機関紙98号 (2014年4月25日発行)
中原道夫(本会代表・詩人・上新井在住)
集団的自衛権容認については、与党の中でも慎重論がある。それは、憲法に違反するとの考えからであろうが、ここで恐ろしいのは、それならば、憲法を改めていこうという、改憲への流れが政権によってつくられ、国民投票法改正案を与野党七党で提出したことである。
改正案では、制度の根幹となる投票年齢を「十八歳以上」に引き下げるとあるが、その前に教科書の改訂なども巧みに行って、若い世代を洗脳しようとしている。
戦後ここまで平和で過ごしてこられたのは、憲法九条によって守られていたからであるのに、つぎつぎに外堀を埋めていく改憲への首相のやり方には眼を離すことはできない。
日本だけではない。どれだけ日本の憲法が世界の平和のために貢献しているかを忘れてはならない。
福島を世界のフクシマにしたのは自民党政権であるのに、その場限りの「可能な限り速やかに原発ゼロ」と言った公明党、「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」と言った自民党の「脱原発」は公約違反で、これもけして許されることではない。
先日、福島の地を訪ねてきたが、復興どころではない。被災者は見捨てられているのだ。
いま、ぼくの耳には、かつての進軍ラッパの音が聞こえてくる。軍靴の響きが聞こえてくる。歴史認識のない首相に一言言いたい。かつて日本は戦争により、二千万人の命を殺戮し、同胞三百十万人の命を失っているのだ。憲法九条は人類のお守りである。
榎本啓子(山口在住)
台湾の大学生達が立ち上がって、時の政府に抗議行動をしている。方向性はともかく、今日本の若者がこういう行動を取れるだろうか、エネルギーがあるだろうか?と思ってしまった。どことなくはびこっている虚無感・脱力感・無気力感・政治への不信感…どうせ何を言っても変わらないだろうと骨の髄まで思わされてしまっているような気がする。
消費税8%施行日、怒りの日!所沢駅頭で抗議行動が展開されているのにもかかわらず、道行く人々はどこ吹く風か、あまり興味を示さず淡々としているように感じられる。確かに夕方の家路を急ぐ余裕のない忙しい時間、余計な事に関わりたくない気持ちは分かる。でも、あまりに無関心なのにびっくり。どうせ決まってしまったものは今更何を言ってもしょうがない…という諦めの声が聞こえてきそうだった。
「あなたは、消費税が本当に8%や10%になっていいのですか?」
「暮らしていけるんですか?」「増税分は社会保障に回されると信じているんですか?」本当はどう思っているのだろうか、問うてみたい衝動にかられた。
昔から多くの日本人は、長い物に巻かれ自分の思っている事もろくろく主張せず時の政府の言うなりになって耐え忍んできた歴史がある。日本は人権が中々根付かない国だ。そんな中、「出張で来ていて住所は沖縄ですが…」「出身は沖縄です。」との2組がそれぞれ快く署名に応じてくれた。えっまた沖縄の人?と思ったが、これは単なる偶然ではなく、沖縄の歴史は闘いの歴史であるから、みんなの力を結集して闘い抜いた魂が沁みこんでいる、それゆえ培われた人権意識の表れだろうかと思ってしまった。署名を断られ続けてへこむ中、一服の清涼剤?であった。
4月からは年金も更に減らされ、踏んだり蹴ったりの私達庶民の暮らし、苦しいけれど前を向いて、「うまず、たゆまず、諦めず」まわりの人に声を掛けていこうと心に決めた。
野辺悦志(北所沢町在住)
所沢革新懇は永い間、所沢の統一戦線を担う要として堅実な活動を継続してきました。しかし、広く市民に浸透する活動という面では、困難な課題として突破口を見出すことが出来ずに来ていました。それが「3・11」という空前の災害事故を体験し、おおきな転機を迎えています。それは、「さよなら原発・in 所沢」と「守ろう憲法・オール所沢」という二つの連絡会を革新懇の呼びかけで結成できたことです。
原発問題では、かつて私たちと関わらなかった子供連れの親たちや、思想信条の違った人たちが多く集まり、すでに、38回の会議と2回の市民パレード、「福島の100人の親たち」写真展、3度の映画上映会を開催しています。
憲法問題では、元市会議員の3名を含む「6人の女性の会」が「秘密保護法廃止」や「集団的自衛権の発動反対」で積極的な姿勢をみせ、近く行われる「4・19憲法パレードにも参加します。
