機関紙36号 (2008年7月7日発行)
鴨川孝司(「マスコミ・文化 九条の会 所沢」機関紙 編集長)
この6月、大江氏をはじめとする9氏による「九条を輝かせよう」とのアピールが出されて4年目を迎えました。このアピールがこの短い間に、国民の中に大きな変化を作り出したことを実感しています。それはこのアピールに込められた九条を輝かせようということが21世紀の世界が求めている世界平和への展望を開き、また、九条を守るその一点で力を合わせようという運動の方法も国民を大きく団結させる一歩として力を発揮したからでしよう。
この間、私たちの九条の会もこのアピールに応え、大いに奮闘してきました。しかし今、日米同盟の強化に向けた動きはさらに強化されようとしており、改憲派もこれにあわせて恒久派兵法をはじめあの手この手と策動を強めようとしています。
こうした動きを見るとき、私たちはさらに新たな決意を持って取り組みを強めることが大事だと痛感します。この九条を守り戦争をする国にさせないために、もっと多くの人との間に九条を守り輝かせるつながりを広げていくことが求められ、今までにもましての智恵と力が必要となるでしょう。
もっともっと広がりを持った運動を発想し、それを支えて発展させていく力をどのようにつくっていくのか。これが焦眉の問題になっていると思います。その探求の一つを、この2年間のニュースの発行の経験に求めることができます。定期に発行し、時宜にかなった情報が掲載され、それの手配りによる配布が会への信頼を一歩一歩を築き、市民の中に「マスコミ・文化 九条の会 所沢」の存在を認められるようになりました。勿論、至らないところは数々あるのですが、前に向かって歩む中で改善を目指していく。平凡だが、倦まずひたすらに九条に向かって進んでいく、その中でこそ、大きな力は作られていきます。そして、ニュースが今の5倍10倍の人に届けられるようになったら、抱いている展望も確かなものになるでしょう。
今、全国には7千をこえる九条の会がつくられ活動していると報じられています。私たちが活動しているこの所沢は34万の人口を有し、米軍基地があり、首都近郊の都市として社会の変化を敏感に反映する街です。この所沢での九条を守る多数派を目指す運動は全国での多数派形成への一つの貢献となるものでしょう。全国での多くの経験からどん欲に発展のエキスを吸収していきたいものです。
もくじへ浜林正夫(一橋大学名誉教授)
もう4年経ったのかというのが正直な気持ちです。この4年間、みんな一生懸命に憲法の勉強をしました。大げさに言えば、一億総憲法学習の4年だったと思います。
解釈改憲の積み重ねで、9条はかなり骨抜きにされてしまいました。戦力不保持の国が今では世界有数の戦力を持つ国になりました。その戦力は専守防衛のはずだったのに、いまでは世界中どこへでも出動することが可能になっています。出動先も非戦闘地域だけに限られていたはずなのに、米軍の戦闘が現におこなわれているところへも出動しています。そしてついに9条をすっかり変えてしまうための国民投票法が強行成立したときに、そこで国民は踏みとどまりました。国民投票法も、憲法審査会もまだ生きていますが、簡単には動けなくなりました。インド洋に派遣されていた給油艦がいったんは引き上げざるを得なくなるという状況も生まれました。名古屋高裁で航空自衛隊の活動に違憲の判決が出ました。
しかし、9条の骨抜きも、9条の改悪の企てもまだ続いています。海外派兵恒久法の制定の動きや新憲法制定議員同盟の動きには一瞬も目を離せません。いまは、いわば「つばぜり合い」の状況なのです。ここ2、3年が勝負どころでしょう。このたたかいに勝ち抜くまでは、死んでも死にきれないという思いでがんばりぬきます。
もくじへ山原啓子(中富南在住)
召集令状、それは逃れようのない強制力と、それを手にした者を恐怖と絶望の淵に追い落とすような残酷さをもっていたに違いありません。その時、父は19歳、母は18歳で結婚して2ヵ月しか経っていなかったそうです。
