機関紙32号 (2008年3月3日発行)
岩崎貞明(「放送レポート」編集長)
昨年末に成立した改正放送法は、放送局に対する新たな法規制だという批判が強かった「再発防止計画」提出条項は削除されましたが、「通信と放送の融合」を意識した竹中総務相時代の「工程プログラム」の趣旨は維持されました。その柱の一つが「NHK改革」で、その中心は「NHKガバナンスの強化」でした。これは、NHKの最高意思決定機関とされながら、事実上執行部(理事会)を追認するだけだった経営委員会の機能を強化して、NHKの運営面でリーダーシップを取らせようとしたのです。
この動きは放送法改正の前から進んでいました。経営委員会は富士フイルムホールディングス社長の古森義隆氏が昨年6月に委員長に就任して以降、執行部の5ヵ年経営計画案を否決するなど異例の強硬さで「改革」に臨んでいます。経営委の最も重要な仕事はNHK会長の選出ですが、今回、経営委は橋本元一会長を一期で退任させ、代わってアサヒビール相談役の福地茂雄氏を招璃。約20年ぶりに外部から会長を起用しました。
これらの動きについて、古森委員長の個人的な資質を問う声があります。たしかに古森氏は安倍晋三前首相を囲む経済人の集まり「四季の会」のメンバーで、昨年9月には「選挙期間中の放送については、歴史ものなど微妙な政治的問題に結びつく可能性がありますので、いつも以上にご注意願いたいと思います」など、NHKの番組編集に介入するような発言で物議を醸したこともあります。
福地新会長も古森氏の紹介で、気心の知れた財界人の友だちを連れてきた、と批判されました。しかし注意したいのは、今NHKをめぐって起きていることは、世界を席巻している「新自由主義」の流れに沿っているとみられることです。
イギリスのBBCでは職員3000人規模のリストラ計画が発表され、フランスではサルコジ大統領が民放の広告収入を増やすために公共放送のCMを廃止する(フランスの公共放送は受信料と広告費の両方で成り立っています)方針を打ち出しました。いずれも放送局労働者らの反発を受けていますが、公共的なセクターを縮小してプライベートセクターを拡大しようという「新自由主義」の波が今、放送にも及んでいるのです。
私たち視聴者は、いまのNHKをめぐる動きを一時的な出来事と捉えず、市民の立場に立った放送を実現できるかどうかの瀬戸際だという自覚を持って、NHKに対してそのあり方を真摯に訴えかけていく必要があります。
もくじへ絵は浅川光一さん(画家・会員・北秋津在住)
もくじへ忍足欣四郎(都立大学名誉教授 小手指町在住)
現代日本の最大の悲劇である大平洋戦争への深い反省から制定された日本国憲法には二つの相がある。一つは、国民を権力から守り、二度と不当な戦争に巻き込まれまいとする決意の表明であり、もう一つは、日本国民は平和的な民主主義国家を建設するという諸外国へ向けての誓約である。この精神は前文と第九条とに端的に示されている。大平洋戦争中、日本国民は戦場においてのみならず、国内でも都市への無差別爆撃、特に広島・長崎への原爆投下、そして沖縄での地上戦によって多大な犠牲を払った。それ故に、われわれは被害者の立場から考え勝ちだが、日本が中国を始めとするアジア諸国に強いた犠牲を忘れてはならない。日本は加害者だったのだ。連合国側にも「わだつみ」の学徒兵に相当する、洋々たる未来を奪われた青年たちがいたことも銘記すべきだ。
敗戦後から勝者と敗者とが真剣に、集中的に論議を重ねて1947年の憲法施行に至った。その第九条は一つの「理念」である。理念とは規制的原理であって、現実の不当な動きを抑止する根拠なのだ。敗戦後60年余、しかし、あの戦争は現在のわれわれとは無関係な遠い過去の出来事ではなく、憲法は時代に合わなくなった古びた文書ではない。憲法制定に至る経緯を学ぼうとしない怠慢な政治家たちが安易に改憲を口にし、文民統制がなし崩し的に失われようとしている。
現在、世界各地で戦争や紛争が続き、絶えず人命が失われている。その情況は連日テレビで報じられている。対岸の火事ではない。第九条の、殺し合いが地上からなくなるようにとの謙虚にして切なる訴えは、現代の世界において大きな意味を持っていると思う。
