機関紙89号 (2013年6月25日発行)



もくじ

護憲・改憲派 立場超え結集
  「96条守らねば憲法破壊」研究者が「96条の会」発足
    
九条の会からの訴え
  「九条の会のみなさんへ」
 
6月9日、8周年総会を開催
  高橋玄洋さんが(劇作家)記念講演

「原爆、戦争そしてテレビで体験したこと」
  高橋玄洋さんの講演要旨 ①
   TV界から離れたわけ
   三分の二が孤児に
   何千もの白木の箱の行列
   メロディーの持つ魔力
   「流れ」を知る大事さ

太郎の部屋のほっとたいむ 10
  たまには落語もいいものだ
   鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

鈴木彰の「アベのミス崩壊するのが当たり前」

会員の発言
  自民の「壊憲」を許さない 若者たちの政治参加に期待
   行木恒雄(椿峰在住)

「学びのシリーズ②」

短 信
  ●9条の会所沢やまぐち DVD試写会
  ●生存権があぶない! どうなる生活保護
  ●2013国民平和大行進
  ●マスコミ・文化九条の会所沢【学びのシリーズ】《現場で考える一その3》
  ●2013平和のための埼玉の戦争展
  ●平和祈念式典
  ●2013平和のための所沢戦争展
  




護憲・改憲派 立場超え結集

「96条守らねば憲法破壊」研究者が「96条の会」発足

 安倍晋三首相が意欲を示す憲法96条の先行改憲に反対する憲法学や政治学の研究者でつくる「96条の会」が5月23日発足し、代表の樋口陽一東大名誉教授らが永田町で記者会見した。護憲派だけではなく、改憲派の論客として知られる小林節慶応大教授をはじめ奥平康弘氏ら39氏が名を連ねている。

 会見では、「憲法の破壊だ」、「政治家集団の暴走」など96条の先行改憲へ批判が集中した。96条は改憲の発議に衆参両院で三分の二以上の賛成が必要と定めているが、安倍首相は、これを過半数にハードルを下げる改憲の是非を参院選の争点にする構えだ。

 代表に就任した樋口氏は、「なぜ96条の会を立ち上げるのか」として、学問的には憲法改正権を使って改正規定を変えることは「法論理的に問題があるとされてきた」と強調したうえで、「ゲームの当事者がゲームをやりやすくするためにルールを変えることに違和感があるのと同じ」と解説した。

 慶応大学の小林節教授は、「今回は憲法破壊だ」とし、「(安倍首相は)憲法を国民の手に取り戻すというが、憲法に拘束される権力者が『国民』を利用して憲法を取り上げようとするもの。この国の民主主義は危ない曲がり角にある」と指弾した。

 上智大学の中野晃一教授は、「(96条の)三分の二規定は料理にたとえれば国民が国会に対してちゃんとした料理を出せというもの。料理人の腕が落ちて、いいかげんなものを出せないときに、いいかげんなものを出せるようにするのは保守の劣化だ」と語った。

 山口二郎北海道大教授は、「96条の争点化は前代未聞で、保守政治の劣化の象徴」と話し、強い危機感が会の発足につながったことを強調した。

 この日は超党派の議員連盟「立憲フォーラム」の会合も開かれ、一般公開で小林教授の講演会を開き、民主、共産、社民の国会議員ら約100人が参加した。改憲手続きの緩和を阻止する動きが加速してきた。

自民党の長老が警鐘

 こうした中、古賀誠・元自民党幹事長は6月2日付け「しんぶん赤旗」にインタビューで登場「現行憲法の平和主義、主権在民、基本的人権という崇高な精神は、尊重しなければならない。なかでも平和主義は『世界遺産』に匹敵する。いま96条を変えて憲法改正手続きのハードルを下げるのは認められない」と主張した。かつて自衛隊のイラク派遣の法案採決で退席したことなどにも「戦争を知らない世代に目に見える形で示したかった。間違ってはいなかった」と語り、政界に波紋を投じている。