貧農のうえに10人の大家族。その稼ぎ頭の長男であったが、少年兵として出征。中国、満州、ビルマを経て、大平洋戦争大激戦地となったインパール作戦にかり出されていったそうです。父の所属部隊から3000人が動員され、生き残ったのはたった300人だったといわれています。地獄の底から這い上がるようにして日本に復員してきた父でしたが、その後は40度以上のマラリア熱や戦地の悪夢にうなされ、夜中に脂汗をかいて飛び起きるといった後遺症にたびたび苦しめられる長い年月を過ごさなければなりませんでした。
私も兄妹達も戦後の生まれですが、戦争を忘れるためか酒浸りとなった父と共に、暗く重い戦争の傷跡を背負うこととなりました。
戦争の惨禍は何世代にもわたります。そして、戦場とされてしまったアジア全域には今なお多大な傷跡が残っています。
父母の時代にはやめさせることが出来なかった戦争。しかしいま、私たち日本国民は、戦争を許さない日本国憲法と憲法九条を持っています。改憲論が柩の中から息を吹き返しつつあった4年前、「九条の会」はいち早く危険を察し、全国民に向けてアピールを発表しました。それが大きな力となり、7000を超える「九条の会」が誕生し、憲法を、九条を守ろうとの世論が再び大勢を占めるに至っています。改憲を唱えることができない状況を作り出すよう闘いの輪を広げましょう。
間島 弘(マスコミ・文化 九条の会 所沢 世話人)
「9・11」事件の衝撃後、世界の状況は大きく変化しました。アメリカは“テロリストに対する自衛の戦争”としてアフガニスタンヘの侵攻(01年10月)、国連決議なしでイラクに対する武力攻撃を開始しました(03年3月)。こうした世界情勢…とりわけアメリカの意向をうけ“自衛隊が米軍の要求する行動ができないのは九条があるからだ”という論調がアメリカや自民党によって意図的に作られました。
「日本国憲法は、いま、大きな試練にたたされています」で始まる「九条の会」アピールが発表されたのが、04年6月10日でした。
井上ひさし、大江健三郎、加藤周一といった現代日本を代表する知識人9名が発したこの「アピール」をマスコミはまったく報道しませんでした。
「小田実さんから『全国で講演会を開き、草の根からの運動をやろう』との提唱をうけ、全国各地で、会場にあふれる人たちが集い、地元の新聞やテレビが報道せざるを得ない状況を作ってきました」(「九条の会」事務局長、小森陽一さん)。そのことが多くの人を励まし、地域や職場でさまざまな「九条の会」が誕生しました。私たちの「マスコミ・文化 九条の会 所沢」もこの呼びかけに応え05年3月26日に結成されました。
05年10月28日、自民党は、九条二項を投げ捨て、「自衛軍」を創設するという「新憲法草案」を発表し、翌06年には、憲法「改正」を真正面に掲げた安倍内閣がスタートしました。ご承知のように、この内閣は、国民の反撃にあい参議院選挙で「歴史的」大敗を喫し、安倍首相は辞任しました。参議院選挙での与野党逆転の要因をつくったのも「九条の会」3年目の世論の反映といえます。その後、あの『読売新聞』の世論調査でも「九条」堅持が多数派になりました。「九条は変えない方がよい」というところまではきました。しかし、自・公政権はさまざまな方策で「九条」改悪を狙っています。「憲法九条を活かしていく」という圧倒的な世論を作っていくことが今、求められています。これからが「九条の会」の正念場であり、智恵の出しどころといえます。
戸塚章介(新聞OB九条の会)
新聞OB九条の会では、毎年、憲法記念日(5月3日)の新聞論調を調査・分析して会報に発表しています。今年の論調を見ると、ただ憲法九条を守るだけでなくどう活用するかという課題、それから平和的生存権の問題が取り上げられたことが特長でした。これは、この数年の憲法をめぐる改憲派と護憲派のせめぎあいから、一段階進んだレベルの問題提起として私たちは評価しています。
