機関紙115号 (2015年10月31日発行)
安保関連法(戦争法)が参院で成立して1ヶ月がたちます。安倍首相はロナルド・レーガンに乗艦して得意満面です。「成立ありき」の強引さで立憲主義は壊されました。これからの闘いの展望をピースセンターの大久保弁護士に聴きました。(聴き手 葛西建治)
大久保弁護士
戦争法は成立しましたが、いくつかの問題があります。憲法九条の平和主義を踏みにじってしまった。立憲主義、政府は憲法によって授権されている。権限を付与される憲法が授与されている以上のことはできない、その立憲主義を踏みにじった、もう一つは多くの国民がこのまま国会で通すことに反対だと言っているのにかかわらず、強引に成立させていった。その三つの問題点がある。
衆議院の憲法審査会で自民党推薦の学者も含めて、この戦争法案は違憲だとの発言が出て、平和主義に反するかどうかより、立憲主義で政府が授権しているよりも違反して、憲法の制約を踏みにじって、この法律を成立させようとしている。この動きに対して多くの国民、あるいは保守的といわれる学者、あるいは政府の機関の中にいた内閣法制局の長官、最高裁判事まで含めて、違憲だと発言した。
立憲主義に違反しているとの批判は、憲法は権力の手を縛る、政府、国会、裁判所に対して、国政上の権限を与えているのだが、憲法の枠をはみ出してはならないのが立憲主義であり、自衛隊をこんな形で海外に派遣することを憲法は認めていないのだ、その考え方が保守的な人たちも動かした。
結局は憲法を改正すれば、自衛隊を外に出してもいいのだと主張する人も含まれている。そこも含めて安倍政権のやり方は異常だ、憲法を無視している、これが今回の特徴だ。私たちからすれば、自衛隊が違憲だとの考えもある。私もそうだが、そういう人たちでない人が安倍首相のやり方について、異議を申し立てているということだ。
全国の単位弁護士会、北海道に四つ、東京に三つ。全ての弁護士会が戦争法を成立させることは立憲主義に反するスタンスだ。埼玉の場合も多様な弁護士が、ここまで憲法をないがしろにしたことは許せない、立憲主義に反すると強い憤りを表明した。
シールズ、若いママさんたちが、全学連など組織化された人たちでなくて、自発的に参加し、共通の思いがある人たちが集まっている。若いママたちは、「誰の子どもも殺させない」これは素晴らしいスローガン。「民主主義はなんだ これだ」自分たちの声をあげる。自分たちのものにしている。直感、肌感覚でこの法案はおかしい、と気がついていた。
ものごとを武力で解決する。企業が潤えば、国民も潤う、いわゆるトリクルダウン。大企業優先が露骨に表われている。戦争の容認は彼らの言葉では、抑止力を高めれば、平和になると言う、経済、経済ばかりだ。これは非常事態だ。非常事態の中で、今までと同じことを行うのはダメだ。安倍内閣の目に見える乱暴さと、体制側の人たちさえも反対の声をあげているのは、異常な事態だ。だから、踏み込んだ作戦が求められる。
法案が発動されていけば、米軍に対する協力が出来ていく。改憲は国民の抵抗をもたらさない、最初は環境権など改憲の対象にして、投票させるが、憲法九条の改悪は必ずやるだろう。
野党の協力、違憲訴訟、賛成した議員を落選させる、がある。統一候補にハードルが高い側面もある。それにメディアの批判が弱い。
違憲の状況をどう解消するのか。法律だから、議会での力関係をどう変えるのかが、もっともストレートな方法。集団的自衛権行使容認は政府の意思だから、それを変えていくことが必要になる。今の憲法体制下で最も現実的な方法だ。それが出来なければ、この法律はそのまま残ることになる。違憲訴訟は日弁運や弁護士会が原告になることは、組織の性質上できないが、私への情報では、抽象的な裁判ではなく、この法律が施行されることになり、自分たちの平和的生存権が侵害される、だから、慰謝料払え、という形にするか、自衛隊を海外に出さない差し止めとか、具体的な裁判を検討している。自衛隊員が海外派遣を拒否して処分され不利益を受ける、現地に行って不幸にして戦死した場合、これも違憲の法律で派遣されたことを理由に訴えができるのか。