加えて今、所沢では防音校舎の狭山ヶ丘中学校に、入るはずだったエアコンに反対し、「防衛省からの補助金を独断で返してしまった」という藤本市長の態度に市民的な抗議運動が広範に起きており、私たちも新しい団体や個人との親しい連帯行動を日々体験するようになりました。
これらの経験から二つの事を学んでいます。一つは今起きている原発や憲法への運動は「個人の自覚が強く動員型ではない」という継続性を確保する力になっていることです。反面、個人の信念に基づくだけに自己主張が強すぎて「協同と連帯の統一」という面では「ある種の危うさ」があり、対立点がむき出しになる場面でその関係をつなぐ我々の役割が大きく役立つことが多々あるということです。
もう一つはこれらの「一点共闘」が「二つの異常」といわれるアメリカと独占資本にどう向き合い、その本質にある「安保条約破棄」の道にどう発展するかということで、革新懇の本来の使命がこの面で問われ続けるであろうということです。
60年安保闘争の中で政治と革命に目覚めた私にとって、残る人生を「この新しい人たちと共にどうたたかうか」、いま、一番大事な政治課題になっています。
劇団民芸の「シスコさん」は、主演の樫山文枝が、しっかりと役をつかみ味わい深い演技をみせ、楽しめるのがいい。母と娘、娘と母という当たり前のような関係を、当たり前でないような関係に見せた機転の効いた上質な舞台に仕上がっていた(4月12日〜24日、東京・新宿・紀伊国屋サザンシアター=12日所見)。
原作は佐野洋子『シスコさん』(新潮文庫刊)、小池倫代が脚本、兜玉庸策が演出。
舞台は平成のはじめからおよそ20年間。絵本作家として活躍するヨーコ(樫山文枝)の居間を中心に展開される。母親のシズコ(塩屋洋子)が右腕を骨折した。そのため、誰が面倒をみるのか、ヨーコを中心に兄、弟、妹が相談する。気ままな性格の母は、兄の家でも、弟の家でもうまくいかず、結局はヨーコの家に住む。母と娘といっても、ヨーコは幼い日の体験から母を嫌っていた。母も女手で4人の子ども育て生きてきた勝気さがある。
ドラマの展開は、せりふの端々にするどい対決をみせながら、どこかでほのぼのとした笑いをさそうから不思議だ。後半になって、母が老人ホームに入所するようになり、ヨーコ自身もがんの病に倒れたりすると、お互いに認めあい、許していく。正直に生きてきたからこその信頼感がじわじわと伝わってくる。塩屋洋子がおおらかに演じていたのをはじめ、弟・マサユキの山本哲也、アキラの境賢一、妹・トモコの白石珠江なども適役であった。
国連脱退になぜ国民はこれほど高い支持率を示したかは、国連はヴェルサイユ条約等でドイツを縛っているという国民の広い共感がありました。
23年にドイツは120金マルクの賠償を支払うことになりますが、払えません。そうするとフランスとベルギーがドイツの炭鉱地帯に入ってきます。ドイツは対抗上のストライキをします。そして、物ができないからインフレになっていきます。
このように、ドイツが縛られているという考えは、右翼だけではなく、左翼にもありました。被害者意識的なものが強くあり、それが90%の獲得に繋がりました。それから、強制的同質化(グライヒシャルトゥンク)を進めます。いろいろな団体にナチの幹部を送り込み、そこを抑えていくことを進めます。NHKの人事にそっくりです。
ヒトラー・ユーゲントの団員数が36年から強制的ということもありますが、右肩上がりに増えます。こういう形で危機感を煽り、ワッと一気にやっていく、それがヒトラーのやり方です。
もう一つは経済の復興、アメとムチの政策です。ヒトラーは失業の克服を目指します。33年2月に610万人の失業者が36年は110万人、38年は20万人に減少します。これに対しては統計の取り方の不備など指摘されることがありますが、それにしても失業が解消したのは事実です。
これに従い、農業現金収入、賃金、工業生産高も向上していきます。本格的に経済が良くなってくるのは、36年以降です。同時に軍事費も膨張しました。