もくじへ一昨年の医療改悪法で、今年4月から、75歳以上の人は後期高齢者医療制度という独立した制度に移行する。これは、昨年の6月に自民党・公明党のみの賛成で強行採決されたもの。その内容は、現行の国保税より負担も増え、医療も制限されるという、医療費削減を唯一の目的とした、高齢者いじめの典型的悪法である。そればかりか、年金額が18万円(月額1万5千円)以上あれば、そこから天引きをするという、水戸黄門に出てくる悪代官が身ぐるみはがして年貢を取り立てるように、容赦ないあこぎな徴収を制度化した。さらには、現役世代には、「支援金」が新たな負担になる。高齢者だけではなく、これからも続く医療制度の抜本改悪の皮切りとして後期高齢者医療制度が始まろうとしている。
具体的に07年3月の確定申告額をもとに、市内に住むYさん(77歳・単身所帯で年金収入だけの生活者)の負担がどう変わるのか検証してみる。
Yさんの06年度の所得金額は218万2220円。住民税の基礎控除33万円を引いて埼玉県広域連合の所得割率(7・96%)で計算すると1,852,220×0.0796となり、所得割は14万7436円となる。このYさんのケースは確定申告した所得額から15万円(公的年金控除を受けた65歳以上の人に対する追加控除)を引いても他のケースより額が大きいので、埼玉県の均等割額4万2530円が適用される。
この結果、所得割+均等割の合計18万9966円がYさんの年間保険料となる。Yさんの07年度国民健康保険料は、15万8100円だったので、3万1866円も保険料が高く、少ない年金から、年間3万円以上も出せということになる。これは国による「ぼったくり」以外のなにものでもない。
この制度には多くの問題点が指摘されているが、三点に絞って述べてみたい。
第一は、従来、年金収入が180万円未満なら、扶養家族として本人の保険料負担はなかったが、4月からは本人の所得に応じて保険料を負担する。その対象者は全国で約200万人にのぼる。しかも、問題は高い保険料の容赦ない徴収である。埼玉県の平均保険料年額は8万4020円で全国5番目の高さである。1人当たりの保険料は均等割額と所得割額を合わせたものであるが、埼玉県の均等割額は。4万2530円、所得割率は7・96%であるから、関東地域で最も高い数字となっている(表参照)。
自治体の財政力の違いにより、国から支給される調整交付金で、保険料が抑えられる広域連合がある反面、財政力のある、東京・神奈川などは調整交付金を減額されるため、その分が保険料に上乗せされ高くなるが、埼玉県が高いのは後期医療制度に県が十分に拠出をしないからである。
さらに保険料は2年ごとに見直すという。11年4月までは所得割額の負担はなく、均等割額の最大値も5割と軽減措置がされているが、3年後の11年4月からは全額負担となる。軽減措置がなくなった後や保険料見直しによっては引き上げられることになる。
医療給付金が増えれば自動的に保険料に跳ね返る仕組みになっている。年金から天引きされる保険料も右肩あがりに増えることになろう。
第二は、75歳以上の高齢者医療の差別化は、到底許せることではない。厚生労働省は2月7日までに、血圧を下げる薬などを使用している75歳以上を健診の対象から除外するよう指示している。「健康よりも、医療費抑制が大事」の高齢者排除の厚生労働省の愚策が最悪の形で示された。1月16日段階で示された方針案でも、「高齢者担当医制度」を導入して、複数の医療機関にかからないようにする、検査等は何度実施しても一定額しか診療報酬を支払わない、長く入院させないため退院支援計画の作成、終末期には「在宅死」を誘導した医療機関に診療報酬の上乗せ、といった、「先に抑制ありき」の露骨ぶりだ。
厚生労働省は、「在宅死」を4割に引き上げれば医療給付金を5千億円削減できると試算している。人間の命を金に換算する手法は経団連の御手洗会長の求めに応じた上言われるが、国民(高齢者)の健康を無視する社会は社会そのものが不健康になると言わざるを得ない。