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九条の会からの訴え

「九条の会のみなさんへ」

 2004年6月、私たちは「九条の会」を発足させ、「日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力をいますぐはじめること」をよびかけました。これに応え、全国各地、各分野に7000を超える「九条の会」が結成され、それぞれが創意あふれる運動を展開してきました。私たちはみなさんのこの間のご努力に心から感謝し、敬意を表します。しかし私たちは今、その努力を飛躍的に強めることが求められる重大な局面を迎えています。

 安倍内閣・自民党は小選挙区制という極端に民意をゆがめる選挙制度の力で得た虚構の多数を背景に、改憲に向けて暴走しはじめました。安倍首相はその入り口として憲法96条をとりあげ、現在衆参それぞれの3分の2の賛成とされている憲法改正の発議要件を過半数に緩和するとしています。これが、時々の多数派のつごうで憲法を変えられる状況をつくりだし、立憲主義を破壊するものとなることは明らかです。

 しかも安倍首相の真のねらいは、96条改憲を突破口に、9条改憲につきすすむことにあります。
 すでに自民党は「日本国憲法改正草案」を作成し、第9条については、自衛隊を国防軍として個別的・集団的自衛権の行使やアメリカの組織する多国籍軍への参加を可能にするよう改変しています。また、軍法会議の設置や軍事秘密保護法の制定、首相による非常事態宣言の発令など、「戦争をする国」をめざした体制づくりを全面的にすすめようとしています。

 同時に安倍首相は、憲法の明文改憲が実現する以前にも、憲法の解釈変更によって「憲法9条のもとでは許されない」とされてきた集団的自衛権の行使を可能とし、海外でアメリカと一体となった武力行使をおこなおうとしています。

 私たちは憲法9条の精神を根本から否定する明文・解釈両面からのこうした企てを絶対に許すことはできません。そのため、全国の「九条の会」のみなさんに、あらためてつぎのことをよびかけます。

◎全国の「九条の会」は明文・解釈両面からの改憲攻撃について学習と語し合いをおこない、その成果をふまえ職場・地域の草の根から改憲反対の世論をつくり、安倍内閣や改憲勢力を包囲しましょう。
◎「九条の会」の輪をもっともっと大きくし、ゆるぎない改憲反対の多数派を形成しましよう。
◎ブロックごと、都道府県ごとの交流集会を開き、お互いの経験に学ひあい励ましあいましょう。その成果をもって「全国交流・討論集会」(11月16日、於・東京)に参加しましょう。

2013年5月17日「九条の会」よびかけ人一同



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6月9日、8周年総会を開催

高橋玄洋さんが(劇作家)記念講演

 「マスコミ・文化 九条の会 所沢」の8周年総会が6月9日、60人が出席し、新所沢公民館で開かれた。「会報」の題字を寄贈された高橋玄洋さん(劇作家・書家)が「戦争ができる国にしてはならない」と題して、人が殺し合う戦争の愚かしさを静かに、そして説得力ある言葉で語った。

 冒頭、開会の挨拶をした鴨川代表は、「いま、安倍内閣のもとで改憲の策動が強められている。この状況の中で、高橋玄洋さんが経験されたことを聴くのは、たいへん意義のあることです。自民党が進めている改憲策動は時代に逆行するばかりか、国民に再び塗炭の苦しみを与えるものだ。そうさせないために『九条の会』の運動を強めていかなくてはならない。高橋玄洋さんのお話しを聴いて、それを力にして運動を進めていきたい」と言葉を強め会員へ訴えた。

「これからの活動」を提起

 一部の講演のあと、佐藤俊広事務局長が「これからの活動について」を提案した。

 佐藤事務局長は、「昨年、自民党は時代錯誤の改憲草案を発表した。いま、戦後最大の憲法の危機にある。改憲派の議員が国会の三分の二を占める状況で、憲法はいま崖プチだが、96条の改憲を提起したことに、憲法学、政治学の研究者らで『96条の会』が発足し、改憲派と言われる学者からも『憲法96条改定は立憲主義の破壊』と指摘された。世論調査も96条改定に過半数が反対するなど、安倍改憲路線にブレーキがかかった状態だ。今度の参院選は大事な選挙だ、時代を逆行させる自民党の改憲案を阻止するために、改憲派に三分の二の議席を与えてはならない。憲法を変えない議員を一人でも多く国会に送ろう」と訴えた。

