機関紙41号 (2009年1月14日発行)new!
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島田三喜雄(元東京新聞社会部記者)
在京6紙の元旦号を一覧して、確固とした編集方針が見えにくい紙面づくりに、私は言論の衰弱としか言いようのない危うさを感じた。
まず、各紙の1面トップ記事を見ると、朝日は「世界変動危機の中で」の連載第2回で、主見出しは「陰るハリウッド」。この連載は大みそかから始まった。なぜ米国なのか。米国発の世界経済危機には違いないが「資本主義の代案は資本主義しかない」(12月29日1面、船橋洋一主筆)とは、令名高い主筆の言葉とも思えない。
3面の社説は「混迷の中で考える人間主役に大きな絵を」。その結論は「たくましい政治が要る」という漠然とした提示に過ぎない。
毎日の1面トップは「アメリカよ 新ニッポン論」の連載第1回。主見出しは「米政府異例の謝意 三菱UFJのモルガン出資決断」。社説は「日本版緑のニューディールを環境の先導で成長を図れ」。「年頭に当たって、改めて早期に衆院を解散し総選挙を行うよう求めたい」とするが、争点の明示が不明確だ。
読売の1面トップは「生体認証破り入国 テープで指紋変造」という科学記事的事件記事ふうの特ダネ。社説は「危機に欠かせぬ機動的対応政治の態勢立て直しを」。
オバマ米次期政権が、アフガンヘの自衛隊参加を求めてきた場合、「憲法問題など国内政治事情を名目に協力を断れば、米国にとっての日米同盟の優先順位が低下していく」として、米国の顔色をうかがう相変らずの対米追随姿勢だ。憲法問題は単なる国内政治事情ではない。アジア諸国に対する侵略戦争の大罪を全世界に向かって深く謝罪した民主平和立国の大原則だ。
日本経済の1面トツプは「危機がひらく未来ヘトヨタ、太陽電池で挑む」。社説は「危機と政府1 賢く時に大胆に、でも基本は市場信ぜよ」。「資本主義の活力をいかすには国の介入は少ない方がよい」との市場万能論。市場を神とあがめる理論の大破綻を認めようとしない。
次に「産経」の1面トップは「黎明の光はいつ差すのか 冷戦終結から20年 経済グローバル化危機」。各社の社説に相当する「主張」はなく、皿木喜久論説委員長の「年頭に日本人の『流儀』にこそ活路」があり、「強い米国の復活は日本の安全保障にとっても必要だ」と、相変らずの対米従属ぶり。日本人の『流儀』がアメリカベったりになったのは、近々戦後のことに過ぎまい。
東京1面トップは(日本の選択 1.ネットカフェ難民「100年に一度」の岐路 安全網 「雇用」か「福祉」か)
生活困窮者には「1.生活保護など福祉を 2.就労支援で自立促せ」の2点を挙げ、選択を聞いている。憲法25条が保障する『健康で文化的な最低限度の生活』を国民が享受できるのはどちらの道か。日本の根幹を決める選択点だと問題を提起する。各紙の中で、最も生活感覚のある問題提起と言えるだろう。
以上、元旦号の1面と社説から紙面の傾向を概観したが、小学館が発行する月2回刊「SAPIO」07年11月14日号の特集「大新聞の余命」に触れないわけにはいかない。決して古い話ではない。
特に創価学会による新聞買収に触れたい。ジャーナリスト寺沢有さんの執筆。創価学会は新聞広告の大スポンサーだ。月刊誌『潮』『バンプキン』『第三文明』『灯台』『グラフSGI』『大白蓮華』は、いずれも出版杜は創価学会系。これらが07年9月にどれだけ出稿しているか。
「業界の実勢価格で、朝日が月間広告料金4600万円、読売3723万円、毎日1552万5千円。年換算すると、朝日5億5200万円、読売4億4676万円、毎日1億8630万円」。
このほか、単発の全面広告がある。筆者は10年ほど前から在京6紙にほぼ一斉に掲載される全面広告に注目してきた。選挙のにおいがするころになると、6紙が一斉に掲載するので、いやでも目につかざるをえない。
寺沢氏はこのほか、「聖教新聞」公称発行部数550万部や「公明新聞」同80万部が、全国紙に委託印刷に出されている事実も指摘する。連立政権に加わる公明党と学会との政教一致は憲法に抵触する重大問題だが、大スポンサーを批判するのは、至難のわざだろう。