第三に、高齢者の医療が制限され、保険料が増えた上に、75歳未満の人たちへも「支援金」の名目で、国民健康保険税(料)の負担が増えることだ。所沢市の標準所帯(二人所帯・所得金額200万円)で、年間6万5400円の負担増と言われている。
自民・公明の与党や厚生労働省はさかんに「財源」を口にするが、政治とは国の予算の優先順位を付けることだ。
米軍の再編には3兆円もの金を湯水のごとく使い、道路整備中期計画に10年間に59兆円を使うという。米軍住宅建設に気前よく道路財源を使う国が、戦後復興の地歩を築いた高齢者を「うば捨て山」のごとく冷たく切り捨てる国の行政には、心から憤りを覚える。
この制度の実施は問題点を知れば知るほど撤回・中止以外にない。(K)
町田武仁(「平和を育てる大泉9条の会」事務局長)
大泉は西武線大泉学園駅を中心に南北に大きく広がる人ロ13万の住宅エリアです。当地の九条の会は、今年5月で結成3年になりますが、この間、松谷みよ子、岡本厚、小室等、高橋源一郎、小森陽一、高畑勲、曄峻淑子、和田春樹さんご夫妻ら、主に地元在住、またゆかりの識者・文化人をお招きして、7回の講演会を開催しました。そんな中で、会員にも勿論聴いてもらいたいが、日頃憲法や平和の問題を話題にする機会のない方々にこそぜひ来場してもらおうという思いで企画したのが、「藤沢周平と大泉、そして憲法九条」(07年6月)と「清水真砂子さんと語る児童文学」(同8月)でした。中でも清水さんの講演会は、地域文庫や親子読書に携わる母親たちとの共催でした。
清水さんは、一見平和な世の中で生き苦しさを訴える若者の声なき叫びを深く受け止めながら、子どもの本は、どんな平凡な幸福でもつましい努力から成り立っていることを教えてくれると、いくつかの作品から紹介し、平和も同じ、日常の小さな積み重ねの努力が戦争をとめると語りかけました。
同第2部は、中高生も登場のパネル討論。彼らの「テレビや大人は、いまの若者に“軽いノリ”を求めているみたい。真剣に発言しても“どうせ…”といわれる。同じ場を共有したいのに」という発言には、いつになく目立つ会場の10代20代や若い母親もウンウンと肯いていました。
埋もれている反戦の名画やドキュメントの上映会・ピースシアターin大泉も5回を重ね、ファンが広がっています。
憲法記念日には大泉学園から練馬駅まで沿線沿いにデモならぬピースウォークをしました。朝霞の陸上自衛隊広報部見学や靖国ツアーも。 会には総会はありませんが、いずれも会員の発意から実現したものです。
今年は、解釈改憲の新たな策動など、改憲派の巻き返しに要警戒です。4月5日(土)には渡辺治さん(全国九条の会事務局長)を迎えて、講演会「福田さん、憲法どうするつもり?」、を開きます。ご期待ください。沿線より連帯の意を込めて。
(平和を育てる大泉9条の会。詳しくは町田03-3923-0915までお問い合わせください。)
鈴木彰の「国民のふところ狙うカジリ虫」
もくじへ増岡敏和(詩人)
前号に続いてもう一編、拙詩を紹介したい。先に自己解説すると、この詩は埼玉・入間市の稲荷山公園(前号の「公園」も同じ)であるが、そこに古城跡はない。私の創作である。桜の並木に抱かれるような一寸した草原があって、好きな風景である。題は「新緑」。
日野草城に
-----新緑やうつくしかりしひとの老
という句がある 気に入って
いちめんの草覆う古城跡に
私の齢(よわい) 腹這わせ
一茎を食(は)みながら
わが新緑の匂い立ち上がらせて------
剣持英子(松ヶ丘在住)
昭和20年私は5歳の子どもでした。瀬戸内海に沿って広島から呉へと走る呉線の「坂」という駅のある坂村に住んでいました。
私には二人の兄がいて長兄は13歳、広島市の中学校に汽車で通っていました。私が遊んでいてけがをした時一生懸命背負って帰ってくれた優しい兄です。
8月6日、朝早くその兄が入口に腰かけてゲートル(戦時中、ひざ下にくつ下のように巻きつけた物)を巻いていたので、母が「おなかが悪いようだから休めば」と言ったら、「そんな事できんけんね。天皇陛下のためにがんばるじゃけん。自分だけ休めんけん」と言って出かけたそうです。