戦地に行って殺された場合、国の命令に従って行動する場合と、国の命令に従わない人が出てきた場合に、基本的には従わないことは抗命罪、命令に違反することになるから、刑罰の対象になる。その時に違憲の法律の命令に従う必要はないと、効力を争うことは当然考えられる。
自衛隊員は訴訟が出来るが、一般国民は出来ない。一般国民が訴訟する可能性をいま弁護士会は検討しているところだ。
問題は裁判所が違憲と言うかということだ。統治行為論で砂川事件の無罪判決を言い渡した裁判官を一生、冷や飯を食わせた。それを私たちが変えられるかだ。
国会の体たらくをもたらすのは、小選挙区制と政党助成金だ。そこをしっかり見でいきたい。大勢の死票を生み出す小選挙区制、このシステムを補完しているのが政党助成金で、何百億も自民党に流れ、国民から乖離してもやっていける。これと財界からの献金を使い、財布とポストを握っていれば、アゴで当選者を使う、これが解消されなくてはならない。
岩崎貞明(放送レポート編集長)
「戦争法案(安保関連法案)」が参議院特別委員会で採決された9月17日、NHKは朝の情報番組『あさイチ』の途中から長時間の国会中継を行った。国会中継を放送しないことで批判の対象となっていたNHKがあえて生中継に踏み切り、怒号が渦巻く中で自民党議員らが委員長席の周囲をがっちりと固めた異様な光景を、多くの視聴者が目撃することとなった。
しかし、疑問を覚えたのは、与党議員と野党議員らによる激しいやり取りが続いている最中、NHKが「賛成多数で可決」とのニュース速報を字幕スーパーで報じたことだ。委員会採決は賛成議員の起立によって行うことが定められているが、あの状態の委員会室で、いったい何人が賛成で起立していたと判断てきたのか。
だいたい、前日に行われた横浜での地方公聴会の報告もないまま採決に入っている、という手続き違反もあるのだから、何を根拠にNHKはこの「採決」を有効として「可決」と速報したのか。
これは、ある意味でNHKが政権に「助け舟」を出したものと言わざるを得ない。
このようにNHKが報道機関としての役割を後回しにして政権のサポート役を務める一方、民放のニュース番組のいくつかは、法案の問題点を批判的に追及した。その中の一つ、テレビ朝日系『報道ステーション』の奮闘ぶりを紹介したい。
まず、9月14日の放送では、政府が集団的自衛権行使容認のための憲法解釈の「拠り所」として利用してきた、1959年のいわゆる「砂川事件」最高裁判決に関するスクープを放った。
砂川事件とは、東京・立川市で米軍基地の拡張に反対するデモ隊が基地内に侵入したとして、日米地位協定の刑事特別法違反に問われたもの。一審・東京地裁は、日本政府が米軍の駐留を認めたのは憲法違反として無罪判決を言い渡したが、検察側が最高裁に跳躍上告して、最高裁は破棄差し戻しの判決を出した。
この最高裁判決に関して、当時の最高裁判事の一人だった故・入江俊郎氏のメモが見つかった、というのがスクープの内容だ。そこには〈「自衛の為の措置を取りうる」とまでいうが、「自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい」とまでは、云わない〉と書かれてあった。つまり、米軍の駐留は憲法が定めた「戦力の不保持」に違反しないが、自衛隊の存在そのものについて判決は何も判断していないということを、判決に関わった判事自身が明記していたのだ。まして、自衛隊の海外での活動を認める集団的自衛権の行使について、この判決から容認の解釈を導き出そうとすることそのものに無理がある。
番組スタッフは、この最高裁判決に関わった判事15人の遺族に取材する中で、入江氏の書庫からこのメモを発見したという。その後、政府・自民党が砂川判決にほとんど言及しないのは、こうした報道によって論理の破たんが明らかになったからに違いない。
翌15日の放送は、ドイツで議会が軍隊をコントロールしているようすを紹介した。ドイツは憲法解釈を変更して海外派兵を行っているが、2005年に制定された議会関与法によって、政府が海外派兵をする場合には、派遣地域・任務・兵士の数などを明記した詳細な派兵計画書を議会に提出することが義務付けられている。さらに、議会直属の「防衛監察委員制度」が存在し、軍隊に対して抜き打ちの検査やヒアリングを行うこともできるということで、政府や軍隊による情報隠しを許さないしくみが設けられている。