 そのうえで、改憲を許さない幅広い闘いを展開するために
①新しい段階に入った「九条の会」の運動と目標の再認識
②自民党改憲案と現憲法を対置して学習し、リーフレットを配布し改憲案の危険性を市民に広める
③さまざまな関心、課題に応えるプロジェクトの展開
④マスコミ(報道)、文化を語る場をつくる
⑤「教育」「脱原発」「基地撤去」などの課題で、幅広い市民と連携した取り組みをはかる
⑥9条連絡会をはじめ市内、近隣地域の「九条の会」と連携をつよめる
⑦会員相互の親睦をはかり、楽しく活動できるようにする
⑧10周年に向けて、さらに会員を増やし、世話人を補充し、組織の若返りをはかるなどが提起され、全員一致で承認された。

出席者から多彩な発言

 出席者からもさまざまな発言がされた。緑町から参加したKさんは、「先生は海兵78期ということで、私の後輩です。今日の話は本当に身にしみました。国のために死ぬことを散々教え込まれました。あの戦前を復活させるような自公政権の暴走がありますが、絶対に戦争をさせないために、力を合わせて頑張りたい」と発言した。

 下富のYさんは、「国民学校を思い出しながら、いろいろな問題を考えました。叔父2人を戦争で亡くしています。所沢で大事な問題は、1990年に平和都市宣言がされています。宣言は最後に高橋さんによってまとめて頂いたと聞いています。所沢で運動するなら、この平和都市宣言の問題を捉え直し、基地、原発、教育の問題を市民に広げていく運動が必要」と語った。

 また、中新井のNさんは、「戦後の生まれです。小学校のころ、自分の考えを述べなさいと教育されてきました。先生達も戦前の反省に立ち、熱心に教育されました。ところが、最近は劇的な変化です。その原因はどこにあるのでしょう」と訴えた。

 討論の後、会計報告、監査報告が承認された。
 新しく代表委員になった中原道夫氏(上新井在住、詩人)が閉会のあいさつを行い総会を終えた。
 総会終了後、新所沢駅前で新調したのぼり旗を掲げて19人が参加し、「9の日」街頭宣伝行動が行われた。



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「原爆、戦争そしてテレビで体験したこと」

高橋玄洋さんの講演要旨①

TV界から離れたわけ

 私は昭和4年の生まれで84歳になります。終戦を迎えたのは満で16歳でした。私以下の方は戦争の実体験がほとんど無いという時代になっています。いま、伝えられている戦争の体験というものも、私に言わせますとかなり歪んできています。それはその時代、時代でかなり歪んできているのをテレビに関係してからも痛切に感じました。

 昭和の40年に「いのちある日を」で秩父の旧家北郷家の人々の三代記を書きました。民放でも唯一の大河ドラマでしたが、それ以降大河ドラマは民放では出来ないことになりました。大河ドラマとは幅が広く、同じ一族でもその一族の中のおじいさんから息子から、お嫁さんや孫の時代まで、明治以前の振武軍の頃から敗戦までの日本の流れを書いたものです。そういうものが通用しなくなりました。テレビが娯楽のものになりましたので、いまさら、振り返って、また元にもどすことはできません。

 これは私の敗北でもありますが、25年前になりますか、原爆のドラマを書きましたが、これに娯楽性を加えてくれとの話しがありました。そのことに私は怒ってそれでテレビを辞めて、テレビ界から離れました。それが良かったのか、あそこで妥協してでもテレビ界に残るべきだったのか、忸怩たる思いが残っています。