その日、兄は帰らなくて次の日、父は広島市内へと自転車で出かけました。
「地獄とはこれかのうと思った」と後で聞いた広島の状況。まだ生きて「助けて」と言うけど建物の大きな柱が体にのっていて「わしには動かせんじゃったのう」。肉のぶらさがった人、たくさんの死体……。
その夜遅く父は帰ってきましたが、兄は見つからなかったそうです。そうしているうちに坂村の人が担架に乗せて兄をつれて来たのです。
兄は体の前はシャツを着てきれいな顔をしているのに背中はシャツがちぎれて(燃えたのでしようか)肉に食いこんでいました。小さな声で「広島はひどいよう。水がほしい。水がほしい」と。
父は一生懸命火傷の薬をつけるけど原爆に効くわけがありません。医者にも診せましたが首をひねっていました。
兄は市内の相生橋のそばで建物を壊して火で燃やしていたところに原爆が落ちたそうです。その後、友人と宇品の港まで逃げ、船で真向かいの似島につれていってもらったそうです。
そこに坂村の青年団の人達が来て、担架に乗せてもらい、船で帰ってきたのです。
兄はうなされて横になっていましたが、「水、水がほしい」と言うので母がぶどうの汁を口に入れてあげると、「おいしい」と言っていましたが、8月9日に亡くなってしまいました。
広島では兄のように中学生、女学生の人達が大勢亡くなりました。二度とこのような原爆を落としたり、戦争が起こらないよう、もっと多くの人に、戦争の悲惨さについて知ってもらいたいと思います。
坪井俊二さん(会員・原水爆禁止世界大会議長団・日本ユーラシア協会副会長 緑町在住)が、2月17日、所沢雑学大学で「海軍兵学校でピカドンを目撃」との表題で戦争体験と反核平和運動の展望について講演した。
坪井さんの前半の講演要旨は、「私の戦争体験といっても、兵学校で経験したほんの少しだけですので、原水爆をどうしたら人類から追放できるかを中心に話しをしたい。戦争の被害、悲惨なこと、酷たらしさを語る前に、かつて日本が加害者であったことを忘れてはならない。とりわけ外国の人には、日本のことを心からお詫びをして、その上で原爆の経験など語るようにしている。
戦争体験は風化してきている。私たちが子どものころ、親から日清、日露戦争のことを聞かされてもピンとこなかったように、若い世代はどんなに辛かった時代があろうと耳で聞くだけでは風化するのもやむを得ないものがあるが、原水爆による戦争だけは、風化したからと言って放っておくわけにはいかない。
8月6日も早朝から江田島の裏山を掘る作業から上がってくると、広島の方角にピカと光り、きのこ雲が湧きあがり、だんだん拡散していく。はっきりとこの眼で原爆を見た。いまでもはっきり記憶に残っている。海軍だけに情報は早く、これは新型爆弾と午後には伝わった。男の生殖能力を失わせるから、お腹に鉛の板を張るようにと言うが、そんなものはどこにも無かった。あのきのこ雲の下でどんな地獄絵図があったのか、その時は想像もできなかった。9日後には、ポツダム宣言受諾、無条件降伏となり、私は東京に復員した」と江田島での経験を語った。
後半は戦争と核廃絶の展望について坪井さんは、「結核の母と姉を玉川学園に疎開させたが、病気の悪化で母を亡くし、木を燃やして茶毘にふした辛い思いをした。その玉川学園からも3月10日の大空襲で東京の空は真っ赤に見えた。一夜に10万人もの人が亡くなった東京大空襲は忘れることができない。母は『陛下のために死ぬことだけがいいのではないよ、生きていくことも必要なんだよ』との意味のことを私に話し、その翌日亡くなった。
戦争が終わって国際連合が発足、その国連決議第一号(1946年)は「原子兵器禁止」であった。ストックホルムアピール(1950年)も民間の手で出され、またたく間に5億筆を超える署名が国連に集まった。原子兵器は人類と共存できないという認識を当時の歴史課題として如実に私たちに突きつけられた。
1954年にビキニ水爆実験が始まり、このころから原水爆の禁止が絶対に必要であるとの思いから、1955年に原水爆禁止世界大会が開かれた。
