米軍所沢通信基地97万平米の返還にむけて

基地全面返還は市民の願い

所沢市・所沢市基地対策協議会パンフより

所沢飛行場の歴史

 1911(明治44)年4月5日、日本で最初の飛行場として、敷地面積76万平方メートルの旧陸軍所沢飛行場が開設されました。その後、敷地の拡張や施設の整備等を行いながら、1945(昭和20)年の終戦まで、日本の航空教育の第一線の場として重要な役割を果たしてきました。終戦により米軍が進駐し、建設部隊や兵器廠がおかれましたが、1967(昭和42)年からは米空軍の通信基地となっております。

基地返還運動の歩み

   戦後、日本経済は徐々に復興し、首都圏への人口集中が激くなり、首都圏に近い所沢市でも、1959(昭和34)年4月新所沢公団住宅の入居が開始され、市内も都市化の波が訪れてきました。
 このような中、市議会では、基地が市街地の中心部に位置し、都市計画上の障害となっていることから、1961(昭和36)年12月、返還要求の決議をするとともに、市議会内に基地対策特別委員会を設置しました。
 こうした流れの中、1967(昭和42)年3月12日には基地全面返還を求める運動として「所沢基地全面返還運動市民大行進」を市・市議会・各市民団体等4,115名の参加により実施しました。
 1968(昭和43)年9月、基地全面返還の願いを市民運動とするため、市内各界の代表者からなる「所沢市基地対策協議会」を発足しました。以来、市、市議会、基地対策協議会の三者が連携を図りながら政府関係機関や米軍に対し、粘り強く基地返還の要請や陳情を行った結果、1971(昭和46)年6月30日に所沢基地内で返還式が行われ基地の約6割が返還(第一次返還)されました。
 さらに、1978(昭和53)年に教育福祉施設用地として一部返還(第二次返還)、1982(昭和57)年に基地北側道路拡幅用地として一部返還(第三次返還)され、基地全体の約7割が返還されました。
 また1994(平成6)年2月5日には「所沢基地返還運動推進大会」を約2000名の市民の参加により開催し、基地全面返還の早期実現のため返還運動を推進していくことを宣言しました。
 1996(平成8)年5月9日(米国時間)市長、市議会議長及び基地対策協議会会長は、米国の首都ワシントンDCの国務省を訪ね、国務長官宛の「米軍所沢通信基地の返還に関する要望書」を提出すると共に、所沢市の実状を直接訴えました。
 市、市議会、基地対策協議会の三者では、毎年政府関係機関に要望を行っておりますが、2001(平成13)年2月5日には市政施行50周年と基地対策協議会開催100回を記念して市・市議会と基地対策協議会の委員による返還要望を行いました。


第一次返還

 1971(昭和46)年6月30日所沢基地の通信施設を除く部分約6割1,918,831平米が返還されました。この時、米側から基地の東西(返還地の一部)にイーズメントエリア(電波障害制限区域)が設定され、建築物に対し高さ制限が課せられ、1979(昭和54)年に制限基準が緩和されましたが、現在も約333,000平米のイーズメントエリアが設定されています。


第二次返還

 1978(昭和53)年6月20日通信基地の南側97,593平米が教福祉施設用地として返還されました。


第三次返還

 1982(昭和57)年6月30目通信基地北側の既設道路拡幅用13,525平米が交通対策の一環として返還されました。


OTHレーダー問題

 大陸間弾道弾(ICBM)を探知するOTHレーダーが基地内に置されていることから、1975(昭和50)年1月25日に「所沢OTHレーダー撤去・基地全面返還要求市民大集会」等を開催しました。その結果、同年9月10日には20本のアンテナすべてが撤去されました。


現在の所沢通信基地

 現在の米軍所沢通信基地は、横田基地の米第五空軍第374輸航空団に所属する送信基地で、新座市と清瀬市の間に所在する大和田通信所(受信基地)とともに、横田某地と米軍航空機を結ぶ通信業務を行っています。
 主要施設としては、横田基地及び大和田通信所との通信のためのマイクロウェーブ鉄塔が1基航空機通信用ディスコーンアンテナ(無指向性)が13基、LPアンテナ(指向性)が10基設置されています。その他に管理棟、倉庫があります。


今後の課題

 市、市議会、基地対策協議会の三者は、共に連携を取りなら基地の全面返還を最終目的としていますが、1982(昭和57)年の第三次返還以降、さまざまな返還運動や要望活動にもかかわらず、残念ながら基地返還の動きはありません。
 このようなことから、当面は部分返還(1.東西連絡道路の返還 2.文教通り線拡幅用地の返還)及び部分解放(3.日米共同使用スポーツ広場用地の解放)を要望していますが、大変に厳しい状況であります。
 今後も、スローガンにあります「基地全面返還は市民の願い」の早期実現のため、これまでの返還運動等を踏まえ、最良の方法を編み出しながら、更に粘り強い返還運動を展開していくことが必要であると考えています。


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