戦前の歴史を見るまでもなく、国民の生存権が最も脅かされるのは「戦争」なのです。赤紙一枚で戦場に投げ込まれた兵士はもちろん、銃後といわれる国内でも、原爆や空襲、酷いときには沖縄のように兵士と島民の区別なく命の危険にさらされました。そんな中で、「お国のために死ぬこと」を拒否すれば、(映画「日本の青空」が活写しているように)「非国民」「国賊」として国に殺されたのです。
いまの日本はどうなっているのでしょう。年間3万人を越える自殺者、ワーキングプアで喰うや喰わずの生活難民、高齢というだけで医療に見放される人たち。これは、憲法25条で保障された国民の生存権が脅かされていることに他なりません。
そこのところにやっと新聞メディアも気がつき始めたことだと思います。紙面批判を強めると同時に、「平和的生存権」の論調を大事に育てていく必要があります。
もくじへ増岡敏和(詩人)
父の章を繙くと ゆくりなし
赤肌の丘に夕日がとまっていて
遠い空の浜に破船が傾いている
とんびがゆったり輪を描いて
召集されるよりは 敗れるまで
外地勤務を選んだばかりに
敵弾を胸にまともに受けて
父の「逃亡」の万策の尽きた日
受けとった遺骨箱をゆすると
かたっと音がして 位牌が倒れ
大夕焼の田圃に父は寝そべってしまった
山口真美(弁護士 三多摩法律事務所)
自民党は、自衛隊を常時海外派兵できる態勢をつくる自衛隊の海外派兵恒久法について、通常国会の会期末までに要綱をまとめ、秋の臨時国会で成立をはかるとしている。
直接的な動機は、来年1月に新テロ特措法が期限切れとなり、同年7月にはイラク特措法が期限切れとなるため、自衛隊の海外派兵を中断させないようにすることにあるが、その背景は深い。昨年9月に明文改憲を強行しようとした安倍政権が崩壊し、明文改憲が必ずしも容易でないとなった事態をふまえ、ともかくも立法による改憲を先行させ、立法による九条の破壊を極限まで推し進めようとしているのである。
改憲派は、明文改憲と立法改憲を車の両輪として九条破壊を推し進めようとしているのであり、こうした位置づけに鑑みれば、恒久派兵法を単なる特措法の恒久化であるとして軽視することはできない。
では、なぜ、ここまで九条破壊を急ぐのか。その理由はアメリカにある。アメリカは、先制攻撃戦略に基づき、いつでもどこへでも迅速に米軍を派兵できる体制を確立し、軍事的な圧力によってアメリカの国益を実現しようとしている。そうした中で、1 日本の自衛隊がアメリカ軍の軍事作戦に機敏に対応できないこと、2 自衛隊による米軍支援の実態が貧弱であることに対して、アメリカは強い不満をいだいている。アメリカの要請に応え、その不満を解消するためには何がなんでも九条を破壊する必要があるのである。
自民党が成立を目論む海外派兵恒久法のたたき台となるのが、06年8月30日、自民党国防部会防衛政策検討小委員会(委員長・石破茂現防衛相)がとりまとめた「国際平和協力法案」(石破試案)である。石破試案の特徴をみれば、自民党が目指す海外派兵恒久法の危険な本質がいっそう明らかとなる。
第1に、自衛隊の海外派兵の出動の要件を拡大・緩和している。これまでPKO法やイラク特措法などの海外派兵法は、国連決議や国家機関の要請を条件としてきた。しかし、石破試案は、国連決議や国家機関の要請がない場合でも、「国際の平和及び安全を維持するため」日本が必要と認めれば、自衛隊を海外に派兵できるとしている。「国際的協調の下に」と称するが、実際にはアメリカによる要請に応えて自衛隊をいつでも、世界中のどこへでも派兵できるようにするための法整備である。
第2に、自衛隊に認められる活動が「後方支援」から前線での戦闘へ拡大している。石破試案は、これまでは「安全確保支援活動」に限定していたものを「安全確保活動」そのものにエスカレートさせた上、「警護活動」まで認め、イラクやアフガンで現に実施されている掃討作戦や治安作戦を行う広範な権限を自衛隊に付与しようとしている。また、「船舶検査活動」として海上阻止活動をも想定している。アメリカ軍との共同軍事行動を想定したものにほかならない。