 今日は皆さまに「九条」がいかに大事かとの話をする場とは思いますが、それは皆さまの方が「分かっている」人だけの集まりと思いますので、おまかせします。

 私が体験しました戦争の実態はこんなもんですとのお話しさせてもらいます。

三分の二が孤児に

 60歳になったときに、初めて小学校のクラス会をやろうとの話しがでました。山本というカープの球団社長をやっていた中国新聞の山本一族の一人、その山本が音頭を取って広島の中華料理店で39人集まりました。200人のクラスで39人。

 消息が分かったのは89人です。全国から集まりました。自己紹介が始まりました。「僕は86 (ハチロク)で孤児になりました」、広島では原爆のことを86と呼びます、と言いました。三人目の女性も「私も何君と一緒で86で…」後は声が出てきません。みんな泣き出してしまいました。集まった39人の三分の二が孤児になったのです。それが広島の実態なのです。なぜ、孤児の人がたくさん集まったのか。そこに問題があると思います。あの日を境にして人生がすべて変わった連中が39人集まったのです。

 東に行くに従って原爆の痛みが薄れていきます。どうしてでしょうか。関ヶ原を越えると原爆に対する考え方というのは、観念的になっていくなと感じています。私のまわりにはたくさんの辛い思いを重ねてきた人がおります。

 私には兄がおりまして、兄は広島で下宿をしており、親類ですがお寺さんでした。8月6日、本堂にも火が回り、お母さんはトイレから出てこれなくなり焼死しました。お姉さんはケガをしていたので、戸板を本堂の前に集めて、括り付けて裏の太田川に落としたのですが、目の前で戸板が裏側にひっくり返りお姉さんは川を下って行きます。それがお姉さんの最後でした。兄だけは生き残りました。つらい思いだったしょう。彼はその後に京大に進み、天皇が京大に行幸のときに京大の校内で車の前に立ちはだかって…。何日か拘留され釈放されます。立ちはだからざるを得なかった彼の心情は私には良く分かります。

 そういう体験が広島にはあります。いまも私は86の日は黙祷を捧げています。
 8月6日は命日なのです。家族、叔父さん、伯母さんの命日なのです。なのに東京からいろんな人が来て黙祷をする。騒がしい。なんで俺たちがこんなに遠慮しなくてはならないのかと、命日は7日にして6日は一日中海水浴をする友人もおります。個人個人になると微妙な差があります。何万人の命と一人一人のかけがいのない、いろんな思い出を持った親族の絆の中での命日というのは、まったく違うものです。

 広島は私に言わせると全く別の街になりました。いまの広島市民は当時の一割ほどです。砂漠に一度戻ってしまいましたから、新しい広島なのです。どうしてこの土地があの人たちものになったのか。一家全滅して、その後に入ってきた新しい人たち、いつのまにかその人の土地になっています。はっきりしないまま60何年が経っています。

何千もの白木の箱の行列

 私が体験した戦争を私が知る範囲でお話しをします。1932年に日中戦争が始まります。小学校の二年生の時、松江から広島に出てきます。旗振って出征兵士を送ったものです。勉強から抜けられる喜びもありました。ある時に「今日は旗を持って行かなくてもいい」ということがありました。沿道で待っておりましたら、宇品の方向から白木の箱の行列が静かに上がってきたのです。何千個でしょうか。私が戦争を初めて体験したのはこの時です。遺族の方が付き添い、行列は延々と続きました。

 父親は平壌の師範学校の教頭になり、赴任しました。その時、私は中学二年生でした。釜山と下関の間には8000トンもある崑崙(こんろん)丸という大きな連絡船が運航されていましたが、1943年10月5日の深夜、米軍の潜水艦の直撃を受け、数分後に沈没しました。死者行方不明者は583人にのぼった大惨事になりました。何回か乗った船ですので、デッキや甲板の様子は分かり、まざまざとイメージできます。あの階段のところに水がどっときて、そこでもだえ苦しんで死んでいったのだろうか。そういう疑似体験をしました。

 崑崙丸の事務長さんの息子が同級生で亡くなっています。崑崙丸のことを最初に知ったのは、まだ発表前に前田が学校を休んでいる、どうしたのかなあというところから始まりです。その日のうちに崑崙丸が沈んだのだ、お父さんも前田も死んだんだと気が付くのです。死はよそ事ではないのです。私もいつかは、下関、釜山間の8時間のなかで、何時死ぬかも知れないと思うようになるのです。

