機関紙95号 (2014年1月20日発行)
武田裕子(並木在住)
1940年東京都杉並区生まれ。1963年早稲田大学第一文学部露文科卒。
1963年チェコ共和国カレル大学哲学部入学、67年同大学を中退し帰国。
以後30年間、家業の百貨店の卸業で働くかたわら、翻訳、通訳、語学講師を
行い、現在日本チェコ協会講師、当会会員。
中原道夫(詩人・代表委員)
優等生であった息子の金髪
「人に出会うのも恥ずかしい」と母親は言った
臍だしルックで付け睫毛のずっこけ娘
「あれはわが子ではない」と父親がぼやいた
その息子が電車のホームから
転げ落ちた老人を救い
臍だしルックの娘が恵まれない
施設の子どもたちに絵本を読んでいるという
どっちが本物でどっちが嘘なのか判らない
スマートホン片手の息子と娘 だが
「絆」という掛け声
「オリンピック」という喚声
「平和のための国防軍」と言われれば
どれも嬉しいまことの言葉のように思えるが
それは進軍ラッパ一つで変わるのだ
「一億一心」「挙国一致」「八紘一宇」
金髪、臍だしルックなんて可愛いものよ
それよりも言葉の中に潜むもの
それよりも言葉の奥に隠れているもの
今日も我が家の洗濯物を揺るがせながら
自衛隊機が爆音高くいずこかへ飛んでいった
日頃からご協力いただいている皆様から、今年もたくさんの年賀状が寄せられました。
その一部を御紹介します。
![]() 早乙女勝元さん | ![]() 松本善明さん | ![]() 中村千秋さん | |
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![]() 岡部 昭さん | ![]() 島田三喜雄さん | ![]() 戸塚章介さん |
鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)
演劇集団円こどもステージの「おばけリンゴ」を見た(東京・両国・シアターX=12月21日所見)。なんと、「ひみつのうた」が歌われていた。
♪しいっ ひみつ しいっ ひみつ
ほんとの、ことはすべてひみつ
うそのことだけみんなにしらせろ
ひみつ ひみつ ひみつは
しいっ しいっ
はちみつよりもあまい
まさに、いま問題になっている「特定秘密保護法」そのものの本質が歌われていることだと実感した。これが40年前に創られていたことにびっくり、であった。
円こどもステージは、故・岸田今日子の企画により、おとなと子どもが一緒に楽しめる舞台を創り続けてきた。この「おばけリンゴ」はヤーノシュの絵本をもとに、谷川俊太郎が大胆に脚色したもの。演出は小森美巳。
ある村に住むワルターは貧しく運が悪い男。リンゴの木を一本もっていたが、これまで実ったことがない。ところがある晩、その木に白い花が咲き、大きな実に育ったことから、騒動がひろがっていく。そこに、八本足のドラゴンや秘密警察宮も登場してくるのだ。出演は上杉陽一、山根舞、小森創介ほか。若い俳優たちが躍動し、生演奏の音楽もいっぱいあり、楽しい物語に仕上がっていた。帰りのロビーで小さな子が「ひみつひみつひみつ」と歌っていた。
♪ひみつのわけはいつも ひみつ
しぬのがこわけりゃ だれにもはなすな
ひみつ ひみつ ひみつ……
山本達夫(元出版社・椿峰在住)
日本時間の12月6日午前3時50分、日本から遠く離れた南アフリカ共和国のヨハネスブルクにある自宅で、ひとりの男が家族に見守られながら息をひきとった。最後まで民族融和の理想を貫き95年の生涯を終えた男の訃報に、世界がその死を悼んだ。男は34歳のときこの国初の黒人の法律事務所を開設し、弁護士活動をしながらアパルトヘイト(人種隔離政策)抵抗連動に身を投じていた。
この国では、「差別」ではなく「隔離」と訳す非人道的政策によって、人口の10%に満たない白人が非白人の権利を奪いつづけていた。男は44歳のとき密告によって逮捕され、2年後に国家反逆罪で終身刑を宣告される。27年におよぶ獄中生活のうち18年間、ケープタウンから12キロ沖合に浮かぶ脱出不可能といわれたロベン島の監獄に収容された。食事も衣服も満足に与えられない過酷な獄中生活に耐え、それでも男はくじけることなく「アパルトヘイト撤廃のために団結せよ。闘いつづけよ」と獄中から叫びつづけた。
