機関紙93号 (2013年10月29日発行)
国民の知る権利を奪う「秘密保護法案」の国会提出へ向けた動きが緊迫している。安倍首相は「早急に国会に提出できるよう務める」(18日、参院本会議)とし、公明党も「今国会で成立を目指していく」(19日の読売テレビ番組、大口善徳PT座長)と、早期成立を図る姿勢に転じた。
一方、国会提出を前に、著名な憲法・メディア法学者らが反対の声明を出すなど、同法案に反対する国民世論・運動が急速に高まっている。16日、さいたま市内で県内の弁護士や労働団体、市民団体、平和団体などから50人が参加して秘密保護法制定阻止を目指す「埼玉の会」が結成された。
秘密保護法案は戦前の「軍機保護法」に酷似した「国民」を規制の対象として戦争する準備のための立法。特定秘密保護法案は指定される秘密が広範囲に及ぶ可能性があるほか、漏えいだけでなく情報の取得も処罰対象になる。
問題になるのは「特定秘密」の定義や範囲のあいまいさだ。政府は「特定秘密」の対象として@防衛A外交B外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止Cテロ活動防止--を上げている。しかし、「特定秘密」を指定するのは「行政機関の長」だ。これでは時の権力者の都合や勝手な判断で政府や自衛隊、警察の情報が国民の目から隠されることになる。
秘密を漏らした場合の罰則は、現行の国家公務員法と地方公務員法(守秘義務)より重く、特殊秘密を取り扱う公務員らが故意または過失で漏洩すると最高10年の懲役刑。国会議員ら提供された側が漏らすと最高5年の懲役刑になります。未遂や共謀では自首すれば減刑される、いわゆる“密告”を勧めており、スパイをつくり、おとり捜査も辞さない構えだ。
自民党は中曽根政権時代の1985年、最高刑を死刑とする国家秘密法(スパイ防止法)案を議員立法で提出した。しかし、広範な国民からの反対の声が上がり、廃案になった。なぜ、今またなのか。それは07年8月、第一次安倍内閣が米国との間で約束し、軍事情報保護協定を結んだことにある。
公明党は「国民の知る権利」、「報道、取材の自由」を明記したことを理由に転身したが、それは努力規定に止まるものだ。新聞労連・日比野敏陽委員長は、「『報道の自由』や『知る権利』は憲法で保障された基本的人権の一つであり、そもそも後から付け足すような性質のものではない。それを『追加事項』に掲げなければならないこと自体が、この法案が憲法違反であることを浮き彫りにしている」と平和新聞で語った。
こんな悪法が成立したら、どうなるのか。概要によると「行政機関の長」や警察本部長が「特定秘密」を扱う国家公務員、自衛隊員、警察官、民間業者に対して「適性評価」という名目で調査(監視)を行うとしている。調査の範囲は職員や会社員の家族、友人、市民にも及び、本人の同意もないままマイナンバーなどを活用して個人情報が収集され、調査されることになる。
取材、報道や市民運動への摘発も懸念され、例えば、防衛省を担当する新聞記者のAさんは、懇意の防衛省幹部を居酒屋に誘い、空白採用の最新戦闘機の強度不足の情報を聞き出し、記事にしたところ防衛省幹部は漏洩の疑いで逮捕され、捜査当局は取材したAさんも逮捕。勤務先の新聞社も捜索される。
原発反対の市民運動を進めるBさんは、原子炉メーカーに勤める友人から詳しい原子炉の図面を入手し、問題点を再稼働反対のビラに挿入して街頭で配布したところ漏洩の疑いで友人とも逮捕され、市民団体の事務所も家宅捜査を受けた。絵空ごとではない、こんなことが起きる。
憲法9条との関わりでは、6月の自民党による新防衛計画大綱に改憲や国家安保基本法の制定を謳っており、国防軍の設置と秘密保全の法整備をセットとする、「全面的に9条を骨抜きにし、戦争ができる国づくり」を猛進させている。
現在、防衛情報の漏洩事件はまったく立件されていない。法制化の必要はないということだ。特定秘密保護法案は戦前の軍機保護法、治安維持法にあたるもので、絶対に成立させてはならない。