メロディーの持つ魔力

 昭和4年生まれは、戦争の申し子です。小学二年で満州事変が始まり、中学ではアメリカとの戦争になります。まともな判断はすでにありませんでした。

 みなさん気を付けてほしいのは、昭和15年に「海ゆかば」の国民歌謡がでました。募集されたものです。これにメロディーが付くと、あっというまに一級の軍歌になり、歌われて行くことになります。言葉にメロディーが付くということは、異常な力を持ちます。集まれば歌うという形、これの怖さは、戦後になって思ったことですが、「流される」もとになったのは、メロディーだったと思いました。

 同じ軍歌に「戦友」があります。「ここはお国の何百里…」これなんかももの悲しい歌です。そうするといつの間にか歌わなくなる。「勝ってくるぞと勇ましく」など戦争を煽る歌がどんどん歌われるようになってきます。

 神風以来、日本は負けたことがない、と言われてきました。真実と思ってきました。これは、いま政府が言っていることと似ていませんか。負けたことがないと言われ「そうなんだ」となんとなく納得してしまう。

「流れ」を知る大事さ

 付和雷同ではないが、そうなってしまうのです。この怖さは、いまの「九条」の問題にも関係してくるのですが、明治37年に日露戦争に勝つのです。賠償金も貰えず、山東省の一部を貰っただけ、勝ったのになんていうことだと日比谷公園や二百ヶ所以上の交番の焼き討ちがありました。これがそのまま統帥権に繋がっていくのです。政府に任せていたのではこういうことになるから、政府と軍が直結できるように統帥権が発生し、現役の軍人が大臣になることを許されるようになります。その次ぎの段階は総理大臣が現役の大将であってもかまわないことになる。これが東条英機に繋がっていきます。

 簡単に言えばそういう流れを作っていったのです。「流れ」が問われます。最初は.「せせらぎ」ですが、その流れが「大河・本流」になるのです。そして全部を牛耳って、ただ従わざるしかなくなる。「海ゆかば」を歌うことが本流になる。それが恐いのです。

静かに忍び寄るもの

 私が「いのちある日」28回のドラマを書いた時に、なぜ、企画を通したかと言いますと、原爆ドラマも書きました。沖縄を舞台にしたものも書きました。しかし、個々のドラマは個々の話しになってしまいます。さっき言いました「流れ」が出てきません。ですから明治からの流れをやってこないと、また同じような過ちをしてしまいます。その「流れ」を知ってもらいたくて「いのちある日」を書いたのです。

 私が84歳ですから、ほとんどの人に戦争体験が無い時代になっています。戦争がよいという人はいません。命が大切だということも誰も否定しません。しかし、世界を見るといまだに争いが絶えません。

 勇気という言葉があります。讃えられていいものですが、その勇気が戦争で私たちを奮い立てさせるのです。武道というものがあります。心と身体を鍛えるいいものです。でも、戦争に利用されます。戦後60何年生きて、世の中とはこんなに変わっていくものかとつくづく思っています。

 「いのちある日」を書いたときに、戦争場面が出てきますが、テレビ朝日の組合から制作を拒否されました。戦争シーンが出てくるだけで拒否でした。スポンサーからは一時間の内、なんで45分も原爆シーンを撮るんだとクレームが付きました。

 時代が変化して、今はそういう番組が作られなくなりました。これが恐いことなんです。スポーツを楽しむ、ドラマを観るといった、私たちの日常の生活の中に、しのび寄ってくるものがあります。それをどう裁き、見分けていくのか、それが大事なことです。(次号に続きます)




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太郎の部屋のほっとたいむ 10

たまには落語もいいものだ

鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

 古今亭志ん輔と華のん企画による新しい落語会、志ん輔の「マイ・ド・セレクション」(国立演芸場・6月13日)に出かけた。全てが志ん輔のセレクトによるものである。志ん輔といえば、師匠・志ん朝の芸を継承し、磨き抜かれた噺はなんとも魅力的。