同学会の問題に関連して、昨年10月に講談杜から出版された『創価学会公明党カネと品位』(筆者は元公明党参院議員福本潤一氏)によると、「創価学会は……年間総予算は1兆円、総資産は10兆円にも上るという推定もあり、池田創価学会は巨大コンツェルン的国家と言えるのです」という。
同氏は、学会から除名された元同党参院議員で、同書のあとがきで「宗教法人ゆえの優遇税制という特典、所有する巨大な敷地の固定資産税は免除。……政府与党に入って国の権力も支配しつつある」と告発している。
筆者が問題視するのは、連立与党の公明党を、また事実上、その支配者とされる池田大作創価学会名誉会長を批判できないのは、広告のカネで買収されているからではないかという疑問に、どの新聞も的確に答えないという恐るべき現実だ。
年改まって09年に入った現在、麻生自公政権は総選挙を引き延ばすという、のらりくらり戦術に出ている。一方、国民生活は待ったを許さない厳しさの中にある。千代田区の日比谷公園に労働組合や市民団体が大みそかに開設した「年越し派遣村」に、300人以上が駆け込んだという(しんぶん赤旗1月3日)。待ったを許さない厳しい現実と各紙の論調の悲しむべき乖離。
「九条の会」の呼びかけ人のお一人でもあった加藤周一さんが亡くなられ、その訃報の各紙の見出しに「九条の会」の四文宇が大きな活字で輝いていた。驚いたことに、その見出しにも文中にも、「九条の会」の文字が全く見られなかったのは、在京6紙の中で、ただ1紙、世界一の発行部数を誇る読売新聞だったという事実を、筆者は忘れることができない。言論の堕落と言わずしてなんと言おう。
「朝日、日本経済、読売」のANY「あらたにす」は、改憲連合なのかどうかを、問いたい。
(日本ジャーナリスト会議運営委員)
増岡敏和(詩人)
憲法九条によせて(歌詞)
一、暖かくてのひら重ね
平和の塔を高く建てよう
大切な朝(あした)の出会い愛しみ
戦争をしない腕をつなごう
二、暖かく心なごませ
百年を一里のように歩もう
喜びと笑いの出会い愛しみ
戦争しない国を建てよう
三、暖かく互いを尊び(たっとび)
暮らしの屋根をともに広げよう
武力もて競わぬ出会い愛しみ
戦争しない国に生きよう
「侵略国家というのは濡れ衣だ」という論文を発表して自衛隊航空幕僚長を更迭された田母神発言をめぐって、緊急の学習集会が11月30日に行われました。会場の地区労会館には、当日までに3件の問い合わせ電話が入るなど、今回の集会への関心は高く参加者は50名になりました。軍事ジャーナリスト・前田哲男さんが『自衛隊の“旧軍隊”への回帰と9条の闘いの視点』と題して講演し、参加者は熱心に耳を傾けました。
前田さんの講演は、「田母神問題」の根源、自衛隊の体質からくる問題点、暴走する自衛隊をどう規制するか、「平和基本法」の制定へ、の4つの柱からなり、1時間半話され、その後、活発な質疑がつづきました。この紙面ですべてをお伝えすることはできませんので、冒頭部分の要旨をご紹介します。
今度の問題には、田母神「発言(論文)」「事件」「問題」の3つの側面があり、「論文」については、引用のつぎはぎだらけで形式的に問題であるだけでなく、内容的にも、体制寄りといわれる歴史学者の秦郁彦さんにさえ批判され、近現代史研究者の間では評論に値しないとされるお粗末なものである。
防衛省が懲戒処分もせずに依願退職にしたこと、参議院の外交防衛委員会での参考人質疑で発言を撤回せずあくまでも持論に固執したこと、さらには自民党や一部メディアが「言論の自由があるから当然だ」「村山談話のほうが問題だ」などと彼の発言を擁護したこと、それらから「事件」として波紋が広がっている。
そうした「論文」や「事件」をふくめて、これを「問題」として考えていきたい。これは、孤立した一過性のものではなく、武装集団である自衛隊をこれからどうしていくのか、という観点で深く論じなければならない。
この数年、久間防衛大臣の「原爆投下はやむをえなかった」発言や守屋事務官の汚職問題など、自衛隊の内部からさまざまな問題が噴き出しているが、国民との関係で、3つの問題がある。
その第一は、1年半前に陸上自衛隊の「情報保全隊」による市民監視が発覚したことである。イラク派兵反対の集会に潜入してスパイ活動を行ったことは憲法違反の重大問題であるにもかかわらず、処罰が行われなかった。