これに比して日本では、自衛隊の海外派遣には国会承認が原則とされているものの、特定秘密保護法によって、開示情報を政府が事実上意のままにコントロールできてしまう。
このように『報道ステーション』は、安保法案審議のもようについて詳しく伝える一方、視聴者に対してさまざまな角度から判断する材料を提供していた。残念ながら安保関連法は強行採決によって成立、ということにされてしまったが、たたかいは終わったわけではない。これからも各局の意欲的な報道に期待したい。
山本達夫(会世話人)
9月30日、安倍政権が数の力で成立させた安保開運法が公布された。同法は規定により公布から半年以内に施行され、憲法違反の法律が来年3月までに効力をもつことになった。いま求められているのは、この法律を廃止するための知恵と持続した力だ。
安倍政権を支える数の基盤はけっして強固なものではない。小熊英二氏(慶應大学)によると、自民党員数は1991年の547万人をピークに2013年の78万人まで85%激減したという。
確かに自民党は自らの脆弱性の危機感からか14年度の運動方針に、全国を視野に入れた「300選挙区すべてに4000人の党員確保」を掲げ、それは15年度方針にも引き継がれた。それにならえば安保関連法廃止に向けた“持続した力”も、国会周辺だけでなく全国各地の選挙区におけるあらゆる分野と社会階層で求められているといえる。
海外でいつでもどこでも集団的自衛権を行使する安保関連法は成立したが、安倍首相がめざす「安保法制の整備」は未完である。なぜならこの法制度の最終目標は9条の明文改憲にあるからだ。安保関連法を成立させるために、「限定的」だの「歯止め」だのとウソとごまかしを多用して「合憲」を強弁しなければならなかったのも9条の存在ゆえだし、同法が施行された後想定される違憲訴訟も9条が根拠となるのは明らかだ。
なによりも戦争放棄、戦力不保持、交戦権否定の9条下にある国家が、戦争による「戦死者」を生む法律を成立させること自体、誰が考えてもつじつまが合わない。自衛隊の存在ふくめ、安保開運法とのつじつまが合うような9条の明文改憲が実現してはじめて安倍首相がめざす「安保法制の整備」は完結する。
今後、安倍政権の9条改憲に照準を当てた策動が本格化する。いつどのように改憲発議すれば国民投票で過半数が得られるかを推し量っている。
それに呼応する「日本会議」を基軸とした改憲派は、国民投票が実施された場合の投票率を60%と想定し(有権者総数1億)、その半数3000万票を得るための活動をはじめている。
人、モノ、金、情報が国境を超えてグローバルに飛び交う時代、冷戦終結後の米国一極支配の国際秩序に対する反発で不安定化する時代、それがアジアの安保環境にも変化をもたらしている時代…。そうした時代だからこそ、「9条を守る国家であるべき」という確信が求められているのだ。
世界はテロの撲滅を叫ぶ。だがテロリズムの根源的な定義を「罪なき市民に対する政治的暴力」とすれば、大国によるテロの撲滅もそこに含まなければならない。だからこそ9・11直後、ノーム・チョムスキーは「米国こそテロ国家の親玉」といい報復戦争に反対したのだ。報復が報復を生み、憎悪に根ざした強固な戦闘意志をもつISが生まれ、700万人を超える罪なき市民が故郷を捨てた。出口のない状況に、軍事力は平和を構築するためのものではないと世界は気づきはじめている。
軍事力に頼らない平和構築こそが9条の理念である。いかなる場合でも素手で対時し、たとえ武力で威嚇されても腹からの勇気をだして交戦を拒否し、地球上のどこにも敵をつくらない外交に徹する。それは憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義」を限りなく信頼すると「決意した」からである。さらにいえば9条の理念こそ、すべての人類の未来に生きる普遍的真理だと確信するからである。
「普通の国」にはないその崇高な国家原則を堅持して、世界が模索する課題に立ち向かえる先進国は日本だけだ。危機をあおり抑止力を強調し愚かにも9条を書き換え、ただの「普通の国」になろうとするヒマが安倍首相にあるなら、150年前に米国16代大統領エイブラハム・リンカーンが残した次の格言をよく噛みしめて考えてみてはどうか。「敵が友となるとき、敵を滅ぼしたといえないかね」。
鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)
劇団朋友の「ら・ら・ら」は、定年を迎えた夫と、妻たちはどのように豊かに生きるべきか、を問うた意欲作。作=太田善也(劇団散歩道楽)、演出=黒岩亮(劇団青年座)である。
2012年の初演から3年、改訂を加えて、笑いあり涙ありのアットホームなドラマに仕上った。芸術祭参加作品。西田小夜子著『定年漂流』などを底本にしている。(三越劇場・10月19日所見)
2年前に結成したコーラスグループ「あんだんて」は、平均年齢55を超え経験者も少なく、お世辞にもうまいとは言えない小さなグループ。指揮担当の赤木響子(原日出子)のリビングが練習場。冒頭、リーダーの猪飼芳子(西海真理)はじめメンバーの面々が登場し、「翼をください」をうたう。快調な導入部であった。専業主婦で創立メンバー山城邦子(水野千夏)が、定年退職した夫・直樹(進藤忠)に仲間入りを進めるためのレッスンだった。
響子の家庭でも夫の伸彦(中山茂)が定年退職、マジメだが融通がきかない、練習に使われるのをよく思っていない。登場人物それぞれの家庭生活の実情を語らせていく手法は、ドラマの骨格を太いものにしていく。コンクールヘの参加をめぐっての対立もやや誇張気味だが面白い展開。ラストシーンでは「ありがとう」をうたう。
個性的な俳優たちがそろっているが、なかでも、菅原チネ子の勝気な振る舞い、石川恵彩の謎に満ちた態度などが印象的。吉本麻りの南京玉すだれ、平塚美穂のピアノ演奏もみどころだ。
原田みき子
9月19日未明、安保法案が可決された瞬間。私は部屋で国会生中継を食い入るように見つめていた。その数時間前までは、国会前のデモに参加していた。「本当に止める」。その合言葉を胸に、学生、学者、子供に主婦、サラリーマンやお爺さんお婆さん、芸能人まで道を埋め尽くさんばかりの大勢の人が国会前に集まった。
もしかしたら、「本当に止める」ことはできないかもしれない。そんな不安や諦めを抱えながら、けれど誰もが自分の頭で考え行動し、あの場所に集まっていた。
画面の中では、一人また一人と投票が進んでいく。与党議員で反対票を入れる人はほぼいない。予定調和・粛々と。そんな言葉が浮かんだ。私は、あの人たちは自分の頭で考えたんだろうか、と思った。
戦後70年続けてきた国の在り様を180度転換する法案の決議だ。国民への説明不足は明らかで、その不安はデモにも世論調査にも表れている。もしも心の中でこの法案に疑問を覚えながら、それでも自民だから公明だからという理由で機械のように投票してしまった議員がいたのなら。あなたが政治家になった意味と理由は何ですか、と訊きたかった。本音で答えてほしかった。多様性・自主性を持ってほしかった。
私は今年の夏、広島と沖縄を訪れた。戦争体験者の方が、「軍隊は戦うための組織で、国民を守ることはできない。いざその時になったら国民は逃げ惑うしかない」と仰っていた。
安倍首相の「国民を守る」という言葉はとても空虚だ。たしかに国際情勢は変化している。例えばテロの脅威。けれど武力の行使を広げることが、『抑止力』という相手への脅しと紙一重の行為が、安易に相手を挑発し、新たな争いと犠牲を生むことになりはしないだろうか。私はとても疑問に思う。
安保法案は可決されてしまったけれど、多くの変化が起きた。一人一人が自分の頭で考え行動に移し、伝えていくという民主主義が確かに始まっている。
私が初めてデモに参加したのはほんの数か月前、今年5月。政治に関心はあったものの、「デモに参加する」ことは考えたこともなかった。正直、怖かった。激しい、偏りすぎているというイメージがあったし、どこでやっているのかもわからない。そんな時友人から誘われたのがSEALDsのデモだ。自分と同じ歳の若者が、真剣に切実に声を上げている。驚き圧倒された。何よりそのデモに参加している人が皆、笑顔でいることに感動した。私もラップ調のシュプレヒコールを上げながら、自然と笑顔になっていた。