アメリカも同じでした。ルーズベルト大統領のもとでニューディール政策を行い、ダムを造ったりしますが、なかなか効果がでませんでした。ヒトラーは経済の復興で軍事費のことがよく言われますが、失業克服、雇用創出にそれなりの政策を行っていったということです。33年6月に雇用創出計画制定を行います。減税をして、とくに自動車、住宅の所有者、結婚に対する補助金によって需要を刺激して(安倍首相とは真逆です)、道路や公共建物の建設や修復に投資していきます。さらに、輸送機関や軍隊の再建に国家の資金を貸し付けることで投資を煽ろうとしました。
最近の研究では、米国のニューディール政策は「大砲かバターか」と言われましたが、「大砲もバターも」がナチスの政策の特徴と言われています。ヒトラーは第一次世界大戦の時に統制経済をやります。「欲しがりません勝つまでは」で、これはドイツが発祥です。それを日本の軍部は第二次世界大戦に真似をします。ナチスは第一次世界大戦の敗北を総括しています。「やっばり食料が不足した」と。それで一揆が起きる、パンよこせ運動が起こっていく。だから国内には食料を供給する。食い物で国民をつっていく、とヒトラーは考えました。
ヒトラーがうまいところは、一つのスローガンをやるときに、運動として展開します。ユダヤ人ボイコットも皆にやらせていき、少しずつ成果を上げて、あとで法律として制定します。そこまでは運動として展開します。食料危機もそうです。国民は月に一度日曜日に肉を食べるのをあきらめ、失業者のため肉類、食料品、お金を寄付することが強制されました。運動として展開していく、なかなかの知恵者です。
36年になると経済も回復してきます。なぜそのあともナチを支持し続けたのでしょうか。ナチ党の組織は100万人に膨らみます。その理由は次のようなことでした。
失業者はナチに入れば食べていけるのですが、いい加減の者もいました。ユダヤ人の店で略奪したり、会社を占拠したりします。ナチ組織の腐敗、幹部の目に余る傍若無人。34年にはレームの粛清が起きます。SS(軍隊のようなもの)の幹部でヒトラーの古い友人です。同性愛の巣窟との理由で粛清します。健全なドイツではないと、ナチ党サークルと呼ばれていた人たちも殺されます。国防軍の将軍も粛清されます。ナチ党の幹部の腐敗をビトラーが抑えてくれる、これで国民の支持が高まります。北朝鮮みたいですね。
もう一つは正常性へのこだわりです。恐慌のときに食べるものもない。23年にはインフレがあり、ちやんとした生活を送りたいという願いがヒトラー支持に繋がります。ヒトラーは夢が持てる。国民に住宅と自動車を持たせる、と言っても実際にはあまり車を手にすることは出来なく、予約でした。その予約資金が軍部に回る仕組みでした。マイホーム主義的ライフ・スタイルを満喫させて、ガス抜きをしていきます。これを非政治的回路による合意の形成と呼んでいます。消極的同調者が多かったのです。
ナチスのイデオロギーには同調できないものの、それ以外の領域では失業や景気も回復したし、暮らしていけるから、いいじゃないかとナチスの政策を受け入れ、結果としてナチス体制を容認することになります。
これもいまの日本と似ています。安倍の外交政策に賛成はできないが、株が上がったり、企業が儲かったりして、景気が良くなっていると聞くと、実感には乏しいが、まあ良いか、と同じです。国民共通の仮想敵をつくって、国民感情を動員していく。
ヒトラーの場合は変わっていきます。最初の演説でマルクス主義を敵視します。それがロシアのレーニンもユダヤ人、資本家もユダヤ人です。最初に社会主義者がドイツをダメにする。そして、そのあとにユダヤ人が……。この二つが敵になります。敵をつくることで国内をまとめて、存続するには、常に仮想敵をつくっていく。安倍の手法と同じです。
安倍首相はどこかの会議で、現在の日中関係は第一次大戦の英独関係と似ていると発言しましたが、当時、英国は3C(植民地)政策でドイツは3B政策を取り、これがぶつかり合います。安倍が外遊するところは、中国が行っているところばかりです。そこで対抗関係をつくり、中国を仮想敵にする、古い手法です。ヒトラーの積極的平和主義、これも安倍さんに似ています。
ヒトラーは演説の中で、「平和、平和」と言っています。「ドイツは平和を欲するのである。現在のドイツは、国内の損害を回復するという大事業の中で生活しつつある(ヴェルサイユ条約により国土の13%を失う)。ドイツ固有の領土を取り戻すことが平和なんだとの主張です。ドイツの平和とは敵に包囲されていると対外危機を強調することにより、ドイツの最強国化(国防自主権「再軍備と徴兵制」)という積極的な形をとります。ヒトラーの平和とは不戦ではありません。自分たちがやられないようにする。そのためにドイツが強く、大国になり、やりそうな相手を潰しておく。安倍の集団的自衛権とそっくりです。