 この日のゲストは春風亭一朝。柳朝の総領弟子。こちらも江戸前の芸達者である(妻は歌舞伎役者・5代目片岡市蔵の娘)。

 一朝が「芝居の喧嘩」を聴かせる。歌舞伎の大向こうの真似などで笑いを誘いながら、小屋のなかで町人と侍が喧嘩になっていく様子を面白く演じる。

 志ん輔が「佃祭」で江戸人情の醍醐味をたっぷりと聴かせる。一之橋から身投げしようとした娘を助けた長屋住まいの男が佃祭で再会。いきいきと輝く顔の表情がいい。普段の寄席では味わうことのできない長い時間を退屈させずに演じ切った。

 後半は志ん輔が「風呂敷」を軽妙に聴かせる。なんでも知ったかぷりの風を吹かす兄さんの活躍ぶりが面白い。ペペ桜井のギター漫談は軽妙な会話と演奏が楽しい。トリは一朝の「蒟蒻(こんにゃく)問答」。蒟蒻家の亭主が荒れ果てた寺の僧に扮し、永平寺からきた修業僧と問答をする山場まできっちりと演じた。

 たまには落語もいいものだ。落語のよさを堪能させてくれた3時間はあっという間であった。華のん企画は、志ん輔の「シェイクスピアを楽しむ会」や落語「東へ西へ」にも取り組んでいる。志ん輔と関西の桂春団治が出演する次回の「東へ西へ」は9月27日午後6時、東京・赤坂区民センターである。華のん企画=TEL 03-5967-1217。




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鈴木彰の「アベのミス崩壊するのが当たり前」




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会員の発言

自民の「壊憲」を許さない 若者たちの政治参加に期待

行木恒雄(椿峰在住)

 7月の参院選挙は右旋回しながら改憲に暴走する安倍政権にストップをかける闘いの天王山である。自民党や維新の会など改憲派政党が憲法の根本原理である「主権在民」、「戦争の放棄」、「基本的人権の尊重」などを全面的に改悪しようとしている。

 自民党の改憲草案によると、「天皇を元首」と規定し(1条)、「国防軍の創設」(9条)によって海外で戦争のできる国を目指し、「表現・結社の自由」(21条)に対して「公益および公の秩序を害することを目的とした活動や結社を認めない」という制限を加えるなど、まさに危険な「壊憲」である。

 今、必要なことは改憲を阻止し、民主的条項を実施させることである。

 自民党は改憲の本丸「9条」が容易でない情勢から、まず96条の改憲発議要件の緩和を先行改定する方針である。「衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で改憲案を発議し、国民投票で決める」とあるのを、「過半数の賛成で発議」へとハードルを下げ、改憲への突破口にしようとする企みだ。憲法が発議要件を厳しくしているのは、主権者である国民の人権を保障するため国家権力を縛るという「立憲主義」に基づいたもので、権力によって安易に改憲発議をさせないための歯止めでもある。

 国民は自民党のずる賢い意図を見抜き、だまされない。この96条の先行改定に賛成の新聞は読売、産経の2社ぐらいで、多くの新聞が一斉に反対。各種世論調査でも反対が多数だ。全国7500余の「九条の会」はじめ、各分野で反対連動が広がっている。こうした世論の反発を恐れて、自民党はこの先行改定を選挙公約とせず、頬かむりするようだ。一方、憲法解釈を変更して「集団的自衛権の行使」を可能にし、海外で米国といっしょに武力行使できる態勢づくりも目指している。こんな憲法の規定のなし崩し的改悪も阻止しよう。

 改憲反対が共産党と社民党だけという現状では、私たちの参院選の目標「改憲派に議席の3分2を与えない」のは容易ではない。この際、少子化傾向の中で、改憲されれば徴兵制の対象となる若者たちに改憲反対の投票を呼びかけ、同時に「世界の常識」といわれる18〜19歳への選挙権付与も課題としたい。若い約240万人が政治参加すれば、国政に大きな変化をもたらそう。年々、有権者比率を高める高齢者が政治を決める時代ではない。