政治やデモのことを話す時、Twitterで眩く時、私の中にはまだためらいがある。こんなことを話したら偏った人だと思われはしないか、このツイートを見た友人は引いてしまうのではないか…。初めてデモに参加した後、周りの学生たちはデモにどんなイメージを持っているんだろうと思って、アンケートをした。30人程に回答してもらうと、『激しい』『怖い』『うるさい』『意味がない』といったマイナスな言葉が多くあった。『表現行為のひとつ』というように、悪いとは思わないけれど自分とは離れたところにあるものだという回答も多かった。デモに行ってみたいかという問いに『はい』と答えたのは3人だけだった。若者が政治に踏み込むことには、まだ壁がある。
けれど最近は、デモのツイートを見た友人から「どんな感じ?行ってみたいな」と声を受けることがある。始まった変化を途絶えさせないために、私自身がこれまでを振り返り、その反省から出発したい。デモに行くこと、それを工夫して伝えてみること、選挙に行くこと。安保法制への反対を、行動で示していく。
戦争を知らない私は、たくさん迷いや葛藤がある。きっと周囲の若者もそうだと思う。植民地支配、従軍慰安婦や強制労働といった経験のない戦争への反省を、どうすればいいのか。平和な日本に生まれ、一方で戦争が起こり続けている世界にどう向き合えばいいのか。沖縄の基地問題、東北の復興、不安は多くある。けれど今回デモに参加し、様々な意見を持つ人と出会い、議論を交わしたことでその答えに近づけた気がする。
初めは何もわからなくてもいい。確固とした意見がなくてもいい。考え、動いてみることでわかることがあるかもしれないよと、伝えたい。
原 緑
上信越道を走りながら、いつもの悪い癖で90キロのスピードが出ているにもかかわらず、右へ左へと過ぎ去る景色をきょろきょろと眺めて楽しんでおりました。
下仁田町に入ると左側に「肉まん山」、その右隣にチョキの二本の指先をねじった様な岩峰が目に入ります。肉まん山というのは私が勝手に名付けました。ふっくらとした低い山で、ちょうど横から見た肉まんのように絞られた形の三つのピークが山頂を形作っているからです。
そしてすぐに真っ平らな荒船山が見えてきます。経塚山という少し高くなった部分から艫岩といわれる断崖絶壁の縁までは本当に平らな甲板のような形をしています。
ここを過ぎると日本三大奇景の一つ、妙義山のあの独特なギザギザの山。この日はすっかり霞がかかって鋭さはありません。やがて、右側に浅間山。ここも雲が低くたれて山頂を覆い、煙の筋も見えません。それでも、ほとんど真横を通過する場所からは山腹が色づいていることが分かりました。
そう言えば昨年のこの時期、ちょうどこの辺りで見た浅間山は言葉にできないほど素晴らしい草もみじの最中でした。雲間から降る陽の光を浴びたところの色とりどりの鮮やかな色彩と、雲が光を消したところのくすんだ色彩のコントラストは絵のようでした。どこかに車を止めて写真を撮りたいと思ったのですが、高速道路ではそれもかないません。
ところで、私は1年に1度、山口地区文化祭で一般募集をするその時にあわせて俳句を作ります。指を折りながら作る言わずもがなの内容ですが、今年の季語に「草もみじ」というのがありました。すぐに頭に浮かんだのは、数年前に北アルプスの立山から五色ヶ原へ行く途中、一の越という峠を越えたときに眼前に開けた景色でした。
《乗っ越せば一幅の絵の草もみじ》
米国の単独占領ということで間接統治がされ、天皇も存続しました。公職追放も戻ってきます。その結果、戦前との連続面が強まりました。しかし90年代になると、責任を追及する個人補償の動きなどが活発化し、連続面は見えにくくなります。
93年、細川首相は従軍慰安婦の調査結果を受けて、侵略戦争であり間違った戦争だったと認識していますと、初めて首相として明言しました。国民の側でも侵略した側であったことと侵略したことが意識されていきます。国際的にも日本のアジアに対する加害の報道がなされるなど、厳しい視線が注がれるようになりました。そしてすべての教科書に慰安婦の記述が載るようになったのです。
さて、ここから、急展開するのです。憲法の問題と結びつきながら、さまざまな動きが展開されていきます。50年代の占領終結とともに逆流が起こってきました。
その第一波は戦前的な価値の見直しということで、靖国神社参拝、紀元節の復活、戦前の天皇制などが頭をもたげ始めます。同時に憲法改正も本格化してきます。