△ △
日本弁護士連合金(山岸憲司会長)は10月3日、「特定秘密保護法案に反対する会長声明」を発表した。声明は、法案が統治機構のありかた、国民主権及び国民の諸権利に重大な影響を与えるものであるにもかかわらず、国民不在の手続きを強行して立法化を進められていることに対し、「このような手法は断じて許されるべきでない」と厳しく批判した。
日本新聞労働組合連合(新聞労連)も4日、「民主主義を破壊する『特定秘密保護法案』に断固反対する。戦争は秘密から始まる」とする緊急声明を発表した。
(編集長葛西建治)
安倍政権下で改憲の動きが強まっている。現在の社会状況に対し、若者(学生)たちはどんな意識ているのだろう。私の知る範囲は限られるが、学生たちと付き合っていて感じた点を報告する。
まず、現行憲法への意見である。私は授業への疑問や感想を毎回、書いてもらっている(学生はそれを「リアクション・ペーパー」と呼ぶ)。憲法に触れる授業をした後のリアクション・ペーパーを読む限り、学生の多数派は、少なくとも9条については護憲派である。護憲派の私への多少の「配慮」もあるのかもしれないが、護憲意見は予想以上に若い層に定着しているように感じる。
小人数のゼミナールでは、自由にテーマを選ばせている。「新型出生前診断と優生思想」などのほか、「日本の安全保障と憲法」に関心を持って調べているグループもある。グループ内で議論した結果、「最終レポートは護憲の方向でまとめることにしました」と先日、言ってきた。
そのゼミ生らの話を聞いたり、授業のリアクションペーパーを読むと、彼らは小学校以来、教師から繰り返し「憲法9条は大切」と教わってきたフシがある。小中高校の教師の多くは、現在も護憲派なのだろう。改憲を目指す安倍政権が教育改変にも意欲的なのは、理由があるのだ。教育現場の教師たちを絶対に孤立させてはなちないと私は思う。
「ネトウヨ」と呼ばれるネット右翼は、若者の多数派ではないと私は感じる。ネトウヨや在特会には厳しい意見の学生が多い。ただ、新聞を読まず主にネットから情報を得ている学生は少なくない。ネットの一部の言説を信じて「慰安婦の存在自体がなかった」と、とんでもない勘違いをする学生も極めて少数だがいる。本を紹介して読ませたら、その学生はすぐに無知を恥じていた。
では、若者たちは戦後民主主義の正統な継承者なのだろうか。そうかもしれないが、私たちのような中高年層とは意識に明らかな違いも見られる。
最たる特徴は、今の若者は何事も、まず双方の言い分を聞いて考えよう、という慎重姿勢がとても強いことだ。それ自体は正しいことなのだが、我々が学生だった時代のように、不正義(だと自分が思ったもの)に対しては「とにかく変革しなければ」と行動に移すような「血の気」は少ない。悪く言えば「足して二で割る」ような思考傾向がある。
昨年夏、沖縄タイムスの協力で、学生20人と沖縄の辺野古や海兵隊、普天間二小や南部戦跡を歩いた。米兵のレイプ多発と闘ってきた女性に会い、オスプレイ反対の県民集会に参加した。帰って皆で議論したら、何人かの学生が異口同音に、こう言った。「米軍基地反対の人の話ばかり次々に聞かされたけど、賛成派は海兵隊司令部だけ。基地は必要という沖縄の人の声も聞いてみたかった」
裏手納では戦閾機のものすごい轟音を聞いたし、まずは沖縄住民の苦痛から思考を出発させるものだと私は勝手に考えていたが、一部の学生は、より冷めた多元的な見方をするのだ、と知った。
今年夏も学生22人と沖縄へ行った。昨年の要望も踏まえ、在沖縄米国総領事との話し合いも日程に加えた。総領事は「日米安保条約は日本側が望んだもの」「沖縄県民ともっと理解し合いたい」などとソフトに語った。後日の議論会で学生の意見は分かれた。「米側の宣伝の意図を強く感じた。県民との友好を強調するが、沖縄の基地問題の構造自体は変えようとしない」「いや、総領事の話は新鮮だった。事前に読んだのは基地反対派の人が書いた本ばっかりで、自分もそう思い込んでいたが、もっと多角的に考えなければと思った」