反アパルトヘイトの声が国内外で高まるなか、釈放されたとき男はすでに71歳になっていた。出獄後も男は運動の先頭に立ちつづけ、1991年ついにこの国は4世紀にわたるアパルトヘイトの撤廃を宣言する。
75歳のとき初の黒人大統領に選ばれた男は、権力者の長期独裁を嫌い、公約どおり大統領を1期5年で終えると貧困ゆえに争いが絶えないアフリカ諸国の紛争調停に力を注いだ。
もうひとりの男は日本にいる。
同じ6日午後11時20分、「特定秘密保護法案」に反対する国内外の声を無視して強引に成立させた男。この男、憲法解釈によって海外で武力行使できる国家をめざしている。秘密保護法はそこに向かう第一歩だ。なにしろ武力行使するためには国民に知られてはまずい秘密が格段にふえる。
この男、グローバル企業が世界中で利潤追求するためには武力行使の容認が必要不可欠と信じて疑わない。原発を輸出し、武器輸出三原則を見直し、集団的自衛権行使を容認する。これらはすべてグローバル企業のためであり、これをコーポラティズム(政治と企業の癒着主義)という。
戦後70年にこの男は、「談話」を出す。村山談話、河野談話を否定し、この男の「談話」が新しい時代に則した新しい政府見解となる。こうした事実を積み重ねた先に憲法改定が準備されている。
だが、筋書きどおりにいくだろうか? ネルソン・マンデラが残したことばがある。「人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとってのよい社会、よい生活を追い求めずにいることは、不可能なのです」。
島田三喜雄(元東京新聞社会部)
2004年6月10日、今は亡き、小田実、井上ひさしさんら9人の呼びかけ人によって「九条の会アピール」が発表されてから、間もなく満10年を迎える。
アピールが「激動する世界に輝かせたい」と願った理想から全く逆方向に走り続ける安倍政権の対米従属の姿を、全世界に向かって、いかに説明すべきだろうか。
安倍政権はまず憲法96条改憲を狙い、それがだめでも、今や米軍指揮下での集団的自衛権行使を視野に入れたことは明白だ。
その集団的自衛権とは何か。「自衛」の仮面をかぶった侵略戦争の道具そのものだ。その根拠となっている国連憲章を検討してみよう。
国運の主要機関は総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局。
最も関心の高い戦争と平和の問題については、第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動に列記されている。問題は同章の最後、第51条にある。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び維持に必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」としている。国運安保理が決定したわけではなく、「必要な措置を取るまでの間」という一瞬の「隙間」を捉えての武力行使が可能な条項となっている。
侵略の「手品師」と、その忠実なる部下が、この条項を見逃すはずはない。この手品の最大の「犠牲者」とされ、血祭りにあげられたのが、東南アジアの一画で、営々と独立国の建国にいそしみ、闘っていたベトナム人民だった。
ベトナム侵略戦争で使用された火薬類は、第二次世界大戦で爆発、炎上させた火薬量を上回るとされ、人類史始まって以来の「地獄の火」そのものだった。地下壕にモグラのように潜り込み、耐えに耐え、忍びに忍んだベトナム人民の苦悩の日々。
地上では、ビヤホールさながらのビールの大タンクを据え、昼でも夜でもグデン、グデンに酔っぱらって、動くものさえあれば狙いも定めず、無尽蔵の弾丸を撃ちまくった米兵の群れ。史上最大の殺人鬼の楽天地。
殺人鬼と軍事同盟を結んだのは、どこのだれだ。
「ベトナムに平和を」と「べ平連」の旗を翻した小田実さん。ご冥福を祈ります。
ある韓国の日本への留学生は「日本はベトナムに派兵しなかった。わが国は兵士を送りました」と、唇をかみしめ、落涙した。
ベトナム旅行の機会があり、地下壕を見学した。信じられないほど狭い、曲がりくねった地下には、育児のための狭い空間もあった。信じがたい精神力、生命力、侵略者と闘う不屈の人間力、母性の輝き。