ご承知のとおり、55年に自民党が結成され、現行憲法の自主的改正を掲げました。教科書攻撃も加わりました。しかし、60年代には沈静化します。なぜかというと高度成長政策の経済効果で国民を取り込んでいったからです。
ここでややトーンダウンしましたが、中曽根内閣で戦後政治の総決算が主張され、建国記念日、靖国神社、日の丸、君が代の徹底などナショナリズムの様々な方向が打ち出されました。大国意識を煽り、それと結ぴつきながら、憲法の改定が浮上してきたのです。
これもやがて収まりますが、90年代半ばで第3のピークと言われる、憲法問題と歴史認識が大きな争点になります。
94年に自民・社会・さきがけの連立政権が成立し、その中で今日、問題になっている村山首相談話が発表され、過去の戦争の反省を明確にしました。以後、日本は村山談話をべ−スとしてアジア諸国と信頼を構築してきました。
ところが、自民党は93年に「大東亜戦争の総括」を刊行し、あの戦争は自衛のための解放戦魚と位置付け、侵略戦争ではないと表明しました。南京虐殺も慰安婦もでっち上げだと主張し、「つくる会」の歴史と公民の教科書が検定を通過し、既存の教科書における侵略・加害記述は後退しました。従軍慰安婦関係記述は一部を除いて消失しました。
戦後日本は米国の占領から始まりましたが、安倍さんはポツダム宣言で作られた戦後体制は無視して、サンフランシスコ体制(対米従属)を本格化しようとしているのです。解釈の極地にきてしまって、本当は明文改憲をしたいのですが、それができないので、憲法学者が認めない解釈をして強引に進めています。
朝日新聞で八木秀次さんが、「『戦後レジーム』とは、ポツダム宣言に基づく『ポツダム体制』のことだ。7年間の占領期間は前半期と後半期に分けることができるが、前半期は『ポツダム体制』のもとで日本を敵視し、日本を弱体化させる政策を行ってきた。この間に憲法と教育基本法が作られた。現行の憲法が立脚している『ポツダム体制』と、日米安保や自衛隊が立脚している『サンフランシスコ体制』は原理的に矛盾している」と述べています。
「戦後レジーム」とは、ポツダム体制のことだから、そこから脱却しようとする。それはポツダム体制の解体ということです。
安倍さんは国会でポツダム宣言を読んだのかと聞かれて、読んでいると応えると中身を問われる。いいですと言えば、安倍路線は崩壊することになる。ダメだと言ったら、国際社会からつまはじきになる。だから「つまびらか」という言葉でごまかしたのでしょう。危ない綱渡りをしています。
歴史認識の課題として歴史をどうとらえるのかという問題ですが、戦争を知る人がいなくなりますので、戦争の疑似体験というか追体験化が進みます。たぶんそこでは、戦争とは侵略戦争で悪いものだとするだけでリアリティーがありません。
最近では、軍隊ではなく兵士の側から、殺すこと死ぬことの意味をミクロの視点による追体験の研究が行われています。いろいろな感覚を持って研究し、戦争をメディア、音楽、歌、映画そういう文化的な領域からも研究すると、「戦争」がより見えてくるのではないでしょうか。
戦争の加害と被害を考察させながら、朝鮮、韓国、中国がどういう状況にあったのか、向こう側を見なければなりません。教科書作りで痛感したのは、日本は植民地とか侵略は書きますが、他の国の抵抗については見えていないということです。あるいは、中国のことは分かるが、韓国のことは分からないことが多いのです。
急速に戦争法案反対が広まっています。5000人を超す研究者や多くの学生も反対の声を出しています。私も早稲田大学の9条の会の世話人をしております。憲法を守り、未来のために安倍政権の暴走をなんとしても止めたいものです。
女子学院国語教師が語る平和教育。戦争の実体験が「歴史」に移行されつつある時、若い世代に何をどう伝えていけばよいのか。ご一緒に考えませんか。
講 師:小野田明理子さん「戦争をしない国が好き!」編著者。私立女子学院・高校国語科教員。
日 時:11月7日(±)午後1時30分から
会 場:新所沢公民館1F学習室1
*講演会終了後、第10回総会を行います。
*講演会のみ参加も歓迎です。
主 催:「しんとこ9条の会」
連絡先:山田寺男 2942−5335