1982年の第二回国連軍縮特別総会(SSD2)には、100万人の大集会がニューヨークで開かれ、日本からは1,212人が参加した。セントラルパークが核兵器廃絶を求める人で埋まったのも、核戦争勃発の危機感が張りつめた状況にあったからだ。当時の危機一髪の緊張感は今でも忘れられない。
その後、日本の反核運動は一時的だが不幸な分裂を迎えるが、世界の平和運動は非同盟諸国、新アゼンダ連合諸国と呼ばれている国々の努力で、「核廃絶の明確な約東」を核保有国に同意署名させ、核保有国に「明確な約東」の遠やかな遂行をすることを迫っていこうと呼びかけている。
世界中から核を一掃する決議(核兵器不拡散条約「NPT」)が米国を含めて決議されたことが、いまから8年前にあった。
ところが、同持多発テロが起きて、米国はこれに怒り、核廃絶の舞台から身を引き、2000年の核廃絶の願いは頓挫したが、NPTは5年ごとに見直しをするので、2010年に論議され、2000年の約東を再確認する方向にある。1月18日付けのウォール・ストリート・ジャーナルに、ニクソン政権の国務長官だったH・キッシンジャー氏ら元米政府高官を網羅した人たちの《核兵器のない世界へ》のアピールは、大きな力となるだろう。核廃絶の運動が国内外に大きく発展することを願っている」と語った。
もくじへ持丸邦子
5月のゴールデンウイーク期間中の、4日、5日、千葉県の幕張メッセ、6日、仙台・大阪・広島で「9条世界会議」が1万人規模で開かれます。去る2月22日(金)には、都内渋谷の青学会館で、「9条世界会議」開催アピールの記者会見を行いました。
「9条世界会議」の実行委員会では「9条」世界会議を、今年7月の北海道・洞爺湖での環境サミットのプレ、また、2009年に開催予定の世界平和市長会議にもつながる重要な位置づけと考えています。この一連のイベントによって、「持続可能な地球社会は軍事費を環境や教育・安全な水へ回すことで実現できる」、「武力で平和はつくれないことが証明された」という明確なメッセージをこれらに集う世界のNGOを通して、世界へ発信します。
ノーベル平和賞受賞者の基調講演、分科会のほか、「火垂るの墓」の実写版上映、第9合唱への参加、加藤登紀子さん、松坂慶子さんをはじめとする有名人の登場も予定されています。一日につきチケット1,000円(前売り)、所沢からの交通費も考えると少々高いようですが、盛りだくさんのイベントを楽しんで、平和に貢献できるこの機会をぜひご活用ください。広島からの「9条ピースウオーク」は4月29日には都内に入り、参加は無料です。
今回はこの記者会見に20代、30代の若者に混じって、最年長でボランティア参加しての実況報告です。若者たちの多くは、ピースボートのボランティア・スタッフです。若者しかいない中にひとり置かれる、という普段、所沢では経験しない状況に少々戸惑いましたが、おばさんのずうずうしさで何とか乗り切りました。
マスコミの方々は、日本の一般メディアとしては、朝日新聞、NHK、共同通信、北海道新聞、中国新聞、ジャパン・タイムスなど、また、海外メディアはAFP通信、ヨーロピアン写真通信、中国の方々、そして政党機関紙の記者の方達も多く来られました。民主活動団体やフリージャーナリストの方たちも。用意した椅子が足りなくなるほどでした。
おりしもイージス艦と漁船との衝突事故があり、それに対しての抗議声明も出されました。
坪井俊二(緑町在住)
2月半ばの日曜日、所沢のある地域講座から頼まれた「私の戦争体験」のお喋りの務めを果たした。60年以上前のことだが語り継ぐべきことは確りと、の思い出で私は引き受けた。とくに若い世代にと心中願ったが、集まったのは年配の方々が多かった。でも若い方に聞いて欲しいと用意した戦時中の歌を二つ唱った。「天に代わり不義を討つ…」と「海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍…」だ。歌いながら吾乍ら変な気分になった。頭の中では「教育基本法改悪」が、「憲法改悪投票法」が、そして「恒常的海外派兵法案」が渦巻いていた。ほんの少し姿かたちは変えたが、中身は何と70年前と似通った戦争の妖怪どもがのさばり始めたことだろう!
