れ落ちる衝撃。これに世界中が圧倒されてしまい、アメリカが自衛の戦争をやるのだということに対して誰もブレーキを掛けられなくなり、日本政府はせめて出きることは、洋上補給をやるということになるわけです。
去年の9月、わたしはインド洋に行き、洋上補給をやっている船にも乗り込んで、その作業ぶりを見てきました。実際は、現段階で行われているのは海上保安活動でした。しかし、政府の説明というものは、最初から最後までテロとの戦いに参加しているという言い方で、その中身を正確に伝えていないのです。
陸上自衛隊の活動は南部のサマーワで米軍から離れたところで、施設の復旧とか医療の活動、あるいは給水とか地元の役に立つ活動をやっていたことは間違いありません。私も実際、南部のサマーワに行ってその活動ぶりを見てきました。
アメリカの進めるイラク戦争に小泉総理は世界に先駆けて、イラクには大量兵器がある、隠されているというアメリカ政府の言っていることを鵜呑みにして支持していた。支持したら「ブルー ザ フラッグだ」と。つまり陸上自衛隊を出せ、派遣してくれと言ってきた。戦場に出せと言われて、とまどっていたら、アメリカから「ノツト ティーパーテイ これはお茶会じゃないんだ。参加自由といわれるものじゃないんだよ」といわれて自衛隊を出さざるを得なくなった。莫大な金を使ってイラク戦争を支援してきて今日やっているのが、少しの人道復興支援と米兵の輸送、それが現在の航空自衛隊の正直な姿です。
今、インド洋の活動とイラクの活動、それはアメリカヘの支援だということ。日米は対等のように見えるけれど派遣に至までの経過は半ば強制によってなされていることが特徴です。
こういう形で行われた派遣というものが既成事実化して、一昨年の12月には自衛隊法が改正されました。国防が自衛隊の本来任務だったがこれが改正されて海外に出て行くことが本来任務になった。海外活動とはインド洋やイラクのようにアメリカと一緒に活動するということ、それは米軍再編とつながっているのです。
米軍再編というものが沖縄の基地問題とか厚木にあった空母艦載機の岩国の移転とか、或いは普天間基地の移転の促進とか、何となく国内の移転計画のように見えるのですが、本当は違うのですね。アメリカは21世紀に向けて財政赤字を減らすためにどうしたらいいかをまず考えた。
ドイツの計画も韓国の計画も終わり、いよいよ日本で計画するというときにアメリカから日本への提案は二つ。一つはキャンプ座間にアメリカの第1軍団の司令部を持ってくる、もう一つは横田にある第5空軍をつぶして、第13空軍に合体させる。これはどういう意味かというと、アメリカは世界の警察官を自認していますが、同時に財政赤字を減らすという目的から、それを懐を痛めないでやる。そのためには同盟国にその仕事を少しずつ任せるということを考えているのです。
日本の自衛隊とどのような連携するか。府中にある航空自衛隊の総本山である航空総隊というのが2010年までに横田に移転。第1軍団がきたキャンプ座間には、発足したばかりの中.央即応集団司令部が来ることになり、陸軍と空軍は一体化する。横須賀の第7艦隊と自衛艦隊は最初から横須賀で一体化してますから、ここはすでに終わっています。
ところが米軍再編の文書の中には国際安全保障の改善のために連携が必要だ、これからは世界に出て行くと言っています。
去年の11月に、福田総理と民主党の小沢党首との間で、密室の党首会談が行われました。その会談の中で2人が意見が一致したのは恒久法をつくりましょうということです。
恒久法とは自衛隊を海外に派遣するための恒久法です。仮に、解散・総選挙があって民主党が政権を取ったとしても、自民党が野党になったとしても、恒久法の議論は避けられないということです。