第二に、沖縄の辺野古で基地建設着工のため環境調査を強行し、それを阻止しようとした住民に対し、海上自衛隊掃海母艦が出動したことである。
第三に、自衛隊の第一次イラク派遣隊の指揮官をし、現在、自民党の参議院議員になった佐藤正久氏が、「武器使用」が禁止されているにもかかわらず、状況が切迫したら「駆け付け警護をする」つもりだったと発言したことである。これは昭和初期のファシズム、軍部の独断専行と重なりあう重大な問題をはらんでいる。
田母神問題は、こうした一連の流れのなかで出てきたものであるが、自衛隊の土壌はこの田母神問題が出ても何ら不思議はない。
田母神発言を裏付けるような本が今年3月に出された。カリフォルニア大学の女性社会学者が自衛隊員と面談してまとめた『不安な兵士たち一ニッボン自衛隊研究』である。そのなかの「皇軍の影」では、旧日本軍(皇軍)を発祥とした自らのルーツをさぐる研究が根強くつづいていると指摘している。隊員は皇軍を悪者として関係を断とうとする一方、自尊心や日本における自らの役割をどう捉えるか、関係をどう保つか、と葛藤しているとも述べている。
防衛大学校の学生200人のアンケートを特集した雑誌「軍事研究(1970年)」がある。
このなかには、尊敬する人物にヒトラーや三島由紀夫を挙げる人が多く、総理大臣に希望することとして「憲法の即時停止」「国軍の創設」「治安維持法の復活」などが挙げられている。田母神氏をはじめ1970年代に防衛大学校を卒業した人びとの多くがこのような意識を持っていると考えてよい。田母神問題を考える上では、戦前の教訓から汲み取ることも必要である。
明治憲法下にあっても「軍人勅諭」で軍人の政治関与は禁じられていた。しかし、張作霧爆殺事件や満州事変など、出先軍のイニシアチブで軍事行動は進行し、文民統制は形骸化してなし崩しになっていった。たがが外れた結果どのようになるか、教訓とすべきである。
久保征子(所沢新町在住)
年末になると各地で歌われる「第九」。
私が歌い始めたのは1983年。「歌が好き、ベートーヴェンが好き」程度で、初めはドイツ語の歌詞を覚えるのが精一杯だった。
詩の内容まで考えるゆとりは無く2回、3回と歌ううちに、その練習過程での解説を聞いたりする中で理解できるようにはなったけれど、まだまだ奥深く、探求していきたい。
今年は「佐渡裕指揮」で歌いたい!との思いから4年ぶりに「所沢で第九を」の公演に参加し、2週間後の「佐渡裕指揮、東京フィル」と2度も歌うことができて、まさに「感動・歓喜!」幸せな年末だった。
シラーの「人類愛」、ベートーヴェンの「人間の尊厳」の思想、「自由・平等・平和」を歌ったこの曲は、1824年にウィーンで初演ということなので185年も歌い継がれていることになる。
だが今の世界の現状はどうだろう? 平等・平和とはほど遠く世界のあちこちで戦争やテロなどによって尊い命が失われている。
世界中で格差が広がり、リストラの嵐が吹き荒れて多くの人たちが住む家もなく路頭に迷い、夢も希望も失い、さまよえる若人が増えている。
この様を、シラーもベートーヴェンもきっと嘆いているに違いない。
「平和・自由・平等」が如何に大切か、それを守ることが如何に難しく大変かということを、改めて考えている。
誰もが安心して暮らせる国づくりと、平和憲法を守っていくことが世界平和にも貢献できると思う。
所沢にお住まいの元共同通信社ワシントン支局長、元上智大学教授の藤田博司さんをお招きし、最新の国際情勢を縦横に語ってもらいます。
2月28日(土)13時30分から新所沢東公民館(新所沢駅下車徒歩10分)。
資料代500円。
3月14日(土)に行います。
集合場所と時間 航空公園駅・YS11機前に9時15分。
参加費3500円(お弁当・飲み物・資料代含む)
先着35名(満員になり次第締め切ります)
申し込み先:佐藤後広 04-2942-3159
所沢市の公民館講座でおなじみの山田敏男さんを講師に憲法を広く深く優しく学習する4回の講座を開きます。
1:4月11日
2:4月25日
3:5月 9日
4:5月23日
会場はミューズ管理棟4F第2会議室。
(詳細は次号で報じます)