前田哲男氏講演録 3 (2008年11月30日)
田母神的な暴発をさせないためにはどうするのか。こうした状況を、ただ憲法違反、彼らは違憲の存在である、ということだけではなしに、つまり一過性の問題ではなく、文民統制という民主主義のルールの中で、これからも起こりうる問題としてまず捉えることが大切です。その上で自衛隊という憲法上問題のある組織をどうするかという視点から、自衛隊の抱えている内部矛盾を受け止めて、分析し、きちんとおさえておく必要があるだろうと思います。
そうしてみると、組織の劣化と隊員意識のすさみ、と言いましたけれども、冒頭に挙げたさまざまな事象がこの一年の流れの中に、底流としてうごめいているのがわかります。
上は守屋問題とか久間元防衛大臣の「原爆はしょうがない」の問題発言があり、下はいじめ、セクハラなどがあります。
自衛隊内のいじめ・セクハラは、パワー・ハラスメントという権力を傘に着た暴力ですから本当に大変です。軍隊という組織は規律と服従の世界ですから、いじめにはパワー・ハラスメントという問題が切り離せないものとして存在します。いま進行中の、やがて最終報告が出される江田島の格闘訓練の死亡事件、やめたいと言った一人の隊員を15人で囲んで、お別れ会だといって死に至らしめたという。訓練と言われているけれども、到底そのようなものではない。もはや「私的制裁」という旧軍用語を使わなければならない。
こうした問題を護憲の側で丹念に拾い上げて調査を行なってきていれば、田母神問題のようなことは起こらなかったのではないか。少々乱暴ないい方かもしれませんが、彼らは違憲の存在だ、彼らの人権など問題にしない、というような見方で自衛隊という人間集団を別世界視していた。そこの中で起こっていることに関して、実態的な分析をしたり、教育や人権の観点から批判するということをしてこなかった。
最大の責任は旧社会党です。いま社民党は一生懸命、調査をやっています。「さわぎり」事件もそうですが、江田島の格闘訓練致死事件では最初に現地に調査団を派遣しました。しかし、最大野党だった社会党時代はそうでなかった。以前からやっていたら違ったかもしれない。それでも遅すぎることはないわけです。いまからでもやっていかなければならない。そうすることによって「自衛隊をどうするか」という視点が生まれてくるし、メッセージがフェンスの向こうの自衛隊員に説得的に受け止められるだろうと思います。自衛隊改革には、隊員の同意、支持が、決定的でないにしても重要すから、彼らが受け入れ納得する呼びかけ、政策提起が必要だろうと思います。
時間があまりありませんから、後半にお話しようと思っていることについて、少々つめてお話します。
田母神問題で露呈した自衛隊のあり方の不健全性、日米関係における危険な動向、それを非難するだけでなしに、また旧軍隊へ回帰しようとするような動きを警告するだけでなく、自衛隊を変えていくには、どのような視点が必要になってくるのか。非難と否定だけでは何も変わるわけではない。変えていく力を結集しなければならない。
求められているのは対抗構想です。自衛隊をどうするか、という対抗政策です。全否定しても意味のないことです。出来もしないわけですから。
憲法違反だから自衛隊を否定するといっても何にも変わらない。逆に自分が変わらざるを得ない。連立政権(1994〜96)の首相になった村山さんがそうでした。村山さんは変節したのでもなんでもない。法治国家においてあれ以外取りようがない。せめて社会党が政策協定を結んで村山さんを官邸に送り込んでいたら、もう少し手だてが出来たに違いないけれど、それもない。丸腰で入っていってしまって、自衛隊は九条に違反しますといった瞬間に何も出来なくなる。法治国家において違憲であるということは違法であるということで、違法のものに手を貸すことは自らが違法になるという、そうならざるを得ない。
自衛隊は警察予備隊、保安隊から数えるともうすでに60年以上存在してきた。今は海の外までいっている。やがて交戦権を与えろという声もある。そういう中で田母神問題が噴き出たわけです。であれば、ますます対抗構想としての自衛隊をどう変えていくかを打ち出さなければならないと思います。