どういう形になっていくかというと、かつて検討された案に6つの活動が出てきます。人道復興支援活動、停戦監視活動、後方支援活動、ここまでは今までやったことのある範囲です。やったことがないのが安全確保活動、警護活動、船舶検査活動です。6つのうちあとの3つは今までは内閣法制局で憲法違反だと言われたもので、いままさに議論の組上にのぼろうとしている。
実際に憲法の解釈はどんどん広がってきて、自衛隊が海外に行くなんて夢にも思わなかった時代は過去の時代になりました。
今度、たとえば違憲だという法律でも運用と事と次第によっては、つまり使い方によってはできるじゃないですかと法律が通ってしまった場合、想像できるのはこの法律では活動がしづらいからもう少しゆるめましょうと、憲法が邪魔だということになります。
だからといって、海外に出て誰かがやる戦争と一緒になってたたかう、イギリスなみにアメリカの同盟国になりたいと思う人はそう多くはないですね。現にイギリスはイラク戦争で判断を誤ったとして、ブレア首相が退陣に追い込まれました。オーストラリヤのブッシュ政権に追随していたハワード首相も退陣に追い込まれています。彼は落選までしています。
そういう形で世界の中ではアメリカに対する無原則な協力というものに疑問符がついてきているという中で、日本は一人協力を深めていこうという流れにある。異質な国になりつつあります。
本来であれば憲法九条の理念を世界に広げるべきなのに、むしろこの理念が普通の国になるのに邪魔だとかなぐり捨てようとしている瀬戸際まできているというところで、日本は非常に変わった国になりつつあるというふうに思います。
今自衛隊というのは自分の組織を守ることが一番目、危険地域に行って隊員が死ぬと組織がぐらついちゃう、だから無理な派遣命令が出そうになるとみんなでこぞって制服を背広に着替えて国会に行って、「先生、実はですね」と憲法の枠内での派遣命令の不当性を説明します。それの繰り返しなんです。ということは憲法九条は自衛隊によって守られているという妙な理屈が成り立ちます。
彼らが今、自分たちが一番の平和の使者だと半ば冗談に言いますけど、当たらずといえど遠からずという妙な話しになっています。
高裁レベルで違憲とする画期的な判決が出されて力づけられたところですが、米軍再編に自衛隊が当たり前のように組み込まれている今、この流れに任せていけば、憲法が怪しくなります。何とか皆さんのような会でも国民の声を高めていって、我々も積極的に行動しますが、提携して力にしていきたい、そんなふうに思います。
もくじへ増岡敏和(詩人)
私の母は、1965年11月に亡くなった。78歳であった。私の昨年の年齢と同じである。それを記念して、一昨年の暮れに母への思いを託した私の、先月に続く小さな一本の詩の弔旗を、またここに立てさせていただくことにする。
というものである。追記すると母も原爆被爆者である。当時私の一家は9人もいたが、そのうち4人が被爆している(爆死者1人)。このことは次号に書くつもりでいる。
本間昭信(中新井在住)
映画「靖国(季纓監督)」の上映中止問題から、政治介入した自民党稲田朋美衆議院議員・有村治子参議院議員らへの批判と、言論・表現の自由、国民の知る権利を守れという声が大きく広がっている。
昨年12月に週刊新潮が、この作品を「反日映画」呼ばわりし、文化庁が助成金を出したのは問題と報道。これを受けて稲田議員が公開前の試写を文化庁に要求。当初稲田氏が会長を務める「伝統と創造の会」(改憲派で構成)の試写会として要求していたが、配給会社の拒否で全国会議員対象という形で3月12日に異例の試写会が行われた。これがマスコミで報じられた3日後には公開予定の映画館が上映中止を決め、右翼の卑劣な“街宣行動”もあって、上映予定館が次々に中止を決めた。