こうした学生の声に、私は考えさせられる。小学校教師らの本気の訴えは若い胸にかなり届いているようだ。
他方、一面的な訴えは若者にとって時に「押しつけ」に映る。どのように、私たちは憲法を語るべきなのだろうか。
(元朝日新聞編集委員)
持丸邦子(城西大学教員・「子供達の未来と教育を考える会」)
この夏から、埼玉県の教育が揺れています。県立高校8校が来年度、実数出版の日本史教科書を使用することを県教育委員会に申請し、採択された結果に対して、埼玉県議会の文教委員会がこれらの高校の校長を呼びつけて事情聴取のようなことをした上、県議会では自民党議員12名が提出した「高校日本史教科書採択の再審査を求める決議」が採択され、戦前に逆戻りしていると言われる教育基本法でさえ戒めている「不当な支配」が始まりました。
県教委は「教科書の採択結果を変更しない」と、教育の自治を守り続けてきましたが、この間、清水松代委員長が辞任する事態となりました。
残念ながら、東京都や神奈川県にも、また、国にも、戦前の大日本帝国憲法のゾンビかと思うような政治家が存在し、法を無視して、教育への介入を行ってきています。こうした政治家が北朝鮮や中国を痛烈に批判していることは滑稽でさえありますが、ゾンビが日本全国でよみがえると大変です。
そこで、「教科書を考える市民の会」(会長 牧柾名 東京大学名誉教授)と私が代表を務める「子どもたちの未来と教育を考える会」では、藤田昌士先生(元立教大学教授教育学)を講師にお招きして、去る10月12日、「教科書採択をめぐる緊急市民集会」を共同開催し、埼玉県議会の異常さを多くの人々に知ってもらい、市民の力でゾンビの生き返りを阻止するべく、県教委の新委員長宛に「教科書採択について、政治的干渉を排し、教育委員会の独立性を堅持することを願う」要望書を参加者一同の賛成で提出することにいたしました。
牧先生も藤田先生も、戦争に突入して行った戦前の空気と最近の空気が似ていて恐怖を感じる、とおっしゃっていました。同年代の私の母も全く同じことを言います。
表題は「教育問題」ですが、問題なのは埼玉の政治です。かつて全国から集まってきた多様な人々が住む埼玉県には、先進的な人材も多く集まっていますが、県議会にそのような人材は少ないようです。
昨今、業績向上のために企業は人材の多様化を図っていますが、政治にも多様性が必要です。その多様性には女性や外国人が含まれます。日本では地方議会でも外国人には選挙権も被選挙権もないことがまず問題ですが、女性について埼玉の政治を見ても、驚く事実がわかります。女性県議の割合が首都圏内で最下位、たった5・68%なのです。
辞任した委員長は女性でしたが、埼玉県議会の与党男性社会からの圧力が相当だったことは予想できます。
埼玉の政治を変えなければなりません。単に女性議員を増やすだけでなく、戦前の体験者が抱く恐怖を払拭できる政治家が、自民党にも必要です。自民党支持者には、教育への政治介入は違法行為なのだということを知ってもらいたいと思います。
決議文を提出した議員も賛成した議員も、憲法を筆頭に、自らを律する法律を学ばなければなりません。議員は選挙で選ばれた公務員であり、憲法を遵守する義務があります(憲法第99条)。本来であれば、初登院の際に、憲法を遵守する宣誓を行うべきでしょう。
埼玉県教委は県議会での決議後の臨時会でも採択結果を変えないことを再確認した(朝日新聞、2013年10月16日)ものの、まだ心配は尽きません。
今回の採択は昨年度検定に合格した高等学校中学年用の教科書の採択でしたが、今年度は、高等学校高学年用教科書、小学校教科書の検定年度でもあり、また、来年度は小学校教科書と高等学校高学年用教科書の採択年度、中学校教科書の検定もあり、東京都、神奈川県、埼玉県での自民党議員の一連の行動は、ここで圧力をかけ、教育委員会が萎縮し、自らの好まない教科書を採択させないことを狙ったものとも思えます。過去の非道な行為を正当化すること、自らより低いと見る相手を誹謗する行為こそ、今日の子どものいじめにもつながります。