現在、日本一の発行部数を誇る、ある全国紙は、大日本帝国敗戦の1945年の秋、「この罪、万死に値す」と、紙上で読者に誓った。それから半世紀以上たった、ある日の同紙の小さい囲み記事に、「もう、万死に値す」などとは言わない、とあった。一読者たる筆者は、まさに、「唖然、茫然」とした。
周囲の何人かの人々に、この意味がわかるかい、と聞いてみたが、だれもわからなかった。「もう時効だ」などと言うのはどこのだれだ。まさに厚顔無恥そのもの。
ごく最近、S紙の「主張」に「同盟の強化」の見出しで、「集団的自衛権の行使を急げ」という小見出しがあった。大きい見出しにはせず、小さくしたところに、いくらか遠慮したのだろうか。
話題を転じて、現在の衆院の選挙制度が「小選挙区制」であることに、マスコミ各紙が重大な責任があることに言及したい。朝日新聞がこの選挙制度について、賛否両論を掲げたことに賛意を表するとともに、なぜ、より多面的に世論を反映できる中選挙区制に切り替えるように、言論戦を挑まないのか、不可解だ。
多数党に絶対的に有利で、少数党には絶対的に不利であることは、余りにも明らかだ。T紙の編集局長は当時、「小選挙区制ほど下らないものはない」と、見事に喝破したが、残念なことに、小さな囲み記事に過ぎなかった。業界団体である日本新聞協会の圧力の強さをうかがわせるに足るエピソードだ。
A紙は「両論併記」という離れ業を演じた。反対意見を書いた某記者は、辞表を懐にして社長に「直訴」し、紙面には確かに賛成と反対の二つの記事が掲載された。読者も参加できる多彩な記事づくりなら、もっと歓迎されたこと請け合いだ。
今にして考えれば、60年安保改定の大闘争は、チャンス到来と言うべき好機だった。
原発の問題、沖縄米軍基地の問題、秘密保護法の問題など、意見の別れる重要テーマが続出する現在、マスメディアは多彩な言論を保障する多面的な紙面展開に力点を置くべきではないか、と痛感する。
先の参院選では、変化の兆しが見え始めたようだ。日本国憲法は、多彩にして活力ある社会を産み出す強力なエネルギーを秘めている。今こそ日本国憲法輝く時代の幕開けと言うべき「時は来たれり」と痛感する。
地域の各メディアも、全知全能を全面的に開花させようではありませんか。貴紙のますますのご発展を祝福、祈念いたしたいと思います。
2014年1月好日(日本ジャーナリスト会議運営委員、八王子革新懇世話人)
所沢九条の会連絡会 2013年12月9日
2013年12月6日は国民にとって忘れられない日となりました。それは参議院で自民・公明の2党だけで特定秘密保護法案が強行採決された日です。
この法案は10月25日に提出され、11月7日から審議が始まったのですが、当初から12月6日成立という予定が決まっていました。こういう重要な法案をわずか1ヶ月で成立させる予定だったということは、初めから国民の声は聞かず、野党の反対も無視する強行突破が予定されていたと見ざるを得ません。それは最初から数の力で押し切ろうという暴挙だったのです。
この法律の最大の問題点は、よく言われているように、「何が秘密か」を明らかにしないまま、秘密を守れといっていることです。これでは国民はいっさい沈黙せぎるを得ません。政治も経済も外交も文化も国民が沈黙する中で、権力者が恣意的に決めていくことになります。平和憲法も空文化するでしょう。
私たちは絶対それを許してはなりません。それはかつて私たちの国が歩んだ軍国主義と戦争への道です。この法案が提出された当初は、それはジャーナリズムや政治家や官僚などの問題だとして、国民の関心はあまり高くありませんでした。しかし法案の危険な中身が知られるにつれ、国民の間から批判の声が起こり、その声は日増しに広がり、大きくなっていきました。
ある新聞の世論調査によると、この法案に反対する人は調査対象の7割に達したといわれます。政府も反対世論の高まりを察知して、国民の声を聞く公聴会は1度しか開かれませんでした。そして福島で開かれた唯一の公聴会では、自民党推薦の公述人も含めて全員がこの法案に反対の意思を表明しました。政府はあわてて秘密の内容をチェックする情報保全諮間会議や情報保全監察室や情報保全監視委員会などの機関を作るといいだしましたが、これらの機関がどれだけ厳密に秘密の内容をチェックしたとしても、国民にはその内容は知らされず、「何が秘密か」は依然として秘密のままです。