ヒトラーが戦争を言い出すのは、あとのほうで33〜38年です。36年以降はすべての法律を再軍備に優先に進めます。35年から国家予算も公表されなくなりましたが、戦争とは関係のないように見える政策や法律も戦争国家建設のもう一つの重要な戦線を形作っていたのです。結婚資金貸与制度は、多産の奨励で将来の兵士を作る。滑走路にも転用できるアウトバーン建設などです。安倍のインフルエンザ対策本部設置も同じ発想かと勘ぐりたくなります。
39年1月の国会演説で、「もし再び世界大戦になるようなことがあれば、それはユダヤ金融資本のせいであり、その結果は、ボリシェヴィキすなわちユダヤ人の勝利ではなく、ヨーロッパにおけるユダヤ人種の絶滅となろう」といよいよ戦争について語り始めます。
ヒトラーと安倍首相は出身でみると大きな違いがあります。ヒトラーは庶民の出で、それなりのカリスマ性(超能力)があります。若く40歳で政権に就きます。それに対して安倍首相はエリートでカリスマ性(再チャレンジ組)はありません。かつての日本では、再び浮き上がれないケースですが、名門出のエリートだから出来たのでしょう。これから向かう日本は危険性が大きいことを指摘して終わります。
山崎晶春(本会世話人・元小学館)
歴史認識を深めるために、私は福島原発以降改めて再読の必要と考えた近・現代史の書籍を読み続けています。
1945年8月15日、“敗戦”についての認識の諸問題や、原発については「原発安全神話」を作り上げ、国民を虚偽で隠蔽してきた自・公政権への追及の不徹底、認識のあり方について不満を感じてきました。このことは敗戦時の混乱などで戦時下の諸問題が、民衆の立場から追及できなかった。この度も悔いが残る同じような見逃しを何故しているのでしょうか。
私は以下のように考えています。憲法理念を掲げ、非核三原則を堅持し、「真の民主主義運動」を市民の立場からすえた運動にする。歴史の逆流を許してはならない闘いです。
(イ)原発「安全神話」を作り、推進してきた政党、財界、大手マスコミ、協力した科学者、専門家、文化人などの責任を追及し、市民に謝罪するまで運動を強化し、持続させる。
(ロ)子ども達の未来社会を創るのは大人の責務。
(ハ)有権者の一票を問いながら、各自治体で、靖国参拝した議員の歴史認識を問う運動を起こす。
都知事選の直前ですが、「脱原発」の主張が共通する宇都宮候補と細川候補とが共同して、安倍政権打倒の闘いにならないだろうかという意見が多く寄せられていました。それに応えるべく、マスコミ出身の私たちと「脱原発1000万人運動」を進めている団体と共同して2014年2月3日(火)2時・4時プレスセンターで記者会見。2回目の記者会見は2月6日(木)2時・4時に行われ、両候補の返答を明らかにしました。
この問題を考える上で市民の意識、認識に対応できる、明治になって運動化されていった民権運動について読み直してみました。 福島原発が爆発した3・11までの総括の視点を整理しておく必要があるので、まず私はその日、どうして過こしたのかメモしておきます。
2011年3月11日は「マスコミ九条の会」の企画委員会があるので私は猿楽町のJCJ事務所へ向かっている時であった。地下鉄「丸の内」線池袋駅で2時48分の車両に乗り、発車を待っていた。その時、東北地方での地震、津波発生、マグニチュード9と駅の放送で知らされる。改札口の外に出されたが、池袋駅、西武地下一階は人で混み含い、街路は人であふれ、動くことができなかった。駅前の歩道でしばらく様子を見ていたら、1時間半ほど経ってようやくバスが来たのでそれに乗車し後楽園まで行く。後楽園で下車し歩いて高文研にたどり着く。その夜は地下鉄、西武線も動かないので高文研に泊めてもらって、状況を見守った。JCJの事務所へ行った1さんが食料、飲み物を買って戻ってきた。その夜は遅くまでテレビ報道を見守ったが、福島の詳しい状況は知ることが出来なかった。