埼玉の政治家は子どもの模範となる大人でなければなりません。そして私たちは、子どもを、世界に尊敬される大人に育成する教育を実現できる政治家にのみ、今後も政治を託します。また、教育委員会が今後も圧力に屈しないよう、教育委員会の応援も続けます。
演出家の川和幸が1994年からはじめた「名作劇場」(東京・両国・シアターX)、100本の上演が目標である。今秋の公演ですでに76本目を数える。明治、大正、昭和の一幕劇にこだわり、名の知れた作家はもちろん埋もれていた作品にも光を当ててきた。 小山内薫の「息子」をはじめ、菊池寛「父帰る」、真山青果「玄朴と長英」、久保田万太郎「釣堀にて」など、上演記録をみていると魅力的な作品が並んでいる。 近作で、岡鬼太郎の「眼路駝物語」は落語の「らくだ」を彷佛させる喜劇や、瀬戸英一の「天井裏の散歩者」は長屋住まいの人情話が印象的であった。 今秋の上演は大島萬世の「貰ひ風呂」と三宅大輪の「月夜寒」であった(10月2日所見)。「貰ひ風呂」は、現在の群馬県太田市地方の農家の暮らしぶりを描いていた。寒い日の風呂はご馳走であった。自分の家だけでなく、近くの人たちも呼んで風呂を提供する。せりふは地方の言葉、話題は農作物の育て方とユニークな展開。佃文五郎、湯沢勉などのベテラン俳優が落ち着いた舞台に仕上げていた。 「月寒夜」の三宅大輔はプロ野球の創世期に巨人や阪急などの監督を歴任したというが、戦前からの劇作家であり、歌舞伎の脚本も書いていたという人である。この作品も、破れ寺にひとり住む老僧と、盗みにはいった男とのふれあいを描いた人情劇。和尚の堀越富三郎と盗賊の根岸光太郎が昧のある芝居をみせていた。落語家の桂南なんが百姓役で登場、酔っ払った動きで笑いを誘っていた。 次回公演は来春3月、久坂栄二郎「母のプライド」と八木隆一郎「湖の娘」である。新しい作品世界に出会えることが楽しみである。100本達成まで見たいものだ。
もくじへ
10月14日に開いた憲法学習会「『改憲』より『壊憲』が狙いの安倍政権」で講演した北村肇さん(週刊金曜日発行人)の講演要旨を紙面の都合で3回に分けて掲載します。
新聞労連の委員長から戻って、サンデー毎日の編集長を経て、社長室に行きました。儲かったとか商売の話しばかりで、ちっとも面白くありませんでした。たまたま本多勝一郎さんから、週刊金曜日の編集長に来てくれないか、との話しがあり、金曜日に移りました。一昨年、酒田信氏が社長を辞めたいというので、私が社長になり、若い人に編集長をまかせました。社長はなりたくないものですが、肩書きは週刊金曜日の発行人です。
憲法の話ですが、意外と知らないことがあるんです。3・11の後は原発の講演を頼まれ、最近は憲法について話してくれ、が圧倒的です。組合の幹部と話していても、「憲法は権力者を縛るものです」、と言っても、「あっそうですか」程度の反応が多いのです。ですから、憲法はこう話すと分かりやすい、そのヒントを掴んで頂ければと思います。
秘密保護法も困ったもので、下手をすると通ってしまいます。1985年に国家機密法が出たときは、新聞業界や民主団体がこぞって大反対をして潰しました。今回はそういう状況ではありません。特に新聞協会が揺れています。集団的自衛権の行使や秘密保護法を止めるキーマンは公明党、創価学会という状況です。その前に世界はどうなっているかを説明します。