まずはこのこと自体が「言論・表現の自由」、「検閲はしてはならない」という憲法21条に係わる問題であり、公権力の側の自民党議員が関与したことは決して看過できない。
更に3月27日の参議院内閣委員会で有村治子自民党参議院議員が、映画「靖国」を「反日」・「反靖国」の政治的・宗教的喧伝意図を持った作品と断定した上、芸術文化振興基金からの製作助成金を問題視し、審査委員会の中に「映画人九条の会」のY氏というメンバーがいる、「九条の会というのは、ご承知のとおり、憲法九条をめぐって護憲という立場で政治的メッセージを明確に打ち出して活動されていらっしゃる団体」で「そういう思想的には大きな信念を持っている方が(審査委員会に)入っていらっしゃった」、「Y氏の政治的、思想的活動が当該映画の助成金交付決定に影響を与えたのではないかという国民の皆さん、私たちの疑念を振興会の公的責任として払拭していただきたい」と発言。
あたかも憲法九条を護るという思想は特定のイデオロギーであり、こういう思想の持ち主は審査委員会から排除すべきという論法である。
有村氏らの発言は憲法尊重擁護の義務を負う国会議員の発言かと耳を疑うものである。「映画人九条の会」はこの有村発言に対し、「1940年代末から1950年代前半にかけてアメリカの下院非米活動委員会が強行した“赤狩り”=ブラックリストづくりに匹敵する暴言」として、「映画『靖国』の上映中止問題全体を論じることとは別にして、「映画人九条の会」に対するこのような理不尽な言及と非難を黙視することはできません」との抗議声明を発表した。今回の問題の背景に「自由と民主主義」を踏みにじる改憲派の重大な本質が見えてくる。
もくじへ寺島幹夫(小手指元町在住)
発声練習に広く使われてきた北原白秋の「あめんぼう」を現代風に書き直しました。
今作曲中ですが、とりあえずは「どんぐりころころ」のメロディで歌えますので、「あの誓い」を忘れないよう歌い広げてください。長田創一郎(こぶし町在住)
私が初めて「憲法」という言葉にふれたのは、小学校6年生の歴史の授業で「憲法発布」という科目でした。しかし、ここで教えられたのは「日本の憲法は多くの国々の憲法が血で塗られたのとは違い、畏れ多くも(明治)天皇陛下のありがたい思し召しによって、我々臣下に下し賜った尊い優れた世界に誇るべき憲法です。この憲法によって貴族院と衆議院の二院によりなる帝国議会が設けられました」という具合の手放しの天皇制礼賛でした。もちろん憲法の条文など見たこともありません。そんなわけで、いたって詰まらない授業なので、正直な話、授業が終わるとすぐにみんな忘れてしまいました。
つぎに私が「憲法」という言葉にふれたのは、終戦直後、マッカーサーが日本政府に憲法改正の必要性を指示して近衛が改正の検討を始めたときです。私もそれに触発されて、初めて「大日本帝国憲法」を通読しましたが、あまりの天皇専制に驚きました。
やがて各方面から憲法改正案も出揃いましたが、どれも天皇の権限を縮小して代わりに。議会の権能を拡張する点では大同小異でした。最大の戦犯・裕仁を認めて、「何の憲法改正か」というのが私の心境でした。
ちょうどそのころ、高野岩三郎先生の「君主制を廃止して大統領制を導入する改正案」が発表されました。私は「君主制廃止」には大賛成でした。すると、すぐに日本共産党の憲法草案が発表されると、これにはハッキリと第一条に「日本は人民共和国家である」と規定しているうえに、国会や人民の権利保障がじつに細かく具体的に規定されているのに非常に感激しました。私は今でも日本人民共和国が実現できなかったことが残念でなりません。
ところが、その生ぬるい現行憲法を「帝国憲法」に戻そうという輩が「憲法九条の会」を目の仇にして、いろいろと画策している現状は断じて許すわけにはいきません。それで非力を省みず「九条の会」の末席を汚しているわけです。ともに憲法擁護のために汗を流そうではありませんか。