 一方、安倍政権は自慢の景気回復策「アベノミクス」が株の乱高下、燃料・食品など輸入諸物資の値上がり、相次ぐ住宅ローン引き上げなどで破綻しつつある。大企業の内部留保は266兆円というのに、賃金は下がりっばなし。来年の消費増税をストップさせないと国民生活は苦しくなる一方だ。沖縄の辺野古に新基地押し付け、原発の再稼働と輸出、TPP参加、歴史認識の逆行----など、政府と国民の間で、これほど多くの矛盾が先鋭化した選挙は稀である。改憲反対と生活防衛の一点で団結し、安倍政権を追いつめよう。




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「学びのシリーズ②」

 5月19日、学びのシリーズ第2回「アジア訪問から見た教育事情と経済」が新所沢公民館で行われました。参加者は15名。講師は当会代表の持丸邦子さん。

 アジアの各地では日系の小売業者や企業が目につきます。日本からは若い世代がアジア各地へ赴き、その子どもたちの通う日本人学校は満員だそうです。一方、日本に来て働くアジアの家庭の子どもたちは、学校でいじめられたり、親と別れて帰国し祖父母の元で暮らす場合も多いそうです。

 さて、明らかに人口の減る日本は、このようなアジア人を受け入れる政策としての「移民」を考える必要があるのか…。

 《単なる労働力として「移民」を考えるのは危険だ。日本人が生きにくい状況の中で「移民」は問題が大きすぎる。少子化の問題では先進国の良いところを学ぶべきだし、まずは少子化の原因を考えなければならない》

 参加者の活発な意見交換がありました。(原)




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短 信

 ●9条の会所沢やまぐち DVD試写会

「戦争をしない国日本」「シリーズ憲法とともに歩む」第1編監督・脚本 片岡直樹
日 時:6月29日(土)13:30〜15:00
会 場:山口公民館第2学習室
連絡先:門目04ー2968−3359

●生存権があぶない! どうなる生活保護

 生活保護とは何か 生活保護法の改悪でどうなるのか、気鋭の若手女性弁護士を講師に学習会を開く。どなたでも参加できます。
日 時:6月29日(土)13:30〜 会 場:中央公民館2F音楽室
講 師:村山志穂弁護士(大久保法律事務所所属)
資料代:200円
主 催:所沢社会保障推進協議会
連絡先:中村勝090−7845一1679

●2013国民平和大行進

 核兵器のない平和で公正な世界をめざして行進します
日 時:6月30日(日)
所沢市役所正面玄関前広場午後4:30集合17:00行進スタート

●マスコミ・文化九条の会所沢【学びのシリーズ】《現場で考える一その3》

上映会 「真実はどこに」(2001年 仏作品/50分)
WHOとIAEA放射能汚染をめぐって「IAEAがWH0に命令するのですね」との問いかけに「(元WHO事務局長・中嶋宏氏)無言のまま…」(映像の一場面より)
IAEA、WHOは事実・真実を語っているのでしょうか!? 2001年にキエフで開催された国際会議のドキュメンタリーを見て確かめてみませんか?
日 時:7月20日(土)午後1時30分〜4時30分
会 場:新所沢コミュニティセンター大集会室
参加費:無料
解説とお話:沼尾孝平さん
問い合わせ:2920−1877(原)
主 催:「マスコミ・文化九条の会所沢」

●2013平和のための埼玉の戦争展

 「戦争はダメ」が世界の流れなのに、まだ戦争が続いている 希望の持てる、平和な明日へ!
日 時:7月25日から29日10:30〜18:0029日は15:30まで
会 場:浦和駅西口前コルソ7階ホール 入場無料

●平和祈念式典

 8月6日(火)
 所沢市役所玄関前被曝石前午前8時から

●2013平和のための所沢戦争展

日 時:8月8日から10日まで午前9時から最終日は15:00まで
会 場:市役所庁舎1階市民ギャラリー




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