世界を支配するのは米国といわれますが、正確には世界を牛耳っているのは大資本といわれるグローバル企業、金融資本です。マネーゲームをやっている投資家の連中です。そこに国家があって市民がいます。従来は国家が私たち市民を抑圧して弾圧して搾取する構図でしたが、今は世界を牛耳る金融資本などの連中ですから、資本が国家を利用しているのです。市民から搾取したものが金融資本、大企業を通して、うまい具合に利益を還元させるために国家を利用する。こういう構図に世界がなってしまいました。こんな馬鹿なことをやっていては人類は滅びます。いわゆる1%といわれるこの連中と政治家や官僚の一部が、残り99%の私たちを抑圧や弾圧をしています。
この連中が国家をどうやって利用するかと言えば、一つは軍事産業と戦争です。間違っても第二次世界大戦のような戦争は起きません、なぜならば自分達の利益も飛んでしまうからです。この人たちが考えているのは「紛争」です。欠陥機のオスプレイを売りつけようとする連中がいっばいいます。在庫一掃セールです。そのために国家を利用する。
もう一つは規制緩和です。良いことのように聞こえますが、市民にとって良い規則を変えてしまうことです。そして自分達が儲ける。規制緩和を国家を使ってやらせる。三つめが、治安維持です。大企業が自分達でやるわけではありません。いつまでも、こんな抑制と搾取が未来永劫続くわけではありません。市民が必ず立ち上がります。(それを抑えて)自分たちに都合のよい社会が続くために、国家を利用する。
いまこういう構図で世界が回っていることを理解して下さい。そうすると憲法の改悪や秘密保護法の目的がはっきりとしてきます。金しか頭に無い連中が戦争ができる国にするために、国家という制度を使って、改憲や悪法の制定を狙っています。それが世界中でまかり通っています。歴史は繰り返しませんが、同じことが起きることがあります。戦前に戻っていくようなことはあり得ます。
資本が国家を利用するから、帝国化していきます。そういう中に生きていくことは大変なことです。そういうことをメディアが伝えているのでしょうか。まっとうな新聞は数紙しか無いのが日本の実情です。
オリンピックが日本に来ることになって困ったものです。広告で新聞もテレビも五輪は儲かるのです。朝日、毎日、読売も提灯記事でうんざりします。滝川クリステルという人が「おもてなし」と言いましたが、おもてがなくて全部、裏ばかりなのでしょうか。原発であれほど大変なことになっているのに、汚染水はコントロールされているなど好い加減なことを言って、世界に恥をばらまいたのです。国威発揚の五輪はやめたほうがいいです。1940年の幻の東京五輪の4年前にベルリン大会がありました。街中から反ユダヤの看板とか全部外して、政治犯は国外亡命を認め、ドイツは民主的な国ですと世界を騙してベルリン五輪をやりました。その後は東京の予定でしたが、ドイツのポーランド進駐で東京王輸は中止になりました。安倍政権がなぜあれほど五輪に固執したかという背景を分析して書いて、初めてジャーナリズムです。1「五輪止めたい」なんて言うと「非国民」といわれそうな雰囲気です。一億総動員体制の構築です。
(次号に続く)
10月7日、「九条の会」は次の通り、アピール「集団的自衛権行使による『戦争する国』づくりに反対する国民の声を」を発表しました。
日本国憲法はいま、大きな試練の時を迎えています。安倍首相は、「憲法改正は私の歴史的使命」と憲法の明文を変えることに強い執念をもやす一方で、歴代内閣のもとでは「許されない」とされてきた集団的自衛権行使に関する憲法解釈を転換し、「戦争する国」をめざして暴走を開始しているからです。
日本が武力攻撃を受けていなくともアメリカといっしょに海外で戦争するという集団的自衛権の行使が、「必要最小限度の範囲」という政府の従来の「自衛権」解釈から大きく逸脱することは明白です。それどころか、日本やアメリカの「防衛」ではなく、日米同盟を「世界全体の安定と繁栄のための『公共財』」(防衛省「防衛力の在り方検討に関する中間報告」)とみなし、世界中のあらゆる地域・国への武力介入をめざす体制づくりです。