どうしてこれほど秘密保護にこだわるのでしょうか。安倍首相は国際関係が緊張しており、万一の事態に備える必要があるからだと説明していますが、この認識はまったく誤っています。世界は基本的には緊張緩和の方向へ向かっています。国際緊張が高まっているとしても、それを軍事的に解決する時代はもう終わりました。軍事力よりも外交力こそ重視しなければなりません。
特定秘密保護法は実質的には平和憲法改悪です。私たちは絶対にこれを許すことは出来ません。一人ひとりの市民にこの法律の危険性を訴え、次の選挙を待つのではなく、一刻も早くこの法律の撤廃を勝ち取りましょう。
私たちは、横浜事件の再審裁判に、24年にわたって取り組んだ事件被害者の遺族とその支援者グループです。
横浜事件は太平洋戦争下に引き起こされた日本近代史上最大の思想・言論弾圧事件です。改造社、中央公論社などの出版編集者や研究者ら約90名が特高警察により検挙され、凄惨な拷問と長期拘留により5名が獄死、さらに先の2社は発行していた総合雑誌『改造』『中央公論』もろともに取り潰されてしまいました。
1945年8月の敗戦前後、33名が起訴され、どさくさまぎれのやっつけ裁判により有罪となったため、1986年、事件被害者9名が再審を申し立てたのでした。最初の裁判から、なぜ41年もたって再審を申し立てたのか?最大の理由は、前年の85年、中曽根内閣の下で「国家秘密法案」(スパイ防止法案)が上程され、いったんは廃案となったものの、なお修正案が準備されていたからです。
横浜事件は、「治安維持法」違反を理由に引き起こされました。治安維持法は「国体の変革」「私有財産の否認」を目的とするいっさいの行為を罰するという法律で、条文中の「目的遂行ノ為ニスル行為」が無限の拡大解釈を生みました。被害者たちも、当初は自分が何の容疑で検挙されたのか本人自身わからなかったのです。特高の“虚構の犯罪”だったからです。
1986年の国家秘密法案も、何を防衛・外交上の「秘密」とするかは「行政機関の長が指定する」とされていました。つまり、「行政機関の長」の一存で、「秘密」は自在に作り出されるのです。その本質は「目的遂行ノ為」の解釈と同じです。
したがって、横浜事件の被害者たちはその残酷な体験から、治安維持法に重なる弾圧法規の再現は絶対に許してはならぬとして、やっつけ裁判で闇に葬られた自分たちの体験を法廷で明らかにしたいと考え、再審に踏み切ったのです。
再審裁判は、24年間を費やして、2010年、判決そのものは「免訴」に終わりましたが、最後の刑事補償審において横浜地裁・大島裁判長は、横浜事件は特高警察と思想検事・思想判事による権力犯罪であったことを明確に認め、「法的障害」さえなければ「無罪」を言い渡すべきことを明言しました。
それから、3年半、「特定秘密保護法案」が出現しました。今回もまた「秘密」は「行政機関の長」が指定する、となっています。中身は、国家秘密法案と同じです。これを認めれば、24年にわたった横浜事件・再審裁判は何のための裁判だったかを問われることになります。本質は治安維持法の再来というべき「特定秘密保護法案」の成立を、私たちは断じて許すことはできません。
(2013年11月投稿)
第3章に「日本国民は国旗、国歌を尊重しなければならない」とあります。こんな憲法なら、街中で国旗を間違って踏んづけただけで逮捕されます。すべての学校の校門に日の丸が掲げられることになります。子どもたちはその前でお辞儀することになります。校長がそれを見て、お辞儀しない「北村」は道徳にぺケを付けます。そういうことをやりかねません。自民党の改憲草案ではそういう国になるのです。
学生たちに、「それでいいのですか」と問うと、「それはやりすぎ」と言いますが、明らかにその国を目指しています。
第2章は「安全保障」で、現行憲法では「戦争の放棄」ですが、自民党草案では「安全保障」になっています。戦争の放棄を放棄していると憲法学者が言いましたが、国防軍を置きます、反対が多いと自衛軍にしましょうと余地は残していますが、結果は同じでしょう。軍事法廷も明記しました。あの喋り方が気持ち悪い、石破さんが死刑とか軍事法廷が必要とTVで発言しました、すべての情報を国民に提供するつもりはないとも言いました。冗談ではありません。全ての情報を開示するのが大原則。あの人の頭の中は、国家が全部秘密にする、例外的にこのくらいは教えてあげましょうです。まったくあべこべです。