第3に、出動した自衛隊がいかなる場合にどの程度まで武器を使用できるか、その活動の態様、武器使用の要件を拡大・緩和している。PKO法・「周辺事態法」・「船舶活動法」、「テロ特措法」、「イラク特措法」では、「刑法36条(正当防衛)・37条(緊急避難)に当たる場合以外は、人を殺傷してはならない」という条項が入っていたが、石破試案では、「正当防衛」「緊急避難」に当たらない場合でも人を殺し傷つけることを認めている。しかも、相手方からの現実の攻撃があることは武器使用の要件になっていない。使用できる武器についても「小型武器」に限定されないのである。これはイラクやアフガンの戦地や危険地帯でのアメリカ軍との共同軍事行動を予定するものであり、石破試案では、自衛隊員が市民を殺傷するおそれがある。
こうした石破試案の3つの特徴を見れば、恒久法の目的が、日本の自衛隊がアメリカ軍の軍事作戦に機敏に対応し、自衛隊による米軍支援をいっそう充実させることにあることは明白である。「国際平和協力」という美名の陰には、アメリカとともに戦争と殺戮を行う危険な目的が隠れている。
自衛隊の海外派兵が憲法違反であることは、本年4月18日に名古屋高等裁判所において、明確に断罪された。判決は、バグダッド周辺で行われている航空自衛隊による米軍などの輸送を他国による「武力の行使」と一体とした活動にあたるとして憲法九条一項に違反すると判断した。
自衛隊による輸送活動はイラク特措法の「安全確保支援活動」として行われているものである。恒久法では、「支援」から「安全確保活動」そのものに自衛隊の活動をエスカレートさせようとしているのであるから、憲法九条に違反することは明らかである。
イラクては現在も悲惨な戦乱が続いている。イラクの人々の犠牲は推計65万5千人(イギリス医学雑誌「ランセット」06年10月21日)といわれ、国内外で500万人近くが難民化している。他方、アメリカでも犠牲は増大している。アメリカ兵の死者は4千人を超え、負傷者はその数倍にのぼり、帰還兵のPTSDや自殺も相次いでいる。
こうした犠牲が増える一方で、自爆テロは急増し、テロは世界に拡大している。武力が何の解決にもならないことは明らかではないだろうか。
日本国憲法は、アジア・太平洋戦争の反省にたって、非戦・非武装の恒久平和主義を誓った憲法であり、九条こそが平和を願う世界の流れにそうものである。
九条に反する海外派兵恒久法は何としても阻止しなければならない。
(マスコミ九条の会、ホームページから転載しました)
大森喜久男(所沢演劇をみる会)
ご覧になった方もおいでだろう、「歌わせたい男たち」という芝居がある(二兎杜)。
2004年春、東京で国歌斉唱時に不起立や伴奏拒否によって、多くの先生が処分された。今も事態は続いているが、これを脚本家の永井愛氏が芝居に仕立てたものである。
不起立を貫く社会科教師と、初めて「君が代」を伴奏する音楽講師を相手に、校長が必死の説得を続ける笑ってしまう芝居である。
当初、この芝居はロンドンのある劇場との提携公演になるはずだったそうだ。ところがあらすじを書き送ると、これは何十年前のお話かという問い合わせの電話が来た。そして、「この芝居をロンドン市民に理解させるのは不可能だ」と、それこそ拒否されたという。
永井さん自身も、処分の記事を新聞で読んだとき、あれ?憲法まだ変わってないよね?思想・良心の自由って、保障されているんだよね?と思ったそうだ。
芝居は大入り満員。再演も校長役の大谷亮介の怪漢ぶりに、ホールは笑いの渦だった。
04年、所沢演劇をみる会は例会として、ジェームス三木作の「真珠の首飾り」(青年劇場)を取り上げた。日本国憲法誕生の舞台裏を描いた作品で、ご存知のベアテ・シロタ・ゴードンさんも、スタッフの一人として登場する。この憲法の徹底した平和主義によって、以後日本は外国との関係で、一人も殺すことなく殺されることもなく来ている。三木氏は「この憲法が百歳まで生き抜けば、世界の賞賛を受けるだろう」と語っていた。