この企ては、本来なら衆参両院の三分の二以上と国民投票における過半数の賛成という憲法「改正」の手続きを経なければ許されない内容を、閣議決定だけで実現してしまうものです。そのため、長年にわたり集団的自衛権行使を違憲とする政府の憲法解釈を支えてきた内閣法制局長宮の入れ替えまでおこないました。麻生副総理が学ぶべきと称賛したナチスがワイマール憲法を停止した手口そのものです。これは立憲主義を根本からつき崩すものであり、とうてい容認することはできません。
それだけではありません。安倍内閣は、自衛隊を戦争する軍隊にするために、海外での武力行使に関する制約をすべて取り払い、「防衛計画の大綱」の再改定により、「海兵隊的機能」や「離基地攻撃能力」など攻撃的性格をいちだんと強めようとしています。「戦争する国」づくりにも足を踏み入れようとしています。すでに安倍内閣は、防衛、外交に関する情報を国民から覆い隠し首相に強大な権限を集中する「特定秘密保護法案」や日本版NSC(国家安全保障会議)設置関達法案などを臨時国会に提出しようとしています。自民党が作成した「国家安全保障基本法案」では、「教育、科学技術、運輸、通信その他内政の各分野」でこれらの「安全保障」政策を優先させ、軍需産業の「保持・育成」をはかるとしているばかりでなく、こうした政策への協力を「国民の責務」と規定しています。これを許せば、憲法の条文には手をふれないまま自民党が昨年四月に発表した「日本国憲法改正草案」における第九条改憲の内容をほとんど実現してしまいます。
さらには福島原発事故の無責任と棄民、原発技術輸出の問題、その他問題山積の現状があります。
戦前、日本国民はすべての低抗手段を奪われ、ズルズルと侵略戦争の泥沼に巻き込まれていった苦い経験をもっています。しかし、いま日本国民は国政の最高決定権をもつ主権者であり、さらに侵略戦争の教訓を活かした世界にも誇るべき九条を含む日本国憲法をもっています。いまこそ日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、歴史の教訓に背を向ける安倍内閣を草の根からの世論で包囲し、この暴走を阻むための行動にたちあがりましょう。
2013年10月7日 九条の会
呆れた猿芝居だ。経団連の米倉会長が20日、安倍政権が検討している企業減税について、「官に取られるより企業に残る部分が多くなるので、賃金は増えると思う」と指摘。法人税減税や投資減税は、働く人たちに恩恵があると強調した。
なんとデタラメな言い分か、企業減税は、消費税率の引き上げとセットになっている。国民はいや応なく負担増を強いられるのだ。見返りは何もない。個人の所得税だってそのままである。それなのに企業だけは負担を減らしてもらうのだ。企業の代わりに国民が、負担を背負わされるのである。賃金ウンヌンの前に、やり方がおかしい。
作:水上 勉 演出:米倉斉加年 主演:有馬理恵
コスモス畑をぬけてくる馬車の鈴の音、いつもは棺桶を運んでくる馬車が、今日は姉さんたちを乗せてくる。家を離れて遠くに暮らす姉たちが帰ってくるのだ。父を弔うために…。
日 時:11月28日(木)19:00(開場18:30)
会 場:所沢市民文化センターマーキーホール
入場料:一般3000円、高校生以下・障がい者1500円
主 催:「釈迦内枢唄」を観る会@ところざわ
連絡先:大場090−9844−6749
「世界遺産の富士山に砲弾は似合わない!」
一陸上自衛隊・東富士演習場視察と学習&交流会一
世界遺産に登録された富士山のふもとで、実弾演習している「東富士演習場」を視察します。ガイドは現地に詳しい御殿場平和委員会の渡辺希一さんです。
日 時:11月22日(金)
定 員:45名(申込み先着順)
集 合:所沢駅・東口郵便局前(駅より徒歩5分)午前8時集合(8:15出発)
連絡先:石田(2924−0835)白戸(2998−7341)佐藤(2942−3159)大場(2998−5397)畑中(2998−5065)まで
主 催:「マスコミ・文化九条の会所沢」
共 催:「所沢平和委員会」
参加費:5000円