自民党草案、第3章「国民の権利及び義務」第12条で「自由及ぴ権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」ときました。現行憲法は公共の福祉です。それはなんですかとたまに聴かれますが、基本的人権が何よりも重視されているのですが、その基本的人権と人権が社会でぶつかる時があります。土地の領有なんかで起きます、その時だけ公共の福祉から考えて、どちらが正しいか判断するのが公共の福祉です。極めて狭い範囲の問題です。しかし、草案で言っている公益の秩序とは権力に対して批判をするな、ということです。原発反対というと公益に反するとなります、自由も権利も認めるが、それは公益に反しない範囲だよ、私たちに文句を言わない範囲内だよ、そういう国にしようと言うことです。
第13条に現行憲法は「すべて国民は、個人として尊重される」とあります。多くの憲法学者が重要視しているところです。どんな人でも「個人」として尊重するのが現行憲法ですが、自民党はそれがいやなので、ひとり一人の人権なんか面倒見ていられるか…です。そこまで説明すると、憲法は変えてはならないと納得する人が出てきます。
第18条は現行憲法で「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない…」とあります。現行憲法では徴兵制はできません。草案では余計なことが書いています「その意に反する苦役に服させられない」と、意に反しなければ徴兵制もできますと言うことです。徴兵制をやりたいからこの文言になるのです。
草案の第19条の2で「何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない」とあります。何人が主語の場合、国はしても良いことになります。国家は不当に取得しても良いこととなり、巧妙で狡い文言の羅列です。表現の自由にも公の秩序が入り、自分たちに盾つくものは認めませんよ、の憲法です。これが通れば週刊金曜日は廃刊です。
第24条で「家族は、社会の基礎的な単位として、尊重される…」、「家族は互いに助け合わなくてはならない…」許せません、憲法に入れる筋合いのものではありません。夫婦喧嘩も憲法に反して、罰則になるのですか…、と言いたいです。
内心に入り込むだけでなく、大きな問題があります。自民党は公助を辞めようとしています。社会保障の削減です。介護、障害、生活保護で生活が大変でも、まず家族で助け合いなさい、どうしてもという場合だけ公助がありますが、国に助けを求めるな、家族があるだろう、助け合ってやれよ…です。
現行憲法では内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならないしと定められているが、草案では、現役の軍人であってはならない、とあります。同じ意味ではありません。自衛隊を辞めて翌日大臣になっても良いということです。そういうインチキで自衛官も大臣になれる道を開いています。
草案、第9章は緊急事態です。ここには基本的人権を制限できる、とあります。全権委任法と同じで、緊急事態法を作りたいのです。基本的人権を制限したいのです。自分たちの言い分をお前たち聴けの態度ですね、いま、緊急事態法のようなものが作られようとしています。
草案、第11章の最高法規を見てみます。現行憲法では第10章です。第97条に「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」とあります。基本的人権が一番大切とする素晴らしい文章です。自民党草案では、ここは削除です。基本的人権は必要ないとするクーデターです。
第99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とありますが、草案では、「全ての国民がこの憲法を尊重しなくてはならない」となり、天皇は消えてしまった。天皇は憲法を擁護する義務はなくなります。草案を読むと、自民党は何を国民に求めているのかが明白になります。(次号に続く)