翌日、朝10時半頃帰宅。新聞、テレビの報道でこの津波、地震の被害ははかり知れないことを知らされる。町・村の漁業、農業は壊滅状況。死者、行方不明者は何万人になるのだろうか。自治体も動けていないし、動けない。政府の方針が分らない。
3月13日(日)晴れ 東北地方、太平洋側の被害 福島第一原発1号、2号、3号機の燃料棒の露出、2号機の水素爆発、2号機の放射性物質の放出や炉心溶融など危険な状態が報道される。
この被害状況、復興、再建、地球保全の視点から「いのち」を守る運動が最優先課題ではないかと考えます。
3月15日(火)釜石に住む高校時代の友人から無事であるという連絡が入る。
新聞・テレビ報道に「今、何を伝えるべきか」--起こっている現実の事実と、その背後にある問題を掘り下げる視点が弱い。実に憂欝である。
メディアのあり方について追及する必要を強く感じる。
友人から送られてきた広瀬隆氏の原発に関する「報道されない真実」のインタビュー記事などを読む。こうしたことから原発に関する本を改めて読み始める。同時に歴史認識を深めるために再読しなければならない書籍を選択する。
福島の原発被害は克服の見通しはたっていない。
「敗戦」、広島、長崎の原爆で放射能被害をこうむり、その克服に68年の歳月をかけてきた。
今、「いのち」を守る闘いに全力をあげる時に来ている。安倍政権の政策・方針は憲法を改悪して、戦争の出来る国にし、戦前の軍国主義天皇制の下での侵略戦争時代に逆行させようとしている。
「歴史から何を学ぶか。歴史から学ぶのは未来である」(色川大吉)過去から学ぶことは一つしかない。つまり未来についてです。未来について学ぶには、価値観とはっきりした概念(言葉)が必要です。
(1)「いのち」を守る闘いを中心にした運動をすすめよう。
・戦争の実態、生活の変化の再確認と戦争を知らない世代に、私たち世代、太平洋戦争時代の国民学校の日々がどのようなものであったか。それぞれが過ごした地域による違いなども丹念に語り合うこと。
また、大正時代に生まれ、戦地で戦争を体験した人たちの話や著作を読むことも大切だと思っています。
色川大吉氏の「ある昭和史」のガダルカナル島の部分を引用すると、「1943年(昭和18)、太平洋戦争はいっきょに暗転した。前の年の6月、ミツドウェーで大型空母4隻と帝国海軍秘蔵の戦闘機乗り、爆撃機乗りの精鋭千余人を失った痛手は、ひた隠しに隠そうとも、その後の戦局にはっきりとあらわれてきた。南太平洋での制空権は奪われ、ガダルカナル島は孤立し、数万の将兵はジャングルに追いつめられ、はげしい砲爆撃のもと、飢えと病気にぞくぞくと斃れていった。……ガ島は餓島となった。」日本軍の死体1万9千2百余のうち1万1千人が戦病死で死因は下痢、マラリア、それに餓死であったとある。
私の叔父はガ島で餓死したのである。母が曹洞宗の寺の次女で、一番下の叔父はその寺の後継者であった。もう一人の養子にいった叔父は沖縄で戦死している。
戦後1980年半ばごろ、母の一番下の叔母にすすめられ追悼文集を作ることになり、資料を集めて調べた。その時、改めて無謀な戦争の悲惨さを実感した。鬼畜米英と云って、戦争推進に国民を総動員した無謀な太平洋戦争であった。
1943(昭和18)年4月アッツ島守備隊の玉砕発表。さらに、「ある昭和史」で色川氏は「『大本営機密戦争日誌』を読みとっている。
「海軍ノあ号作戦ニ関シ陸軍ト協議ノ上中止スルニ決ス。即チ帝国ハ『サイパン』島ヲ放棄スルコトニナレリ。来月上旬中ニハ『サイパン』守備隊ハ玉砕スベシ、最早希望アル戦争指導ハ遂行シ得ズ。残ルハ一億玉砕ニ依ル敵ノ戦意放棄ヲ侯ツアルノミ。」と。
これに対し、色川氏は「もし、この時点で、天皇と日本の指導層が命を捨てても国民を救おうと決心して必死の停戦行動をとっていたら、少なくともその後1年間の大惨劇−比高での50万人の戦死、ビルマ敗走による14万人の戦病死者、沖縄での20万人の犠牲、本土大空襲と原爆による50万人の死亡、旧満州軍総崩れによる20余万の行方不明--はまぬがれえたであろう。これとほぼ同数のアジア人(比島人ら)の人命や、アメリカ軍将兵10万の人命も死をまぬがれえたであろう。それによって、数千万人の諸国の人びとが肉親を失った絶望に血の涙を流さなくてもすんだであろう。戦争指導者の責任というのはこのように重大なのだ。この無害の民の声を感じることなしに、歴史を云々することはゆるされない。」この「ある昭和史」は1975年8月に刊行され、自らの個人史を記述しながら、鋭い視角で昭和の時代像を描き切った書籍です。