安東彰義(こぶし町在住)
4月17日、名古屋高裁での「航空自衛隊の空輸活動は憲法違反」「平和的共存権は、憲法上の法的権利」との判決は、文字通り「画期的」であったと思います。
判決は、自衛隊のイラク派兵は「人道的支援」と言い張った政府の言い分を完全に否定し、きっぱりと憲法九条に違反していると断定したことは、当然といえば当然のことでした。
しかし、司法の「反動化」が進み、日本国憲法の精神に即して、基本的人権や生存権的自由権、そして平和憲法にふさわしい判決を行ってきたことが、きわめてまれになっていることを考えるとき、この判決のもつ意味は重いものがあると考えます。
三権分立主義は民主主義のおおもとをなすものです。今回の判決は、私たちにこのことの大切さをも教えてくれたと思います。
高村外相は「大臣を辞めて暇でもできたら読んでみる」と、不真面目、否それを通り越して「不遜」な発言をしました。
また、航空自衛隊の幕僚長がタレントの芸をまねて「そんなの関係ねえ」などと、無責任な態度をとりました。
イラクでは百万人以上の民間人が殺されたといわれています。国際的にも国内的にも大きな問題になっている「イラク問題」をおもしろおかしく茶化し、無視し、強行する自公政権に未来を託すことはできません。ちなみに福田政権の支持率は25%に低下し、政権の維持すら困難となってきたと、マスコミは報じています。
今回の判決を活かし、イラクからの航空自衛隊の撤退を強く求めようではありませんか。
もくじへ竹田裕子(並木在住)
公園の桜は三分咲き。春爛漫とばかりうかれたいところだが、気分が晴れない。じつは3月21日にかなりシリアスな映画「明日への遺言」(大岡昇平著「ながい旅」)を見て、胸をうたれたからだ。
2月の石垣島滞在中、観音崎灯台の近くに、戦時中ここで撃墜されて日本軍に殺害された米兵をいたんで島民が建てた碑があることを息子におそわり、こんな美しい海ではげしい戦闘があったことを知った。先日「文褻春秋4月号」を読んでいたら、はからずも、中村桂氏による説得力ある一文「BC級戦犯岡田資(たすく)の戦い」をみつけ、その中の石垣島事件のひと文字に目がくぎづけになった。
この人こそ、石垣島で犠牲になった米兵たちの“加害者たち”とも深くかかわり、連座した41名のうち32名の若者の命をすくった人でもあったからだ。
映画は期待以上のものだった。ピカソのゲルニカの絵と追悼のピアノ曲ではじまり、なにひとつむごたらしいシーンはないのに、抑制された静かな語り口で岡田中将の最後の日々を描いて、戦争のむなしさ、哀しさ、家族の苦悩、悲しみを観る者にうったえかける。主人公を演じる藤田まことの迫真の演技、まるで岡田中将の魂が乗りうつったようだ。検事役はスティーブ・マックイーンの息子、アメリカ人の俳優はオーディションで厳選されたそうで、こちらも文句なしの演技。今まで知らなかった巣鴨プリズンの様子や法廷、処刑場も再現されていた。
ここで、戦争をおこし、それに荷担した日本の軍人たちを賛美する気はまったくない。彼らが処罰を受けるのは当然であると思うけれど、その身を賭して部下たち(多くは20代の若者たち)に生と贖罪のチャンスを与えるべく最後までつとめ、さらに若き死刑囚たちを仏道で支えたひとりの知的な軍人の生き方に心を打たれずにはいられない。その精神は軍人のみならず、普遍的な人間の生き方に通ずるところがあるからだろう。岡田中将の助命嘆願につくし、彼の最期に立ちあった教講師、田嶋隆純氏は、「9月17日午前零時半、氏の肉体のみが絞首台に崩れた」としたためたという。
忍足欣四郎様(小手指町在住)
3月26日、ご逝去されました。
お悔やみ申し上げます。
もくじへ