だがこの風潮に驚いたり怯えたりしてはいられない。草の根のガッチリしたスクラムで食い止め、反撃し、押し返すことだ。憲法九条を守る守勢だけでは勝てない。もちろん楽観は禁物だがグローバルに(全地球的規模で)見れば、平和勢力は大きく力をっけてきている。現代の戦争の元凶ブッシュ政権は国際的信頼を全く失いつつある。ニクソン政権の国務長官だったH・キッシンジャー氏ほか歴代の国務長官、国防長官、とくに我々の記憶も新たなM・オルブライト氏、C・パウエル氏ら元米政府高官を網羅した《核兵器のない世界へ》のアピールは、大きな力となるだろう。中南米の革新勢力の力強い台頭も目を見張る。
来る5月4〜6日予定の「九条世界会議」の成功を目指し、限られた字数の中で私も古くて新しいことば「正義は必ず勝つ」を強調して、この小文を終わりたい。
もくじへ2月19日午前4時7分ごろ、千葉県野島崎沖で、米ハワイ沖から帰国途中だった海上自衛隊の最新鋭艦のイージス護衛艦として国内最大の「あたご(舩渡建艦長、7,750トン)」が、勝浦市のマグロはえ網漁船「清徳丸(7.3トン)」に衝突、漁船に乗り込んでいた親子が行方不明となった。潜水艦「なだしお」事故の反省はどこにいったのか。
時間がたつにつれ自衛隊の説明がくるくる変わり、自衛隊に不利な情報を隠し、責任を逃れようとしている姿勢が明々白々になってきた。
そもそも漁場に向かう漁船や多くの船舶が航行する超過密海域・房総半島沖を自動操舵のまま、15ノット(漁船船長の証言、自衛隊は10ノットを主張)の速度で漁船の船団に突っ込んでいくという無謀な操舵は、「そこのけ、そこのけ、軍艦が通る」という、思い上がりの姿勢が浮き彫りとなるものだ。国民を守らないで、いったい誰を守るのか。
最新鋭の水上レーダーを装備したイージス艦が、早くから漁船の航行を確認していたことに疑いの余地はない。それでも回避義務を怠り、清徳丸に衝突した過失は大きい。
防衛省と武器商社との不祥事、沖縄の米兵の相次ぐ暴行事件、米軍基地増強反対の岩国市長を自・公で引きずり下ろす蛮行、法の番人である鳩山法相が、志布志湾事件の無罪判決を冤罪(えんざい)ではないと言い放つなど、この国の品格が問われることが続出している。
歪んだ座標軸を戻すには、私たちの努力が欠かせない。
2004年6月10日、「九条の会」発足の記者会見で、憲法は「いまこそ旬」だと語った小田実さん。昨年亡くなった呼びかけ人の小田さんの志を受けつぎ、引き続き憲法9条を守り、生かしていくという主旨で、「九条の会」の講演会が開かれます。当日は小田さんのパートナーの玄順恵さんも出席されます。ぜひ、お誘いあわせのうえ、ご参加ください。
日時 3月8日(土) 開場12時 開会13時30分 詩人・作家である辻井喬さんが、戦後の日本経済の発展に、憲法九条がどういう働きをしてきたかについて話しをします。
日時 3月16日(日) 開場13:30 開演14:00〜16:30
会場 さいたま共済会館6F(JR浦和西口より歩7分)
会費 800円
問い合わせ 辻井喬講演会実行委員会 048-834-1298(九条の会・さいたま気付)
劇団新人会 第56回公演 作・松田正隆 演出・前田昌明 戦争は普通に生活している人々の運命を変え、命まで奪ってしまうものだ、と極当たり前の常識ですが改めて平和の大切さを実感して頂ける作品です。
日時 4月11日(金)18:30開演
会場 所沢市民文化センターミューズ中ホール
問い合わせ 所沢演劇をみる会 04-2924-1099
所沢演劇をみる会は1995年から活動している、会員制・会費制の演劇鑑賞団体です。お仲間と誘い合ってご入会ください。入会金1000円、会費(月)2000円。
上尾音楽九条の会のメンバーとして全国で演奏。昨年11月の井上ひさし講演会でのピアノ演奏者、桐明学園大学卒業。江戸弘子、松岡貞子、江戸京子に師事。全日本学生音楽コンクール高校の部で2年連続奨励賞受賞、埼玉県新人賞受賞。
日時 3月23日(日)
会場 さいたま市文化センター小ホール(JR南浦和駅西口歩7分) 開場13:30 開演14:00
入場料 一般3500円、高校生以下1500円(全席自由)チケットのお求めは労音・埼玉音鑑048-666-7145ほか。