かつて日本の新劇は弾圧をうけ、沢山の劇団員が投獄された。それを繰り返してはなるまい。平和も人としての暮らしも、何もしなければ痩せていく。演劇は、そのことに気づかせ考えさせてくれる大事な文化である。
所沢演劇をみる会は、これからもそこのところを大切にしていきたいと思う。
もくじへ小井澤きよ子(上山口在住)
わたしが言いたいことって何だろう。憲法をどうしたいのだろう。みんなが平和を願ってもらいたいと思うけれど「みんなが同じ方向を向くってどうも」とも思う。けれどこれは絶対譲れないこと戦禍に苦しむのはわたしたち一般市民なのだから…ということは平和憲法と言われている日本国憲法をずっと維持し守って行かなければならないということ。
ノルウェーがクラスター爆弾の禁止条約を作る中心の役割をしたとのテレビニュースを見て憲法九条を持つ日本こそこの役割を担い取るべき道なのだとあらためて思う。またアフリカのある国が憲法を作る時日本の九条を参考にしたというニュースもあった。世界の人の方が良く知っているのかな。空気のようにいつでも自分の周りにあるからとても良いものだと感じることなく人々は生活しているのかな。
わたしの歴史の中でいつの時代に憲法を学んだのだろう。どこからわたしが憲法を守りたいと思う側になったのだろう。小中学校の頃は学校が嫌いでよく休んでいたので教わらなかったのかな。高校・専門学校の時に習った記憶があるけれど強く印象に残って大切に思う程ではなかったと思う。
でも今、わたしはこちら側に居る。それがいつどうしてこうなったかが解ると良いのだけれどそうすれば、このすてきな憲法を守るか守らないかと常に考えていなければならないという不安定なものではなく、どっしりと国の基本として有る国になるよう活動を進められるのだけれど。
田中 博(椿峰在住)
私はこの7月で満80歳になりますが、物心ついた頃から戦争に明け暮れた毎日でした。
中学生のとき、朝礼で校長から、毎日「志願兵になれ」とどなられ、おおくの友人が志願し、そのうちの何人かが戦死したと、後になって聞かされました。
また食べ盛りの年頃なのに食料も乏しく、母の作ったお茶がらの佃煮を食べた日々を忘れることは出来ません。
今も世界のどこかで戦争のために苦しんでいる人が大勢いますが、戦争だけは絶対に許すことは出来ません。
持丸邦子(大学教員 山口在住)
この会議の成果は何と言っても、9条の思想が幅広い年代層の間で共有されていることを確認でき、多くの参加者が、さらに前に進もうという気持ちになったことです。憲法改正を主張してきたメディアも、海外のメディアもこの会議の熱気を報道しました。ここにボランティアとして参加した立場でご報告します。
はるばる所沢から幕張においでになられた皆様、ありがとうございました。2日目の受付では、何人もお顔なじみの方々にお会いしました。しかしながら、1日目のアリーナ会場には入場できなかった方々がたいへん大勢いらっしゃったことを、知りました。
前日、幕張メッセで翌日配布するプログラムのセッティングをしている時点で、チケットの売れ行きが予定入場者数7千名の半分くらいしかない、という話に、用意したパンフレットが全部なくなってしまうなどとは誰も思わず、4千部しかセットしませんでした。準備終了後の、レセプションでグッズ販売をしながら、国内外のそうそうたるゲストが集まるのを見て、これで空席ぱかりだったらどうしよう、と考えていました。
会議の初日5月4日、私はまず、メイン会場とは別棟にあるNGOブースで、自分が関わっている「平和のための戦争展」(東京会場)のメンバーと顔を会わせました。午後からは、メイン会場内の同時通訳のイヤホン貸出係で、プログラムの大部分を見ることができました。
基調講演の後、午後からのライブステージでトリの加藤登紀子さんが歌い終えたのは、夜の10時を過ぎていました。その頃には、けっこう空席もありました。最後は会場皆で肩を組んで歌いました。何の歌だったか、「うたごえ」以降の世代の私には???