当時私は労働組合で出版対策部の強化と臨時の人たちの差別撤廃の闘いをすすめていました。この書籍を読むことにより、自分の思考、歴史観が深められ、心が揺さぶられる感動でした。今振り返っても、戦争指導者、政治家が自らの果たすべき責任として、「人命」を何よりも優先し、民意をくみとれる人間的な感性、思想がいかに重要であるかが問われています。
平和憲法下においては、この要請はますます強くなっているにもかかわらず、安倍政権はそうした視座、思想を持ち合わせていないのです。同時に私たちの一票は歴史的な視点からも磨かれた一票に高めなければならないと思っています。(次号に続きます)
主権を制限する法律は現在でも沢山あります。その一例はインフルエンザ対策特別法です。百貨店の営業禁止まで含まれ、日弁連は違憲だと散々言ってきたのですが、国会ではなんの議論もなく通ってしまいました。暴力団廃止条例も憲法違反です。暴力団は家を借りられない、商取引ができない。暴力団を守る気はありませんが、憲法違反なのです。全ての人間に基本的人権があるのですから、暴力団だから基本的人権を認めなくていいとはなりません。オウムの時もそうです、オウムの信者には住民票を出さない。憲法違反です。すべての人の人権が認められているのです。これを認めていると、公益に反しているから、労働組合の幹部には家を貸さない、市民運動家に家を貸さない。法律が勝手に動き出して、人を縛ることになります。広範に運用できる法律は本当にやばいのです。そういう危険なものを作ってならないのです。違憲状態のものを元に戻す運動が必要。日本国憲法を活かす運動が求められます。
原発の話しをします。400近い汚染水タンク、フランジェ法といってごくこく簡単に作ったタンクですから、良く持って5年です。漏水すれば作業員は全員退避です。東電は手の打ちようがないのが実態、世界中の知恵を集めるしかないのです。あの首相がブロックされていると言ってしまった以上、世界の知恵を結集することは難しくなっています。震度6以上の地震がくれば、今度は4号機の燃料棒が破損すれば、その時点で作業はできません。そのことを世界中に知らせて、援助を仰ぐのが筋です。福島の子どもたちに高い確率で甲状腺ガンが見つかっても、事故と関係ありませんとシラを切る。あ然とします。国は福島の子どもを守る検査を手抜きしています。やればやるほど被害が広がり、保障が大きくなるので、しない方針です。再稼働、そんな冗談はやめて下さい。TPPのISD条項は大変なことです。投資家が金儲けをしたいから、そのためには日本でこういう規制を取っ払えということを世界銀行の仲裁機関に訴えることが出来るということです。混合治療、遺伝子組み換え、中小企業保護、こんな規制はダメと、企業家が訴えて、国が負けると国内法とは違い、ただちに国は執行しなくてはなりません。世界中の多くの国が負けて、負けたことがないのは米国だけです。
私たち市民の安全をないがしろにして、米国の大企業が日本から搾取するための手段です。本質的に売国政策です。郵便局で売るガン保険は全部アフラックになるでしょう。消費税が上がって儲かるのは、輸出企業です。いろんなカラクリがあります。消費税を上げる必要はありません。大金持ちと大企業から取れば済むことです。生活保護費を削減して、企業は減税なんて絶対に許せません。物価が下がっているからと、理由にしていますが、その中に、大型液晶テレビ、パソコンが入っています。そんなものを入れて物価が下がったといいますが、光熱費や食べ物は軒並み値上げです。インチキも甚だしい。
自民党に投票した人は参議院選で18%ですから、5人にひとりです。いくらでもひっくり返すことは十分可能です。安倍さんは長続きしません。それはオバマさんに嫌われているからです。いずれ日米の摩擦が表面化するでしょう。
われわれ高齢者が頑張りましょう。65歳以上が30%を超します。リタイヤしようと言っている暇はありません。平和に暮らしてきた世代です。次ぎの世代は危なくなってきました。平和に暮らせたことを次世代に伝える義務があります。高齢者が頑張れば若い世代も付いてきます。無理をしないで自分に出来ることをやりましょう。それを確実にやっていけば必ず大きな力になります。