翌5日は分科会でのシンポジウム等でしたが、ここでも会場に入れなかった方たちが大勢いたようです。
この2日間の催しを2時間程度に編集したDVDが7月末には販売される予定ですので、何か活用できれば、と思います。
なお、最後に所沢からも2人の若者がこの会議のボランティアとして活躍したことをお伝えします。
所沢市役所に市内10番目の「九条の会」が誕生しました。代表世話人の平沼克典さん(狭山市生まれ、37歳)にお話しをうかがいました。平沼さんは市役所の市民課が職場です。
「労働組合では書記次長をしています。私たち公務員には、憲法擁護義務があります。改憲には断固反対しなくてはなりませんが、若い人には、そのことに無関心な人が多いのも事実です。私は原水爆禁止世界大会の長崎などに参加した経験から、いま平和を守るために、何かをしなくては、と考えてきました。
そこで、執行委員会でも論議を重ね、『所沢市役所9条の会』を立ち上げました。まだ、まだ参加者は二桁ですが、頑張って三桁に乗せようと思っています」と語ったうえで、当面の目標として、「『日本の青空』上映の成功に全力を挙げます。毎月9日の取り組みも検討中。自治労連の組合で九条の会を立ち上げたのは所沢市役所が初めてかと思います。厳しい公務員攻撃がありますが、公務員も攻撃する人と同じ労働者です。平和に暮らせる日々を一緒に考えて行きたい」と話しています。連絡先は04-2998-9295自治労連所沢市職員労働組合内
■第31回瀝西美術展
日時:7月13日(日)〜20日(日)
会場:所沢市文化センター(ミューズ2階)
イベント7月19日(土)5階第2展示室で話しましょう!歌いましょう!オカリナ愛好家、マンドリンとご一緒にどうぞ。
■映画「シッコ」上映会
ムーア先生、急患です。アメリカの医療は、日本の明日です。
日 時:7月17日(木)ミューズ小ホール
時 間:2時と6時の2回上映
鑑賞券:1000円
主 催:所沢社会保障推進協議会
連絡先:所沢地区労 04-2992-9927
■中原道夫朗読会 詩集「人指し指」を語る
いま命は?そして平和は?命の尊さと、平和への願いをまっすぐに問う詩人の聲…
日 時:7月24日(木)
開 場:6時30分
開 演:7時
入場料:予約2500円 当日2800円
会 場:ギャルリー東京ユマニテ
中央区京橋2-8-18昭和ビル B1F TEL03-3562-1305
地下鉄銀座線京橋駅6番出口から徒歩1分
■第56回平和美術展
日時:7月28日(月)〜8月11日(月)
場所:東京都美術館(上野公園)
藤原秀法さん(会員)も出品されます。
■長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」の上映とひめゆり学徒・与那嶺さんと女優谷英美さんのトークショー
1の上映後と2の上映前に沖縄ひめゆり学徒の生存者であり、この「ひめゆり」にも出演されている与那嶺百子さんとアローン・シアターの女優、谷英美さん(会員)のトークショーがあります。
日時:7月31日(木)
場所:埼玉会館小ホール(浦和駅西口徒歩5分)
上映時間:1. 10:00〜12:30
2. 14:00〜16:30
3. 18:30〜19:40
前売券:1000円(当日200円増)
主催:映画「ひめゆり」をみる会
後援:さいたま市、さいたま市教育委員会、朝日、読売、毎日のさいたま支局
埼玉新聞